本来の任務(中編)
時計が時間を刻む音が響く。
気が狂いそうな程に。
ちくたくちくたく。
かち、かち、かち、かち。
ちっかちっかちっかちっか。
かたん、かたん、かたん、かたん。
とととととと
こちこちこちこち。
じーーーーーーーーー。
密室の中響き続ける無数の異なる小さな音は群れ、交わりけたたましいと言っても良い程の騒音と化している。
十や二十では利かない尋常ではないその時計の音は、全て同じ場所から刻まれていた。
大小問わずの時計が組み合わさり、一つのオブジェの様になっていた。
それは見るだけで心がざわめき立ち、背筋に冷たい何かが流れてくる。
その何かわからない時計のオブジェはただただ不気味さを醸し出していた。
「ひ――」
小さく、グラノスがそんな悲鳴を上げる。
グラノスはそのオブジェのある事実に、気づいてしまった。
そのオブジェが、人型を模している事に。
その群れる時計の隙間には肉らしき赤い何かが見え、同時に時計同士を繋ぐ血管が見え隠れしている事に。
そう、そのオブジェは……いや、オブジェの元であるキャンバスはまだ生きていた。
奥にいる若い少年が……いや、若い少年に見えるローブ姿の魔物が外見に似合わないしゃがれた声で笑った。
「ひっひぃ……。安心せぇよ。私はそれなりに気が使えるからの。そいつのベースは魔物じゃない」
「魔物じゃあ……ない?」
メルクリウスは眉を顰めながらそう呟いた。
「そうじゃよ。その位の気遣いは出来るとも。それは……ただの人間じゃ」
そう、その魔物は当たり前の様に言い放った。
この場にいる魔物は六体。
少年の様なローブ姿の男。
その隣にいる一言もしゃべらず俯き青ざめる男。
ここに三体を連れて来た案内の男。
そして、メルクリウス、シンカ、グラノスの三体である。
それぞれ人間に対して主義主張は異なっている。
例えば、グラノスの様な軍に関わらない魔物にとって人間とは遠くにいる恐ろしくて強い蛮族でしかない。
それ位、普通の生活をする魔物は人間の事を知らず、そして多くの魔物がこれと同じ主張を持っている。
この中で最も稀有で、そして極端な思想の持主は間違いなくメルクリウスだろう。
人間であろうと魔物であろうと、彼女の中ではそう変わらないからだ。
実際軍にいて魔物と殺し合い、人間融和派の魔王の元でメイドとなり、そして元人間の主を得たメルクリウスはいつからか人間と魔物の差を感じなくなっていた。
メルクリウスの中で区別をつけるとしたら、強いか弱いか。
それ位だろう。
そんな風に、ここにいる五体は皆人間についての考え方は異なっている。
だが、一つだけ共通して考えている事もある。
幾ら人間だからと言って、この所業はあまりにも惨過ぎるという事だ。
生きたまま、体中に時計を植え付けられる。
一体どれほどの罪を犯したらこの所業を受け入れざるを得ない状況になるのか。
そう思わずにはいられない程度の凄惨さがオブジェにはあった。
時計の音と同時に脈打つ血管。
機械の歯車が肉を抉り、その肉の代わりに体を構築する。
同時に、ただ機械という訳ではなく、その肉の体はまだ動いている。
決して幸せとは言えず、むしろ不幸でしかないが、この人間は機械と融合し機械に生かされていた。
「さて、これから君達三体には私から三つの選択肢を与えようと思う。正直、どの道を選んでくれても私は構わないよ」
しゃがれた老人の様な声で少年はメルクリウス達の方を見ながらそう呟いた。
「一つ、私に協力する道。この時計人間をより強くする事に手を貸して欲しい。つまり仲間になってくれという事だな。君達のバイク作りの腕なら十分役に立つから謙遜は必要ないよ」
「バイクと一緒にするな」
グラノスが震えながらそう言葉にすると、少年は楽しそうに微笑んだ。
シンカは真っ青でわなわなとし、グラノスも怯え、この状況で平然としているのはメルクリウスだけ。
そのメルクリウスは無言のまま、じっと、少年の様な魔物と時計人間と呼ばれたそれを見続けていた。
「二つめの道。君達を私に改造させて欲しい。ああ、脅しとか実験とかそういう事ではない。これは決して悪い事ではなく、むしろ君達にどうなりたいかを聞きその通りにしたいと思う。君達は自分を変えられる、私は魔物の生態を調べられる。そういうウィンウィンの話だとも。その上で、後に仲間になってくれるなら非常に喜ばしいね」
