愛の為に
魔物は生態によって成熟する速度はまちまちである。
リッチ等アンデッドでかつ魔法が得意な場合は非常に早く、生まれてすぐ成熟期を迎える事も決して珍しくない。
では獣人はどうなのかと言えば……一概に答えを出す事は出来ない。
獣人と一括りにしているが獣人は種族ではなく獣と人の特徴が両立した魔物に対しての総称であり、それぞれワーウルフやワーラビット、ライカンスロープ等ちゃんとした種族を持っている。
何なら獣人の特徴さえあれば雑種ですら獣人と呼称される。
その為成熟期の速度も種族ごとに異なってくる。
更に言えば、獣人と呼称される種族群は同じ種族であっても成長する速度にムラがあり全く異なる。
獣が混ざっている所為か非常に早熟な個体もいれば、逆に晩成な個体もいる。
と言っても、獣人全体で見れば人と比べ早く成熟する個体が大半であるのは事実だが。
そういう意味で言えば、パルスピカ・アークトゥルスはその獣人達の中でも遅い個体と言っても良いだろう。
パルスピカは自分の年を、誕生日を知らず、また同時に自分の種族すら知らない。
そんな生まれた時すら知らないパルスピカは人であるなら既に成人しているだけの時間を生きた記憶を持っている。
それでも、パルスピカはまだ子供であった。
身体だけではない。
精神的に、幼いのだ。
知性で言えば、パルスピカは相当に高い。
いや、パルスピカが高いというよりはパルスピカの暮らしている集落の平均知能が限りなく低いといった方が正しい。
粗雑で大雑把な獣人が多い集落。
そこで生まれ暮らしているはずだがパルスピカは逆に細かい性格で頭を使う事の方が得意で、だからパルスピカは集落でも頼りにされてきた。
だけど、子供である事には変わらなかった。
パルスピカは自分の種族も知らないが、大体のめぼしは付いている。
大雑把な母親がいきずりの相手と楽しんだ結果生まれたのだからまあ雑種と考えた方が正しい。
ついでに言えばこの狐の様な兎の様な、ぴんとたった耳は母親と異なる物である。
十中八九父親から継いだ物だろう。
パルスピカの集落での扱いは非常に良い。
どこの誰が父親かわからない事なんて細かい事気にする事もなく、幼い癖に頭が良い事を生意気と言われる事もなく……というか、そんな細かい事気にする知能を持った者が存在していなかった。
故に、パルスピカは集落で一番の知恵者として扱われた。
別にそこまで頭が良い訳でもないのだが……その集落の平均知能レベルは獣人から見ても低かった為仕方がなかった。
とは言え、それが嫌な訳ではない。
大切にしてくれる獣人達、自分の能力を生かす度に褒められる環境。
それを嫌と呼ぶ程パルスピカは穿った生き方をしていない。
そんなある時、パルスピカの元に独りの獣人が現れた。
クルスト元老機関と呼ばれる、魔王を補佐する為魔王と同等の権力を持つ機関。
そこの最高権力者の一体。
獣人で最も頭の良いと言われる存在。
その獣人は、パルスピカと同じ様な耳をしていた――。
「んじゃ、パル君は自分の父親を知らないんですか?」
エリーの言葉にパルスピカは頷いた。
「そうなんですよ一晩だけの関係だったそうなので。あ、でも僕気にはしてませんよ。そういう方多いですから。僕のいた辺りでは……近所の方が異母兄弟だったとか異父兄弟だったとかそういう事もざらでしたし」
「ふ、ふーん……」
ちょっと想像出来ないエリーはそう言葉にする事しか出来ない。
逆にクロスはそれを聞いてケラケラ笑った。
「獣と人の特徴がしっかり出てんなぁ本当。そんで、パルはそういう事する相手はいないのか?」
「僕まだ子供ですよ?」
「子供でもやらかす奴いるだろ? 獣と人の特徴が混じってるならさ」
「……良くわかりますね」
「昔人だったからな」
「なるほど。という訳で父親の事はこの辺りに住んでいないという事位しかわかりません。あ、もう一つ分かっている事がありました」
にぱーと笑いながらのパルスピカの言葉にクロスは微笑んだ。
「どんな事?」
「はい。お父さんがきっと良い方って事ですね」
「ふむ……一晩の関係だったんだろ? それでどうして?」
