デザイア 羊飼いの王
遠方に移動する手段は幾つかある。
気軽な徒歩から最もポピュラーな馬車、果てには空の旅……。
と簡単に言っても、その最もポピュラーである馬車ですら一括りに出来ない程種類は豊富。
馬車を引くのも馬から意思なき魔物、セントールなど普通の魔物等々幅広く、また馬車自体も屋根のない簡素な物からお偉いさん用の豪勢な物、頑丈な戦闘用、軍事用の物まで。予算や快適さ、設備、速度とここまで変われば同じ乗り物とすら言えない。
何なら魔導バイクを複数並列させ馬車を引くという手段すらあるにはある。
少しでも早く着きたいなら飛行という手段も有効だろう。
魔法使いの飛行術式に乗るやり方や巨大な鳥等の生物、魔物に乗ったりカゴを持たせてソレに乗ったり……。
旅行ではなく予算や条件が非常に厳しいものの、直接転移するという手段も一応は移動手段だ。
まあそんな風に、選択肢は選べ過ぎる程豊富という事なのだが……それはあくまで、普通の場所が目的地ならという言葉が付け加えられる。
今回の様に、目的地が普通ではない場合は選択肢はあまり広く取れない。
今回、移動手段として優先すべきなのは、速度。
時間が経つ程状況がどう変化するかわからない為という早め早めに行動したい理由に加え、その場所は恐ろしく遠い。
今魔王城からも旧魔王城からもかけ離れた超巨大規模の森林。
その森林の奥地こそが目的の場所。
にもかかわらず、移動には多くの制限がある。
魔王国内最重要拠点である為上空からの接近は禁止され、また今回は転移も叶わない。
森林自体ほぼ自然のままである為、作られた道は獣道に毛が生えた程度で馬車すら通れない。
例え森林まで馬車で移動し残りを徒歩としたとしても、森林から拠点に着くまで全力で走っても一月はかかるだろう。
つまるところ……交通手段をどうするかという悩みが生まれるという事。
普通に移動するだけでも大変なのにそこに速度まで重視するともう、ただただ面倒。
そんな面倒事を……たった独りで解決出来る男がいた。
戦闘方面では、アウラは歴代の魔王の中では下の方となる。
だが、それ以外という意味ではアウラは歴代魔王と比べても遜色ないどころか勝る程の部下を持っていた。
最低限の荷物だけを用意したクロスは王都の外でその相手を独りで待つ。
エリーの姿はどこにもない。
クロスの持つ短剣の宝玉部分に入り込み、そこで待機している。
少しでも重量を軽くする為、荷物を減らす為に。
そして、待ち合わせ十分前に……その男は現れた。
四つ足独特の足音を響かせ、その男はクロスに話しかける。
「またせたね旦那」
そう、ガスターは笑顔でクロスに話しかけた。
クロスが魔物として生まれてからの最初の男友達であり、同時に魔王陣営の中で未だその立ち位置が良くわからない男。
下半身馬上半身人というセントール族のガスター。
クロスがガスターについてわかっている事は非常に少なかった。
一つは、一応はアウラ陣営に属しているという事。
一つは、クロスにとって数少ない気さくな男友達という事。
そして一つ……ガスターは通り名の様な物を持っているという事。
『風より早き者』
それがガスターの異名。
セントール族で最も早い証として与えられるとは聞いているが、あまり詳しくは知らない。
いや、知らなかった。
クロスは自分よりも背の高いガスターを見上げる。
ガスターもまた、クロスをじっと見つめる。
無言のまま、ほぼ無表情で真剣な口調で見つめ合い……そして……二体は同時に溜息を吐いた。
「背中に男乗せるのはなぁ……」
「男の背中に乗るのはなぁ……」
同時にそう言葉にする二体。
良くも悪くも、二体は似たような性格をしていた。
「旦那ぁ。セントール族の男の背に乗るって異種族デートの定番でもあるんですけどさぁ……」
「言うな……言わんでくれ……。考えたら気持ち悪くなってくる……」
そして二体は、再度また同時に溜息を吐く。
