まおうりつよーちえん
クロス・ネクロニアという存在には特異な点が多い。
それは生物としてだけでなく、性格、身分と言う意味でもそうだ。
自然の摂理に反し魔王により転生させられた存在。
魔王城より生まれし魔物。
人間世界ではその知名度は極わずかな物であるが、魔物の世界では絶大な知名度を誇っている。
虹の賢者。
その名前を聞くと震えあがる魔物がいる程度にはその名は広まり、同時に尊敬と信頼の念を抱かれている。
魔物の世界において賢者という言葉は、魔法を巧みに操る者でも知恵多き者でも間違いではないのだが、実際に賢者と呼ばれる者はこれらと関連性はない。
魔物の世界において賢者という言葉で称えられる者は、大局の為に私利私欲を捨てる事を出来る者を表す。
だからこそ、クロスの名は恐怖や畏怖だけでなく、同時に尊敬の象徴として語り継がれていた。
そんなクロスは……まるで亡者の如く力ない歩みで……生まれて初めて魔王城の外に出た。
「ほれ元気だせよ賢者様。いや、けんじゃちゃま」
そう言葉にし、ガスターはゲラゲラと笑いクロスの肩を叩く。
傍でそれを見ていた兵士達はあまりのクロスの扱いに怒りださないか怯え、同時に笑うのを堪えていた。
だが、クロスは怒る元気すらなかった。
「……そうか。お子様と一緒にお勉強か……はは……」
「同情はするぜ。それはそれとして笑うけど」
「ぐぬぬ……」
腹は立つ。
腹は立つが……悲しい事に何も言い返せなかった。
「はぁ……」
溜息を吐き出し、クロスは空を見る。
空は人間であった頃と何も変わらず青く広がっている。
ただし……街並みは人間の世界よりも少し綺麗で、見かける姿は異形である者が多かった。
「俺、やっていけるかな……」
魔物として生きる事は苦ではないし、一人で生きる自信もある。
だが……子供と一緒に混じって勉強をするという環境に馴染める自信だけはなかった。
「ま、何とかなるさ。一月程度我慢すりゃ後は個人授業なり何なりで何とかごり押せる」
そう言葉にしてガスターは肩をぶんぶんと回し、そのまま人間の姿から本来の姿に戻ってみせた。
上半身はさきほどと変わらず力強そうな屈強な男のまま。
ただし、その下半身は馬の様になっていた。
「やっぱり外じゃこっちの方が楽だわ。んじゃ、さっさと行きましょうや。賢者ちゃま」
「それは止めてくれガスター」
「へいよ」
そんな軽口を叩き合いながら、二名は魔王城から出て城下町に向かっていった。
「……賢者様にあんな軽口叩いてやがる。ガスター様すげぇや……」
兵士は畏怖と尊敬を込めながら、ガスターの背に向けぽつりとそう呟いた。
魔物世界、いや、魔物社会の教育は一年という期間だが、いつ受けるかというルールは特に明記されていない。
一応物事の分別が付く時期に教育を受けるという体ではあるが……種族や状況によって成長が異なる為学ぶ時期を定める事は不可能だった。
極端な例で言えば、百年何も話さず赤子として生きる種族もいれば生まれた瞬間から成人している種族もいる。
それで年齢に合わせてクラスを作ると控えめに言って大惨事となってしまう。
だからこそ、同じ授業を受ける条件は年齢ではなく、現段階の知識量となる。
その知識量こそが、クロスにとって致命的な現状を引き起こしていた。
クラス分けは知識量で決定される。
幼少時の期間が長い種族は入学段階である程度以上の知識を身に付けているし、成人した状態で生まれる者は親からある程度以上の知識を引き継げている。
だからこれらは幼稚園ではなく、学園に通う。
また、数はそれほど多くないがクロスの様に転生した魔物も確かに存在する。
転生でしか生まれぬ種族すら魔物にはいる位だ。
だからアウラも最初はこの転生者用クラスにクロスを入れようとしたのだが……問題があった。
転生して生まれた存在は多いのだが、人間から転生した存在は一人もいない。
彼らは皆、魔物から魔物に転生した存在だからだ。
そして、彼らは元の魔物の知識を最低一割、多いと全て引き継いでいる。
そんな彼らと魔物の事を碌に知らないクロスで知識量が同じ訳がなかった。
そうなると当然、ある程度の知識があるクラスにもクロスを入れる事は出来ない。
つまりクロスにとって適切な教育機関は……幼少時の期間が短く知識がゼロに等しい者達が集まる幼稚園しかなかった。
魔王立アウラフィール幼稚園。
今代魔王アウラフィール・スト・シュライデン・トキシオン・ディズ・ラウルにより建立された教育機関であり、魔王直属という事もあり将来的なエリートとしての期待が高い幼稚園でもある。
魔王城から近く、また少しでも良い場所に入って欲しいというアウラのクロスへの願いにより、クロスはここに配属される事に決まった。
当然の事ながら……エリート幼稚園に行く成人魔物という現状で言えば幸せとはとても言えず、その優しさは完全に逆効果である。
