奇跡なんて言葉では言い表せない程の特別な子(後編)
アマリリスがその仕事をしていたのは今から二十年以上も前の事だった。
その時アマリリスは別の名前を名乗っていたのだが、それがどんな名前だったのかアマリリスは覚えていない。
記憶喪失とか、辛い過去を封印とか、そういう重く深い話ではない。
メメント、エルミナ、タキナ、ガール、キリ、リルリア……。
アマリリスは幾度も呼ばれる名前を変えて来た為、どれをどの時に名乗ったのか全く覚えていない。
そんな幾つもの名前を使い分ける仕事、軍部の諜報活動にアマリリスは関わっていた。
どうしてそんな場所に勤めていたかと言えば、アマリリスの少々特異な生まれに関わってくる。
アマリリスは獣人の中で戦闘力が比較的高めな『ワーウルフ』と獣人とは少々異なるが魔物全体でも上位に位置する程の肉体的強さを誇る『ライカンスロープ』との間に出来た子供である。
異なる種族ながらどちらも狼の要素が強く、またライカンスロープは当然、ワーウルフの中でも特異種であるなんて、なかなか生まれない同時の子供である為、親族両親等、皆が生まれて来るアマリリスに強い期待を抱いた。
一体どれくらい強い子供が生まれるのだろうかという期待を。
結論で言えば、その期待は裏切られる事となるのだが。
ワーウルフ全体で見たらまあ強い方で、ライカンスロープの強さを全く引き継がなかった。
子供の頃のアマリリスはその程度の強さしか持っていない、凡庸な獣人でしかなかった。
とは言え、アマリリスはそれが理由で不幸になったという事は決してない。
確かに強くなると期待した為周囲は大いに落胆した。
だけど、それでも大切な子である事は何も変わらない。
それ位両親親族がマトモだった事こそが、アマリリス最大の幸運だった。
予定みたいに強くはなれなかったけれど、アマリリスは両親に愛され真っ当に幸せに生きて来られた。
そんな生涯を送っていたある日の事――本当に唐突に、アマリリスに特別な力が宿った。
望んでいた強さではないが、それは間違いなく特別な力だった。
おそらくワーウルフとライカンスロープ両方の特徴を持ったが故だろう。
アマリリスは、完璧なる狼に変異出来る様になっていた。
姿形だけならちょいと魔法を使えばどんな魔物でも化けられるのだが、アマリリスの場合はそういった誤魔化しとはまるで異なる。
というよりも、ただの変化とはまるで別物である。
姿形から中身まで完璧に化けられ、魔法を解除されてもその姿のままで、その上魔力判定にすらひっかからずただの狼と判断される。
予定とは異なるのだが、アマリリスはそんな特殊な力を手に入れる事が出来た。
両親に愛され、期待されていた事を知っているアマリリスはこの力を使い両親に恩返ししたいと考え……そして考えた結果――軍諜報部に足を踏み入れた。
それ以上にこの力を有用に扱う方法はないと考えたからだ。
そしてこの時も、この力を使って人間界に侵入し情報収集を行っていた。
任務の内容は経済状況を考慮にいれた周辺地区の情報収集とその調整。
任務を拒否するつもりは決してないのだが……この任務はアマリリスにとってあまり好ましい物ではなかった。
こんな回りくどい事しなくても自分が軍事拠点に侵入し崩壊させるなり上層部の首を落とすなりした方がよほど早く人間を滅ぼせる。
わざわざ人間の民間人の情報を仕入れ作戦を考えるなんて回りくどい事する必要ないじゃないか。
そう思っていた。
別にアマリリスが特別好戦的な訳でも人間嫌いな訳でもない。
魔物にとって人間とはそういう存在。
汚くて、野蛮で、裏切り者で、そして好戦的。
人間が魔物を色眼鏡で見る様に、魔物もまた色眼鏡で人間を見る。
ただ……文明に大きな差がある為魔物の視点は一概に全てが間違いであるとは言えないのだが……。
そんな風に不満はありながらもその不満を飲み込み、軍の一員として正しく任務に着き狼に化けて情報収集をしているある日……とんでもない存在と出会ってしまった。
魔物から言えばそれは最大の敵。
人間界にいる複数の王様よりも更に上位に位置する程重要な存在で、同時に魔物から見たら最も危険な存在。
最低最悪の最強集団。
少数精鋭で魔王国を崩壊させる力を持つ、正しく化物である処刑者達。
そんな相手が、アマリリスの調査している辺りに現われた。
