驚き続けるおやっさん
おやっさんと呼ばれる料理担当の男が近づいて来るのを見て、その男達は瞬時に殺気を飛ばしおやっさんの一挙一動に注目する。
その様子を見て、おやっさんは顔をしかめた。
「何で俺はいつも飯持って来るだけで脅されにゃならんのだ」
おやっさんは男達の殺気など気にもせず、嫌悪の表情を浮かべながらガラガラとカートを二つ持って男達の背後にある倉庫の方に進んだ。
「それが仕事だ……っておい! 止まれ!」
男達をすり抜け奥に行こうとするおやっさんの様子を見て、男達は慌てておやっさんの動きを止めた。
「あん? 何だよ」
「確認が済んでいない! それに確認が終わってもいつも倉庫には俺達が運んでいるだろうが!?」
そう、男達に言われ……おやっさんは、キレた。
「あ? ふざけんな! てめぇらが持って来いなんて偉そうに言っておいて今度は待てだぁ? お前ら俺の仕事を何だと思ってやがる!? 俺は飯屋だ! 運び屋でもなけりゃメイドでも、ましてやてめぇらの命令聞く母親でも何でもねぇ!」
「う、煩い! 良いから言う事を聞け!」
そう言葉にし、男は乱暴に二つのカートを止め、その中身を見る。
大柄のカートに誰か隠れていないのか、料理に毒が入っていないのか、逆に料理に武器が入っていないのか。
その辺りをゆっくりと調べだした。
「……早くしろ! 料理が冷めるだろうが!」
そんなおやっさんの言葉を男達は無視し、丁寧に料理を調べ続ける。
その隙に、おやっさんはちらっと、男達の背後より更に奥、倉庫の側面付近に移動したクロスの様子を見つめた。
『俺が隙を作るから上手くやれ』
そうおやっさんはクロスに伝えたのだが……誰にも見つからず倉庫傍まで移動している辺り、クロスは思った以上に上手くやっているらしい。
流石魔王閣下直属の部下。
そんな事を思いニヤリと笑いたくなる気持ちを抑え、おやっさんはいつもの様に仏頂面かつイライラした様子を男達に見せながら、騒ぎ続けた。
おやっさんからしてみれば、クロスに協力する義理は何一つない。
まだ何の事件も起きていない中、魔王にとって都合が良いよう調べているクロスに関わる理由なんて、おやっさん側には一切ない。
だが、おやっさんは心からクロスに協力してくれている。
特に理由はなく。
強いて理由を挙げるとすれば……一緒の店で仕事をしたから。
本当にただそれだけ。
そんな無条件であやふやな理由の信用だがおやっさんにとっては非常に大切な事であり、クロスもまた、おやっさんが本気であるとわかっていた。
だからこそ、クロスから返せる物なんて精々感謝位であり、今もいつ殺されるかわからない様な危険な無茶をさせているおやっさんに深い感謝を持ちつつ、目の前の倉庫を調べだした。
入口は残念な事に正面のみ。
倉庫は非常に大型でその壁は鉄板で出来ており、当然、中を覗く事は出来ない。
それでも何かないかなーと思い、クロスは倉庫の上下に目を向ける。
そうすると、クロスはそれを見つけた。
大体家で言うなら三階位だろうか。
光を入れる為だろう。
倉庫の上部側面に幾つかの窓が設置されていた。
見る限り開けられないタイプの窓だが、それでも中を見通す事位は出来そうである。
毎度毎度の事ではあるのだが、かつての仲間、盗賊メリーには本当感謝しかない。
才能の要素を減らし、知識という形で体現化した技術でクロスに指導してくれた為、クロスはメリーの指導により目に見えて出来る事が広がった。
そんな事を考え、昔を懐かしみ少々のノスタルジーに浸りながらクロスはとっかかりのない鉄板を垂直に駆けあがり、三階相当であるその窓付近まで一気に登った。
おやっさんは一瞬だけぎょっとした目となり、その直後強引にいつもの自分の顔に戻す。
「……おい、何かあったのか?」
男達の一体がおやっさんの表情を不審に思い、そう呟き疑いの眼差しを向けた。
「あん? てめぇらの料理の扱いが雑過ぎてさっきからイライラしっぱなしなだけだ! どうせ言ったってお前らにゃわからねーと思うから黙ってやってたら……」
「わかったわかった! 出来るだけ丁寧にするから黙ってろ!」
譲ったというよりは疲れた様子で、その男はそう言葉にする。
おやっさんが怒鳴るのなんて毎日の事だが、それでも男達は一向に慣れる気はしなかった。