「失敗する事は想定していないのか?」
メルクリウスはそう尋ねた。
「ま、よほどの無茶な命令じゃなければ失敗しない。その位の腕はあるとも。それでもまぁ失敗しないとは言い切れないが……まあその時はその時だ」
そう言って、少年は笑った。
「さて、最後の三つ目の道。どちらも聞かず無視をする。つまり、私と親しくする気がないという選択だな。その時は……君達にもこの中に入って貰おうかね」
そう言って、少年はオブジェを撫でだした。
時計の音に紛れながら響く、ぎぎぎという軋む音。
それと同時に、その機械人間は動いた。
シルエット以外に人の様相はなく、全身至る箇所に無数の時計が仕込まれた異形。
これで生かされていると考えるだけで地獄が生ぬるく感じる程酷く、メルクリウスですら目をそむけたくなる。
拷問ですらもここまで理不尽ではない。
その時計人間は、脅す様に三体の魔物にゆっくりと動き近づいた。
それは決して人の動きではなく、動作で言えばヨロイとかそちらの方に近い。
足の裏にローラーでもあるのかスライド走行の様で、だけどどこかゆっくりでかつ足も動いていて。
おそらく、足の裏に歯車でも付いているのだろう。
「……貴様に一つ尋ねたい」
いつも通り尊大で、怯えた様子も見えないメルクリウスの声。
それを楽しそうに微笑み、少年は頷いた。
「ああ。何でも訊いておくれ。どうも君はこちら側に近いらしいからね」
「近い?」
「ああ。これを見て惨いなんてつまんない答えを口にせず、どうしてこうなったのかという好奇心にてしっかり直視し探るその視線。ああ、研究者である私の様な発想じゃないか。きひひひひ……」
「……私は貴様の目的を知りたいだけだ」
「ああ。そうやって冷静でいられるところが私達に似ているというのだ。つまり、利があればこちらに十分着くという事であろう? まさに、素晴らしい資質だとも。そう、恐怖で縛るのも悪くないが、やはり同胞はそうでなくては……」
「そんな事はどうでも良い。私の質問に答えるのか答えないのかどちらだ」
「無論。答えようとも」
「そうか。ならば尋ねよう。どうして時計の秒針の速度が皆異なっている?」
メルクリウスの言葉に、少年は子供とは思えない歪な笑みを浮かべた。
「予想はついておろう。それがそのまま答えだよ」
その答えを聞き、メルクリウスは小さく溜息を吐いた。
「えと、どういう……事、なのでしょうか?」
ようやく言葉を発する事が出来る程度まで回復したシンカはそうメルクリウスに尋ねた。
「……知らない方が良いぞ」
「はい。聞かない事に――」
「それは冷たいのではないだろうか? 知識を求める者には須らく授ける。それこそがあるべき形だと私は常日頃から思ってるのじゃが?」
そう少年は言葉にし、シンカの方をじっと見つめ……そして、にこりと優しく微笑んだ。
「あの人間に埋め込まれた時計はね、全部……魔物なんだよ」
子供に伝えるよう、わかりやすく、それでいて柔らかい口調で少年はそう言葉にした。
「――へ? 一体それは……」
「言葉通りの意味じゃよ。私が、生きたまま魔物を時計に変えて植え付けた。その秒針は時間を刻んでいるのではなくその魔物の感じる時間を刻んでおる。だから皆バラバラになっとるんじゃよ。ほっほっほ」
ちっくたっく。
かっちかっちかっち。
ちっちっちっちっちっち……。
その全ての音が、生きる魔物の鼓動。
いや、それはもはやただの悲鳴。
望まぬ体で生かされ続ける地獄からの怨嗟の声。
助ける事の出来ない、助けを求める声。
それに気づいてしまったシンカはその場に蹲り口元を抑えるが、抑えきれず、吐瀉物を床にまき散らした。
「ひぇっひぇっひぇっひぇ!」
予想してか予想以上だったのか。
少年は楽しそうに笑った。
「……おいグラノス」
メルクリウスは青ざめ震えるグラノスに言葉をかける。
グラノスははっと我に返り、真剣な顔で頷いた。
「あ、ああ。逃げるなら俺が殿になる。大丈夫。覚悟は……」
「馬鹿か貴様は。逃げるなら貴様が一番に逃げろ。貴様が一番弱いのだから。そんな事貴様に求めておらん」
