本来の任務(後編)
グラノスが今考えている事は非常にシンプルである。
この三体の中で、自分が一番の足手まとい。
レースでなら次勝つ自信はあるが、ことこの現場では自分の存在は最も役立たずである。
だからこそ、命を捨てるのは自分が一番適切のはずだ。
そう。
先程言った事と考えている事がグラノスは完全に一致していた。
努力を第一とし、他者に寛容で自罰的。
その上で、自分の命を他者の為に平気で捨てられる。
それがグラノスだった。
その考え方、思考、生き様はクロスという男に非常に良く似ている。
彼らが出会えばきっとお互いをより理解し合える親友になるか、はたまた同族嫌悪を起こし嫌いあうか。
そんな化学変化を起こすだろう。
シンカは自他共に認める臆病者である。
自分自身ですら受け入れざるを得ない程にそれは酷く、この勇気を出さないといけない場でもいまだ震えが止まらず思考の九割は恐怖で停止している。
それでも、残り一割で勇気を振り絞りその瞬間を待っていた。
その瞬間――メルクリウスから何等かの命令が下るのを。
命令系列は全く異なる相手だが、その立ち振る舞いや場慣れ具合からシンカはメルクリウスが自分よりも階級の高い相手だと推測した。
メイドの恰好をしている事から退役している可能性すら非常に高い。
それでも、この場を任せるのは自分よりもメルクリウスの方が適しているとシンカは考えた。
シンカはグラノスの様に自分が犠牲になるなんてヒロイズムな考え方にはとてもなれない。
兵士であるシンカの仕事はただ犠牲になるだけでは許されないからだ。
民を護るその為に、自分の命を最も効率良く使わないとならない。
生きるにしても死ぬにしても、最大数を救えなければその価値はない。
だからこそ、多くの民を助ける為に心の火を燃やし尽くすその瞬間をメルクリウスに託し、シンカはその時を待っていた。
一方メルクリウスは何を考えどうしようとしているかと言えば……はっきり言ってこの現状に困窮していた。
シンカはメルクリウスを隊長として、いや将として定めているがぶっちゃけた話メルクリウスはそんな事に全く向いていない。
むしろシンカよりもメルクリウスの方がよほど兵士に向いている。
何故かと言えば……メルクリウスは大雑把であり、また大雑把に動いた時の方が強いからだ。
優れた身体能力にドラゴンとしての荒々しい本能。
最も効率良くメルクリウスを使う方法は単純である。
『敵地に言って総てを灰燼と化してこい』
ただそう命令するだけで良い。
逆に言えば、今回の様に敵にこのレース会場の開催主が捕らえられている現状、しかも彼ら以外にもまだ誰かが捕まっている可能性が高い場合、暴れる事が得意なメルクリウスに出来る事はほとんどない。
倒すだけならば、少年の様な外見の魔物も、時計人間の化物も正直容易い。
むしろドラゴンと戦うにはあまりにそれらは弱すぎた。
ただし、現状はただ相手を倒せば良いという単純な事ではない。
だからこそ、メルクリウスに取れる手は一つしかなかった。
捕まっている誰かを助けられる様な細かい気配りが得意な相手、今回の仕事のパートナーであるご主人を待つ。
それまで出来る限り時間を稼ぐ事が、メルクリウスが考える最も成功率の高い方法で、取れる唯一の手だった。
「ところで単純な疑問なんだが……それは一体何なんだ?」
グラノスはメルクリウスが時間稼ぎをしたいという意図を読み取り、時計人間を指差しそう尋ねた。
「何に見える?」
しゃがれた声の少年に逆に尋ねられ、グラノスは頬を掻いた。
「それがわからんから聞いてるんだが……。いや、というかさ、あんたは俺達を仲間にと言っていたけど……とてもじゃないが俺ら、というかレーサーがそれの改造に役立てるとは思えないんだが……」
「ふむふむ……良い質問じゃ。その答えはまあ簡単だ。確かに、君達が今すぐ役に立つ事はないだろう。それの制作に必要なのは特殊な肉体改造の技術や知識、強いてそれ以外を上げるなら時計制作のノウハウだからね。だけどね、技術なんてのは後から幾らでも身に付くものさ。必要な事はもっと別にあって、そしてそれを君達は持っているから、私はこうして君達を誘いに来たんだ」
そう、にこやかな口調で少年が言葉にした。
言葉だけなら酷くまともに聞こえるからこそ、この少年に見える男が異形であると、三体は再度思い知らされた。
「んで、その私達が持っている大切な物ってのは一体なんだ?」
メルクリウスはそう吐き捨てる様に尋ねた。
「熱意だよ。何か一つの事を調べ、極めようとする熱意、探究心。それさえあれば……私と同じそれを持っているならば……私はいつかそこまで辿り着くと信じている。だからこそ再度頼もう。私の同胞になって、共にこの機械人間をより優れた物にしていこうではないか」
「もっとマトモな奴からそんな口説き文句言って欲しかったよ……」
一瞬だけだが、そこまで求められているならと考えてしまったグラノスは顔を顰めながらそう言葉にした。
「まあ待て。断るという様な決めつけた結論の前にもう一つの質問の答えが出ていない。結局のところ、それは一体何で何の目的で作られた物なんだ?」
メルクリウスは機械人間を指差しそう尋ねた。
「……ふむ。答えを言うのは容易いのだが……逆に君は何だと思う?」
「ペット」
メルクリウスはそう答えた。
機械狂信者が自らの手足として働く戦力、多くの犠牲を作りながら生み出される最低な兵器。
その通称が、ペットである。
「……ふむ。まあ……そう……見えるか。うむ。それを否定は出来ない。君の意見だからね。ただ……少々不愉快かな」
