馬鹿が来るファイナル(ファイナルじゃない)
クロスが受けた傷は胸という心臓に近い位置ではあったのだが見た目程酷い傷ではなく、心臓付近どころか肋骨にすらダメージが入っていない。
文字通りただ肉を抉るだけでしかなかった。
その理由は考える間でもない。
パルスピカに、クロスを殺す覚悟がなかったからだ。
また比較的傷口が鋭利だった事もあり治療自体はそれほど難しい物ではなく、とりあえずの応急処置しか出来ない現状であっても、特に問題なく治療をする事が出来ていた。
エリーによっての簡易治療と丁寧な包帯の処置が終わった後、クロスは優しく微笑んだ。
「ありがと。悪いねこんな事させちゃって」
そんなクロスに、エリーは特に反応を示さず無表情のままだった。
「いえ。問題ありません。ですが……」
そう言葉にし、エリーは冷たい瞳でクロスを睨む様に見つめる。
ただただ冷たく、鋭く、無表情で……。
だからこそ、クロスはエリーが本当に怒っているのだと理解出来た。
「クロスさん。死ぬ気でしたね?」
「いや。別にそんな事は……」
「傷を見たらわかります」
ぴしゃりと、エリーはそう言い切った。
普通は攻撃を受ける際、体は無意識にでも防御姿勢を取ろうとする。
腕で防ぐ、後ろに下がって逸らす、筋肉に力を入れる等々……出来る事は決して少なくない。
だが、このクロスの傷からはそんな抵抗の跡が何一つ見られなかった。
それはつまり、クロスはこの時、死ぬ事すら受け入れていたという事。
だからこそ、エリーはそれが許せなかった。
「……死ぬ気だった訳じゃあない。だけどさ……一生懸命なパル見てたら……それも良いかなって……」
それはクロス最大の欠点だと言っても良いだろう。
人だった頃、常に死ぬ気で戦い続けた弊害。
それに加えて二度目の生という本来ではあり得ない状況。
生きる事を最高に楽しんではいるクロスだが……いや、だからこそ、クロスは生その物に執着していなかった。
「でしょうね。嘘を付かれなくて良かったです。ですので私も本音を――」
「うん。何でも言って」
すっと、昔みたいな冷たい目のまま、だけど怒気をはらんだまま、エリーは淡々と言葉を綴った。
「今回は見逃します。私もパル君気に入っていましたし何となくクロスさんの気持ちもわかりますから。ですが……もし次……もしも、同じ様な事をしでかそうとするならば……私はクロスさんと契約を結びます。強引に、無理やり割り込んででも」
「……どんな契約?」
「クロスさんが死んだら私も連座で死ぬ契約です」
「……それはちょっと嫌だなぁ」
「でしょうね。私も嫌です。クロスさん。私達精霊ってかーなーりー長生きなんですよ」
「うん」
「ですので、どれだけクロスさんが長生きでも……きっと私はもっと長く生きます。生きちゃうんです」
「……うん」
「だからでしょう。私はちょっとした夢……という程でもないのですが、夢見る光景があるんです。いつかクロスさんが結婚して……まあ奥さんどの位増えるかわかりませんしもしかしたら爛れた関係オンリーで奥さんいないかもしれませんけど……」
「うーん。否定出来ねぇなぁそれ」
「まあ何にしても、クロスさんにぽこぽこと子供が出来て、その子供達を私が見守るなんて……そんな光景を、私は夢見るんです。子供だけではありません。クロスさんの孫、ひ孫、いえその先もずっと……私はクロスさんの代わりに彼らを見守るんです。クロスさんの騎士として……」
「……それは……とても幸せな話だね」
エリーは優しく微笑んだ。
「ええ。私もそう思います。なので……私に死を共にする契約なんてさせないで下さい。何も残さずに、消えないで下さい。いえ、この際もう残せなくても構いません。それがクロスさんの生き方なら、それで。でも……せめて……私がいるのに死のうとしないで下さい……」
そう、エリーは真剣に懇願する様、言葉にする。
その言葉を聞き……受け止め……クロスは笑った。
「……ちょっと、どうして笑うんですか?」
