Since when レイア・エーデルグレイス
ちゃぽんという音と共に、熱が足先から登って行く。
ゆっくり、そっと体を浴槽に沈め、ふっと体の力を抜く。
強張った体がほぐれ、一日の疲れが溶け込んでいく様な、そんな感覚にレイは浸った。
「おや? お姉様お疲れです?」
体を洗いながら、エリーはレイの溜息にも似た吐息を聞きそう尋ねた。
「ええ。そうね。出来の良い妹もいますし」
毎度午前中の講義で迷惑をかけている以上、その言葉をエリーがそのままの意味で受け取れる訳がなく……。
「あはは……申し訳ない……」
「冗談よ。……せめて、憧れだけは裏切らない様にしたいのよ。私でもその位は……」
「はい?」
「何でもないわ。早く貴女もいらっしゃい」
そう、レイに言われエリーは少し急いで体を洗った。
自分はクラスメイト達が思う様な、エリーが思う様な存在ではない。
むしろ毎日一生懸命ボロを出さない様にしている位だ。
得意な事はまあ問題ない。
だが、レイにだって苦手分野はある。
むしろ多い位だ。
薬剤の調合や常識、マナーの講習。
そして極普通の学問、常識的な範囲での、勉学。
そう言った物が、レイはそこまで得意ではない。
ではどうして乗り切っているかと言えば……なんてことはない。
ただ、勉強しているだけ。
レイが読んでいる本の内容を見れば、その意味が理解出来るだろう。
いつだって、レイは翌日の事に関わる本しか読んでいないのだから。
要するに、余った時間レイが本を読んでいるのは本が好きだからではない。
そもそも弱視であるレイにとって本は元々苦手分野である。
じゃあどうしてそんな事をしているかと言えば……結局話は元に戻る。
ボロを出さない為。
クラスメイト達の憧れのお姉様を消さない様にし、同時にエリーが優秀であると認めさせる為の一翼となる。
ただその為だけに、レイは自分の時間を全て使っていた。
エリーと共犯というのは決して建前ではなく、全て本当の事だった。
自分の時間全てを捧げる程度には。
「お隣、失礼しますね」
エリーの言葉に頷き、レイは少しだけ距離を取る。
「お姉様って、風呂場では私から距離を取ろうとしますよね。それは……」
「理由は言いたくないわ」
「……体の傷と関係あります?」
そう、エリーは言葉にする。
無礼で失礼であると思うが、それでも、尋ねずにはいられなかった。
「……まあ、気付かない訳ないですよね」
そう言葉にし、レイはバスタオルを軽くずらし、背中をエリーに見せる。
その背中は、傷だらけだった。
刃物、刺突、火傷等々……様々な大小の傷が背中を埋め尽くす。
それは決して、虐待の傷ではない。
虐待だとすれば命がいくつあっても足りない程酷く深い。
その傷は、殺し合いを重ねた物、本当の意味での戦士が作る傷だった。
普通背中の傷はあまり好ましい事ではないが……これは例外である。
なにせ全身に同様の傷がある事が想像に容易いのだから。
要するに、普通に戦っても傷つかない背中すらこうなるほどの経験をしてきたという事だ。
「……私は気にしませんよ。むしろ納得してます」
「と、言いますと?」
「傷つかない者が強くなれる訳がありませんから。お姉様の強さは私から見ても異常です。それこそ、魔王軍に入っても幹部級で活躍できるでしょう」
「無理よ。弱視に魔力不足の私じゃ足しか引っ張らないわ」
「逆に言えば、それ以外の要素はお姉様軍幹部級……いえ、将軍クラスだと見ました」
「買いかぶりすぎです」
「ですかねぇ……」
「ええ。私なんて大した事のない……ただの……紛い物よ」
そう、レイは言葉にする。
エリーはそんなわからずやの姉に、抱き着いた。
「ちょ!? エリーさん?」
「いえ、どうせ口で何言っても否定するでしょうからこんなに大切ですよとアピールしようかと……あ、お姉様結構胸あるんですね」
「や、辞めて頂戴!」
そう叫び、レイはするりと抜けエリーから距離を取った。
「……浴室で距離を取るのは、傷があるからではありません。本当は……ただ、恥ずかしいからよ。だから少し……遠慮して頂戴」
そう言葉にするレイの顔は、真っ赤となっていた。
「お姉様かわよ。もう一回抱きしめて良いです?」
「絶対駄目です」
ぴしゃりと言い切るレイ。
それを見て、エリーは口をとがらせ大人しく浴槽に体を付けた。
「それでお姉様。明日ですよね。お姉様のお母様がここに訪れるの」
エリーの言葉を少し離れレイは聞いた。
「ええ。その予定ね」
「何しに来るんです? お姉様に会いに?」
「正しくは私達エーデルグレイスに会いにかしらね。……まあ、それだけじゃないでしょうけど」
