勇者の剣
世界で最も愛される男は、世界で最も孤独な場所、玉座にて一人終わりの時を待っている。
皆の笑顔を護れと……そう、大切な人から託されてしまったから。
その託されてしまった男、人類の守護者であるクロードは一本の剣を見つめ、困惑したような声で静かに呟いた。
「今頃見つかるとはなぁ……」
今の気分は舞台の幕が降りた後に主役が登場した様な、そんな気分だった。
『私だって文句を言いたいですよ仮マスター。どうして私をちゃんと見つけてくれなかったんですか』
そう、若干怒った様なキンキン声がクロードの耳にけたたましく響き、クロードは顔を顰める。
その声は、その剣の方から聞こえていた。
「いや、本当にあるとは思わなくてなぁ……。探してたはずだぞ。教会陣営とかも。だけど見つからなかったからなぁ……眉唾物だと思ってたよ」
そう言ってクロードはその剣をしげしげと見つける。
豪華でありながらも過剰ではない装飾は芸術品としても武器としても美しく、王が持ち歩いても決して見劣りせず、むしろ王の地位をより高く持ち上げる。
きっと世界中の剣でこれより美しい剣は存在しないだろう。
自分の持つ聖剣と比べてもなおその剣は美しく、素晴らしかった。
それこそ、そのうつくしさは吟遊詩人が語っていた伝説そのものと言っても決して過言ではない。
勇者が持つと言われる、伝説の剣。
言葉を話し、勇者を助ける、意志を持つ剣。
それが今、クロードの手に握られていた。
魔王を倒し特に敵がおらず余生を過ごすだけとなった今頃になってだが……。
「んで、名前なんだっけ?」
何度か聞いたけど興味なかった為右から左に聞き流していたクロードはそう剣に尋ねた。
『何度目ですかその質問。剣の名前は私の真マスター、つまり勇者様が決めてましたので特に何でも。前の勇者様は聖剣ノヴァと呼んでいました。ちなみに私の名前はセラフィムです』
「あー、そんなだったな……」
『覚える気がないなら聞かないで下さいよ仮マスター』
「悪いな。……お前と剣の名前って違うの?」
「違いますよ。私は勇者様を助ける為に生み出された物です。付喪神って言えばわかります?」
「わからん。神様なのか?」
『広義で言えば神ですけど……一神教が当たり前であるマスターにはわからない話なので気にしないで下さい。そもそもこの世界に多神教という言葉自体存在していませんし』
言っている意味がわからないのだが、それ以上にわかる気のないクロードは適当に聞き流した。
「あそう。んじゃ神じゃあないって事なんだな」
『はい。精霊に近い存在とか思って貰えたら。または勇者様が特別だから私も特別な存在だと思えばそれで良いです』
ふんすと自慢げにセラフィムはそう告げた。
「もう一つ。どうして俺が仮マスターなんだ。一応俺勇者だけど」
『え? 私貴方を勇者様だと認めてませんけど?』
その言葉にクロードは目を丸くした。
勇者の中の勇者。
勇者の王。
歴代最強の勇者。
クロードは民達皆からそう呼ばれ慕われ、時に恐れられている。
実際歴代勇者の誰よりも多くの人を救ったという自負もある。
その自分を勇者でないと呼ぶ存在がいる事そのものが、クロードにとって驚く様な事だった。
「どうして、俺を勇者と認めないんだ? いや俺も自分の事勇者と思った事ないけど、一応神様から認められた存在だよ」
セラフィムは露骨な溜息を吐いた。
『そもそも、神から命じられただけで勇者になれるってのがまずおかしいんですよ』
「ふむ。興味深い話だ。じゃあさ、勇者とは一体何なんだ?」
『諦めない人の事です』
「諦めない……人? それだけなのか?」
『はっ。ええそうです。それだけですよ。でも、そのそれだけが出来ないから貴方は仮マスターなんですよ。貴方は今、諦めてないですか?』
そう言われ、クロードは苦笑いを浮かべる。
生きる事その物を既に諦めた自分には酷く突き刺さる言葉だった。
『人であれば誰でも勇者となる資質があります。勇者とは最も人らしい人の事なんですから。ですが、素質はあっても勇者になれる存在ってのはそんなにいません。実力は……まあ関係ありませんね勇者には。大切なのはその心。誰かの為に最後まで諦めず戦い続けられる者。人の為に生きられる存在、平和の使者。それこそが勇者なんですよ』
