叡智の泉とその守護乙女達
クルスト元老機関。
そこの一室に呼び出されたモーゼはいつもの様にニコニコと考えの読めない笑顔を浮かべていた。
銀色の髪をした狐耳の男、モーゼ。
元老機関最高責任者である幹部の一体であり、主に獣人と他種族の摩擦緩衝や魔王国全体の法の不備についてを担当している。
モーゼの立ち振る舞いは良くも悪くも元老機関らしいものである。
いつもニコニコしているが、本当に笑っている時はほとんどない。
要するに、胡散臭い。
感情が一切読めず、何を考えているのかわからない。
それが、元老機関らしさ。
元老機関という場所はパンデモニウムも真っ青な程、能力的にも性格的にも異常者揃いであり、基本的に魔王と同格集団と思って良い。
それも、謀るという意味の方、アウラの得意分野である政の分野でだ。
話術だけで誰かを殺せ、話し合いの場は基本的にナイフを刺し合う場。
言葉が金銭と同等の価値を持つ。
そしてその質の悪い間柄は、例えクルスト元老機関の同胞であっても同じ。
いや、元老機関の議員全員、他議員を利用する駒としか思っていないと言っても良い。
だからこそ、モーゼは常に笑っている。
元老機関内において、敗北とほぼ同等の事柄三つを避ける為に。
一つ、感情を読まれる事。
二つ、目的を知られる事。
三つ、同盟相手を知られる事。
この三つを護りながら感情と目的を隠し、立ち振る舞う。
大体の議員はその様にして、今日まで生きて来ていた。
それがわかった上で議員の会合を見ると、それはもう白々しい様にしか見えないだろう。
感情的な怒鳴り声、正義を訴え高らかに叫ぶ声、己の夢や理想を語る声。
涙を流し訴える声、有用であると理詰めで訴える声。
その全てが、嘘で塗り固められている。
正論も、感情論も、嘘も、欺瞞も、全てが偽物。
誰も彼もが嘘つきしかない、本物が一切見えない世界。
正しく、ろくでもない。
議論に賛成の者が反対を表明し、反対の者が賛成を表明する。
そんな事も多々ある。
故に、嘘つきを推測する。
探り合う事こそが議員同士で最も重要な事となっていた。
相手の目的を推測し、相手の立ち位置を知り、その上で自分の目的をバレない様にして貫き通す。
そんな事ばかりしているのが、高度でかつ邪悪な内ゲバを繰り返すのが彼らの日常。
ただ、皆が常にそうする訳ではなく、また全員がその様な気質という訳でもない。
大多数の議員がそうではあるが、例外もいる。
真っ当な例外も、真っ当でない例外も。
そういう意味で言えば、今回モーゼを部屋に呼びつけた女性、議員の一体のロキは他の議員とは色々な意味で異なっていた。
シックな色合いをした紫の髪。
艶めいた重苦しい色合いのその髪は腰より下まで長く、ふわふわとボリュームもあり非常に動きにくそうな印象がある。
服装もまた、同様に少々派手でかつ布面積が非常に多い。
気品あるパーティーどころか正式な礼服にも使えそうな、葬式にすらそのまま来て行けそうな黒いドレスは、重苦しい彼女の雰囲気に非常に良く似ていた。
そんな彼女の印象を一言で例えるなら……こじらせていそう。
きっとそうなるだろう。
愛が重く、面倒で……要するに、ヤンデレと呼ばれる様な、そんな見た目。
特に、濁っているのに歪に輝くその瞳。
それが、彼女の印象をより深いものにしていた。
ロキは本当に最近までは、比較的マトモだった。
少なくとも一年前まではもう少し明るい雰囲気で普通の上っ面な笑顔も多く、色々な意味で良くある元老議員でしかなかった。
だが、彼女は唐突に変わり果てた。
感情を隠す事がなくなり、日に日に服装が暗くなっていき、笑顔に情念の様な物が籠る様になった。
その理由を、モーゼは知っている。
知った上で、この前彼女を利用したからだ。
「それでロキ議員。お呼び出しという事は……この前の取り立てと思って下さって構わないでしょうか?」
そう、ニコニコした顔でモーゼは尋ねた。
「ええそうよ」
熱を帯びた、甘くも鋭い声。
薔薇の様に美しく棘のある声と言っても良いだろう。
