When to meet 阿頼耶識
クラスメイトがレイについて知っている事はそう多くない。
唐突にエリーとの契約者として訪れたその女性は、まさにパーフェクトなお姉様だったという事位だろう。
二年生だからとか、二年生にしてはとか……そういう次元ではなく、学園生全体の中でも一握りと呼んで良い程に優れていた。
あらゆる授業で、レイが躓くところをクラスメイトは見ておらず、どの様な科目であれ教師が褒め、クラスメイトの先を行きクラス全体の面倒を見て、エリーに手を差し伸べていた。
優れているのは生活態度や学習面、調理などの技能だけでなく戦闘面においてもそう。
むしろ戦闘面こそずば抜けており、学園有数どころか学園で一、二を争う位ではないかとクラスメイトは思っている。
ユグドラシルの闘士になってから一週間と少し。
たったそれだけで、レイとエリーは既に上級上位、つまり六階層の最上階、ビスレストの先に足を踏み入れている。
どれだけ早く才能が溢れていても三年生が最年少であり、大半が最上級生の五年生で構成されるそれに、二年と一年が足を踏み入れる。
しかもルーンの誓いというメリットを投げ捨て単体戦闘のみで。
しかもレイは多少の敗北があったり時間切れで戦闘しきれなかったりするエリーと異なり、毎日限界いっぱいまで試合を行い、その全てに勝利している。
しかも大半を秒殺して。
一試合とて苦戦した試合はなく、疲労の色すら見せていない。
ユグドラシル、並びにハイロウ戦において、銃は決定打とするのは難しいというセオリーが存在する。
武器の性能は相手もほぼ同性能であり、その性能をまるまる防御に転用できる。
だからハイロウの使用は攻撃と防御では防御の方が有利であるとされ、尚且つ銃関連は近接技術を加算出来ない為どうしても限界が来る。
とは言え、銃自体が弱いという訳ではなくあくまで近接よりも決定打になりにくいというだけであり、近接を主体にしつつも遠近両方の選択肢を増やす事こそが、ハイロウを使用した戦闘での絶対のセオリーとなっている。
そのセオリーを、レイは悉く、完全に、まるで馬鹿にするかの様に破っている。
レイのハイロウ使用は魔法銃への変化のみ。
近接や防御どころか移動にすらハイロウを用いず、それでいて銃もそこまで特別な物ではなくただのハンドガン。
別段火力が高いという訳ですらない。
それなのに負け知らずというのはあり得ない事であり、かつ誰独りその理由が理解出来ない。
だからこそ、誰もがレイという存在の特別さを思い知った。
どうやってその程度の武器で勝っているのか、誰にもわからなかった。
そんなとんでもない存在で、契約者であるエリーと非常に親しく、クールで自虐的だが意外とお茶目で世話焼き。
それらがクラスメイトがレイについて知っている、数少ない情報。
そしてもう一つ……。
レイは、良く、本を読んでいる。
放課後、独りで本を読むその姿に見惚れながら、クラスメイトはそう思っていた。
普通放課後になれば教室は閑散とするのだが、今は七割以上のクラスメイトが残っている。
レイがいるからだ。
だけど、話しかけられない。
拒絶している様子はないのだが……雰囲気が、オーラが違う。
レイだけで、その風景が完成している為混じるのに臆病となっていた。
皆が話しかけたいと思っていた。
お願いをしようと思っていた。
クラスメイト達が持つ一番多い願いは、週に何度かある午前授業のダンスの時間、その時に一曲だけでも踊って欲しいというものだった。
その手に触れ、共にひと時の時間を楽しみたいと思う者は少なくなかった。
そのレイに対するクラスメイトの感情は恋愛に近いが、それほど確固たる感情ではない。
言葉にするなら、むしろ憧憬という感情が近いだろう。
憧れの存在に手を触れたい、近寄りたい。
憧れているあの方の様になりたい。
