メイドさんのバイクレース
古臭く感じる錆びた鉄の匂いとコールタールの様にねばつくオイルの香りが辺り一面に漂う。
その少々不慣れた未知なる香りにクロスは不快感を覚えるが、同時に嫌なだけではなくどこか荒廃的かつ挑戦的な気持ちとなる、不可思議な香り。
そんな香りをクロスはこの辺り一面から、このレース場とその周り全域から感じていた。
場所や物だけではなくこの辺りにいる多くの魔物達にそんな匂いがこびりついているからこそ、その香りはより強い。
ここにいる皆が一体どれだけ機械いじりをしたらそんな匂いがするのだろうか。
想像も出来ない程、機械を、バイクをいじり続けたのだろう。
正直機械に対して嫌悪に近い感情を持っていたが、そんな気持ちはこの場でふっ飛んでしまった。
クロスはバイク専用のレース場に来ていた。
魔導バイクなんて高価で不人気な物の為だけに用意された、専用のレース会場。
元人間であるクロスでなくても、それがどれだけ狂っている事なのか理解出来る。
そんなイカレた場所にイカレた者共を集めイカレたレースをしようなんて考えたのは一体誰なのだろうか。
しかもこの場所は競馬等と異なり賭け事が中心になっていない。
賭けが全くないという事はない。
ただ運営が賭けに関わる一切に手を付けていないのだ。
大がかりな賭けこそ制限はしているが個人での賭け事なら多少はお目こぼしをしているし、それに対して利益を横からかすめ取ろうともしていない。
つまり、会場設備による儲けなんてほとんど出てないという事である。
はっきり言って意味がわからない。
だが、その理由はこの空気を考えれば理解する事は難しくなかった。
空気が、やけにギラギラしているのだ。
まるで獰猛な獣の様な、挑戦的で挑発的で、そして同時に独尊的で。
ここにいる皆が、レースに参加する皆が自分こそが勝者であるという強い自負を持っているのだ。
闘技場だってここまでぎらついた空気は出ない。
勝負というのは勝つか負けるかわからない水物であり、強い者程絶対に勝つなんて思い上がりを捨てる。
だけど、ここにいるレース参加者らしき奴らは、誰もが自分こそ一番速いと思い込んでいる。
その思い込みを、当然の事だと皆が思っている。
そんな空気に、皆が伝染して感情を昂らせている。
要するに……参加者見学者皆が、馬鹿になっているのだ。
意味もなく自分が勝てると思い込み、自分の力を誇示する事を誇らしく思い、レースの瞬間を今か今かと待ちわびる。
そんな空気。
そんな参加者ばかり。
ここにいるのは皆が、心の底まで一色に染まり切ったバイク馬鹿だった。
そりゃあ賭け事なんて面倒事運営もしたがらない。
運営もそんなレースが見たいなんていう馬鹿なのだから。
だからこそ、馬鹿なクロスはこの場の空気が非常に気に入っていた。
自分が走る訳でもないのに、空気が伝染し自らもぎらついた気持ちになる程度には。
「すまんなご主人。全部任せてしまって」
背後からのメルクリウスの声。
その声をクロスは否定した。
「構わんさ。これも仕事だし」
そう言いながらクロスはメルクリウスの指示通り、鉄製の工具を持ってメルクリウスのバイクを整備する。
「うむ。意外な程手先が器用で助かってる。これからも時折頼もうかと思う位には役立っているぞ。あ、整備オイル……そっちの小さなボトルの奴だ。それを持ってシリンダー……そこの細い銀色のつなぎ目の部分に流し込んでくれ」
「あいよ。この位か?」
「……もう少し、位置をずらして。毛細管現象があるから適当に流す感じで……その位で構わん。次行くぞ」
「あいよ」
そう答えながら背後の命令を聞きバイクを整備、調整するクロス。
何をしているのか、どういう原理なのかさっぱりわからない。
ただ、知らない機械を触るのは何故かわからないがめちゃくちゃ楽しかった。
持ち主であるメルクリウスではなくクロスが整備をしているのには訳がある。
と言っても、その訳は非常にわかりやすい。
メルクリウスの服装がメイド服である為、整備にあまりに適していないから。
ただそれだけ。