「と、言いますと?」
「色々よ。お母様が来るという事は……説明し辛いわね。まあ色々あると思って頂戴」
「はあ。色々……」
良くわからず首を傾げ考えながらエリーはそう呟いた。
「それと、たぶんエリーさんとも顔を合わせたがると思うからそのつもりでいて頂戴」
「はい? 私と? どして?」
「どうしてって……貴女、私の妹でしょ? お母様にとっては半分身内みたいな物よ?」
「でも私お姉様と血の繋がりなんて……」
「そんな物私とお母様の間にもないわよ。そういう方なのよ」
「……わかりました。自慢のお姉様ですって言います」
「別にそういうのはどうでも良いわ。あるがまま報告すれば……。ああ、私を照れさせようとしたのかしら?」
それが図星であった為、エリーはバツが悪そうに口笛を吹く真似をした。
「くすっ。ふざけないの。……そろそろ出ましょうか」
「あ、はーい」
エリーは先に浴槽を出てレイに手を伸ばす。
その手を受け取り、レイはバスタオルで体を隠し遠くを見ながら浴槽を出た。
「ごめんなさい。いつも迷惑をかけて」
そんなレイの言葉に、エリーは微笑んだ。
「迷惑だなんて思った事一度もありません。むしろこういう従者らしい事をしたいと思ってたので」
「……でしょうね」
「ん? お姉様何かおっしゃいました?」
「いえ何も。いつもありがとうと」
「いえいえ。これも妹の務めですので」
「では、私は姉の務めとして、風呂上りの冷たいデザートでも用意しましょうか。どうせ貴女太らない体質なんでしょ?」
「わーい。お姉様大好きー」
そう言葉にし抱き着こうとするエリーを、レイはするりと躱した。
午前の講義中、唐突に青い髪のメイドがヒルドクラスを訪れた。
「失礼します。レイア様。アラヤ様がお呼びですので……」
「……今でないといけないかしら?」
そう、レイは言葉にした。
「後でも構いませんが……その時は『思いっきり駄々をこねて拗ねる』と言伝を預かっております」
レイは無言になった後……小さく溜息を吐いた。
「わかりました。すぐ行きます。フレイヤさん。エリーさんの事、お願いします」
「え? 私? あ、はい。しっかりエリーさんが学業に集中出来る様頑ば――」
「いえ。次の調理実習で絶対に料理に参加させない様にして下さるだけで大丈夫です」
「……そんなになんですか? エリーさんって」
「ずっと目を離さなければ問題ないでしょう。ただ……目を離した時何をしでかすかわかりません。悪気がないのはわかるのですが……流石にエリーさんの料理で誰かが倒れる姿を私は見たいと思いません」
「あ、はい。わかりました。クラス委員として安全対策に取り組ませて頂きます」
そう、フレイヤが言葉を返し、レイはその返しを喜び微笑む。
そしてわかっていても悲しい自分の料理技術にエリーはしゅーんと眉を落とす。
「……料理って、難しいね」
そんな事を呟くエリーは、哀愁に溢れていた。
「こちらです」
扉の前でメイドにそう言われ、レイは頷いてノックをしようとする。
そのタイミングで、部屋の中から声が聞こえた。
「ノックとか良いから早く入って来ちゃってー!」
待ちきれない様子の義母様の声。
レイは小さく溜息を吐き、入室した。
「失礼します」
「ええ。失礼しちゃって! んでどう学園生活? 困った事ない? ちゃんと楽しめてる?」
まくしたてる様なユイの言葉にレイは苦笑いを浮かべた。
「事情を知った上でそう尋ねるのですから、本当ユイ様は滅茶苦茶ですね」
「ノーノー。ユイ様じゃないでしょ? お母さん、マミー、ママ、マッマ、おかあちゃまでも良いわよ」
ニコニコ顔のユイに対しレイは困った顔を浮かべた。
「……本当……私が言うのも何ですけど……お母様って一体何なのでしょうかね?」
「何だと思う?」
「フィクサーですね」
レイはそう、はっきりと断言した。
ユイ・アラヤという存在について詳しくは知らない。
例え娘であってもだ。
だが逆にわかる事もある。
影で暗躍し、事態を引っ掻き回す様な存在だという事。
黒幕。
悪意はなく、気は優しくて根は善良。
それは間違いないが……決して真っ当な存在ではなく、アウラに類する性質の相手。
レイはそう考えていた。
「まあ間違ってないけど……他にない? 優しいお母様とか慈愛に満ちたとか」
「慈愛に満ちているのはご存知ですよ。ですがそれはそれでお母様は隠し事が多すぎます」
「あら。レイアちゃんがそれ言う?」
「ええ。私が言います。そもそも、私の隠し事なんてお母様全て知っているでしょう。もっと言えば……お母様が作った隠し事ではないですか」