そんな、淡くも強い憧憬を、クラスメイトの少女達はレイに抱えていた。
灰色のくすんだ髪の色なんて気にもならない程綺麗な横顔。
完璧という言葉すら霞む立ち振る舞い。
少女達が憧れるには、十分過ぎる存在であった。
尚イラだけは憧憬以上にもっと即物的な……簡単に表すなら肉欲的な感情をレイに抱いているが。
「イラさん。こういう時は貴女でしょう」
声をかける勇気のないクラスメイトにそう小声で言われ、イラは困った顔で首を振った。
「私ちょっと気まずいんですのよ」
「なんでですの?」
「レイ様の事をこっそり調べていたのがバレたからですわ」
「何でそんな事したのよ!? それと何かわかったなら教えなさいよ!」
小声ながら圧のある言葉に、イラは眉を顰める。
当事者の前で調べた事を言えというのは、陰口を正面から言う様な申し訳なさがあった。
「それは……私も聞きたいわね」
そんな声と共に、本がぱたりと閉じられる音が聞こえる。
イラは、そっとその方角を見る。
そこにいるのは当然……独り、本を読んでいたレイ。
レイと目があったイラは、頬をぴくぴく引くつかせ微笑んだ。
「ご、ごきげんようですわレイ様」
「ええ。ごきげんようイラさん。それで、私について何かわかりました?」
「……その、申し上げてよろしいんですの?」
「別に構わないわ。調べても良いって私言ったでしょ?」
「は、はい……」
そう言葉にし、いたたまれない表情でイラはクラスメイトとレイに知った事を話し出した。
「と申しましても、私の知った事など大した事ではありません。以前、レイ様に『エーデルグレイス』という名前について調べるようにと伺い調べました」
「ええ。そう言ったわね」
「はい。その結果わかったのが、この学園にもそのファミリーネームの方が他に数名いらっしゃいました。最初家族なのかと思いましたが……どうも違うみたいで」
「家族ではあるわよ。皆血が繋がらないだけで」
「ええ。そこでわかったのが……その名前は先――」
がらららら!
そんな大きな音と同時に、クラスの扉が開かれる。
そこに入って来たのは……。
「ごめんなさいお姉様。逃げられませんでした!」
そんな声を上げ、エリーはレイに深く頭を下げた。
「騒がしいですよエリーさん。少し落ち着きなさい。それで、何があったんですか?」
「は、はい……。すいません。どうしても断り切れず……闘技場でお姉様と私のタッグ参加が決まってしまいました……」
その言葉にレイは苦笑する。
レイとエリーの目的はユグドラシルの頂点を取る事ではない。
ビフレストの先、つまり上級上位に入る事。
つまり、もう目的は終わっている。
戦う必要はなに一つなくなっていた。
エリーが今日決闘をしていたのも事前に予約し余った試合を消化していただけであり、あそこに深くかかわるつもりはどちらももうなかった。
そのはずだった。
「それはまた無駄な事を……。エリーさんが断れなかった理由は?」
「その……お姉様とどうしても戦いたい方がいらっしゃいまして……」
「……私と? それはどなたかしら?」
「えっと……その……」
エリーはちらっと、背後の開かれた扉を見る。
その扉から、制服姿の女性が姿を見せた。
「邪魔する……じゃなかった。ごきげんよう」
ハスキーボイスを響かせる淡い緑色の髪をした女性はそう言葉にし、鋭い目線をレイに向けた。
恰好は皆と同じく制服。
その腕章は五年生のもの。
だが、その立ち振る舞いは学園生とはとても思えないものであった。
猫背でカバンを片手で背負い、レイにガンつけするなんてアシューニヤ女学園というお嬢様学園らしくない感じ。
中性的というよりもどこか男性的ささえある、凛々しい顔とその声、立ち振る舞い。
ヤンキーと呼ぶ程ではないが男性的な面が強く、ワイルドという言葉が似合いそうな女性ではあった。