男の顔から笑みが消えての言葉は、本当に不快そうだった。
「どの辺りがだ?」
「そう……だな。ペット扱いもそうなのだが、何より私を彼らと同じ様に見られている事が不愉快だ。ただ……広く見れば私も機械狂信者である為、一概に否定は出来ないのだがね。それもまた歯がゆい思いをしている」
ところどころ透き通った声になり、ところどころしゃがれた老人の声になる不安定な男の声。
それにメルクリウスは一瞬だけ顔を顰めた後、すぐ元の表情に戻し淡々とした口調で再度時間稼ぎを始めた。
「あいつらと違うと?」
「違うな。肉体が全て機械になった程度で神に至るとか、世界が変わるとか、自分が最高の存在になれるとか、そんな風に思った事は一度もない。確かに、私の肉体の大半は自然の物ではないよ」
そう言葉にし、男は腕を外して見せる。
それは銀色と多色のケーブルで繋がれていた。
それを見せた後、男は腕を繋ぎ直した。
「だけど……ああだけども、これはそんな事が、肉体全てを機械にする様な小さな事が目的ではない。そう、違うとも! 私はもっと現実主義的なのだ! この世界に神はいない。いや、魔物を愛する神はいない。そんな事、わかりきっている!」
高らかに、歌い上げる様にそう言葉にする男。
それを聞いてシンカとグラノスは例えようもない恐怖に襲われた。
日常で、ここまでイカれた存在に会う事などないのだから怯えても仕方のない事ではある。
むしろ、この現状、この状況で恐怖を覚えないメルクリウスの方がおかしい位だ。
メルクリウスもメルクリウスで恐怖はないものの、強い感情一色になっている。
それは、焦りだった。
確かに、目の前の少年なのか青年なのか老人なのかわからない何かは狂っている。
だが、狂い具合で言うなら大した事がなく、むしろもっと酷い存在をメルクリウスは知っている。
ちなみに、その狂った存在ナンバーワン、最頂点にいるのはご主人様ことクロスである。
凡庸な才能、普通の人格。
その状態で魔王討伐の一翼となり、その上で魔王の企みである勇者の魔物化を阻止したのだ。
そんな偉業を凡庸なる男が行い切ったのだ。
狂っていない訳がない。
むしろ普通に静かに狂っている相手よりも、よほど歪で、それでいて強い。
だからメルクリウスは狂っている事自体に嫌悪する事はない。
むしろ狂う位一つの事に取り組むのは龍的に好感が持てるポイントだったりする。
メルクリウスが焦っているのは男がイカれているとか滅茶苦茶とかではなく、この男の目的が何となく理解出来てしまったからだ。
メルクリウスはアウラの配下であった時、こういった国家の敵対者を多く葬って来た。
その中に、同じ様な目的の狂信者も多くいた。
当然の事だが、彼らの企みは大体が失敗した。
かなりの無茶を行おうとするのだが元々成功率が低い上に、アウラが政治力、軍事力共に使用し妨害のするのだから上手く行くわけがない。
だが、そんな中メルクリウスがかかわった事件でたった一度だけ、達成率五分程度ではあったが狂信者の企みが成功してしまった事がある。
その時何があったかと言えば……メルクリウスは、死を覚悟した。
今の様な人間体ではなく、全力でのドラゴン形態。
その上で、メルクリウスは力不足を感じ、死を悟った。
今メルクリウスが生きているのは、ただ運が良かっただけである。
そんな過去があったからこそ、メルクリウスは焦りを覚えていた。
実行されたら今度こそ自分が死に、同時にこの国が滅び、皆が死ぬ。
いや、死ぬ事すら許されない地獄が始まる可能性すらある。
そんな未来のビジョンが見えてしまったから……時間稼ぎをしないといけないのに、メルクリウスはついつい、無意識にその爪を振るってしまっていた。
メルクリウスが爪を伸ばし、機械人間にその爪を振るった瞬間、鋼が爆発したようなつんざく音が轟く。
その衝撃で機械人間は倒れ込む様に数歩ほど後ろに下がった。
それを見て、やってしまったという気持ちと同時にメルクリウスは感嘆の声をあげた。
「ほぅ。撫でただけとは言え随分丈夫だな」
「……十、いや二十も一度で飛んだのか。信じられん。……君は一体何者だ?」
少年は機械人間の体に付いていた時計が壊れたのを見てそう呟いた。
「……ふむ。つまりダメージを時計が肩代わりするシステムか。なら時計が壊れるまで壊し続ければ良いだけか。……いや、だけって事はないな。死ぬ程面倒だ」
見えているだけで百や二百は下らない時計の数を見ながら、メルクリウスはげんなりしながらそう呟いた。
「……それは困る。ああ、とても困るね」
「そうか。私は困らん。……ふむ。そしてありがたい事にどうやら我が主は肝心な時に間に合う男の様だ」
遠くからこちらに近づいて来る馴染みある足音。
それが耳に入り、メルクリウスはニヤリと微笑んだ。
「ああ。その主とやらを待つ為に時間を稼いでいたのか」
「うむ。その通りだ。悪いな、付き合わせて」
悪びれもしないメルクリウスの言葉に男は首を横に振った。
「いいや構わないとも。……こちらも時間を稼いだ意味があったらしいし、お相子だ」
「それは――」
そうメルクリウスが尋ねようとしたところ、後ろから正面に何かが突き抜けた様な衝撃が走り言葉が止まる。
そっと自分の腹の方を見ると、そこには真っ赤な血と共に、小さな手が腹を突き破っていた。
「素敵な素敵なパーティーを開きましょう。くるくるひらひら、赤い花びらが舞う様な。そんな素敵な――私の為のパーティーを」
そんな少女の声の後、くすくすと楽し気な笑い声をメルクリウスは耳にした。
ありがとうございました。