何故か単独で。
アマリリスは文明的に低い事を理由に人間を過小評価する傾向にある。
そのアマリリスでさえ、その相手が現れた事に恐怖を覚え、どう対処すべきか悩んだ。
選択肢は二つあった。
相手は単独であるのだから、油断させて不意打ちで殺すという選択。
それか、今すぐ魔王の元に戻り情報を伝えどうすべきか尋ねる。
ある程度の独自裁量を持っていたからこそアマリリスはどうすべきか迷い……そして、どちらの選択肢も選べず相手の情報を集めるという選択をする事にした。
殺せそうならその時殺せば良いし、目的や行先が分かれば戻った時伝えられる情報も増える。
そう考え、アマリリスは勇気を出しその男に近づく事にした。
「ん? わんこか。すっげぇ綺麗なわんこだな。赤い綺麗な毛並みで。そんで人懐っこくて……こりゃ誰かに飼われてた奴だな。逃げ出したのかな?」
そうアマリリスが化ける狼に男は尋ねた。
「……って言っても、言葉が分かる訳ないか。どうしたんだお前? ……ああ、もしかしてついて来たいのか?」
その言葉にアマリリスがわんと一鳴きして返事をすると、男は微笑んで頷いた後、アマリリスの同行を許した。
その男が最初に向かったのは、寂れた農村だった。
見るからに着ている物もみすぼらしくて、不潔な人達がいる汚い場所。
そこで男は道案内の人間を頼んだ。
「近くの街を知っている道に詳しい人を雇いたい。誰かいないか?」
そして農村から差し出されたのは、他の村人よりは少々マシな服を着た、若い――いや、幼い少女の奴隷だった。
「ここに自由にして良い奴隷がおります。どうかお好きな様お使い下さい」
そんな言葉と共に、男に奴隷が預けられた。
そこそこに若い男に用意された、ずっとつきっきりになる幼い少女。
それにどういう意味があるかなんてのは考えるまでもなく……だからこそ、アマリリスは少女の奴隷をゲスな意図で渡す村人全員と、その意図がわかっていながらもごく普通に受け取ったその男に嫌悪を覚えた。
少女は特に何も言葉にせず、男に対して愛想笑いをした後、そっとスカートを軽く持ち上げ挨拶をする。
まるでそう媚を売るよう大人に言われた様な、どことなく色を感じる様な、そんな仕草。
それを受けたその男は、ただ微笑み少女の頭をぽんぽんと撫でた。
男と少女について行きながら、アマリリスは二人の様子を観察した。
わかっていた事ではあるが、案内とは名ばかりで少女は大した事が出来ていない。
この辺りの地理に疎い男の方がまだ道がわかる位で、下手したらあの村から外に出た事がないのではないかと思う様な状況である。
つまり、最初っからそういう、下世話な事のみが目的で少女は同行しているという事だ。
男の方を慎重に、おそるおそる観察してきたアマリリスはある事実に気が付く。
はっきり言って、その実力は拍子抜けする程度の物だった。
いや、確かにこの男は非常に強い。
並の魔物なら指ひとつで殺す位は出来るだろうし本気を出せばちょっとした将位なら正面から殺せるだろう。
当然、真っ向から戦ったならアマリリスは間違いなく敗れる。
だが、魔王が認める最重要要注意人物の一角となるほどの強さがあるとはとても思えない。
これなら四将軍の方がよほど恐ろしく強いだろう。
格上は格上だが、不意討ちで十分殺す事が出来る。
その位の力量しか、アマリリスは男に感じなかった。
逆に言えば、不意討ちが出来れば十分殺しきれる範囲程度しか実力に差がない。
そして幸いな事に、夜は間違いなく、男は少女に手を出すだろう。
そう思い、アマリリスはその暗殺のチャンスである夜になるまで待った。
少女の足に合わせてゆっくりと進み、休憩を増やし、夜になった時には山の中だった。
人気がまるでないその山奥で、薄暗い中男が最初にした事は……料理だった。
そこまで美味しそうじゃない人間の料理にしてはマシそうな、そんな料理。
アマリリスの目から見てそう見えるという事は、人間の中で言えば相当以上に上等な料理という事になるだろう。
現に少女は男が料理を始めてから終始涎を垂らしっぱらしとなっていた。
「……んー。まあこんなもんか。んじゃ食おうぜ。ああこれ、わんころにもおすそ分け」
そう言葉にし、男は作った料理の一つ、スープを冷ましてから皿に移しアマリリスの前に置く。