とは言え、わざわざこんな場で、しかもレースに参加するのにメイド服のままである理由は非常に重要である。
このレースに参加するよう命じたアウラから、二つの理由でレース参加者であるメルクリウスにメイド服で参加するよう要請されたからだ。
一つは目立つ為に。
メイドがバイクに乗ってレースに出るというのは、考えるまでもなく目立つ。
それがアウラの狙いだった。
もう一つは逆で、メルクリウスそのものが目立ち過ぎない様にする為。
姿形で目立つのは一向に構わないが、もしメルクリウスが乗っていると、ドラゴン種のトップクラスが参加しているという事がバレると間違いなくパニックになる。
そのパニックから事故が起きる可能性もあるし、最悪の場合レースそのものが中止にすらなりかねない。
アウラとしてもそれは望んでいない為、目くらましの意味も兼ねてメルクリウスにはメイド服での参加を要請し、そのサポートとしてクロスが付く事となった。
「なあ、今更だけど俺が触って良いのか?」
「ふむ? それはどういう意味だ? とりあえず腕的には悪くないし勝手な事もしないから私としてはありがたく感じているが」
「いや、これ誰かに触らせたりしたら駄目な奴じゃ……」
デウスマキナという言葉をぼやかし、そう尋ねるクロス。
その意図を察しメルクリウスは頷いた。
「ああ。それなら大丈夫だ。というよりも、その為にあの説明があったのだろう。ご主人もこれをいじっても良いという許可が出ている。ただし、ご主人が私のご主人である間のみだけどな」
「つまり魔王城滞在時のみって事か」
「うむ。つまりこれからはご主人が滞在している時、私はいつでもご主人にメンテを手伝わせられるという事だ」
「はは。まあ後ろに乗る役得があるし喜んで手伝うさ。っと、次はどこいじれば良い?」
「いや、もうこの辺りで良い。昨日の内にしっかり整備しているからもう大丈夫だし、何よりこれ以上ばらすとレースに間に合わない。ご主人はご主人の仕事の準備でもしていてくれ」
「こっちも特に予定ないから……しばらくはゆっくりまったりしようぜ」
「ふっ。ではメイドらしくお茶でも淹れて来るか。こんな場所だから大した用意は出来ないだろうがな」
そう言葉にした後メルクリウスはその場を去り、そして五分もしない内に戻って来る。
その手には水滴が付く程冷やされた透明な液体が入ったグラスが二つ握られていた。
「それは?」
「ソーダ水だな。ここではぶっちゃけ紅茶とかコーヒーなんて物よりもこっちの方がよほど美味い。いっつも汗だくになっている奴らばかりだからな」
そう言葉にして笑った後、メルクリウスはクロスにグラスを手渡す。
そのグラスをしげしげと見つめた後、クロスはメルクリウスの方にグラスを差し向けた。
「んじゃ、せっかくだし乾杯しようか」
「……何に対してだ?」
「うーん……メルクリウスの勝利とかどう?」
「必要ないな。それより別の……ではご主人の成長を願ってという事で」
「なんだそりゃ」
「早く強くなってくれという願いだよ。私の」
「そか。んじゃ、俺が早く強くなってメルクリウスを物に出来るその時を」
「ああ。来るか来ないかわからないそんな未来に、乾杯」
そう言葉にし、お互いはキスするようにグラスを軽く合わせ心地よい音を響かせる。
直後、お互いふと視線が合い、ほぼ同時にくすりと微笑んだ後グラスの液体を喉に流し込んだ。
味自体は普通なのだが、鉄とオイルの匂いの中メルクリウスと飲むソーダはやけに美味しくて、一瞬だけ酔った様なふわっとした気持ちになった。
適当に雑談をしながら時間を過ごしていると唐突に外から爆音が鳴り響き、同時に激しい喝采の様な歓声が響き渡る。
それにクロスはびくっと体を震わし驚きを顕わにした。
「な、何事!?」
「ん? ああ。そろそろか」
そう、メルクリウスが呟いた瞬間ガラガラとこの倉庫の扉が開かれた。
「本戦が始まるぞ。あんたの予選順位は……三位だったか。なら早く並んでくれ。前の奴が並ばないと後が困るからな。良いレース、期待してるぞ」
恰幅の良い作業着の鬼が手元の紙を見ながらそう言葉にすると、メルクリウスは立ち上がった。
