エピローグ:飲んで祝って飲み込んで
邪神降臨事件より、一週間が経過した。
それはクロスやシンカ、グラノスにとっては非常に大きな事件であった。
だが、魔王国全体として見れば実はそうでもない。
同じ様な事を考える馬鹿は年に数度現われるからだ。
実際に降臨したという意味なら確かに問題だ。
だが、実際にゲートを越えて本物が姿を見せた訳ではなく、それは陽炎の様な物。
非常に限定的な降臨であり犠牲者を気にしなければ対処事態は余裕だったという程度の事件である。
ただ、結果としてで言うなら今回の騒動は歴代トップと思える位に最上の結果で終わったとも言える。
犠牲者は零で、負傷者は最低限でかつ現場復帰可能なもの。
同クラスの騒動であれば一般の犠牲者が十名以上、殉職者が三十以上というのがザラな事件であり、近隣に村があったにもかかわらず誰も死ななかったというのはもう勲章物間違いなしの偉業。
ヨロイ一機潰したと言っても全然御釣りが来る程に凄い事だった。
と言っても……アウラはクロス達に勲章を贈る事は出来ないが。
今回の件で勲章授与式に呼ばれたのは、軍の正規所属であるシンカだけだった。
勲章を出せない理由は幾つかある。
グラノスの場合はシンカが強引かつ滅茶苦茶な方法で軍所属にした為という点が大きい。
こんな状態で勲章を渡したらどうなるかすらわからない。
ほぼ間違いなく、グラノスに不幸が訪れる。
クロスとエリーの場合は二点の理由があった。
一つは、クロスという存在はアウラと距離が近すぎる為勲章なんて贈ったものなら身内を優先しているなんて言われてしまう事。
だからこそ、今回表だって評価されたのがシンカだけとなった。
逆に言えば、シンカという隠れ蓑を使ってグラノスやクロス、エリーは政略に巻き込まれず静かに暮らせているとも言えた。
そしてもう一つ、最も重要なその理由……。
それは、エリーの事を隠す為。
エリーの話が本当なら、無数の世界を生きたまま渡り歩いてきたという事はエリーはこの世界にない無数の技術、知識をその身に宿したという事になる。
心をすり減らしながら。
それは確かに強力な武器だが、同時にその身を汚す毒でもある。
だからこそ、エリーには静かな時間が必要だった。
この世界にいた頃の記憶を全て取り戻し、同時に別世界の記憶の大半を捨てるという記憶の効率化を図る時間が……。
そういった時間を稼ぐ為や、クロスに対する嫉妬の眼を誤魔化す為に、シンカは道化となり勲章を受け取りパレードを開き、周囲の目を出来るだけ自分に引きつけた。
そんな一週間――。
クロスはどこか死んだ目をしていた。
「クロスさん……どうしました?」
エリーの心配する声に、クロスは微笑み首を横に振った。
「いや。何でもないよ。それでエリー。良くわからないけど準備は終わった?」
「はい。でも本当に良かったんですか? 私あちらの事ほとんど忘れて。結構役に立つ知識とか技術ありましたよ?」
エリーはそうクロスに尋ねた。
一週間前、記憶を調整する前にエリーはクロスにどの位あちらの事を残すのか尋ね、そしてクロスは全部忘れてしまえと答えた。
理由は単純、楽しい想い出が何一つないからだ。
そんな物覚えていても良い事などある訳がない。
例えその知識が今度役立つ事があるかもしれなくとも、エリーの苦しみとなるのなら不要だと、クロスは断言した。
「構わん。むしろこっちの記憶を優先して欲しい位だ」
いまいちクロスにはエリーに何が起こったのかわからない。
どうしてあちらの世界に行ったエリーが短剣の宝玉となっていたのか、理屈すらわからない。
だが、一週間前のエリーはとても長い旅路を終えた後だという事はエリーのその表情から理解出来た。
長く苦しい、地獄の様な旅路を終え、ようやく帰ってこられたのだという事は。
「あ、はい。それは大丈夫です。もう全部思い出しました。クロスさんの事は最初から全部覚えてましたけどね」
そう言って、にぱーと嬉しそうに微笑むエリー。
前より少し子供染みた様子なのは寂しいからか、素直になったからか、それとも自分に影響されたからか。
それがわからないクロスは何とも言えない気持ちとなった。
まあ、可愛いから気にもしないが。
「ありがと。んで、影響は?」