「ふふ……レイアちゃんの事は一杯知ってるわよー。お母さんだもん!」
「でしょうね。それで、授業を中断させてまで呼び出したのはどの様な御用があったからでしょうか?」
「はいあれデース!」
そう言葉にし、ユイは壁にある箱を指差した。
白い紙の箱で、上部が三角になり取っ手のついたそれ。
女性の多くを虜にし、男性すらも引き寄せる箱。
外から見ただけでケーキ類のデザートが入っていると思われるそれが壁際のテーブルに幾つも並べ慣れていた。
「……これは?」
「お土産! クラスメイトや妹ちゃんに配ってあげて! お嬢様学園だからという事でお母さん少し奮発しちゃって良いの買っちゃったわ」
「……お母様の少しというのは怖いですが……ありがたくいただきましょう」
貰わないと面倒だと知っているレイはそう言葉にし頭を下げた。
「そうそう。娘はお母さんに遠慮したらいけないんだから。メイドさん達に配ってもらう様言っとくわね。レイアちゃんだけだとこの数は大変だと思うから」
「そうですね。この目です。落としたら色々悲しい気持ちになりますから」
「……も、もしかしてそんな目にした事……恨んでたりする?」
おどおどとしながら、ユイはそう尋ねた。
「いえまさか。感謝しかありませんよ。……お母様に対し一ミリも恨みなど抱えておりません。これは嘘だらけでエリーさんにすら隠し事のある、愚かな私の数少ない真です」
「……ごめんね。苦労かけて」
「いえ、むしろ苦労で済んでいるのですからありがたい位です」
そうレイが言葉にするがユイの表情は暗く、空気は重い。
暗躍大好きで隠し事だらけ。
そんな怪しさしかないユイであるのだが、何故かメンタルはあまり強くなかった。
「……ところでお母様。質問なのですが……やけにお土産多くないです?」
壁にある箱の数を見てレイはそう言葉にする。
部屋の隅にあるカットされたケーキが十個以上入っているであろう箱。
その数は、少なくとも百は越えていた。
「いや、この学園にいる娘ちゃん達皆に配ろうと思って……」
「私を除いて娘の数は?」
「四人」
「一クラス三十体少しで私含め娘は五体。……いやどう考えても多いでしょう」
「年頃の娘ばかりだからお代わり位するかと思って……」
「それにしても多いでしょう。これは……幾つ買ったんです?」
「あるだけ……。ここ以外にもまだある……」
もじもじとしながら、ユイはそう言葉にした。
「……とりあえず全学年に配りましょう。きっと足ります。というか余ります」
「はい……」
しゅーんとしながらうじうじするユイ。
フィクサーであり、黒幕であり、物事を掻きまわす役。
それでも、その落ち込みは演技ではない。
家族の為と思って空回りして落ち込むなんて普通の存在っぽい事もするのがユイ・アラヤだと娘であるレイは知っていた。
「……はぁ。少し待っていてください」
レイは小さく溜息を吐き、部屋の外に出る。
そして皿とティーポットの乗ったカートを持って戻って来た。
「……どうせ余るでしょうし、今から一緒に食べませんか?お母様」
一瞬だけ娘とのお茶会にユイはぱーっと笑顔を浮かべ……そしてすぐまた元のしょんぼりした顔に戻った。
「でも……私はレイアちゃん程器用にはまだ……」
「私がちゃんと食べさせてあげますよ。それ位します。娘ですから」
ユイはぱーっと、子供みたいな笑顔を浮かべた。
「うん! じゃあお願いレイアちゃん。あーんして! そうそう、沢山お代わりして良いからね!」
「はいはい。一緒に食べましょうお母様。先に紅茶を淹れますので少しお待ち下さい」
苦笑いを浮かべながらのレイの言葉。
だが、その顔はどこか楽しそうでもあった。
「それで、本題は?」
ケーキを一緒に食べた後、満足そうな顔になっているユイにレイは紅茶を飲みながらそう尋ねた。
「本題?」
「何か要件があるんでしょう。家族団欒以外にも」
「んーん。でもさ、レイアちゃんの妹なら私の娘って事になると思わない?」
「……エリーさんに用事ですか」
「いやいやー。ただ会ってみたいなぁって……」
「嘘を付いてもわかりますよそれ位」
「……わかっちゃう?」
「はい。わかりますね。エリーさんに用があるのでしたらすぐ呼んできましょう」
「あれ? 怪しいのに呼んでくれるの?」
「どうせ最後はそうなる様にしているんでしょう? 断り続ける時間が惜しいです。それ位わかりますよ私でも。では一旦失礼しますね」
そう言葉にし、レイは食べた後の食器をカートに乗せ部屋を出て行った。
ありがとうございました。