耳から脳に入り込む様な、そんな声。
だからこそ、酷く歪でおぞましかった。
少なくとも、感情を隠す事が正しいとされるこの元老機関でそれは不気味と言う言葉以外に適切な表現はなかった。
「では、次貴女が提出する論題に賛成すれば良いのですね?」
モーゼの言葉にロキは頷いた。
「ええそうよ。この前私がしたようにね」
「その節はお世話になりました」
そう答え、モーゼは訂正にお辞儀をした。
この前の議題、クロスがパルスピカと共に女性獣人の刑罰執行を行う事となった時。
その時その議題を提出したのがモーゼであり、そしてそれにいち早く賛成を表明したのがロキである。
まあ、最初から裏で手を組んでいたからなのだが。
ロキが提案した契約内容は至ってシンプル。
モーゼが提出する議題に可決する様手を貸すから、次ロキが提出する課題が可決する様に手を貸せ。
それだけの、至ってシンプルな内容。
そして、ロキはこのタイミングで自らの目的遂行の序章となる行動を行う事とした。
最終的にはクーデターすらも霞む様な、そんな作戦を。
「それで、どの様な議題を提出する予定なのでしょうか? あまりに無謀な物は中々賛成し辛いのですが……」
「大丈夫よ。今回のは簡単だから。そうね……『クロスという存在は人間に近すぎて魔物として適さない。政治能力も低い為魔王の側近に相応しくないから罷免せよ』という感じかしら」
その言葉を聞き、モーゼは一瞬だが驚きの感情を見せる。
すぐに表情を元の笑顔に戻したが。
「おや。貴女の目的がそうだったとは思ってもいませんでしたが……」
モーゼはロキがどの様な主義でどの様に考えているか知っている為、そう言葉にする。
モーゼが知っているロキの主張は、はっきり言って逆だった。
最近目覚めたロキの考え方、主張。
それを端的にかつ簡潔に言うなら……『勇者信仰』となるだろう。
魔王でも、邪神でもなく……勇者を信仰する。
魔王を倒す勇者こそ、世界において最も正しい存在。
そう、ロキは以前モーゼに語っていた。
「ええもちろん。私は信じていますから。真の勇者たるクロス様なら、私共の行う様な矮小な妨害など簡単に排除すると」
そう、ロキは恍惚とした表情で言葉にした。
「なるほど……つまり、その作戦を敢えて失敗させる事によりクロス様の地位を高める事が目的と」
「そうです! その通りです! 後はまあ……不遜ではありますが確認の意図もあります。あのお方が本当に、真の勇者であるか……。その確認を。いえ、信じてはおります。ですが……いえ、だからこそ、私はそうしなければならないんです。あのお方が真なる勇者と皆に示す為に!」
そう言葉にするロキを見て、モーゼは内心言い様のない恐怖を覚える。
自分の潜在的敵である同僚が、いつの間にやら勇者教なんて物を設立し、挙句熱心な信者に入信していたなんて事実は怖い以外の何物でもない。
クロスという存在が他者に与える影響が強い事は知っているが、まさか一切出会ってもいない同僚までこうなるとは正直思ってすらいなかった。
どうしてそんな風に考えているか、モーゼは少し尋ねてみたい気もする。
だが……それ以上に恐怖が勝っていた。
今まで議員として生きて来た生涯の経験が、これ以上踏み込むなと告げている。
それを聞くのは、深淵をのぞき込む様な物だと。
だから、モーゼはロキのうっとりする顔を見なかった事にし、契約内容である事のみを会話とする事にした。
「それで、具体的にはどの様な策を? 議員全体にクロス様に対しての嘆願書でも出してみますか?」
「いえ。まどろっこしい事はしません。物理的に排除します」
そう、にっこりと言葉にするロキを見て、モーゼの顔は引きつった。
「……それは……一体どういう意味でしょうか? まさか直接手駒を使ってクロスさんを襲う訳がないとは思いますが……そうにしか聞こえなかった様な……」
「何を言っているんです?」
「ですよね。そんな訳……」
「他にないじゃないですか。直接危害を加える以外に。あのお方の時間がもったいないです」
