ごきげんようから始まる日常
踏み出す一歩。
それは今のエリーにとって、クロスを主と決め声をかけた時以上に勇気が必要な行為となっていた。
アシューニヤ女学園の内と外とを区切る、巨大な正門。
そこを踏み越える一歩は、たまらなく恐ろしい。
戦闘の時や不気味と対峙する時の物ではない。
純粋に、理解が出来ない程綺麗な空間に対しての感覚。
今ならば、ほんの少しだがクロスの気持ちがわかる。
綺麗過ぎる世界に混じる自分が、酷く場違いな存在の様に思えて来るからだ。
エリーは今支給された当学園の制服を身に着けている。
故に、周囲から見ても変には思われないはず。
同じ女性で、同じ服装であるのだから、そこまで浮いていないはず。
だと言うのに……周囲の視線が痛く感じる。
理由はわからないのだが……自身が注目を集めている。
気遣ってか何かわからないがじろじろとあからさまに見られる事はないのだが、周囲にいる少女達は明らかに自分の方に意識を傾けている事がエリーには感じ取れた。
門の前でもぞもぞしているからか、それとも別の理由からか。
大きな不安を山ほど抱えている現状でのしょうもない小さな不安なのだが、思い当たるフシがない訳ではない。
それは制服についてだ。
エリーは自分が纏っている制服に対して小さな不安を覚えていた。
白百合の様な麗しさを示す若々しい制服。
白を基調としてその可愛らしい制服は……エリーが今まで見て来た服の中でもトップクラスに複雑な作りをしていた。
それこそ、正しく着られているのか不安に思う位に。
もしかしたら組み合わせ方や着方に何か間違いがあってそういう意味で注目を集めているのではないだろうか。
そう、エリーは思っていた。
重装の鎧ですら独りで着れるのに、制服一つにまごつく自分。
そんな今後の学園生活における一抹の不安、躓きの一歩。
いやまあそれ以外にも不安な要素は山ほどあるのだが……。
それこそ、ごきげんようなんて挨拶を聞いた時点で不安要素しか存在していない。
とは言え、ここでまごついている訳にもいかない。
多少の恥はかき捨てるつもりで、エリーは気合を入れ正門を潜り――その未知なるごきげんようの世界に足を踏み入れた。
少女達は庭園や正門付近で見慣れぬ彼女が学園内に入って行くのをぽぅっとした蕩ける様な目で見つめていた。
制服の白に親和する、美しい金色の髪。
凛々しくも柔らかく、それでいて大人びた顔立ちなのにどこか初々しい。
その姿は本当に、キラキラと輝いている様。
例え同性であっても……いや、同性だからこそ、その横顔には見惚れてしまう。
それほどに、その女性は美しかった。
「見ましたか?」
そう、彼女の後姿を見送った後制服姿の少女は同じ服装をしている少女に話しかける。
その隣の少女もこくりと頷いた。
「見ましたわ。……ああ、話しかければ良かったですわ……」
「話しかけられました? あの美しい風景に、入り込む自信ありましたか?」
朝露輝く庭先に日の光を浴びるその姿は、神々しさすら感じる程で傍に寄る事すら憚られる。
そう感じたのは、彼女達だけではなかった。
「ある訳ありませんわ……。ああ、ですがお話だけでも……そして許されるのでしたら私のお茶会にご招待したかったですわ……」
「そうですわね」
そう、残念そうに少女は言葉にする。
そう思っている少女は、決して彼女だけはない。
ただ登校するだけで見惚れる様な美しさ。
可憐という言葉すら陳腐に感じる、この学園の新しい風。
その彼女に目を奪われた少女は、少なくなかった。
キャーキャーと、黄色い叫び声が教室中に響く。
その原因であるエリーは教壇の傍で居心地悪そうに頬を赤らめ小さくなっていた。
「貴女達! 静かにしなさい!」
エリーの横にいる制服姿ではなくスーツの様の服装の教師はそうヒステリーに叫ぶ。
だが、少女達はその声に従う意思を見せなかった。
「えー。でも先生。こんな可愛らしい方が来て下さったんですよ? 騒がずにはいられませんわ!」
