少女達には持ち得ないもの(後編)
作戦C。
内容を端的に説明するなら、自分達を除く二クラス、優等生クラスのスルーズと自他共に認める問題児クラスのフェニヤをぶつけ合わせるという作戦である。
スルーズは真っ当な小隊と化しており、指揮系統がしっかりしている為罠に誘う事は難しいだろう。
だが、フェニヤはこの対抗戦の勝敗に興味がない上に物事を深く考えない性質が大半で、また面白そうであるなら誘いとわかっていようと乗る。
つまり、誘導する事は容易い。
だからこそ、作戦Cはフェニヤクラスの動向さえわかれば、成功率が非常に高い作戦だった。
それに、フレイヤは納得していない。
卑怯だからとか、そういう訳ではない。
フレイヤは真っ向から戦うよりも搦め手の方が好む位で、その作戦自体には好感を持っている。
問題は、その手段。
クラスメイトで最も足の速い二体を陽動に使い、フェニヤクラスを誘導しスルーズクラスの方に送り込むなんて作戦、フレイヤは考えた事すらなく、また認めたくもない。
何をどうやっても、その二体はリタイヤせざるを得ないからだ。
勝利の為とは言え、クラスメイトを切り捨てるなんてやり方を、フレイヤは正しいと思えない。
その想いは非常に強く、それは、誰が見てもわかる程顔に出ていた。
「気持ちはわかりますよ」
拠点移動の途中、歩きながらエリーはフレイヤに向かいそう言葉にした。
その気持ちは……仲間を大切にしたいという気持ちは、エリーにもわかる。
エリーにも馴染みのある、大切な気持ちである。
「じゃあどうして……」
「フレイヤさんは……きっとヴァルキュリアになって仲間を指揮する事になると思います。その才がある様に見えますから」
「そんな事……」
「いえ、そう考える事自体が才能のある証拠ですから。今でも指揮を執っていますし経験も重ねられます。だからこそ、覚えておいて欲しい事があります」
「それは一体……何でしょうか?」
「結論をただ言葉にするその前に、少し問答をしましょうか。フレイヤさん。フレイヤさんなら、今回の場合どう戦います?」
「もし、エリーさんではなく私に命令権があればという事ですか」
エリーは頷いた。
フレイヤは少し考え、開幕時の状況を考察する。
レイにより十体のクラスメイトを取られ、片手落ちという状況。
その状況ですべき事は……。
「まずレイ様を説得してクラスメイトを返してもらい、続いてレイ様に戦って貰う様お願いします」
「……まあ、それは手ですね。ではそれが無理だったら」
「それが無理だったら……」
そう考え、フレイヤは自分が思い浮かべられる限りの作戦を考え……そして、答えを出した。
「出来るだけ全員で密集して行動します。偵察部隊すら作りません。出来るだけお互いをカバーしながら行動します」
「それでは同時に撃破されて終わりではありませんか?」
「かも、しれません。ですが、それでも勝ちの目は残ります。というよりも、出来るだけ手を取り合う以外で勝ちの目は残りません」
「なるほど。では……その作戦が上手く行って勝利した場合、犠牲がどの位出ます? 零に出来ますか?」
エリーの質問に、フレイヤは答えられなかった。
密集しての行動、偵察を切り捨てた戦略、不意の戦闘の繰り返し。
それは少数のリスクを最小に減らした作戦、損害を全員で分配するやり方。
確かに勝ちの可能性は残る。
だが、必ず少なくない犠牲が出る。
上手く行ったとしても、勝利時半数残れば良い方だろう。
実際フレイヤは過去密集での戦略を試した事があり、その時は半数を犠牲にして勝利した。
「ではフレイヤさん。その作戦より、更に犠牲は減らす作戦を考えたら、どんな作戦になります?」
ここまで来れば、フレイヤだって何となく伝えたい事が察する事が出来た。
犠牲を最初から考慮した方が、今回の様な作戦の方が、犠牲が減らせると。