エリーは拗ねた様な顔でぷくーと頬を膨らませた。
「悪い悪い。だってさ……こんな俺に生きてくれって願ってくれた。そう思うとさ……嬉しくなってきてな、つい笑ってしまった」
「私だけじゃあないですよそんなの」
「そか……。ん。わかった、もう少しやり方は考える。もうしないなんて約束は出来ないから……せめて命を賭ける時はエリーに相談する。迷惑をかけると思うが……」
「いえ。従者ですから。主が勝手に死のうとするよりは迷惑をかけて貰えた方がまだ誉れです」
「わかった。ありがとう、そしてこれからも頼むよエリー」
「ええ。貴方の騎士として、貴方のエリーとして、これからもずっと傍に――」
そう言葉にし、エリーはクロスに跪き頭を下げた。
「さて……クロスさんに言いたい事は終わりました。なので次は……」
エリーはちらっと遠くで静かに、俯きながら正座を続けているパルスピカの方を見る。
その顔は、死者の方がまだ生気がありそうな……そんな絶望的な表情をしていた。
「クロスさん、貴方が話をして下さい。クロスさんのやり方で良い……いえ、きっとクロスさんのやり方が一番良いので」
「あいよ。……そうだよな。俺が死んでたらパルはもっと傷ついてたからな。ならばこれは俺がやるべき事だ。……真面目なのは似合わないけどな」
そう言葉にし、クロスはゆっくりと傷を庇う様に立ち上がり……そして、パルスピカの方に近寄る。
パルスピカはびくっと体を震わせた後、クロスをゆっくり、泣きそうな顔で見上げた。
「クロスさん。僕は……僕は……」
クロスはパルスピカの頭をぽんぽんと撫でた。
「言いたい事もあるだろう。罪悪感もあるだろう。逃げたくもあるだろうし暴れたくもあって、そしてやり遂げたい事もあるだろう。だけど、それよりなにより……まず一つ、俺の質問に答えてくれないか?」
「……はい。何でも……。どうして僕がこういう事をしたかも……」
「いや、そういうのは後で良い大体予想付くし。それよりも、もっと大切な事が聞きたいんだ」
「……大切な……事……? 僕の今後の処遇ですか?」
「阿呆」
クロスはパルの頭をかるく人差し指で弾いた。
「パル……いや、パルスピカ・アークトゥルス。お前は俺にどうして欲しい。俺に何をして欲しい? お前の心の声を、本音を、本気を、願いを俺に聞かせてくれ」
そう言葉にし、クロスはしゃがみこみパルスピカに目線を合わせた。
パルスピカはクロスを騙し、害している。
そんな自分が何も言う権利がない事位、わかっている。
それでも……その願いを口にせずにはいられなかった。
「……お母さんを……助けて……。僕は……お母さんを死なせたくない……」
クロスはパルスピカの頭を撫でた。
「ああ。任せろ」
そう、クロスははっきりと言葉にする。
一瞬……本当に一瞬だがもし、父がいたらこんな風に優しくしてくれるのかななんて思ってしまって……だからこそ、パルスピカは自分が酷く情けなく惨めになり……同時にその言葉が信じられて肩の荷が下りて……。
パルスピカは静かに、ぼろぼろと涙を零した。
「落ち着いたか?」
クロスの言葉にパルスピカはこくりと頷いた。
「はい。ごめんなさい」
「謝らんでも良い。んじゃ、もう少し詳しい話をするんだが……先に言っておく。パルの母さんを無罪放免という事には出来ない。死なす事はないし出来る限り苦労させない様にはする。だけど何もしません全部許しますってのは無理なんだ」
「はい。わかっています。それを決めるのは魔王様ですから……」
パルスピカの言葉をエリーは否定した。
「いえ。決定権自体はクロスさんが持っているんですよ。パル君が思う以上にクロスさんの持つ権限、地位は高いですよ」
「そうなんですか?」
「うん。今回の様な状況ならアウラ様より強い権限を持ってます。更に言えばアウラ様から直々に全権預かってますし」
「それなら……」
「それでも、無罪には出来ないんです。クロスさんが罰を下さなかったらその権限がアウラ様に戻る可能性があるからです」
