ゆるすぎる快適な旅
ぶん……ぶん……ぶん……。
と、同じリズムで風切り音が鳴る。
静かで、だけど力強くて……。
そんな音だけが流れる昼間の時間。
「……ここまで! 計三十回の素振り。どうだった?」
クロスは試す様な顔で素振りをしたパルスピカにそう尋ねた。
「どうと言われましても……正直余裕過ぎて……。だって木製の練習剣で……しかもショートソード位の短い剣ですよ。その上たったの三十回。疲れる方が難しいです」
そう言葉にするパルスピカは一切の汗を掻かず、余裕過ぎて困惑するような表情を浮かべていた。
「なんだ。わかっているじゃないか」
「へ? わかっているって?」
「疲れる方が難しい。その通りだ。逆に言えばな、ちゃんと剣を振れたらパルの体力なら三十回でも十分に疲れるはずなんだよ。じゃあどうして疲れていないと思う? パルが俺の思ったよりも強いからか?」
パルスピカは首を横に振った。
「……僕が、ちゃんと剣を振れていないからですか?」
クロスはにこりと微笑み、パルスピカから練習用の木剣を受け取って両手で強く握りしめ、構えを取る。
特に何の変哲もない、実戦では使わない様な単調でまっすぐ過ぎる構え。
その構えのままクロスはゆっくり剣を振り上げ、その場で振り下ろした。
ひゅごっ。
パルスピカが振っていた物と同じ剣とは思えない程の力強い風切り音。
それと同時に、五メートル位は離れているパルスピカの顔に髪が吹き乱れる程の強風が襲い掛かる。
魔法の力でも、筋肉の力でもない、純粋な剣技のみで巻き起こされる風。
それを行ったクロスの額には、一滴の汗が滴っていた。
「と、まあちゃんと振れたら一度でも結構疲れる。つか一振りにどれだけの物を込められるかが訓練の重要なポイントだ」
「なるほど。わかりました!」
パルスピカは尊敬の眼差しでそう元気良く返事をした。
「それとクロスさん。一つ尋ねても良いですか?」
「おう。何だ?」
「クロスさんは僕の最終的な戦闘スタイルは片手剣プラスアルファになると考えてるって言ってましたね」
「ああ。言ったな」
最初模擬戦形式でパルスピカの動きを見た時、クロスはパルスピカにそう提案した。
未成熟である為絶対とは言えないが、クロスはパルスピカの現在の性能を計算し将来的にどうなるか想像してみた。
人より優れているとは言え魔物全体では相当控えめな筋力。
その分俊敏さは非常に優れており、特に後方に離脱する速度は今の段階でも十分凄いと言って良い程。
その上で、パルスピカは獣人にしては珍しく手先が非常に器用である。
器用さか俊敏さか、どちらかが優れているの獣人は多いが両方が優れている獣人は少々珍しい。
だからだろう。
パルスピカは肉体全体を使うのが非常に上手く、クロスは素振りが甘いと言葉にしているが初めて素振りをしたとは思えない程度には既に上達している。
少なからず自分のスタイルが確立できるだろうと確信する程度には、パルスピカは才能に満ちていた。
とは言え、欠点がない訳ではない。
もしパルスピカの性能が人間であるなら、恐ろしく優れた存在と言っても良い。
だが、魔物として考えるならパルスピカの性能は優れているとは言え器用貧乏の域を脱していない。
それは、人間であった時のクロスと同様である。
ただ、全部が優れていた代わりに全部が物足りなかったクロスとは異なり、パルスピカは筋力と背丈が乏しいという明確な欠点がある。
逆に言えば、その欠点を長所としてとらえたらどうスタイルを組めば良いのかわかりやすい。
純然たる器用貧乏なクロスよりははるかにマシだった。
クロスがパルスピカに向いていると考えた戦い方は二点。
一点目は片手剣と盾というオーソドックスな守備型。
背丈や耐久を器用さで補いつつ格上にも格下にも対応出来る器用貧乏を更に極めた形。
一体でならともかく複数人でのパーティーでならこういったいぶし銀の様な粘り強いタイプは意外な程有用である。
二点目は片手剣の二刀流、または片手剣と短剣という高速機動型。
足に優れ器用さに優れた事を最大限に生かし単独戦闘能力を伸ばした形。
同等の実力であるなら二刀流は一刀流に敵わないのがセオリーなのだが……パルスピカの場合筋力が足りず器用と俊敏が高いという特徴から二刀流の方が伸びが良いとクロスは考えた。
もちろんこれ以外にも選択肢はあるしより向いた武器が見つかるなら剣を捨てても構わない。
ただ、剣を使うのならこのスタイルが良いだろうとクロスはパルスピカに提案し、パルスピカはそれに同意した。
「僕、基本的に片手で剣を振るスタイルになるのに両手で訓練するんですか?」
そう、パルスピカは両手での素振りしか習っていない為尋ねた。
「それには非常に簡単な答えがある。それはな……両手で出来ない事は片手でも出来ない。そうだろ?」
「なるほど……確かに考えたら簡単な話でしたね」
「おう。という事でその事を踏まえつつ、今度はふくらはぎと肩付近の腕を意識して素振りをしてみろ」
「はい!」
パルスピカはワクワクが抑えきれないというような表情で、ぎゅっと木剣を握りしめた。
城下町を離れてから二週間、クロス達は二つの行事だけは欠かさず行う様になっていた。
一つは昼食前のパルスピカの訓練。
短い時間でも毎日する事が重要な為、決まった時間を取りやすい昼食前の時間と決まった。
そしてもう一つは夜に行う事……。
クロスは生まれてまだ一年経過しておらず、そして魔王国の義務教育は最低でも一年。
つまり、クロスはまだ教育を受ける義務が生じていた。
その為、クロスは毎晩エリーに魔物社会的日常を中心に勉強を教わっていた。