「だって、お母さんはお父さんの事話す時とても嬉しそうですから。たった一度しか会ってなくて、ちょっとすれ違っただけなのに嬉しそうなんですから」
「……そか。パルは母さんの事が好きなんだな」
パルスピカは今まで見せた事もない程の満面の笑みで頷く。
それを見たエリーは溶けた様なだらしない顔でパルスピカをぎゅーっと抱きしめた。
「っと、どうやら次の村らしいな。……いや、村というか町かな」
そうクロスは呟き山の向こうに見える都市を見る。
石垣の防壁に囲まれた軍事施設にも似た少々大きな都市。
今まで幾つかの獣人の集落を見て来たが、その中でもひときわ大きく、そして物騒だった。
「あー……。あそこは……もしかしたらクロスさんとエリーさんを受け入れられないかもしれません……その……排他的な方の可能性が……」
「ふむ……じゃあスルーするか?」
「いえ。僕だけで行って来ます。食料とか欲しいですし」
「……大丈夫か?」
不安げなクロスの言葉にパルスピカは頷いた。
「はい。この辺りの獣人は同族意識が強いので。じゃあ行って来ますのでこの辺りで待っていて下さいね」
そう言葉にし、パルスピカは飛び出しその集落に向かって行った。
「まだ結構距離あるのに……」
エリーはぽつりとそう呟く。
それが、変な事だと考える間でもなく明確な事だった。
もう少し近づいてからでも遅くはないのに三キロ程は離れた状態での唐突な別行動。
そもそも、パルスピカは三体の中で体力が一番少ない。
そして、今日はまだ一度も休憩を挟んでいなかった。
なのに、三キロ以上を飛び出し走り抜けるだけの体力を持っている。
どうやら体力がないというのはブラフだったらしい。
「ま、色々と余裕がないんだろう。多少のボロは許してやってくれ」
クロスは苦笑いを浮かべそう呟いた。
「余裕がないって?」
「たぶんだけど、近いんだろうさ、目的地に。だからどうしようか考えているんだと思う」
「……パル君の目的はわかりますけど……その目的を達成する為にどうするつもりなんだろう」
パルスピカの目的は、クロスと今回のターゲット、獣人の女性と出会う事の阻止だろう。
だが、その結果をもたらす手段が見えてこない。
今のところ行っているのは遅延工作のみである。
「だから余裕がないんだろう。具体的な方法が遅延以外に思いつかないから。子供だけで魔王名代の作戦を阻止なんて不可能ミッション俺ならやる前から諦めるわ」
「……では元老議員は一体どの様な目的でパル君を付けたのでしょう……」
「さあな。前も言ったがそれは考えない様にしている。案外パルの情にほだされてだったりしてな。獣人って身内に甘いんだろ?」
その言葉にエリーは鼻で笑った。
「まさか。元老機関がそんな甘い事を許す場所だったらアウラ様がとっとと飲み込んでいますよ」
「だよな。……ま、考えてもわからんしもうちょっとパルに付き合おう。あいつとの旅は悪くないんだわ。ついでに盗賊狩りも出来てるし」
「それで良いんです?」
「良いんだよ。それで」
エリーはくすりと微笑んだ。
「やっぱり……パル君には甘いですねぇ。パル君実は女の子だったりしません?」
「俺にゃ男にしか見えないんだけどねぇ」
「えー。あんな可愛いのに……」
そう言った後、エリーは遠くに見える集落の方を見る。
そこでは門番に止められる事なく中に入るパルの姿があった。
パルが戻ってきてから、また三体での旅が始まった。
目的があやふやで、ただパルスピカと一緒にいたいだけの旅。
一緒に暮らし、訓練し、勉強し、楽しく進む旅。
だけど、その旅も終わりが近づいていた。
クロスやエリーはもうしばらく……一年位なら付き合おうと考えていた。
アウラやモーゼの意図が読めない以上好き放題すると決め、そして二体の目的はパルスピカと一緒にいて絆を結ぶ事だった為、時間は気にしなかった。
いや、むしろずっと一緒にいる事こそが目的となっていた部分さえあった。
クロスもエリーも、その位パルスピカとの旅が面白かった。
終わりを決めた理由は、結局のところそれ。
楽しい旅が楽しくなくなったからだ。
パルスピカに余裕がなくなり、挙動不審になる頻度が増え……そして、一切笑わなくなった。