パルスピカが動き出すまで長い時間があったからクロスとエリーは今後についてどうすべきか話し合い、そしてそう結論が出た。
元老機関がもしパルスピカの母親を害す事が目的であるなら、アウラに獣人を害させる事が目的であるなら、クロスが無罪とした場合最悪のケースだと巻き戻しアウラが処刑を行う事になるのではないだろうか。
それがエリーの仮説であり、そしてその可能性は否定出来ない。
だから、ある程度の罰を、周囲に納得させられるだけの贖罪を、クロスは与えないといけなかった。
「……いえ。これ以上は欲張りなのはわかります。それに、僕が何かするよりきっと良くしてくれると思うので……」
「ま、出来る事はするさ。という訳で実際にパルの母さんに会って、そして出来るだけ減らした罰を俺が宣言する。それがパル母を助ける方法で、そしてそれが……旅の終わりだ」
パルスピカはその言葉に、こくりと頷いた。
「という訳でまあ大体はわかってますけどパル君の事情を話して貰えます? 出来たらモーゼ様についても含めて」
「……んー。話したいのですが……実際大した事はなくてですね……」
そう言葉にし、パルスピカは旅に向かう様になった事について話し出した。
パルスピカには母がいる。
滅多に外に出ようとしない、綺麗な赤い髪の獣人の母が。
別に家にこもるのが好きという訳ではないはずなのに、あまりにも外に出たがらない。
だから何かあるだろうとは昔から思っていた。
パルスピカは昔から子供にしてはあり得ない程、心の機微を察する能力に長けていた。
だがその反面、空気を読みすぎる気のあるパルスピカは踏み込むという事を知らなかった。
性根が内気な事に加え周りの獣人は馬鹿正直なのばかりだった為、遠慮がちな相手と接する事がほとんどなく、それ故に、自分から物事に深くかかわろうという事態になる事は滅多になかった。
だから、母親の事情も別に知らなくても構わなかった。
それが変わったのが……変わらずにいられなかったのがこの事件。
集落でその話が出た時、単純な獣人達はいつもの様にパルスピカに知恵を借りようと頼った。
『アマリリスが犯罪者で、今回処刑する為国のお偉いさんが来る事になり、そして獣人の案内を求めている』
そう、集落の仲間からパルスピカは聞く。
アマリリスは、母の名前だった。
「その後すぐモーゼ様と会って母が国家反逆者だったのだと知り、そして同時にクロスさんが処刑に向かっていると知りました。僕の知っている事はこの程度です」
そうパルスピカが言葉にすると、クロスとエリーは困った様な顔をした。
「えと……僕の説明何か悪かったですか?」
不安げなパルスピカの言葉を否定する様二体は同時に首を横に振った。
「いや。モーゼの企みがわかればと思ったのだが……予想通りというか何と言うか……なーんも見えてこないなぁと思ってな」
クロスはそう言葉にした。
パルスピカの事情なんてのは割と早い内から分っていた。
子供が一生懸命になって何かを守りたいなんていう対象はそう多くないからだ。
むしろ知りたかったのはパルスピカの方ではなく、黒幕であるはずのモーゼの方だったのだが……予想通り、モーゼはパルスピカに何も伝えておらず、どう利用していたか匂わす様な事すらしていなかった。
「ん? ちょっと待ってパル君。モーゼ様にはパル君から接触したんじゃなくってモーゼ様の方からだった?」
「え、あ、はい。正しく言えば僕がその案内となる様王都に向かっている所に何故かモーゼ様からの呼び出しがかかりまして……それでモーゼ様の方から道に詳しいなら案内をしてもらえないかと言われ……」
エリーは少し考え込む様な仕草をする。
だが、すぐに苦笑いを浮かべ溜息を吐いた。
「情報が少なすぎてわかりませんね。まあここまで来ればもう気にせずクロスさんのしたい様にしてください」
「おう。悪いがそうするわ。パルの母さん見殺しにするのは目覚めが悪すぎる」
そう言ってクロスは微笑みパルスピカの頭を撫でた。
「……獣人の方の耳って、何故か撫でたくなりますよね」