むしろ素晴らしい幼児教育機関である為に、クロスは尚浮く事が決定されてしまっていた。
「は、はーい。これから皆さんのお友達になるクロス・ネクロニアさ……君だよー」
両手を振りながら引きつり笑顔で若い女性は子供達にそう伝える。
子供の数は五体。
その誰もが、頭にハテナマークを浮かべていた。
「……せんせー。新しいせんせーですかー?」
半分溶けて外見が維持出来ていないスライムの子供がそう尋ねた。
「ううん。皆のお友達だよー」
「えー。変なのー。だってお兄さんはお兄さんじゃーん」
今度は小さな蝙蝠の羽を生やした女の子がそう言葉を投げる。
それに人間そっくりな保母さんは困った顔でクロスの方を見た。
「……お兄さんこう見えても生まれたてなんだよー。皆悪いけど混ぜてくれないかなー」
もうやけっぱちでそう言葉にするクロス。
それを聞き子供達は。
「いーよー」
皆揃ってそう言葉にした。
「はい。というわけで自己紹介から始めましょう。せんせーは『テイルフォックス』のタキナだよー。タキナせんせーかせんせーって呼んでね」
金色の長い髪と同じ尻尾を軽く動かし、タキナは元気よく明るくそう言葉にした。
「はーい」
子供達と共にそう返事をするクロス。
少しだけ、空しさと羞恥で死にたくなってきた。
「テイルフォックスという事はかなり強いんじゃ……」
そうクロスが漏らすとタキナは優しく微笑んだ。
テイルフォックスと言えば人間に耳と尻尾が追加されただけの獣要素の薄い獣人であり、非常に高い戦闘能力を持つ。
それと同時に怒りや恨みと言った負の感情が強く死ぬまで、死んでからも襲ってくるという厄介さである為人間が注意する獣人ベスト三にランクインする位だった。
「いえ。種族的には優秀なはずなんですが私はあまり強くなくて……。ですのでこうして子供達を育てる方に進もうと思いまして」
「素敵ですね」
そうクロスが言葉にすると、タキナは頬を赤くしながら両手を頬に当て恥ずかしそうに尻尾を揺らした。
「あ、その……ありがとう……ございます」
その様子を子供達は見て、ニヤニヤとした顔を浮かべた。
「あー。せんせー口説かれてるー。口説かれてるんだー。結婚するのー?」
そんな冷やかしにタキナは冷静になりニコニコ顔に戻った。
「君はどうなのー。先生と結婚するのー?」
そう子供に言われ、クロスはタキナの真似をして微笑みだけを返した。
ちなみに……ほんの少しだけ下心があった事をクロスは否定するつもりはなかった。
その後、子供達五人は元気良くクロスに自己紹介をしていった。
スライム種族の少年マモル。
のんびり屋が多いスライムにしては珍しく自我の確立が早かった。
代わりに体を維持する能力がまだ身に付いていない。
だからいつもデフォルメ状態の顔に加えてでろーんと溶けたアイスの様になっている。
コウモリ族の少女エンフ。
金髪釣り目の小さな少女は、不安になる位小さな蝙蝠の羽を生やしている事以外人間にそっくりである。
コウモリ族という種族をクロスは知らないがおそらく見たままの種族なのだろう。
性格的には……少しだけ意地悪な感じであり、おしゃまな女の子という言葉が良く似合う。
ドラゴン族の少女イナ。
鋭い牙と尖った瞳、それと腕と足に部分的に見える鱗。
後は人間と同じ外見をした黒い髪の少女。
恐らくだが……人間だった頃の完全武装時より強いであろう。
それほどの種族差をクロスは感じていた。
性格は無口で良くわからない。
妖樹族の少女アップル。
植物と人間が混じった様な姿をしている。
他の子よりも外見が少々大人びており、他の子が五、六歳位の外見の中彼女だけが十歳位の外見をしている。
全身から枝が生え、成長する為服が駄目になりやすい事が今気にしている事で、特技は枝の先にリンゴを作る事らしい。
ゴーレム族の少年ギタン。
他と違って人間の要素が薄く金属の小さな塊が合わさって人型となっているだけ。
と言っても顔は判断が付くし他の子と特別何かが違うという事もない。
強いて言えば、ギタンの座っている机と椅子だけ完全金属製となっている事位だろう。
ただ……クロスの知識ではゴーレムは成長もしなければ言葉も解さない魔物だった。
どうやら敵としてでなく、身内として知らないといけない事が沢山あるらしい。
「それじゃ、最後にクロス君の自己紹介をお願いして良いかなー?」
ニコニコ顔で保育士のプロとしてクロスを子ども扱いするタキナにクロスは変な感動を覚えた。
クロス自身この状況で何か大切な物を失っていっている様な気になっているのだ。
おそらく彼女も胃壁か何かをがりがり犠牲にして違和感と戦っているだろう。
ニコニコ顔だがどこか目が死んでいるタキナを見ながらクロスはそう思った。