モーゼの笑顔は消え失せた。
「……あのですね、それ……見つかれば貴女だけでなく議員全体が危機に陥るのですが……」
確かに、元老議員はアウラと同格の権限を保有している。
だがそれはアウラに協力するという建前を最大限利用しているからに他ならない。
魔王という名の権力をかさに着て好き放題しているだけ。
故に、当然だが魔王陣営に対し暴力沙汰を起こせば、土台から全てが覆る。
武力という面においては、元老機関はどうあがいても魔王には勝てない。
アウラがそんな武力を元老機関が持つ事を許す訳がなかった。
それでも、ロキは笑っていた。
くすくすと楽しそうに、当たり前の様に。
「大丈夫ですよ。そうならない様手は打っていますから」
「いえ。手を打つと言っても……流石にどうあがいてもそんな手段は……幾ら口の堅い組織を金で使っても特定されないとは……」
モーゼの言葉は、ノックにかき消された。
丁寧なノックと共に、ロキの含み笑いが狭い室内に響く。
「あら。丁度良いタイミングですね。いらした様です。どうぞ。お入り下さい」
その言葉と共に入室する女性を見て、モーゼは今度こそ、本当に度肝を抜かれ偽っていた仮面が完全にはがれ驚愕の表情を浮かべた。
「『叡智の泉守』……」
その独特のローブ姿と飾りの多い腕輪。
それは、この国で知らぬ者は――いや、クロス以外に知らぬ者はいなかった。
この場において、本来ならいてはならない、そういった方々。
まごまごした政治にかかわる事はないが、その代わりありとあらゆる事が法的に許可されているという魔王国内部組織でありながら一種の独立組織。
彼女達はその役割の都合上、本当の意味で全ての自由が与えられている。
魔王ですら逆らえない程の、強い強制力を持った上で。
彼女達の組織が死ねと命じれば魔王含め誰であれ死ななければならず、彼女達が民を殺せと言えばその通りにしなければならない。
そして、それに納得するだけの理由を持っている。
それが『叡智の泉守イディス』という組織だった。
「何故……こんな事に彼女達が協力を……」
モーゼは当然の疑問を言葉にする。
彼女達叡智の泉守は絶対にして不可侵。
神がいない魔王国だからこそ、彼女達の行う事は神事に匹敵する。
本当の緊急事態においての最後の命綱、魔王国最高の護り手。
滅多に動かない最終防衛装置。
そんな彼女達がこんな政治のぐだぐだに関わる事など、あってはならない事だった。
ロキは楽しそうに微笑んだ。
「つまりそういう事よ。クロス様こそが真の勇者、クロス様だけが本当の勇者。あの紛い物の化物共ではなく、身も心も清らかなる清浄の騎士。故に、あのお方こそが魔王となるに――いや、世界の支配者となるに相応しいのよ。それこそが世界の選択。それこそがこの世の理……」
ぶつぶつぶつぶつ……。
その様子は褒めているはずなのに、呪詛を吐いている様だった。
当然だが、モーゼはロキの言う事を信じていない。
狂信者と化したロキの言う事など話半分……いや、十分の一程度と思って良いだろう。
だが、叡智の泉守が動いているというのは紛れもない事実だった。
つまり――。
「……何か、あるという事なんですね。これがきっかけになって」
モーゼの言葉にローブ姿の女性は微笑んだ。
「とりあえず、私共はロキ様の意向に従おうと思います。……しばらくは」
「了解しました。私もそうします」
叡智の泉守相手にだけは、流石のモーゼも策略を張り巡らせないし忠実にその命令を聞く。
相手の意向を最大限読み取り、出来る限り望む様状況を整える。
流石のモーゼでも、未来を見通し魔王国にとって都合の良い未来を選択する相手に逆らう様な愚かな事をするつもりはなかった。
ありがとうございました。
長らくお待たせしました。
今年より心機一転し二部的な感じで進めて行きます。
今年も去年の様に長いお付き合いいただける様精進してまいりますのでどうかお付き合いの程よろしくお願い致します。