エリーの言葉にクロスは心の底から同意出来た。
パルスピカが腹の物を吐き出し気が楽になったからか、それともこれが三体での自然な形だからか、ギクシャクした空気はなくなりあっという間に元の楽しい三体での旅に戻った。
しいて変わった事と言えば、昼間の稽古がクロスではなくエリーが受け持つ様になった事。
クロスはそれにつまらなさそうな様にしているが、クロスを害し傷つけてしまったパルスピカとクロスの怪我が心配なエリー、どちらもクロスに休んで欲しいと願っている以上どうする事も出来ず、どこか弟子を取られた様な小さなジェラシーを抱えながらクロスは独りつまんなそうに二体の訓練を見るだけとなってしまった。
それ位で、後は元と同じ楽しい旅だった。
そんな移動中、ぽつりとクロスは呟いた。
「やっぱりさ、あの通りにくい道を通ってたのってわざとだったんだな」
歩きやすく視界も開けた場所を移動しながらのクロスの言葉にパルスピカは頷いた。
「はい。少しでも道が悪い場所を選んでいました」
「だよなー。流石に山あり谷ありで酷すぎたもんな。全然進めなかったし。他にも色々やったんだろ? どんな方法で妨害したんだ?」
「……説明するのは良いんですけど……どうしてクロスさん楽しそうなんですか?」
「いや。悪戯を見つけた子供みたいな心境? 俺にも良くわからんが何か楽しくない?」
そんな自分よりも幼い子供みたいな顔で楽しむクロスに微笑み、パルスピカはやってきた妨害工作を説明をしようとするその瞬間――。
「待ちやがれ!」
そんな叫び声で、パルスピカの言葉は上書きされた。
三度目になると、流石にその声で誰かわかる様になった。
「久しぶりだなタイガー。元気してたかタイガー」
そう言ってクロスは楽しそうにケラケラ笑いながら話しかけた。
盗賊として現れたであろう相手であっても、何故か変に親しみが持てる。
だからだろう、クロスは彼らの登場を喜んでいた。
ただ……タイガー達の様子は今までとは明らかに異なりクロスの軽口に対し何の返事にしていない。
総勢十二体に増えたその集団はタイガーを筆頭に酷く真剣な様子をしており、そして同時に殺気立っていた。
「今回ばかりは俺もマジで行く。ああ……きっと俺達が束になってもあんたにゃ勝てないだろうよ。んな事はわかってるさ。だけど……それでも……俺達は命を捨ててでもやらないといけない事があるんだよ!」
そう、タイガーは吼える。
それは文字通り、決死の覚悟。
クロスの時の様に生きるのを諦めたのとは全く異なる、命を燃やし尽くしてでも使命を果たそうとする男の姿。
それこそ、実力が異なるはずなのにクロスが無意識に戦闘形態となる程には、彼らの意志と覚悟か力強く輝いていて……。
「……何があったかは聞かない。それは後で――」
そう言葉にし、クロスは剣を抜いて――。
「あ、皆さんもう良いですよ戦わなくて」
パルスピカは両者の間に立ちそう言葉にした。
クロスもタイガーも、きょとんとした間抜け面となりパルスピカに目を向けた。
「えと、ご紹介します。彼ら、僕の集落の方々です」
「……ん? ああ……そりゃ納得出来るわ。色々」
クロスはその言葉だけで、本当に色々と納得してしまった。
頭が悪くて、馬鹿正直で良い奴達の集まり。
この場で足を止め、本気で戦おうとしているその姿。
タイガー達のその姿は、以前パルスピカから聞いた集落の仲間達の説明そのままだった。
「ど、どういう事だ!? もう良いって。一体何が……」
おろおろとするタイガーと、その後ろにいる十一体の獣人達。
「俺は殺すつもりないって事だよ。パルの母さんを殺せる訳ない。ただそんだけ」
そう言ってクロスはパルスピカの頭を撫で回す。
「えへへー。そうです。もう……皆で無理しなくても良いんですよ」
頭を撫でられ嬉しそうな顔をするパルスピカの所為か、集落の仲間達はさっきまでの殺気はどこに行ったのか、毒気が抜かれた様な間抜け面のまま、茫然と立ちつくしていた。
ありがとうございました。