だが、クロスは他に頼る相手を知らない。
今回の条件でガスター以上に早く辿り着く相手はいないとアウラからの太鼓判が押された以上クロスに選択肢はない。
またガスターの方も、本当に嫌で嫌で仕方がないのに、我慢しなければいけない理由があった。
ガスターは痛い程クロスを見つめ、真剣な口調を言葉を紡ぎだした。
「旦那。俺の背に乗るってのはデートとかそういう特別な意味がある。本来なら陛下の命でも絶対に俺は拒絶する。だけど……」
「ああ。背に乗る代わりに何か条件があると聞いた。俺はどうしたら良いんだ?」
「……んなもん。一つしかないでしょう旦那。これから旦那が向かう場所は叡智の泉守イディス。女の花園。つまり、男にとっては……楽園だ」
クロスはごくりと生唾を飲み込んだ。
「わかるか? 入れないが入ってしまえばナンパし放題。しかも成功率もそこそこ高いとくる。そこに旦那が入る。わかるか?」
クロスは、ガスターが何を言っているのか、理解した。
「……そうか。俺があちらで一体か二体でもナンパに成功すれば……」
「そう……そのイディスの綺麗所と……合コンがっ……出来るという事だ! 旦那……約束してくれ。旦那が上手くやった暁は……合コンを開くと。そして……俺を絶対に誘うと……」
魂が、震えるような声。
ガスターの、熱い熱い瞳。
心の底からの熱。
それを感じたクロスは……その手を取り、固く握った。
「……お前の想い、受け取った。合コンのセッティング。期待していてくれ……」
「旦那。本当に……ありがとう……。それと、出来るなら学院生で頼む」
「学院?」
「イディスは複合施設だからな、学校とかそういう施設も複数あるんだよ。そん中で女学院の戦闘科、そして出来るなら四足系の彼女を頼むぜ」
「やれる事はやると約束しよう。我が友の為に」
二体は再度、固くその手を握り合った。
まるで無二の親友である事を誇る様に……。
エリーは短剣の中で早く出発しないかなーと退屈を持て余していた。
お互い、心の底から嫌そうにしながらクロスはガスターの背に乗り、走り出す。
酷く座り心地が悪く、生暖かい体温が気持ち悪いが、びっくりするほど揺れなかった。
「そんで旦那。どの位の速さで行きましょうか?」
「へ? どの位って……出来るだけ早くってオーダーだが……」
「だから、どの位まで速度を出して……って、ああそうか。旦那は知らないか」
「どういう事だ?」
「体験してもらった方が早いですね。ちょっとずつ速度上げてくんでやばいと思ったら背を叩いてくだせぇ」
そう言葉にし、ガスターは駆けだした。
ぐっと後ろに引かれる様な強い圧のある風。
全身に速さを感じる様な、心地よい風。
メルクリウスと共にバイクに乗っていた時と同じ位の速度が出ている。
クロスがその風を楽しむ前に、速度は更に一段早くなる。
風で髪が乱れ、体が少し不安定になる。
景色の移り変わりが驚く程早いその速度に驚いていると……また景色が変わる。
顔の形が代わり、傷みを感じる程の強い風。
魔法以外で風を痛いと感じる日が来るとは思わなかった。
そしてこの段階で、既に景色はほとんどまともに見えていない。
そもそも、眼が痛くて開けられない。
クロスはこれが限界と感じ、ガスターの背を叩いた。
ガスターは普通の馬位の速度に戻し、楽しそうに笑って見せた。
「そういう訳で、速度を出すのは構わないんですが後ろがやばいんですよね」
「ああ。良くわかったよ……」
クロスは何故か切れている自分の頬の血を拭い、苦笑いを浮かべながらそう返事をした。
「ところでガスター。ぶっちゃけた話、さっきので実力の何割位なんだ?」
「へ? また難しい質問をしますね旦那……」
そう言葉にし、ガスターは腕を組み悩みだした。
「……うーん。一パーセント未満ってのは間違いないんですがどの位か正確にと言われますと……」
「ああうん。わかった。お前がマジでやばいってのは良くわかった」