「ごきげんよう先輩。それで、私に何の用でしょうか?」
レイはにこりと微笑みそう尋ねた。
「ああ。お前と戦いたいと思ってたんだが出遅れたみたいでマッチングしなくてな。んで悪いがお前の相方の方に無茶言って頼んだ。あんまり怒らないでやってくれ。先輩命令みたいなもんだったから」
「いえ。私のエリーは例え先輩であっても私に不利益な事を受けませんわ。何か、事情がおありなのでしょう?」
そう、レイが言葉にすると女性は申し訳なさそうに頬を掻いた。
「……いや、悪いがそのエリーさんが誤解したというか……その……」
「と、言いますと?」
「私の名前がストーム・エーデルグレイスだから……」
「……ああ。そういう事ですね。ストーム様。私はレイアと申します。どうかレイとお呼びください」
「ああ。レイ、よろしく……じゃなくってレイさん。よろしく」
「レイで構いません……と言いたいところですが、この学園で呼び捨ては少々誤解されやすいので止めておきましょう」
「そうしてくれ。私も正直それは困る」
そう言葉にしストームは苦笑いを浮かべる。
呼び捨てで呼ぶというこは、恋仲であると誤解されても仕方がない事だった。
特に、この女性だけの園である学園においては。
男性ではなく、女性が惚れそうな女性。
それがレイから見たストームの印象であり、実際そうであろうというのが見て取れた。
「エリーさん」
レイの呼びかけに反応しエリーはとことこと移動し傍に寄った。
「はい。何でしょうか?」
「ストーム様が私の親族と考えましたね?」
「はい。違うんです?」
「孤児と言ったでしょう……」
「ちなみに私もそうだぜ」
そう、ストームも言葉を足した。
「……という事はどういう事です?」
「お節介……じゃあないな。助かってるし。何て言えば良いんだあれ?」
ストームは微笑みながらそう尋ねた。
「お世話を焼くのが好きと言えば良いかと」
「だな。世話焼きがいてお……私達みたいなのを引き集めてファミリーネーム付けて学園とかに送りこむんだよ。私が知らないからレイは最近だな?」
「はい。現時点ではたぶん一番後だと思います」
「つーわけでレイさんと私は別に血縁でも何でもない。……まあ、都合が良いからネタ晴らし後にしたけどな。悪いな騙す様な真似して」
「い、いえ! 良くわかりませんがわかりました。……すいませんお姉様。私だけで戦いましょうか?」
「いいえ。血の繋がりがないとは言え姉の様なお方で、そして最上級生でもあります。申し出を受けないというのは無礼で……そして、無粋ですわ」
そうレイが答えるとストームは笑った。
「助かる。お……私も契約者だからな。どうせ戦うならお互いパートナー込みで派手に戦いたかったんだ」
そう言葉にし、ストームは小指の金色に輝く指輪を見せた。
「わかりました。胸、お借りします」
そう言って頭を下げるレイにストームは笑った。
「何言ってるんだそっちが格上だろうが。ランキングはこっちが上だがきっとそうだ。間違いない。ま、それでも私達もレギンレイヴの手前まで来てるんだ。やすやすとは負けねーさ。じゃあな。次は『エルダー』として会おうや。……っと。忘れてた。ごきげんよう。悪いなお前ら邪魔をして」
そう言葉にし、ストームはその教室を去っていった。
ストームが去った瞬間、クラスメイトの多数が盛大に息を吐いた。
怖かったわけではないが、やはり普段馴染みのない最上級生が傍に来たのは緊張したらしい。
「お姉様。エルダーって何です?」
エリーはそう尋ねた。
「何だか知りませんが私の闘士としての呼び名だそうです。普通二年生はつけないのですが私と戦った方が勝手にそう……」
「へー。私としては色々複雑な名前ですけど……たぶんそういう意味じゃないんですよね?」
「ええ。長老とか年配者とかそういう意味らしいわ。……二年生なんですけどね」