「では一体……」
「戦うか、逃げるか。今ここで選択しろ。逃げるなら命の保証はしてやる」
「……それは……」
「早く選択しろ。決めていないのは貴様だけだ」
「シンカは……」
「貴様は一体何を見ているんだ?」
そう呟き、メルクリウスは溜息を吐く。
恐怖に震え、言葉に出来ず、挙句に嘔吐までしたシンカ。
だが、それでも、シンカは今まで一歩たりとも後ろに下がっていない。
メルクリウスの背にいながら、グラノスを庇う様に立ち続けている。
今でも、体を振るわせながらもグラノスの命を護ろうとしている。
それだけではない。
前にいるメルクリウスの動きに合わせようと、恐怖に体を支配されながらも勇気を振り絞るその瞬間を狙っている。
あの時のレースの様に、全てを堪え、その一瞬で心の火を燃やし尽くそうとその瞬間を待っていた。
自分の命の捨て所を理解しているその覚悟は、まさしく軍属のそれだった。
勇気がない。
臆病で他者の目を見て話せない。
肉体が虚弱な小鬼という種族。
そんな事、何一つ関係ない。
それでも、シンカは誰かを護る為に命を捨てて戦う覚悟を持った、一体の兵士だった。
「……誰も……逃げないのか?」
シンカの事も、メルクリウスの事もわからない。
だが、自分が一番出口に近いという事実に気づいたグラノスはそう尋ねた。
この場で最も体の大きいグラノスはいざという時は命を賭けて守ろうという覚悟を持ったつもりでいた。
だが、それは所詮偽者の覚悟でしかない。
はなから命を賭けて守ろうと覚悟しているシンカに比べたら、いざという時になんて条件をつけて逃げ道を作ったグラノスの覚悟は脆弱なものだった。
「ああ。誰も逃げないな。だから逃げるなとは言わんぞ」
メルクリウスの同意を聞き、グラノスは理解する。
自分が不要な存在で、足手まといでしかない事を。
それが分かった上で、それでもグラノスは……。
「……何か出来る事があるなら言ってくれ。こんな俺でも、必死になれば何か一つ位出来るだろ」
グラノスは足を震わせ、顔を青ざめさせ、額に汗を蓄えながら、それでも、笑いながらそう言葉にした。
自分が不要で、足手まといと分かった。
シンカもメルクリウスも戦う事が出来る奴だと分かった。
だとしても、グラノスは逃げる訳にはいかなかった。
「……その覚悟の理由はなんだ? 自己犠牲なら無駄だから早く帰れ」
「いいや違うとも。……シンカ、メルクリウス。俺より速かったお前らがいなかったらさ、これから俺はレースで優勝しても誇れないだろ?」
この二体は速かった。
本気の自分よりも、ずっとずっと。
誰よりも努力をしてきた自負はある。
出来る事は全て行って来た。
その上で、負けた。
だからこそ、グラノスは二体が今この場で危機に陥る事を看過出来ない。
つまり……何が言いたいのかと言えば……。
「かっこつけるならもっとわかりやすく言え」
メルクリウスは微笑みながらそう言葉にした。
「……俺が勝つまでお前らに死なれる訳にはいかない。だから……もし死ぬなら俺が最初だ。死ぬつもりはないがな」
そう、グラノスは吐き捨てた。
自分がこの中で最も弱い存在である。
それがわかっても、そんな事知った事かと言わんばかりに、メルクリウスの横に移動した。
「……はは。これだから……弱者の輝き程素晴らしい物はない。もし私がご主人に逢っていなければお前を狙っていたかもしれぬな」
メルクリウスはそう言って微笑んだ。
「それで、何をしてくれるのかな? 私の選択を無碍にするつもりであるという事は何となく空気でわかるのだが……」
そう言って少年は楽しそうな顔を三体に見せた。
顔こそ少年だが、その好奇心という含蓄がこれでもかと刻まれた表情は明らかに少年のそれではなかった。
「さて、実はどうしようか決めかねてね。もう少しセールスポイントを話す事を許可してやっても良いぞ?」
そう言ってメルクリウスが微笑むと、少年はつまらなそうに顔を顰めた。
短い付き合いだが、レースという濃厚な時間を過ごした二体はメルクリウスの思惑を薄らとだが読み取る事が出来た。
どうやら、メルクリウスは時間稼ぎを望んでいるらしい。
ありがとうございました。