「翼を出したり消したりできるようになりました。ぶっちゃけどうして翼が生えているのかわかりませんが」
そう言ってエリーは背中に翼を生やし、ぱたぱたと宙に浮かんで見せた。
「ハルピュイアみたいな翼……いや、ちょっと違うな」
「ですね。鳩っぽい様なそうじゃない様な……。まあ悪しき物には見えませんし良いでしょう。あとエルダーサ――、いえ。一部邪神に効くおまじないが使える様になったのと……一つ二つ術? まあ魔法っぽいけど魔法じゃない技が使える様になりました。その位です」
「十分過ぎるだろ」
「いえいえ。本当はもっと色々使えたはずなんですよ。まあもう忘れちゃいましたけど」
無数の世界を移り渡って来たエリーは理解した。
強くなろうとなどせずとも、ただ冒涜的な物に触れ続けたら強くなれる事を。
頭の中に直接声が聞こえ力が身に付く事を。
冒涜的な何かの力が使える様になる事を。
だけどそれは、使わないでいられるならその方が良い類の物。
そして、クロスの騎士として相応しくない力。
だからこそ、エリーは望んで力と記憶を捨て去った。
記憶を完全消去する術と共に。
残ったのは、その邪神達と相対して生き残れる様邪神以外に教えてもらった技術、自然と覚えて行った知識だけだった。
「それでエリー。今日の予定はどする?」
「あ、はい。記憶の再構築が正しいかどうかを確認する為に知り合いやら派閥やらアウラ様やらに確認しようかと」
「じゃあ今日は出かけるのか?」
そう言葉にするクロスはどこか安堵したような様子だった。
「ん? どうしたんですクロスさん。何か良い事ありました?」
「いや。別にないぞ。ただ、それなら今日は俺は……」
「すいません。付いて来て下さいと言いたいのですが派閥等はまだどうなるか……。ですので今日は一人で行動してみます」
「それは構わんぞ。飯とかはどうする? 弁当作ろうか?」
「いえ。日常生活へのリハビリも兼ねて自分で何とかしてみます。……買うだけですけどね。元々作れませんし私」
「あいよ。んじゃ、俺もちょいと知り合いの所に顔出して来るわ」
「そうですね。すいません一週間ずっと私に付きっ切りにさせてしまって。では、また夜に」
そう言ってエリーはニコリと微笑み、準備をしてクロスと家を出て、背を向けそれぞれ別の場所に向かった。
真昼間という時間にもかかわらず、三体の魔物は酒場で安酒をかっ食らっていた。
肉を片手にの宴、特に理由もない男の憩いの場。
そんな中、クロスは死んだ目をしていた。
「どうしたよ旦那。酒飲もうって言いだしたのはあんたじゃねーか。元気ねーぞ」
そう、セントール族のガスターはクロスに尋ねた。
「いや……うん。まあ……」
それを横で聞くもう一体の魔物、グラノスは酒を飲み、どんとテーブルに置いた。
「ま、そういう事だろ。つまり……愚痴を言いたいって事さ。酒を飲むだけじゃ耐えきれない何かがあったんだろ? 聞くぜ? ここの酒代の代わりにな」
グラノスの言葉にガスターはニヤリと笑った。
「そりゃ良いな。旦那がそんな思いつめた様子なんてめったにないしついでに酒代もタダになる。そういう事なら喜んで」
「あはは……。いや別に愚痴って訳じゃないんだ。ただ……」
「ただ?」
「……エリーの事、どの位知ってる?」
クロスの言葉にガスターとグラノスは顔を見合わせ、首を傾げた。
「体調不良で寝込んでいたって陛下から聞いたぞ俺は」
ガスターはそう答えた。
「んー。良くわからんがお別れしたのにしてなかったって感じだと思った」
そうあの時を見ていたグラノスは言葉にした。
「んー。これ内密の話な。エリーは別世界に飛んで、そして過去に戻ったらしい」
クロスの言葉を聞いて、二体の魔物は首を傾げた。
「……すまん。良くわからん」
「つまり、俺からしたらすぐに再会出来たけど、エリーからしたら何年も……いや、何百年も俺と会えなかったらしい」
下手すれば何千年という言葉を飲み込みクロスはそう言葉にする。
それに、二体は何も言えない。
どんな言葉をかけて良いのかわからない。
というよりも、過去に戻るとかそういう事自体が理解出来ない。
時を超えるなんてのは、禁忌の類であり同時に不可能だと実証された類の事だからだ。