「クロス・ネクロニア。特徴もなにもない生まれたての魔物です。皆よろしくね」
「はーい。クロス君よろしくー」
いつも通りの子供達の声。
気分は子供達に教えるタキナ側なのだが……実際は子供達側。
そのギャップにクロスは悲しくなってきた。
「はーい。皆お疲れさまー。何か質問はあるかなー」
その言葉に小さな蝙蝠羽をパタパタ動かしエンフが手を挙げた。
「はーい。クロス君ファミリーネームはここでは言わなくて良いんだよー。先生もどうしてクロス君の自己紹介の時だけ皆と違ってファミリーネームも言ったのー? 変じゃーん」
「あ、そういうものなんです?」
クロスが尋ねるとタキナは恥ずかしそうに頷いた。
「あ、はい。すいません。その……イメージ的に言わないといけない様な気がして……。その……前の姿のあれこれを考えますと……」
「という事でせんせーも俺も間違えてたね。ありがとうエンフちゃん」
その言葉にエンフは自信満々に胸を張った。
「わからない事があったら教えてあげるから安心してね」
その言葉にクロスは微笑み頷いた。
微笑ましい。
自分が混じっている事を棚に上げるだけで精神が安定し子供達を可愛いと思える様になる。
そんな逃避をクロスはとうとう覚えた。
「はーい。それじゃあお勉強を始めましょうねー。クロス君が来たから一からやるよ。皆クロス君に教えてあげてね」
「はーい!」
子供達は皆元気良く、特にエンフとイナは大きな声で返事をした。
クロスはどんどんと死にたくなってきていた。
グランフォード大陸の最北端、ディーバルド地方。
そこに存在するのがこのアウラフィール魔王国。
ちなみに、人間の時はグランフォード大陸を祝福の地ネメシスと言う名前で習っている。
国と暦は魔王の名前が再誕される度に更新される。
つまり現在はアウラフィール魔王国でアウラフィール新暦四年となる。
それだと不便である為、略称である魔王国、魔国も正式名称として使え、同時に魔王歴という暦も残っている。
元々魔物は魔物ではない呼び名があったのだが、各種族が好き放題に呼び好き放題に名前を付けて混乱の限りを尽くした為、過去の魔王によって人間が自分達の事を呼ぶ時に使う『魔物』という呼び名で統一された。
ただしその弊害として、元々魔物と呼ばれていた存在とごっちゃになっている。
だから現在魔物と呼ばれる存在は大きく分けて二種類に分類される。
意思持つ魔物と、意思なき魔物である。
「はーい。と言う訳でこれからせんせーとクイズをしましょうねー。じゃーん。はい、どっちが私達の仲間じゃないでしょー?」
そう言葉にしてからタキナは二枚の精細すぎる写真を子供達とクロスに見せた。
片方は大きな鳥の翼を持った魔物、ガルーダと呼ばれるものである。
もう片方は地這う焔色のトカゲ、こちらの名前をクロスは知らないが、人間の時は火トカゲと呼んでいた。
「こっちー」
クロスが考え答えを導き出す前に、マモルはふにゃんふにゃんな手で火トカゲを指差した。
「はいせいかーい。皆わかったかなー」
「はーい」
クロス以外の全員が手を挙げた。
「せんせー。クロス君がまだわかってませーん」
アップルの言葉に全員がクロスに視線を注いだ。
「いや……その……こっちじゃないの?」
ガルーダの方を指差すクロスに、子供達はぶぶーと大きな声で駄目だしをした。
「あはは。最初はわかりませんよねー」
「んー。というか……二種類に分けるという考え方からまだ良くわからん……」
「じゃクロスさん。これの違いは見分けられますか?」
そう言葉にしてからタキナは二枚の絵を見せた。
どちらも同じスライムで、人型で足場に水たまりが出来ている。
違うのは色位な物で片方が赤、片方が緑色となっていた。
「これ、どっちか片方は私達と同じ魔物で、もう片方は昔からの意思なき魔物です。わかります?」
そう言われクロスは目を凝らすが……その違いはさっぱりわからなかった。
どう見ても色違いのスライムであり、元人間のクロスからしてみれば双子と言われても納得出来る位の差異しか見受けられない。
「こっちーが仲間」
そう言葉にしてから子供達は迷わず赤色のスライムの絵を指差した。
「……何が違うんだ?」
クロスは腕を組み首を傾げた。
「クロス君……見るんじゃなくて……感じるの」
アップルがぽつりとそう呟き、クロスは首を傾げながら何度も絵を見比べる。
だが、その違いを見分ける事は出来なかった。
「もう少しかかりそうですね。みんなクロス君に付き合ってあげてね」
「はーい」
そう言葉にして、微笑ましい笑顔を向ける子供達。
良くわからない内容に加えて子供達の微笑ましい目。
心の底から逃げ出したかった。
「はぁ。魔物生活も楽じゃないな」
苦笑いを浮かべそう呟くクロスにタキナは露骨な程の同情の視線を送っていた。
ありがとうございました。