正直人間の作った物なんて食べたくないのだが……食べないより食べた方が警戒心が薄れるだろう。
そう思いアマリリスは嫌々その料理を口にする。
まあ食べられない事はない、なんて感想を抱きながら。
「ほい嬢ちゃんも」
男は幾つもの皿を並べ少女の前に料理を並べていく。
それを見て、少女は本日、初めてまともに口を開いた。
「きょ、今日は何か特別な日なのですか?」
「ん? なんで?」
「見た事もないご馳走が並んでますので……」
そう言葉にする少女だが、並んでいるのはパンとスープに焼いた肉程度。
別段ご馳走という程の物でもなかった。
「いや、上手く肉が手に入ったからだな。……っと、悪い。ちょっとここにいてくれ。飯、先に食ってて良いからね」
男は慌てた様子で剣を持ち、その場を離れた。
アマリリスは男が何をしにいったのかわかった……というよりも知っていた。
この辺りは『アントワーム』の巣がある。
その魔物の行動を感知し潰しに向かったのだろう。
意思なき魔物しか存在しない為、魔物から見ても同族とあまり呼べない魔物、アントワーム。
下半身は巨大なミミズの様な形状で、上半身は蟻。
獰猛で食欲旺盛、繁殖力が高い。
そして最大の長所として、魔力が薄い地であっても平然と暮らし繁殖を行う事が出来るという点がある。
本来人間が住みやすい環境というのは魔物にとって住み辛い環境となるのだが、アントワームはその限りではない。
だから人間がいる場所で直接数を増やせるという非常に強力なメリットを持っていた。
男がいなくなった後、何故か少女は食事を食べようとしなかった。
食欲がないという訳でもなさそうだし、この後の事を怯えている様にも見えない。
相変わらず涎が滝の様に流れ続けているし、その目は料理に釘付けのまま。
腹の鳴る音はもはや悲鳴の様にすらなっている。
にもかかわらず何故か料理を食べようとしないまま時間だけが過ぎてしまい……そして三十分後、男がここに戻って来た。
男が戻って来た時、少女はにこやかに微笑んだ。
「お帰りなさい! 私ちゃんと待って見張っていました!」
「ただいま。別に食べても良かったんだよ?」
その言葉に、少女は首を傾げた。
「え? でも、どこにも私の分ありませんよ?」
「いやいや、君の前に置いたのは君のだよ?」
「でも、地面に落ちていませんよ? それに綺麗なままですし」
アマリリスはその言葉の意味がわからなかった。
だが、男はその言葉の意味がわかったらしく、少女に一つ質問を投げた。
「君は前の時、どんな物を食べてたのかな?」
「え? 前の時ですか? いつも通りでした。いつもの様に、地面に落として頂いた皆様の残飯をありがたく頂きました」
そう、満面の笑みで答える少女。
アマリリスは、自分がまだ人間の醜さを、舐めていたのだと思い知らされた。
要するに、食べかけの肉の骨を地面に落とし、土で汚し、それをありがたそうに食べる奴隷を見て楽しむ様な奴に合わせて教育されたのだろう。
あまりにも醜悪で、吐き気がする。
そう教育した方も、そう教育され楽しめる馬鹿共も、そして、それを見ても未だ平然と笑っている男も、全てが、アマリリスには醜悪に映っていた。
「んー。俺さ、冷めた食事食べるの嫌なんだよね。俺の分は作り直すからさ、君、これ食べてくれない?」
男がそう言葉にすると、少女は酷く驚いた。
「え!? 全部捨てちゃうんですか?」
「うん。捨てちゃうんだ。だからもったいないから食べてくれると嬉しいんだけど」
「は、はい! 喜んで!」
そう言葉にし、少女は生まれて初めて、食べかけでない誰かの作った料理を、皿の上にある食事を食べた。
泣きながら美味しいと繰り返し呟き……そして二人分の食事を全て平らげた後、少女はその場にぱたんと倒れ寝息を立てだした。
「満腹になるまで食べたのなんて、初めてなんだろうな……」
そう呟いた後、男は少女の頭を優しく撫で、食べた皿とアマリリスに出した皿を回収し纏める。
その瞬間、ふとアマリリスと男の目があった。
「……この子さ、案内に来たの、どうしてだと思う?」
それは相談というよりも、ただ一方的に話しているだけ。
そりゃあ当然だ。
男はアマリリスをただの犬だと思っている。
一方的以外に話せる訳がなかった。