「……だからさ、俺の事が愛しいって思ってくれてるんだ」
「だろうな。それでも戻って来たんだから……そうなんだろうな。俺から見てもあんたらは超お似合いだったし」
グラノスはそう言葉にして微笑んだ。
「まあ、そう思ってくれるなら嬉しいんだ。ただ……」
「ただ?」
「……この一週間、ずっと寝る時一緒ってのが……」
「ちょいと待った旦那。それいつもの事だろ? 二体で良く旅とか言ってたじゃねーか」
「ああ。一緒に寝るってのはいつもなんだが……一週間、ずっと抱き枕状態でな……」
今でも、眼を閉じたらクロスはその感触を、香りを思い出す事が出来た。
ふわっと靡く髪の甘い香りと、熱く感じる位暖かい四肢、そして、柔らかい物が強く当たる感触。
思い出すというよりも、眼を閉じたらすぐに出て来るという位体が覚えていた。
それを聞き、二体は一瞬だけ嫉妬の様な怒りを覚えた。
エリーの外見ランクは非常に高い。
そのエリーにそんな慕われるというのは羨ましいを通り越して殺意となる。
そしてそこまで考えて……二体は気づく。
クロスが死んだ目に……いや、憔悴している様子の訳を。
「まさか……生殺し?」
グラノスの言葉に、クロスはこくりと頷いた。
「いや旦那。手、だしちまえよ」
ガスターの言葉に、グラノスも何度も頷いた。
だがクロスは、弱り切った笑顔で首を横に振り、ぽつりと呟いた。
「出して良いって、言われたよ。気にしないで良いって。何でもしてあげたいってさ。でも……寝ているときの表情……完全に、信頼し安心しきった娘の様な顔で……同時に慈愛に満ちた母親の様な顔なんだ……」
「いやいや。それでもゴーサインが出てるなら気にせずに……」
「手を出そうとすると、子供の頃優しかった母親が脳裏によぎるんだけど、それでもいけるか?」
「……すまんクロス。俺が悪かった」
グラノスはそう答える事しか出来なかった。
「……飲め。とりあえず飲んで……そんで俺がこの後良い店紹介してやる!」
ガスターはそう言葉にした。
一瞬、ほんの一瞬だけクロスは目を輝かせた後……そっと、首を横に振った。
「いや。良いんだ……」
「どうしてだ? 金なら別に俺が……」
「いやそうじゃないんだ。そうじゃなくって……夜には、エリーと合流する事になってるから……」
「あっ」
「それに……エリーってそういうの、凄く敏感なんだ。もし外でそういう事すませて来たってわかったら……たぶん泣く。今の弱ったエリーならきっと泣く」
恋愛感情とか嫉妬とかではない。
ただ、自分が役に立てなかったという事実でエリーは悲しむ。
特に、離れ離れであったからこそ役に立ちたいと強く願っている今のエリーは。
それがクロスにはわかっていた。
記憶は戻った。
体調も取り戻した。
だが、弱った心はまだ治り切っていない。
せめてそれが安定するまでは、クロスはどうこうするつもりもなく出来るだけエリーと離れ離れになるつもりはなかった。
「ま、まあ美女の従者に愛されてるんだ。それ位のリスクは甘んじて受けとけ。そんで代わりに今は忘れて酒を飲め」
グラノスの言葉にクロスは微笑み、頷いた。
「そうだな。今気軽に酒も飲めない我らが犠牲になったシンカの代わりに、男だけで楽しく飲ませてもらおうか」
そんなクロスの言葉に二体は頷き、三体は盃を天に掲げ遅れに遅れた乾杯をした。
「んで今更だけど旦那にグラノスとやら。無関係の俺がここにいても良いのか?」
「良いんだよ。なあグラノス」
「おう。俺らが無事に帰ってきた事の祝杯だ。外野とか気にせず飲んで祝ってくれ。んで、ついでに俺とも親しくなってくれ。軍属になったばっかの新兵の俺で良かったらな」
「あいよ。んじゃ、死者が誰も出なかった偉業と、新兵が地獄から生き延びた幸運に対し、乾杯」
ガスターはエールがなみなみ入ったグラスをそっと掲げ、そして一気に飲み干し、それを皮切りに三体は酒場に迷惑がかかるかかからないかギリギリのラインで馬鹿騒ぎを始めた。
周囲の男達を巻き込み、クロスは皆に酒を奢り、まるで大宴会の様な状況にして……。
その男だけの馬鹿騒ぎはエリーが迎えに来るまでの間ずっと続いた。
ありがとうございました。
とりあえずこれで一区切り。
具体的に言えばラノベ一巻分です。
九十万時超えてますけど。