そう言ってレイは苦笑いを浮かべた。
だが、レイはこの名前が気に入らないという訳ではない。
むしろこの名前に救われたとさえ思っている。
もしレイが『エルダー』の名を受け入れなかったら――確実に、もっととんでもない名前となっていたからだ。
具体的に言えば『灰かぶりの姫君』とか『ローズガーデン』とか『クリムゾンファントムレイン』とかそんな感じの名前が。
というか先程のが実際に候補に挙がった名前であり、他にも姫君とか旋律とかそういう名前にすらなりそうだった。
ちなみに先程のストームの闘士名も『ツヴァイテンペスト』である。
「闘士である先輩達の趣味は……中々に独特だったわ……」
疲れた顔でそう言葉にするレイの本意は、それを体験していないクラスメイトでは計り知る事さえ出来なかった。
一呼吸おいてクラスの空気が元に戻り、レイとエリーに皆の視線が集まったそのタイミング。
そんなタイミングで、乱暴に扉が開かれた。
がららら!。
「すまん。用事もう一個あったの忘れてた!」
そう言葉にするストームに、レイとエリーを除く全員が驚き奇声をあげた。
「へぁっ!」
「にゃー!?」
「はぅ!」
そんな良くわからない奇声を受け、ストームは申し訳なさそうに頭を掻いた。
「悪かったよ驚かせて。……やっぱ俺怖いのかなぁ……」
それはどこか、落ち込んでいる様にも見えた。
「ストーム様、一人称一人称」
レイの言葉にやべっとストームは呟いた。
「他は多少は見逃してくれるのに一人称だけは本当に怒られるんだよなぁ。どうしてあの方は私をこの学園にしたんだろうか。いやまあ後悔してる訳じゃないんだけどさ。楽しい日々であるのは間違いないし」
「少しでもお淑やかになって欲しいというお母様の願いではないでしょうかね?」
「かもな。無駄な事ではあったが。……っと。また忘れるところだった。ほれ」
ストームは真っ白い封筒をレイに手渡した。
「こちらは?」
「預かってた。たぶん内容はお……私に来たのと似た様な奴だと思う。んじゃ、またなレイさん。エリーさん。んでヒルドクラスの方々。何度も邪魔して悪かった」
そう言って、ストームは今度こそ教室を後にした。
「……あの方、ちょっとしょんぼりしていましたね」
エリーはぽつりとそう呟いた。
「怖がられるのが寂しいんでしょう。エリーさんは怖がらず接してあげてください」
「はい。お姉様のお姉様ですしもちろんです」
「ありがとう」
そう言葉にしながら、レイはペーパーナイフを使い丁寧に封を切って封筒の中にある手紙を読み込んだ。
ぱらり、ぱらりと確認するように読むレイ。
その姿をクラスメイト達はじっと見守る。
その所作が、作法が、動作が時間を忘れる程綺麗だった為、待つ事は何一つ苦ではなかった。
「……ふむふむ。なるほど」
「お姉様。手紙はどなたから?」
「お母様からです。近い内にこの学園に来るそうですね」
「ぶー!?」
イラがお嬢様らしからぬ仕草、態度で全力で噴き出した。
「ど、どうかしましたかイラさん!?」
クラスメイトのあまりの態度に驚きながらフレイヤはそう尋ねる。
だがそれにイラは言葉を返さず、慌てた様子でレイの方を向いた。
「……レ、レイ様。あの方が……い、いらっしゃるんですか!?」
「え? ええ。そう書いてるわ。読む?」
イラは全力で首を横に振った。
「どうしたんですイラさん一体……。らしくない態度ですわね」
フレイヤの言葉を聞き、イラは大きく息を吸って深呼吸をする。
そして、ゆっくりクラスメイトに自分の知っている情報を吐き出した。
「レイ様のお母様は、先代泉守のアラヤ様ですわ」
今度は、クラスメイトがイラの様に驚き噴き出し、叫び声をあげた。
通りかかった教師が叱りに来る位には、その声は大きかった。
ありがとうございました。