「俺の相手をさせる為だ。もちろん、性的にだ。……それが一番、この子にとって幸せな道だからだ。この意味がわかるかな? 別にこの子を捨てる為、不幸にする為に俺の元に預けたんじゃないんだ。村の人達はそんな下世話な事を考えたからではなく、心からの善意で、この子の幸せの為を願って、この子を俺の元に送り込んだんだよ」
男はつらつらと、言いたい事だけを言い重ねていった。
あの農村は酷く貧乏で、飢えて死ぬのを待つ以外に選択肢はない。
だから、若い子達を皆奴隷にした。
奴隷にした方がまだ長生き出来る可能性が残るからだ。
今回の道案内の途中、食事が出る可能性が非常に高い。
だから、村では満場一致で少女を送り込んだ。
少しでも若い子に生きて欲しいから。
若い子に、可能性を残してあげたいから。
もし、そこで男に手を出され少女が気に入られたら、少女は飢えずに生きていけるかもしれない。
そんな万が一、億が一の確率の奇跡を祈っての行動だが……それでも、このままだと間違いなく死ぬ村での生活よりは、はるかに幸せとなる。
そんな事を、クロスは犬に説明した。
「俺さ……馬鹿だからわかんないんだ。どうしてこんなにこの辺りが貧しいのか。どうしてすぐ隣は裕福なのにこんな事になってるのか。と言っても、偉い人達、国王様とか貴族様とか皆立派で、一生懸命やっていて、それでもこれがどうしようもない事だって事位、俺にもわかってるよ? だけどさ……」
男の言葉と共に、ぽたりと、小さな雫が地面を濡らす。
雨なんて、降っていないのに。
「だけどさ、馬鹿な俺でもわかる事があるんだ。……小さなガキってのは、もっと腹一杯食って、笑って、馬鹿やって親に怒られるもんだ。それが当たり前の自然の摂理だって事位は……馬鹿な俺でもわかるんだ。でも……俺、馬鹿だからどうやって、この子を救えば良いかわかんないけどな」
ぐしぐしと顔をこすった後、男は強引に笑顔を作ってみせた。
「と言っても、何とかする方法はあるんだぞ。俺は馬鹿で駄目だから何も出来ないけど、俺の仲間達は皆凄いんだ。あいつら皆、凄くて優しいからさ、きっとこの辺りを何とかしてくれる。だから、俺はこの辺りを調べてるんだ」
そう言って、男は微笑んだ。
その瞳に強い決意を込めながら。
平気な訳がなかった。
少女が不幸な事が平気な訳じゃあなくて……少女の為、ただ少女を安心させる為だけに、男は笑顔になり笑い続けていた。
その瞳の裏で涙を流しながら。
アマリリスの仕事は、この辺りの経済状況の調査である。
魔王国からの妨害工作の一環、敢えて経済格差をつける事で人間同士争わせる。
その進展具合の確認と、進展を促す事。
それが、アマリリスの任務だった。
人間を数字として見て、数を減らし、金銭の流通具合を調査し、そして的確にアントワームを配置し流通を部分的に潰していく。
貧乏の怒りが同じ人間に行くよう、流れを調整しながら。
アマリリスは人間を醜いと思っていた。
好き放題する害獣で、同族殺しが平気で、魔物を生物として見ない、愚かな存在だと思っていた。
だが違った。
確かに、人間は醜いかもしれない。
だけど、そんな人間達以上に、もっと醜い存在がここにいた。
男が救いたいと願う人達を苦しめているのは、他の誰でもなく自分。
アントワームをまき散らし、道を封鎖し、本来行くべき金の流れを隣の領地に移す計画を立て、実行したのは他の誰でもなく、自分。
少女が心から食べたいと願った温かい料理を、愛の籠った食事を、しょうがないなんて感想で、仕方なしに食べてしまったのは自分。
アマリリスという名前の、一匹の獣。
水たまりの水面に獣の姿が映った。
人を数としてしか見ず、生きている事の意味や、貧乏になる事の不幸なんて一切考えず、その手がどれほど汚れた事をしているのかすら気づかず、多くの不幸を振りまいていった……獣の姿。
水面には、世界で最も醜い獣の姿が映っていた。
醜さを知った愚かなアマリリスと異なり、その男は宣言通りこの地方を全て救った。
たった五人という少人数で、経済、軍事、流通、食料事情、驚くべき速度でかつあらゆる意味で地方を立て直し、再生させた。
ほんの一月という間で。
たったそれだけの時間で、あの農村全員が食べ物に困らず、子供がいつも笑って明日の食べ物が何なのか楽しみになれる様になったのだからそれはもうとんでもない事としか言いようがない。