「で、ですがこれは訓練です! 訓練で仲間を生贄にする様な作戦を取るなんて……」
「では、本番で……命が掛かった状況で同じ様に密集作戦を取るのですか? 半数以上死ぬ事が分かる様な策とすら呼べない戦略を」
フレイヤは何も言えない。
さっきの言葉だってはっきり言えば認めるのが悔しいから、癪だからそう言っただけ。
本心では、わかっている。
エリーが正しいと。
だが、その正しさを受け入れる事が出来る程、フレイヤの心は成熟していなかった。
「ではエリーさんは本番で、本当に死ぬ様な現場で味方を犠牲にする作戦を――」
「出せます。出しました。今回程わかりやすくはありませんが……同じように部下を犠牲にする作戦を、仲間を犠牲にする作戦を取りました」
そう、エリーは言葉にした。
エリーは過去、先代魔王軍を裏切るまでアウラフィールの敵だった。
アウラフィールを魔王にしない為に戦う者達の部隊を率いる隊長。
それが、エリーの立ち位置だった。
エリーは優れた兵士であり、将でもあった。
だが、それでもエリーは秀才止まり。
百戦百勝の将足りえず、むしろ負け戦の方が多かった位である。
アウラフィールという化物と、戦う前から勝利をする様な異常者と戦い続けたのだから、勝てる試合の方が少ないに決まっている。
だからこそ、良く知っていた。
犠牲を減らす事の難しさとその価値を。
そして同時に、犠牲を零にするなんて事は、ただの夢物語であると。
「フレイヤさん。犠牲を失くす事は出来ません。あの最強最悪の勇者クロードであっても、絆を繋ぐ虹の賢者クロスであっても、その旅路は犠牲と苦痛に塗れ、救おうとしつづける度にその手から数多くを取り零してきました。そんな彼らより劣る私達が、犠牲を零に出来るなんて思い上がりだと思いません?」
フレイヤは何も言わない。
言えない。
フレイヤは優秀であり、エリーの伝えたい事が正しく伝わり、そしてエリーが心配し伝えてくれている事もわかっている。
それでも、フレイヤは情に深く自己犠牲を厭わない性格である。
だからこそ、理解しても同意したくなかった。
それを認めてしまえる程フレイヤは大人ではなく、それを受け入れてしまえる程、老衰してもいない。
フレイヤは、まだ諦めるには早すぎた。
「……それで良いんです。わかった上で、しっかり悩んで下さい。今こういった訓練が出来る内に……。それで良いんです」
そう言葉にし、エリーはフレイヤの頭を撫でる。
そのエリーの横顔はまるで最初に見たときの様に凛々しく、そして新芽の様にあどけなさが残りながらも力強い、覚悟を持った瞳をしていた。
それは、レイと出会う前のエリーの姿だった。
最近のエリーは、ぽやんという表現が似合う様な様子だった。
いつもニコニコして、力が抜けて。
それはそれで可愛らしかった。
だが、レイはそれを『たるんでいる』『気が抜けている』と表現した。
その理由が、フレイヤにも理解出来た。
今のエリーは、どこか怖い。
だが、その怖さには必死さが見える。
自分の出来る事全てを行おうとせん様な……そんな、足掻き続ける様な必死さが、エリーの力強い表情からフレイヤも見て取れた。
一生懸命だからこそ、エリーのその横顔は、どこか惹かれる様な魅力があった。
「……煙幕も何も上がりませんし、音もありません。作戦Cは成功した様ですね。斥候部隊の方々は最後の仕事をお願いします。今から二十分の間しっかり体を休め、その後に出来るだけ敵に見つからない様残存戦力の状況を調べて下さい。この間だけは、私達本隊が警戒に就きます」
そうエリーはフレイヤ達に伝えた。
わかっていた。
いや、思い出したという方が正解だろう。
別に、腑抜けたままでも良かっただろう。
エリーが学生気分を味わう為にこの学園に来たのなら……。
エリーには目的があった。
やるべき事があった。
やらないと、いけない事があった。
主と共に居る為――もう、主を独りにしない為。