そんな生徒の声に、他の生徒達も「そうよそうよ」と同意を示しまた騒がしくなり、終わりの見えない騒動となっていく。
教師は教え子の愚かさにわなわなと震え、そしてぽつりと呟いた。
「五秒以内に静かにしないなら、明日の演習を前の様に特別コースとします」
たったそれだけ。
さっきまでのは何だったのかと言わんばかりに一瞬で教室は静寂に包まれた。
どうやらこういうところはごきげんようお嬢様達であっても他の学校や教習所と同じらしい。
「……よろしい。では、自己紹介をお願い出来ますか?」
エリーを見ながらの女性の言葉にエリーは頷き、一歩前に出た。
窓から朝の陽ざしと穏やかな風が差し込み、金色の髪を靡かせ輝かせる。
その彼女は髪を片手で軽く整えてから、緊張した面持ちでぺこりと頭を下げた。
「エリーと申します。短い間ですがどうか皆様と共に学ばせて下さい」
生徒達はキャーキャー小さな声で言いながら割れる様な拍手でその自己紹介に答えた。
「はいありがとうございます。皆さん。エリーさんは少々変わった事情でこちらにいらっしゃいました。それに関しては触れない様にと泉守様の指示です。そしてエリーさんは先日までずっと外におられました。そういった事情により、学園の事だけでなくここイディスの事を何も知りません。とは言え、違うのはたったそれだけ。それ以外は他の生徒と何も変わりません。ですので、改めて言う必要はないでしょうが……皆さん、エリーさんを助け、そして共に学び高め合って下さい。それとエリーさん」
「はい。何でしょうか?」
「ここは外と違いファミリーネームを持っている方は自己紹介で名乗ります。もし話せない事情があるのなら構いませんがエリーさんは……」
「そうなんですね。ではその辺りの説明も兼ねて、自己紹介をやり直しても宜しいですか?」
教師はこくりと頷いた。
「では、すいません。もう一度皆さんの時間を下さい。エレオノール・マスティックという名前でしたが今は真名としてエリーを名乗っています。私にとってとても大切な名前ですので、出来たら皆様もそう呼んで下されば嬉しいです」
そう言葉にし、エリーはにこりと微笑んだ。
何度思い返しても、名前を貰った時のその喜びは、消えない。
宙ぶらりんだった自分を肯定してもらえ、その上受け入れてくれたあの時の事は忘れられない。
そんなエリーの心からの微笑に生徒の大半が胸を抑え、残りが机に突っ伏した。
「……はい。良い自己紹介でした」
頬を染め顔を反らしながら教師はそう言葉にし、黒板に『午前、交流会』と書いた。
「特別に、クラス単位での午前中の授業予定はなしとします。予定がない方は新たなクラスメートのエリーさんと交流を図って下さい。……エリーさん、貴女なら大丈夫と思いますが学業に支障が出る程クラスメイトとの交流に手間取る様でしたら私の元に来てください。何か対策を一緒に考えましょう。では」
それだけ言い残し、教師はすたすたとその場から去っていった。
教師が去ってすぐ、慌てる様独りの少女がその場で立ち上がり、手を挙げエリーに話しかけた。
「エリーさん! 私フレイヤ・スメラギ。このヒルドクラスのクラス委員をしていま――」
そんな生徒からの声は、暴徒の様に一斉に行動する他クラスメイトの動きと声により、かき消された。
「エリーさんはどこからいらっしゃったんですか?」
「エリーさんは何がお好きですか?」
「お茶会でもしませんか?」
「エリーさんちょっと私と個人的な訓練を……」
そんな様々な声と共にエリーの周りに三十ばかりの生徒が集い、もみくちゃにしてくる。
わいやわいやと賑やかにされ、矢継ぎ早に質問され、オタオタとする事しか出来ないエリー。
そこに、雷が落ちた。
「いい加減になさい!」
そう叫び、生徒の独り、フレイヤと名乗った少女はエリーの周りにいる生徒達を順に引っ張り、そしてエリーを庇う様前に立った。
まるで子供を護る母ライオンの様に。
「エリーさんはわからない事だらけのはずです! 貴女達の気持ちもわかります。だからと言って一斉に押しかけては怖いだけでしょう。まずはエリーさんの不安を解消する為にもエリーさんの質問に答えます。それで良いですね!?」