男は皆優しいからと言ったが、そんな事はない。
四人全員見知らぬ誰かが死んでも一切良心の呵責に囚われない、そんな存在である。
そんな存在が心から全力で人助けをし、誰かの感謝を喜べるのは、その男のおかげ。
男の心が何よりも綺麗で、そんな男に四人が憧れたから。
男のその信念こそが、救った全ての原因である。
ただ、上手く行ったのには彼らの活躍だけでなく、もう一つ理由があった。
この辺りの経済状況を確認、報告、調整する任務を担うアマリリスが、この一月の間一切報告をせず完全に放置したからだ。
黒幕である魔物が動かなかったからこそ、その再生スピードは電撃的であった。
アマリリスは、その手を汚す勇気は、少女の様な子を作る様な作戦を実行する勇気は、もう二度と持つ事が出来なかった。
アマリリスは、生涯を通じて消せない罪を二つ抱えてしまった。
一つは、多くの人間を苦しめてしまった事。
苦しめるという事の意味や覚悟を持たず、ただデータでだけ情報を精査し一般人を多く犠牲にした。
それは、生涯を通じ人を助け続けても消せない罪、二度と消えない体にこびりついた罪だった。
そしてもう一つ……。
それは、自らの息子に父親が誰かを言う事が出来ない罪。
息子の誕生は、パルスピカが生まれた事はどんな奇跡も目じゃない位の奇跡。
奇跡という言葉すらまだ足りない程の事。
人間と魔物で子供が生まれるなんて絶対にあり得ないその絶対を、パルスピカは否定し生まれてきていた。
この事を誰にも言う訳にはいかなかった。
それは一体、誰にどう利用されるのか。
それすらもわからない程の大事だった。
先代魔王が知れば間違いなく実験体にしていただろうし、だからこそ今代であっても決して信用出来ない。
それほどに、パルスピカという存在は誰からも特別だった。
故に、それを誰にも知られる訳にはいかない。
だからアマリリスはその事を誰にも……何も知らない実の父親にすら言わず、墓まで持っていくつもりだった。
二つと言ったが、もう一つ、アマリリスには消えない罪が残っていた。
アマリリス自身はそれをあまり罪と言いたくないが、紛れもなくそれは大罪である。
自分の事を心から醜いと思い、心が弱り切ったその時……男が独り、ホテルの一室で気持ちよさそうに眠っていた。
アマリリスの目から見て、男は何よりも綺麗だった。
体とか外見とかそういう話ではない。
見知らぬ一人の少女の為に涙を流せ、その少女を助ける為に皆を助けようと願うその心。
それは今のアマリリスにとって直視するのが眩しすぎる位綺麗だった。
醜いから、綺麗なものに近寄りたいと願った。
浄化して欲しいと思った。
救われたいなんて、考えてしまった。
そんな事を考えてしまった所為だろう。
愛してはいけない相手を、愛してしまった。
それはいけない事。
わかっていても、アマリリスは我慢出来ず、寝ている男に手を出してしまった。
男が寝入っているのを良い事に、男と肌を重ねてしまった。
その瞬間だけは、アマリリスは心から幸せだった。
後で罪悪感にかられるとわかっていても、そのひと時だけは、確かにアマリリスは幸せだった。
「……もし、貴方の願いが何でも叶うとしたら、何を願う?」
行為を終えた後、そうアマリリスは気持ちよさそうに眠る男に尋ねてみた。
答えが返ってこないにも関わらず。
いやそれ以前に、起きてしまえば大事になるのが分かり切っている。
それでも、初めて触れた後の多幸感に負け、アマリリスは話しかけてしまった。
そして、本当に偶然、寝たまま男はその言葉に返事をした。
「ガキ共が……笑って暮らせる世界。それが、見たいかな」
眠ったまま、にやけ面の間抜け面で……。
そんな男の心からの願いは、アマリリスが思ったよりも尚綺麗なもので。
アマリリスは、逃げる様にその場を去った。
これ以上いると愛する事に、縋る事に我慢出来なくなるから。
離れる事に、耐えられなくなるから。
そう思い、アマリリスは男から逃げ出し――そしてそのまま、魔物の裏切り者となった。
男の最後の言葉、心からの願い。
それを叶える為、アマリリスは人間、魔物問わず苦しむ者皆を救い続けながら、その身を傷つけていった。
体がほとんど動かなくなり、集落奥地に安住するその時まで。
ありがとうございました。