「はは。そういう訳でまあ……リベ……じゃなかった。エリー殿に手を貸してもらってくれません?」
「エリーに?」
「その状態で話せません? だったら一回止まりますが……」
『いえ。大丈夫です。聞こえていますし会話も出来ます。それと、エリーで構いませんガスター様』
まるで脳に直接伝わる様な声が、ガスターとクロスの耳に届く。
やけに下手で、やけに丁寧な言葉。
過去、リベルナイトなんて面倒な名前を名乗っていた黒歴史自体が恥じな上にガスターにはうざく根暗な感じで嫌味ったらしく絡みまくっている。
その罪悪感で一杯なエリーはガスターに対し頭が上がらなかった。
「いや、俺もガスターで良いぞ。過去の事はともかく今は旦那の騎士様だろ? だったらまあ、対等位の関係で行こうや? 旦那もそっちの方が喜ぶだろうし」
『……過去の遺恨を捨てて下さるというのなら私は感謝以外に何も言えません。ではガスター。改めてよろしくお願いします』
「こちらこそ。んでエリー。そっから障壁張れるか?」
『どの様なタイプのでしょうか?』
「どんなんでも構わんが、硬くないと割れるぞ。あと出来たら円錐状が良いかな。先端を正面にした。その方が風の影響受けにくい」
『……ああ、そういう事ですか』
そう言葉にし、エリーはクロスの正面に半透明の魔力障壁を展開した。
それを見て、クロスもピンときた。
「ああ。風避けか。これなら速度いくら出しても大丈夫だな」
「障壁が壊れない程度にですけどね」
そう、ガスターは自慢げに言葉にした。
「……ガスターってそんなはえーの?」
「とりあえず……五割位でやってみましょうか。旦那。死ぬ程嫌だけど、死ぬ程嫌だけど! しっかり捕まっててくださいよ!」
そう叫び、ガスターは力のまま足を踏み出した。
今度はさっきの様な徐々にではなく、ドンっと一気に加速し、世界が変わる。
視界に何が入っているか認識すら出来ない、異常な速度。
絵画と言えば良いだろうか。
その絵画を、高速に切り変えている様な、そんな景色。
当然だが、今どこを走っているのかすらわかっていない。
耳に爆音が鳴り続ける。
感じないはずの風が体を駆け巡る。
そして何故か、体温が急激に下がり寒気を覚える。
景色を楽しむ余裕なんてない。
ただ、恐ろしさしかクロスは感じなかった。
『クロスさん。手伝ってもらえます? クロスさんも魔法使いモードになって魔力障壁に足してくれません? 私が調整しますので』
クロスは頷き、意識を切り替え体に魔力を巡回させる。
たったそれだけなのに、恐怖は全て消滅した。
「最初からこうすりゃ良かったのか」
そう言葉にし、エリーの作った正面の障壁にありったけの魔力を注ぎ込んだ。
『ガスターさん。これでまだまだ障壁行けますよー』
その言葉を、更なる加速をクロスが否定しようとする前に、更に世界は切り替わる。
光が強く差し込み、景色が線でしか見えない世界。
速さのみを追求した世界。
そこでクロスは、声を聞いた。
誰の背も見たくない。
誰よりも早く草原を走り、己が世界であると主張したい。
広い世界を、ただ独り、この足で走り続けたい。
草原の王として――。
そんな、唯我独尊とも言える声を、ガスターの心を、クロスは知った。
『これ……デザイア……』
そう、エリーが言葉にした瞬間、世界は……常識を超える。
移り変わり続け、加速し続ける世界の中……クロスは視た。
紫、水色、青の三色に世界が支配され、地面以外の全て、建物や山ががぐにゃりと曲がった世界を、光の先の世界を――。
目的地に到着したのは、出発からわずか二時間後。
馬車でも半年程はかかるだろうと言われた距離が、たったのそれだけで終わりを告げる。
到着した瞬間、クロスは森の中で倒れ込み様に転がり、盛大に胃の中の物を吐き出した。
酔ったとか、そういう可愛い話ではない。
それは、その速さは、クロスの身で耐えられる様な速度では決してなかった。
ありがとうございました。