有無を言わさずの声。
それに、生徒の独りが手を挙げた。
「はーい。提案でーす。どうせならエリーさんの質問に一つ答えた方はエリーさんに対して一つ質問する権利を与えられるってのはどうでしょうか?」
遊び半分好奇心半分の提案。
だが、クラスに馴染むレクリエーションとしては悪くないのも確かだった。
「……はぁ。エリーさん。そういう事でよろしいでしょうか?」
フレイヤの困り顔での言葉に、エリーはこくりと頷いた。
「はい。大丈夫なんですが……さっそく一つ、フレイヤ様?」
「さっそく名前を憶えて下さり光栄です。ちなみに、同学年の生徒は基本相手をさん付けで呼びあいますわ」
「失礼。フレイヤさんに尋ねても宜しいでしょうか?」
「ええ。どうぞ。自分で言うのもアレですが、このクラスの中で私は色々な意味で無難だと思いますし」
エリーはそっと、恥ずかしそうに近づきフレイヤの耳元で囁いた。
「あの……制服の着方、これであってます?」
フレイヤは耳まで真っ赤にし、崩れ落ちそうになり、ぷるぷると震えた。
その様子を、クラスメイトはキャーキャーと楽しそうに騒いだ。
「……はい。合ってますから……間違っていませんから……。あまり耳元でささやかないで下さいまし。恥ずかしいので……」
「あ、すいません」
そう言葉にしぺこりと頭を下げ、エリーは一歩離れる。
それでも、クラスの生徒達はエリーに黄色い歓声を上げ続けた。
「あの堅物のフレイヤさんをさっそく骨抜きに……此度の転校生は凄いですわね……」
「だまらっしゃい。それでエリーさん。一応答えたという事で私からもお尋ねしますが……とりあえず、好きな料理は何かしら?」
「え? 料理ですか?」
「はい。これから共にするのですから、その位は知っておきたいと」
フレイヤの質問にエリーは少し考え込む。
美味しければ割と何でも良い。
そう答えるのはこの女学院としてあまりにもアレ過ぎる。
かと言って焼き鳥とかラーメンとか蓬莱風料理もどうにも風情にかけるしこの少女達に適しているとも思えない。
そんな風に少し考え込み、エリーはその質問に答えた。
「あまり好き嫌いは御座いませんが、自然由来の優しい味が好みですね」
精霊という種族的好みであるその答えにフレイヤは納得したのか頷いた。
クロスの料理に舌を慣らされてしまった為最近はそうだったかなと忘れている位の好みだが、それでも好物である事に間違いはなかった。
「なるほど。わかりました。ありがとうございます。その際は、一緒にお食事でも――」
「フレイヤさん抜け駆けはズルいですわよ!」
金切り声での声と共に赤い髪の少女がフレイヤを押しのけエリーの前に立った。
「えっと……その……」
銀色の髪留めとリボンを付けた、燃える様な赤い髪の少女はエリーの方をねっとりとした瞳で見つめていた。
「イラ・v・v・アプリコットと申しますわエリーさん。同学年の方は私をイラかヴァンヴェール、またはフェーツゥエーとお呼びします。どうぞお好きな様に呼んで下さいませ。好みの戦闘スタイルは接近戦闘。それもゼロ距離での激しいのが大好物ですわ。ルーンを誓い合う相手募集中、好みは私の髪にも負けない様な、そんな情熱的で私を燃え上がらせてくれる様なお方。さあ、どうぞ好きな質問をしてくださいませ!」
自分の豊満な胸を軽く叩き、胸を張り自慢げにそうイラは言葉にした。
「は、はい。よろしくですイラさん。……うーん。わからない事だらけですので何を聞けば良いのかすらわかりません……うーん……」
「今後の事とか学問的な事、学園での生活とかそういう聞きたい事なら別に今考えなくても良いと思いますわ。どうせフレイヤさん辺りがエリーさんの為に生活や授業の注意点纏めて下さっていますので」
イラはウィンクをしながら言葉にした。
「……ヴァンヴェールさんの言う通り、諸注意や学業に関しては後に私達で説明する予定です。ええ、ですので今はあくまで交流会として、相手の事で気になる事やこのクラスで生活する上での不安など尋ねても構いませんかと。……まあイラさんを相手にする事その物がその不安の一つの様な気がしなくもありませんが……」