エリーは知識こそ持っているが教師としての適性そのものはあまり高くない。
だけど、クロスの事を良く知っている為クロスの為だけの勉強という意味でなら誰よりも適正があると言えた。
「クロスさんは神様についてご存知ですか?」
パチパチとなる焚火を囲い、エリーはクロスとその横にいるパルスピカの方にそう話しかけた。
「? 流石に俺でも知ってるぞ。時の女神クロノス。慈悲と慈愛に満ちた世界の創造神であり、絶対神。違うか?」
ドヤ顔でクロスはそう言葉にした。
熱心とは言えないが勇者達の仲間であるクロスも一応信者に入っている。
というか人間は皆クロノスの信者だと言っても良い。
ちなみにクロスがクロノスの名前を知ったのは親にそれが自分の名前の由来だと聞いたからだ。
人間界では絶対の創造神であるクロノスから加護を得る為、神の名前をもじり使わせて貰う事が非常に多い。
だからクロスという名前も人間界で言うなら非常にありきたりでポピュラーな名前だった。
「……ん? あれ? 俺変な事言った?」
当たり前な事しか言っていないはずなのに、パルスピカが困惑し、困り切った様な顔をしている事に気づきクロスは不安そうにそう尋ねた。
「いえいえ。変な事言ってませんよ。ただ、魔物の常識としてなら皆がパル君みたいになりますけど」
「……へ?」
「パル君。クロノスについて知っている事説明してくれますか?」
「えっと……その……僕も大した事知りませんよ? そもそも僕、義務教育も受けてませんし」
「そうなのか?」
クロスの言葉にパルスピカは頷いた。
「魔王様は成熟期前の魔物全員に義務教育を受ける義務を授けましたけど、それで全ての者がそう出来るという訳ではありませんから。特に知性を重視しない地方にいる方は……。義務ではありますけど強制力は限りなく低いので」
パルスピカはその言葉に苦笑いを浮かべながら同意し頷いた。
「それでも良いのでパル君。クロノスについて知っている事教えて貰えませんか? 逆に言えば義務教育を受けてなくても知っているという事になりますし」
「あ、はい。えっとですね……魔物全ての怨敵、最優先殺害対象、人類の守護神、と僕は聞いてます」
その答えを聞き、エリーは満足げに頷きクロスは驚きの表情を見せた。
「という事で、人間から見たらクロノスは最高の神ですが、我々魔物から見たらクロノスは最悪の神です。なにせクロノスの加護は我々魔物を除外していますからね」
クロスは久々に種族差による文化の近いに驚愕を覚えていた。
「まじかー……。まじかー……。あ。って事はあれか? クロノスを信仰するのって不味い感じ? んじゃ魔物の神様ってどんな感じ? 信仰変えられる?」
その言葉が全て予想通りだったからか、エリーは優しく微笑んだ。
「順番に答えていきますね。まず、信仰する事は問題ありませんがあまり他の魔物には言わない方が良いと思います。嫌な気持ちになる方は多いので。それで『どうして信仰を変えなくても問題ない』のかと『魔物の神様はどういった方なのか』に加えて『信仰を変えられるか』の答えを纏めて答えますね。そもそもの話……『魔物に神はいません』」
「……いない?」
「はい。だから信仰を変える必要はありませんし魔物の神を知る必要もありません。ちなみに、クロノスの加護の有無をそれが人類と魔物の大きな違いであると考える学者も多くいます。ほら。魔物って魔物であるなら他種族でも子供が産めるじゃないですか?」
「ああ、そうだな」
「ですけど魔物は人間とだけは絶対に子供が残せないんです。その理由が神からの加護の差だと言われてますね」
「……って事は、俺クロノス信仰止めなかったら子供残せないって事か?」
「いえ、それはないです。ただ、いくらクロスさんが信仰していても、魔物である以上加護はもらえないですから。とは言え、信仰は自由ですからお好きな様に。探せばクロノスを信仰している魔物もいるかもしれませんし。……一体か二体位は」
「そか。んじゃ変える必要がない限りはこのままでいるか。ぶっちゃけどっちでも良いけど。にしても……だからかぁ……」
「何がですか?」
「魔物の世界で宗教してる奴、やばい奴ばっかだったからさ。神様がいないからなんだな。ほら、前の機械狂信者とか」
「はい……。その通りです。真っ当な宗教も確かに御座いますが……危険思想でめちゃくちゃをやる宗教は少なくないですね」
「真っ当な宗教って神様もいないのにか? どんな感じ?」
「例えば……スクワットすれば健康になれるとか、ディベートして話術を高めるとか、コミュニケーション能力を高める事が幸せにつながるとか。そういった自己を高める系の宗教は危険度が少なくクリーンな場合が多いです」
「……何かそれ面白いな。今度紹介してくれない? 筋トレ系のとことか」
「はい。良いですよ。……少し早いですけど、今日はここまでにしましょうか」
そう言葉にし、エリーはパルスピカの方を見る。
パルスピカはクロスの方に寄りかかり、心地よさそうに寝息を立てていた。
クロスとエリーはお互い顔を見合いながら人差し指で静かにする合図を出し、そして同時にくすりと微笑んだ。
「んじゃ、ちょっと寝袋に入れて来るわ」
そう小声で言ってからクロスはパルスピカを優しく抱きかかえ、事前に立てておいたテントの中に連れ込んだ。
エリーは優しく微笑んだ表情の後……少しだけ、困った様な悩んだ様な表情を浮かべた。
「……はぁ。やっぱり……おかしいですよねぇ……」
この移動において、明らかすぎる違和感に気付いてしまったエリーは夜空を見ながら、独り静かに呟いた。
ありがとうございました。