おやっさんは誤魔化せた事にそっと安堵し、倉庫上部に駆け上がったクロスに一瞬だけ視線を動かす。
正直、それは予想以上だった。
一瞬で音もなく三階に駆け上がった事にも当然驚いたが、それ以上に今現在の方が凄い。
ずっと見ていたからそこにいると知っているおやっさんですら、倉庫の壁に張り付くなんて目立つ要素しかないはずのクロスが、目を凝らし意識しなければ認識する事が出来ない。
完全に、気配が消えていた。
流し見程度での監視なら、今のクロスは間違いなく見逃すだろう。
とは言え、気配はなくとも実際には目立つ事に変わりはない。おやっさんはクロスのサポートをする為意図的に、声を大にした。
「お前らまだか! 確かに冷めにくくはしたけどいい加減冷めちまう! それ以前に! 外で長時間外気に触れさすなんてお前ら何を――」
「ああ終わった終わった。もう良いから!」
そう、男達はおやっさんを叫ばせないよう声を遮った。
「おうそうかい。じゃ――」
そう言葉にし、おやっさんはカートを持って倉庫の方に入ろうと……。
「待て待て待て待て! 俺達が持っていく! 誰もいれるなって命令されているんだ!」
「はぁ!? この俺がわざわざここまで持ってきてやって門前払いか!? それとそろそろいい加減、俺を顎でこき使う馬鹿野郎の様子を見て文句の一つでも言っておこうと……」
そう、ぎゃーぎゃー喚くおやっさん。
その面倒具合はいつもの何倍も酷く、男達の誰もが疲労した表情を浮かべていた。
上から中を見て、クロスは倉庫内には何もない事しか理解出来なかった。
バイクもなければ工具もない。
椅子もテーブルもなく、倉庫の中には本当に何もない。
音を立てないようぐるぐると回りながら色々な角度から倉庫内を見て……そこでようやく、何もない以外のそれをクロスは発見する。
それは、下に降りる階段だった。
クロスは階段の見える位置に移動して、扉をじっと見つめる。
その直後に扉がほんの僅かだけ、開かれた。
外にいる見張り達が揉めている事が気になったらしい同僚がその様子を見る為に。
ほんの一瞬、ほんの隙間。
その隙間の奥に、クロスは涙目となった少女と女性の姿を見た。
ほんの一瞬で、クロスの怒りは臨界点を越えた。
クロスは、こういった力なき人達を、声を出す事すら出来ない人達を助ける為に、大勢の誰かを助ける為に、生前勇者であり続けた。
かつての仲間達と誇りある旅を続けてこれたのは、その意思を守り続けてきたから。
力なき身だからこそ、勇者として誇れる誰かを護るという心だけは、クロスはその身に刻み込み続けていた。
そんなクロスだからこそ、その光景は、絶対に許す事が出来なかった。
この日程、クロスは体に魔力を流す事が出来る様になったのを感謝した日はない。
燃え上がるマグマの様な怒りを絶対零度の様な精神で制御し、燃えながらも芯は冷え切った状態という魔力を体内に流し生み出す魔法使いモードに自動的に切り替わったクロスはそう心の底から思った。
もし前までのクロスだったら怒りに身を任せ今すぐガラスをたたき割って中に押し入っていただろう。
魔力が体を巡回し、独特の万能感が心を高揚させる。
それでも、その快楽に心は支配されない。
あくまで怒りはそのままで、だけど芯は冷え切って……。
その状態で、クロスはそっと作戦を考える。
と言っても、すぐに動く事に変わりはない。
無辜なる民が傷つくのを後回しにし、大事を選択出来る程、クロスの頭は良くない。
自ら好んで馬鹿をやっているクロスがそんな選択を取れる訳がなかった。
クロスはそっと地面に降り、おやっさんの方にハンドサインを出す。
『もう少し、注目を集めてくれ』
クロスの指示におやっさんは目だけで頷いた。
「そもそもなあお前ら! お前らが取りに来れば良かっただけだろうがよ。ああ!? わかってるのか俺がどれだけ忙しいか!? なあおい! オーナーに聞いてみろ。俺が一体どれだけここに尽くしてどれだけここで長くやっているのか。新参者のお前らにわかるのか!?」
「良いから落ち着け……。次から俺達の誰かが飯取りに行く。な――」
その言葉を言い終わる前に、男はぱたりと静かに、地面に倒れる。
その男だけでなく、おやっさん以外の、六体程いた魔物の全員が地に伏している。