机に戻り苦笑いを浮かべるフレイヤからの言葉を聞き、エリーはイラの方を見た。
「んーそういう事でしたら……ではイラさん。このクラスについて教えていただけませんか?」
予想外の質問だったらしくイラは首を傾げた。
「このクラスについて……ですか?」
「はい。クラスメイトの選考基準や特色があればその辺りを。特になければクラスとしての雰囲気とかそういったふわっとしたものでも……」
「なるほどなるほど。エリーさんはとても真面目な方なのですね。こういった質問は本来ならフレイヤさんやフロンさんが答えるべきなのでしょうが……ええ! 尋ねられたら答えなければなりませんねー」
何故かやたらと挑発的かつ嬉しそうにそう言葉にし、イラはヒルドクラスについての特色を話し出した。
ヒルドクラス。
アシューニヤ女学園ヴァルキュリア養成科高等部一年にある九つのクラスの一つで、エリー含め三十三体の生徒(ヴァルキュリア見習い)にて構成されている。
クラスの選考基準については生徒達には特に説明されていないが、このヒルドクラスはほぼ完全なる人型でかつ個が強い生徒や欠点を抱えた様な、そんな特徴的な生徒が集められていると生徒達は自分達の現状で推測していた。
逆に完全なる人型で優等生だが個性の乏しい真面目クラスや人型から外れた存在を纏めたクラスがある事を考えるとただの推測とは言えない位に確証もある。
このヒルドクラスは多少以上の個性派揃いだが戦闘面において優秀である事は間違いない。
代わりにその分だけ日常生活において問題行動を起こす生徒も多い……と言葉にするイラがどうやらその筆頭らしい。
主に痴話的な意味で。
逆に言えば、そういった自由なクラスだからこそエリーの様なあり得ないタイミングでの転校生、しかも全くの無知でという状況であっても受け入れる土台があった。
エリーの来るタイミングが変な位では浮く事はなく、同時にこのクラスは多少変なのがいても何とかクラスとして纏っている為、受け入れる度量が広い。
そう思われているだろうとヒルドクラスの生徒達は自分達を客観的に評価している。
ちなみに、これを話しているイラは戦闘方面はともかく学業方面は相談しない方が良い様な様子が見受けられた。
「とまあこんな感じでよろしいかしら?」
「はい。ありがとうございます。では今度はイラさんの番ですね。どうぞ質問があれば」
「ええ。では遠慮なく……エリーさんはどういった女性の方が好みでしょうか?」
そう、イラが言葉にした瞬間黄色い歓声が響いた。
「……は、はい?」
「どういった女性がエリーさんのお目に叶うのかお尋ねしとうございまして」
エリーは眉を顰め、口元に手を置き必死に考え込んだ。
「……それは、友情的な意味合いですよね?」
「ええもちろん。もちろん――友情という親愛を深めた、更にその先も含めてですわ。もしよろしければ私的な意味合いでの交流を立候補したく思いましてね」
「……それは……難しいですね。ただまあ、友情的な意味で言えばイラさんの様な方は割と好みですよ」
正直で直情的でノリが軽い。
そんなどこかで何かをしている主の様な性格は、エリーは嫌いではなかった。
まあその主と比べてイラはどこかねっとりとした感情を込めている様には感じるが……。
「まあ! それは予想以上に嬉しいお言葉ですわ。どうぞ何かあったらどうか私も頼って下さいまし。これでも腕にはそこそこ自信がございますので」
それだけ答え、ウィンクをしてからイラは自分の席に戻っていった。
それからエリーは残り三十人全員に個人的かつライトな質問をされ、それに答えたり答えられなかったりしながら学友達と交流を深め合う時間を過ごしていった。
やっていけるかどうかの不安は全く消えていないが、クラスに打ち解ける事自体はそう難しくなさそうだ。
そこだけは、エリーは少しだけ安堵を覚えた。
ありがとうございました。