クロスもエリーも、文句の付け所がない位にパルスピカの事が気に入っている。
どうしてかと言われたら難しい。
エリーは素直な良い子で可愛いからとはっきり言うだろうが、クロスは少々異なる。
子供は好きだが性格とか外見とかではなく、かといって波長が合う訳でもない。
強いて言うなら、好きだから好き。
理由とかそういう物がなく、クロスはパルスピカの事が気に入っていた。
だからそんなパルスピカが辛そうにしているから、クロス達はそろそろ……幕引きの時だと考えた。
「……大分長くなってしまったなぁ……どの位経ったかな?」
クロスがそう呟くと、パルスピカは申し訳なさそうに頭を下げた。
「ごめんなさい。僕の道案内が下手だから……」
「ああいや、そういう事じゃあないんだ。気にしないでくれ。エリー。どの位経った?」
「合わせて二月は越えてますねー。もう少し早く切り上げるつもりだったんですが……ついだらだらと伸ばしてしまいましたねぇ」
エリーはそう、しみじみと答える。
パルスピカはその意味がわからず首を傾げた。
「そうだなぁ。とは言え、居心地よかったから仕方ないよなぁ。すまんなエリー付き合わせて」
「いえいえ。主の望みは我が望みですから。……いや本当に私も惜しいという気持ちもクロスさんが先延ばしにしている気持ちも痛い程わかりますから。……なので、私が終わらせましょうか?」
そう、クロスの気持ちがエリーには良くわかっている。
本当にパルスピカの事が好きで……この旅を終わらせたくなかった。
パルスピカが楽しそうにしていたら、もしかしたらずっと旅をしていたんじゃないかと思う位に……。
言い辛いに決まっている。
終わりたくないに、決まっている。
それでも、クロスはエリーの気遣いを受け入れなかった。
「一応かもしれないが、俺はエリーの主だろ? 出来ない事は任せるが、出来るのに辛い事を押し付ける様な主にはなりたくないんだ」
エリーは決意を込めたクロスの言葉を聞き、首を縦に動かした。
「あの……クロスさん、エリーさん。一体何の事を言っているんですか?」
きょとんとして、不安そうな顔のパルスピカ。
その顔を見て、クロスは後頭部を掻き、バツの悪そうな顔で一言……呟いた。
「なあパル。今回のターゲットてさ、パルの母親だろ?」
楽しかった旅が、親しくしていた時間がこの瞬間幕引きされた。
血の気が引いた。
全身の毛が逆立った。
怒りとも違う暴力的な感情が全身を支配した。
パルスピカの中にあった獣が、母を守りたいと願った感情が獣性となり牙を剥く。
ショートソードを抜き放ち、パルスピカはクロスに向け、全力で振り抜いた。
それをクロスは特に構えも取らず、一歩避け軽々と回避した。
当たる訳がない。
誰がパルスピカに戦い方を教えたのか考えたら当たり前である。
だけど、それでもパルスピカには他に選択肢がなかった。
クロスから教わった戦い方を、クロスに向ける事しかパルスピカに選択肢はなかった。
パルスピカは何度も剣を振った。
魂に火を付け、心を燃やし、己の全力を……いや、全力以上の物を出し剣を振り続ける。
それがわかるから、守る物の為に戦っているとわかるからクロスはパルスピカに攻撃が出来なかった。
「イグナイト!」
パルスピカが叫び声をあげると、左腕に焔が宿る。
そして焔は剣の形へと変化した。
ショートソード二刀流。
クロスがパルスピカに向いていると考えた構えだった。
防御を考えない、攻撃に全てを裂いた魂の斬撃。
それでも……クロスにはまるで届かない。
命を賭けた回数も、何かを守り抜いた回数も、守りきれなかった回数も……その全てが誰よりも多いクロス相手に、限界以上を出したところで届くわけがなかった。
そんな事、パルスピカもわかっている。
届かない事位、わかりきっている。
わかっていても、他に出来る事はなかった。
五分程だろうか。
パルスピカが全力で剣を振り続け、クロスがただそれを避け続け……。
そんなある時、ぷちっといった音が響く。
それは焔の剣のリスクか、限界を超えている反動か、それとも我武者羅に動いた所為か。
パルスピカの左腕から、鮮血が零れ落ちていた。