主の為、出来る事をする為に。
少しでも早く、学園生活を終わらせ本来の居るべき場所に戻る事。
それが、エリーのやるべき事だった。
故に、限定のルーンの契約が行われた。
レイの事情は何もわからないが、お互い短い間であると納得した上での魂の契約だった。
忘れていた訳ではない。
だが、確かに腑抜けていた。
レイとのやりとりは氷が解け水となる様心が温かくなった。
クラスメイトとの交流は楽しかった。
贅沢の限りを尽くした学園生活が、大好きな方々とともに生活する事が、楽しくない訳がない。
そんな生活で、腑抜けてしまっていた。
だが、レイのお陰で思い出した。
レイが叱り、本来のやるべき事を思い出させてくれた。
だからこその共犯者。
だからこその、半身の姉妹だった。
そんなレイの気持ちに応える為、エリーは本来の己を、護る為に戦った自分を取り戻した。
犠牲を零にする事は、出来ない。
部隊を率いる上でエリーが味わった……経験した大原則。
エリーは将の本質を正しく理解していた。
『将の本質は、犠牲を減らす事』
当然、零に出来ればそれで良い。
だが、犠牲を零に出来ないなら、考え方を変えなければならない。
『将の本質は、効率良く犠牲を作る事』
少ない犠牲で、最大限の効果を叩きだす事。
それこそが、エリーの経験した将の資質、エリーの財産。
友達すら死地に追いやった事で学んだ、将としての生き方だった。
偵察部隊が戻ってきて、情報を精査し、そしてエリーは疲れ果てた斥候を休ませ、ここまで完璧に温存してきた本隊達に、こう告げた。
「それじゃ、勝ちに行くわよ」
たったそれだけ。
後はもう、作戦内容なんてものはない。
温存された十体程度の少数が、エリーに言われた通り、ただつっこんだだけ。
ただし、常に敵の数は少数で、敵の背後からで、そして……敵が油断したタイミングで。
それをスルーズとフェニヤクラスの残党に数度繰り返した。
たったそれだけ。
本隊は、全く苦労していない。
それだけで、あっさりとヒルドクラス以外の全員が敗北となり、勝利条件が満たされた。
犠牲になったのは、最初陽動に使ったあの二体のみ。
それ以外はまともな怪我すらなく、突撃した本隊は擦り傷程度の負傷で斥候部隊は疲労しただけ。
それは今までのヒルドクラスですらほとんど経験した事がない、完膚なきまでの完勝だった。
「フレイヤさん。良く、考えて下さい。貴女は良い将になれます。だからこそ、考え続けないといけないんです」
クラスメイトが勝利に喜び皆が抱き合っている中、エリーは真剣な表情でそうフレイヤに伝えた。
「……それは、訓練であっても本気で犠牲を減らす様考えたエリーさんの様にですか?」
エリーは苦笑いを浮かべ、首を横に振った。
「過去の経験から先に犠牲を定めるなんて諦めを選んだ私何かよりもっと考えてくれたら、嬉しいです。私みたいな諦めてしまったそこそこの将よりも……もっと犠牲を減らして勝てる様な、そんな将を目指して下さい」
そうエリーは簡単に言葉にするが、フレイヤにはわかっている。
どれだけエリーが悩み、苦しみ、その上で、犠牲を許容する様になれたか。
その重さが、絶望が、フレイヤにも伝わっていた。
想像を絶する程苦労し、その上でエリーはフレイヤにもっと上を目指す様、エリーは期待していた。
「……頑張ります。……ところで、エリーさんはそんな……エリーさんよりももっと凄い方に心当たりがあったりします? 正直どうすれば良いか全く思いつかないので参考例があればと……」
「ぱっと思いつくだけで一名、私のはるか上を行く方がいますね。敵を味方に引き入れて味方の犠牲を減らすどころか味方の数を増やし続け戦いにすらならなくする様な、そんな最凶最悪の謀略の覇者が」
「……そんな方がいるんですの?」
「ええ。いるんです」
そう言葉にし、エリーは苦笑いを浮かべた。