そのすぐ後ろに、クロスは立っていた。
「ありがとおやっさん」
そう、いつもと違い瞳に怒りを灯したクロスは言葉にした。
一瞬ですらない。
目を反らしてすらいないのに、全員が一斉に倒れた様に見えた。
それはおやっさんにとって、魔法よりも不思議な物だった。
「……殺したのか?」
「いや生きてるよ。おやっさん。もう一個頼んで良いか?」
「……何だ?」
「中にいる奴を誘導してくれ。一体でも構わない。成功率を上げておきたい」
「……ま、ここまでくりゃ俺も共犯か。良いだろう。……悪い事をしている様には見えないしな」
そう言葉にしてからおやっさんは思いっきり息を吸い……力の限り叫んだ。
「お前ら! どうした!? おい! 誰かいないのか! こいつら急に倒れたぞ!? おい!」
おやっさんの叫びを聞き、地下にいた魔物が二体、慌てた様子で外に飛び出す。
そして仲間達に近寄ったその瞬間――クロスは音もなく気絶させた。
「よし。おやっさん。中に女性が捕まってた。もしかしたら知り合いかもしれないから付いて来てくれ」
「……なんだって? わかった。こいつらは……」
「しばらく起きないだろうし起きて何かする様なら今度こそ殺す。というか時間が惜しいからほっとこう」
そう言葉にし、クロスは中に入りまっすぐ地下行きの階段を降り扉に手をかけた。
実力はそうでもなかったが、やはりあいつらも本職である事に変わりはないらしい。
あの間であっても扉に鍵をかける位は意識があった様だ。
「開けられない事はないが……時間が惜しいな。おーい扉の向こうにいる奴! 今から蹴破るから扉から離れてくれ!」
そう叫び、クロスは腰を捻り、鋭い蹴りを扉に放つ。
蝶番は捩れ、本来開かない方に扉が開く。
その奥にいたのは二体の魔物だけ。
クロスが見た小さな女の子と、その母親らしき女性。
二体共顔や体に傷があり、そして真っ赤な目で泣きはらした様子を見せていた。
「……大丈夫。何があったかわからないけど、助けに来たよ。おやっさん。彼女達は知り合い?」
そう、怒りを抑え笑顔を作りクロスは二体に話しかけた。
「……オーナーの奥方と娘さんだ。奥方! 一体何があったんですか!?」
おやっさんは驚いた様子でそう言葉にした。
「……貴方は食堂の……。いえ、すいません急いでください! 私達は後で良いです! レースが終わる前に……」
「一体レースが終わったら何が?」
クロスはそう尋ねた。
「レースで決勝に出た方々を攫って仲間か素材にすると……。その為にオーナーに協力させる為に……」
「あ、そっちは大丈夫」
そう、クロスはけろっとした様子で言葉にした。
「だい……じょう、ぶ?」
女性は首を傾げ、クロスにそう尋ね直した。
「うん。レースの方は俺なんかじゃ比べ物にならない位強い魔物が動いてる。だからそっちは大丈夫。それより貴女と娘さん以外に捕まっている方いません?」
「え、ええ。私達の他に念のためとして捕まった方が五体程……」
「やっぱり……。うん。そっちの方がやばい。騒ぎになったらどうなるかわからん。その前に助けたいから情報をお願いして良いかな?」
「……丁度良い事にあちらにその資料が……。場所は第六倉庫の地下……なんですが……」
女性の言葉を聞いた後、クロスは部屋に用意された資料とやらを手に持ちおやっさんの方を見た。
「おやっさん。第六倉庫とやらに案内してもらって良い?」
「あ……ああ。良いけど……。奥方様やらはどうすれば……」
「あー。ここはまずいか……。うん。どこか安全な場所……って、ないよね。ごめん。悪いんだけど付いて来てくれないかな? 俺の傍の方が多分そこらより安全だから」
そう言って、クロスは二体の魔物に優しく微笑みかける。
唐突過ぎて理解が追い付いていない部分と、知らない魔物だったから猜疑心があった部分。
それらにより、クロスの事が受け入れられずにいた二体だが……ここでようやく、クロスが助ける為に動いていると理解する。
それを理解した瞬間……女性はぺたりとその場に座り込み、少女はぽろりと大粒の涙を零し、声を殺しながら泣き出した。
「怖かったよね。もう大丈夫。後は俺が……いや、俺と仲間のメルクリウスが何とかするから」
そう言って、クロスは女の子の頭を優しく撫でた。
ありがとうございました。