「パル。無理するな!」
「嫌だ! 僕は負けられないんだ! 絶対……絶対に!」
そして、先程よりも更に限界を超え、パルスピカは疾走する。
もはやクロスよりもその動きは速く目で捉える事すら難しい。
限界を幾度と越え、自分の力以上の物を手繰り寄せ。
身体能力だけなら一流と呼ばれる域にパルスピカは到達していた。
だが……。
「馬鹿が……」
クロスはそう呟き、練習用の木剣を抜く。
そしてクロスとパルスピカが交差し――。
からんからんと音を立て、剣が二本、地面に落ちる。
一本は鋼のショートソード、一本は焔の剣。
焔の剣はパルスピカの手を離れてしばらくすると、煙となり姿を消した。
「どう……して……」
茫然とした様子で、パルスピカはそう呟く。
木剣相手に、しかも自分より遅い相手にこうなるなんて考えてもいなかった。
クロスは困った顔をした。
「経験の差……なんてのは最初からわかっているな。じゃあ……心の差だ」
「心……僕は……絶対守りたいと……」
「絶対に負けないなんて言葉にした段階でな、お前は負けてるんだよ」
「なんで……だって……負けたら……」
「本当に負けられない時はな……絶対に勝つって思わないとダメなんだよ」
そう。
負けないではなく、勝たないといけなかった。
じゃあどうして勝つと思えなかったのか。
相手が強すぎたから。
相手が悪すぎたから。
不利過ぎたから。
そうではなく……パルスピカもまたクロスの事が……この旅が……。
「う……うわぁあああああああああ!」
叫び声をあげ、パルスピカはクロスに襲い掛かる。
武器もなく、心も折れかけ、戦う意義も見失い……。
それでも、守りたい者がいると心を振るい称え、魂に火を灯し、その爪を振るった。
一度もクロスに見せていない、パルスピカの切り札。
戦うその時だけパルスピカは爪を伸ばし武器とする事が出来る。
パルスピカにとって最後の心の支え、拠り所、共に戦う最後の相棒。
パルスピカに残された、最期の一つ。
その爪ですらも……クロスは容易く躱した。
クロスは人だった時、命を賭けて強くなり続けた。
仲間の足を引っ張らない様、共にいる為。
誰よりも努力をし、限界点を伸ばし続けた。
そんな天才ではなく経験により上り詰めたクロスは……格下相手には残酷なまでに強かった。
躱す、躱す、躱す。
特に苦労もなく、軽いステップで全ての攻撃を回避出来る。
それに加えてパルスピカの方はどんどん攻撃が鈍化していく。
体力の限界、特に左腕は悲鳴を上げている。
それでもパルスピカは、己の体が傷つく事も厭わず爪を振るい続けた。
それしか、パルスピカには残されてはいない。
だからだろう。
この結果は、最初から決まっていた。
振りかざされる凶爪。
それを前に――クロスはその足を止めた。
パルスピカの手に、空を切っていた今までと違う嫌な手応えが伝わる。
肉を刺し、抉り切る、そんな手応えが。
「クロスさん!?」
予想していなかった結果に、エリーは叫び声をあげた。
「あ……あ……」
望んだ結果だった、そうするつもりだった。
だが、実際そうなるなんて事考えていなかったのか、パルスピカは地面に膝をついた。
そんな二体に見守られる中、クロスはばたんと地面に倒れる。
その胸には鋭い四つの爪痕が刻まれ赤く染まっていた。
「はは……。まあ……こうなるわなぁ……」
「どうして……何で……足を止めたんですかクロスさん!?」
パルスピカの悲鳴にも似た叫び声。
それに、クロスは満足げに微笑んだ。
「足がもつれたんだよ」
「そんな嘘つかないで下さい! どうして……なんで……」
「何でって……そりゃさ……俺がさ、お前に攻撃出来る訳ないだろ。だったら……こうしないと終わらない。お前が自分の体を傷つけ続けるだろ? だからさぁパル……お前の粘り勝ちだ」
「そんな……そんな意味の解らない事を……」
「わからないか……はは。……お前の為ならさ、死んでも良いって思ったんだよ」
それはクロスの心からの本音であり……だからこそパルスピカの心か今度こそ本当に心がへし折れ、声を振るわせ蹲り長い時間慟哭し続けた。
ありがとうございました。