「……少しはまともな顔付きになったわね」
二人だけの風呂の時間。
個室の浴室を借りた際、その日無言で何もエリーに声をかけなかったレイはエリーにそんな言葉を贈った。
「おかげ様で。……そう、ですね。私にはやる事がありました。ここは楽しいですけど……私にとっては足踏みでしかないんですよね。……本当に楽しくて、ずっと居たい位なのですが」
「じゃあそうします?」
エリーは微笑み、首を横に振った。
「いいえ。止めておきます」
「どうして? それも良い選択だと思うわよ? 私は」
「ですが、そこにお姉様はいませんよね?」
エリーはレイにそう伝える。
レイは否定も肯定もしない。
だが、エリーにはわかっていた。
エリーがもし、この学園に五年身を置く決意をしたなら、レイはすぐさま自分の元を離れるのだと。
レイが何者で、何の目的かわからない。
両者の間にある姉妹の絆は本物である。
エリーが自然とお姉様なんて言葉にする位には。
だが、同時に二体の関係性は、共犯者でもある。
お互いがお互いの目的の為に行動しなくなった時、それはその関係を終えるという事。
それは、共犯者を裏切る事を意味していた。
引き延ばす事は出来ない。
必ず、いつか終わりが来る関係であり同時に少しでも早く終わりを迎える為に行動しなければならない。
お互い、本気で一生涯一緒に居たいと願っている事がわかっていても――それが叶う事は、ない。
「お姉様、そろそろ、お姉様の目的を教えてくださいませんか? お姉様は、私の共犯者なのでしょう? でしたら、私もお姉様のお手伝いがしたいです」
「必要ないわ」
「えー。どうしてですか?」
「貴女の目的が終わった頃には、私の目的は終わっているからよ。貴女が育つ事。学園に貴女という傷跡を残す事。それが出来たら、私の目的も自然に達成される。だからこそ、私達は共犯なのです」
それは嘘ではないだろう。
だが、どこかはぐらかされている様にも聞こえた。
「……わかりました。納得しておきます」
「ええ。そうして頂戴」
「それで、私は明日からどうしたら良いと思います?」
エリーはレイにそう尋ねた。
エリーが試練として課せられた課題はそう多くない。
ルーンの誓いを結ぶ事。
ヒルドクラスとして優れていると全員に認めさせる事。
学園生として優秀な成績を残す事。
この三つを終えたと誰だか知らない試験官が認めた時、エリーの試練は達成となる。
「今まで通りの生活を送って構いません。ただし、放課後の時間は空けておいてください。『ユグドラシル』にて『ビフレストの先』を目指します」
「……ゆぐ、どらしる? びーふ? れすとらん?」
エリーは首を傾けた。
「要するに、クラス単位ではなく単独、並びに契約者単位での決闘です。参加自由で学年の枠がない。まあ自由とは言え実力のある学園生は大体参加しているらしいですが。ですので……短期間で優秀と証明するにはうってつけでしょう」
「なるほど。わかりました。ではしばらくはそれで上位を目指すという感じですね」
「上位を目指すというよりも、私達なら勝って当たり前だから試合を重ねて行くと呼ぶ方が正しいですが」
「……本当、お姉様って何者なんでしょうね。学生としてはあまりに強すぎる様な……それでいて欠点が多いというか……」
「貴女相手にでも、答えられない事があるわ。特に、自分が何者かなんてのはね。今はそれで許して頂戴」
そう、めずらしく困った顔でレイはそう言った。
「……今日も一緒に寝て下されば、忘れても良いですよ」
レイは苦笑しながらしょうがなさそうに頷いた。
「まったく。私のエリーはふにゃっとしてなくても甘えん坊なんですね」
「ええ。困った事にそうだったようです」
そう言葉にし、エリーは微笑んだ。
残り短いであろう姉との時間を大切にするよう、優しく、柔らかく。
ありがとうございました。