「それじゃあご主人、行ってくるぞ。吉報を……いや、それはどうでも良いか。そちらの吉報を期待している」
そう言葉にし、メルクリウスはバイクを手で押しながら倉庫の外に向かって行った。
「途中まで見送るよ」
横に立つクロスを見てメルクリウスは微笑み頷いた。
歓声が響く中央、レース会場にメルクリウスを送り届けてからおよそ十分。
拡声の魔法を使ってであろう声がこの辺り一面に轟いた。
『あーあー。聞こえるか野郎共!? 予選は見たか!? 興奮は覚えてるか!? 覚えていたら全部まるっと忘れてしまえ! これから始まる本選はそんなもんじゃねーからな!』
陽気で甲高い男の声。
その声は心から楽し気で、期待に溢れていて、だからこそ、観客のテンションも跳ね上がり歓声がより一層けたたましく変化した。
『オーライ! ボルテージ上げていこーぜ! さっそく選手紹介だ! 順番は予選レコード順。つまり優勝候補順という事になるな! まず最初! 第一レーサーグラノス! ご存知狐目のグラノスだ! なに? ご存知ない? だったら紹介しよう。っつっても一言で済む。前回前々回のチャンピオン。波に乗ってるという言葉なんて甘い程のどでかく強い男だ! 乗ってるバイクは魔力保有Aプラスという文句なしのトップクラスマシン。王者の走りを見たければこいつを目で追い続けな!」
その言葉の直後、誰が合図をしたわけでもないのに観客は歓声を止め世界を静寂へと変える。
それと同時に、キィィィと甲高い吸気音の様な魔導バイクの唸る音が響き、再度歓声に包まれる。
『ご存知静寂! 故にロスがない! つまり無駄がない分だけ速い。わかりやすすぎる一種の答えだな! レーサーとして一流、マシンも一流、メカニックとしてまで一流それが狐目のグラノスだ! さあそれに続くのは……』
クロスは適当に聞き流し、レース会場から離れ近場にある大きな建物を目指し歩き出した。
「楽しそうだな本当。次の機会があれば是非観戦したいもんだ。……ああ、メルクリウスの応援したかったなぁ。とは言え……そうもいかないんだけどなぁ……はぁ」
そうぼやきながらクロスはその建物の中に入って行く。
その大きな建物はこのレース場におけるメインの建造物で、レースに関わる大体の事がここで行われる。
例えばレースの受付や部品の売買、果てにはメカニックやバイクの紹介等。
その為常に一般開放されている。
そんな普段は入り口まで客で溢れ騒がしいその建物だが、今はほとんどが出払いレースの観戦にいっている。
残っているのはぶすくれた顔で溜息を吐く、仕事を抜けそびれた一部の受付位だろう。
『さて第三レーサーはまさかの番狂わせ! 初出場で初本選というさいっこうに生意気なルーキーだ! 登録ネームはメイドさんなんて舐めた名前だが、こいつは正真正銘ガチのメイドさんだぜ? それもあのアウラフィール様お膝元の魔王城なんていうな! 魔王様のメイドとやらはどうもレースすら一流らしいぞ! そしてもっとやばいのはその乗るバイクの方だ! なんと魔力保有Gマイナス! 悪い意味で測定不能! 当然、このレースでは前代未聞となる。にもかかわらず! 予選突破記録は第三位! コースレコードは二分一秒という二分の壁に阻まれたものの超好成績! 普段なら一位であってもおかしくない記録だ。美女とメイドと台風の目が見たい奴はこいつから目を離すな!』
その直後、三度目の静寂が広がる。
そこに鳴り渡るのは、暴虐と暴力の音。
鋼鉄を引き裂く様な、つんざくノイズ。
前者二台のバイクとはまるで別物。
まさしく騒音、まさしく野獣の咆哮。
そんな音が空気を震わせ、世界に己が傷跡を刻み込んだ。
『お、おおー! グラノスとは真逆! さいっこうにテンションが上がる凄まじい轟音! その音はまさしく吼え叫ぶ野獣の如し! 美女と野獣なんてチームでの、一体感あるその走り、この俺ですら期待しちゃうね! さあ次は……』
後ろ髪引かれる気持ちを抑え、クロスは静かに建物の奥に進んでいく。
そして周囲に気配を感じない辺りで当たり前の様に、スタッフオンリーと書かれた通路に自然な様子で入っていった。
ありがとうございました。