自慢げに、それでいて偉そうに勇者に対して勇者についての説教をするセラフィム。
それをクロードは苦笑いを浮かべながら聞き続けた。
確かに、クロードは勇者として選ばれ、偉業を為し、今でも勇者であり王として君臨している。
それでも、クロードは自分が勇者であると思った事はなかった。
『良いですか仮マスター。勇者とは人々の希望となる――』
そう、セラフィムが自慢の最強の勇者をつらつらと言葉にしているその瞬間に、正面の大きな扉が静かに開かれた。
「やっほーちょっと良いかにゃー?」
そう言いながらとてとて歩いてきたのはかつての仲間、メリーだった。
「メリーか。それにメディも……。珍しいなメディが来るのは」
そうクロードはメリーの後ろについて静かに歩くメディールに向けて言葉にした。
この玉座の間にメリーが来る事は多い。
盗賊ギルドの元締であり国政において関わりがあるからだ。
だがその反面メディールが来る事は少ない。
仲間の中で最も人付き合いが少なく、そして最も人間が嫌いなのがメディールで、そして更に言えば最も乙女なのもメディールだった。
クロスの事を想い出にしなければ生きられない。
だけど、かつての輝かしい旅路の記憶を思い返しすぎると生きているのが辛くなりすぎる。
その狭間で生きているメディールは極力仲間達に逢わない様生きて来た。
特に、クロスと最も親しかったクロードとは。
「別件よ。微妙に別件じゃなかったけど」
メディールはそう吐き捨てる様に言った。
「ん? どういう事だ?」
メリーはニコニコと楽しそうな顔をした。
「えっとね、私メディールの偽者見つけたんだー」
「偽者?」
「うん。元魔王討伐の仲間の魔女を自称して、占い師してた。インチキの」
「ふむ……それでメリーはどうしたいんだ?」
「いや、どうしようかなって思って。ちなみにめっちゃ年取ってて膨れたおばちゃんだったよ。トンガリ帽子に黒一色の」
メディールは酷く不快そうな顔をした。
「……それで、メディールは?」
「私はあんたの偽者を見つけたから来たのよ。無視しようかと思ったけど……あんたの偽者が土地荒らしたらさ……クロスきっと悲しむ。だからさっさとボコして兵士に渡して牢屋に入れて貰ったから。ミストハーフって村。確認しといて。これ、そこまでの地図ね」
そう言って巻いた紙をメディールはクロードに投げ渡した。
「あの人嫌いのメディールちゃんがここまでするなんて……愛って凄いわねぇ」
そうメリーは揶揄う様に言葉にし、その様子を見てメディールは冷たい目をメリーに向けた。
「悪いの?」
昔なら照れたり誤魔化したりしただろう。
だが、もうそうする理由もない。
恥ずかしいと感じる様な、愛しいと思える様な人が、もうこの世界にいないのだから。
「ううん。悪くないよ。皆一緒だし」
そう言って、メリーは寂しそうに微笑んだ。
「これで後メリーかソフィアの偽者が出たら面白いな」
クロードはそう呟き微笑んだ。
「そうだね。まあそんな事――」
バギンッ!。
メリーの言葉を遮る様に、入り口扉が激しい音を立て開かれる。
いや、それは開くというよりも、壊されたという方が正しいだろう。
叩く様強く開かれた両開きの扉は、共にその役割が二度と果たせない程ボロボロに破壊されていた。
一体どこの誰が殴り込みに来たのか。
そう思い一同はその押し入って来た人物を見て、息を飲む。
驚くという事自体滅多にしないのだが、その時ばかりはクロード、メリー、メディール共に心から驚いた。
そこにいたのはニコニコと優しく微笑んだ聖女、かつての仲間の最後の一人ソフィアだったからだ。
驚いたのはソフィアが来た事ではない。
清廉潔白で誰が見ても穏やかで、皆が優しいと口をそろえて言う優しさの化身の様な立ち振る舞いをするソフィアの手に、血まみれの生首が握られていたからだ。
髪の毛を強引にむしる様に握り、血を滴らせながら人の目も気にせずここまで歩いて来たソフィア。
それは普段のソフィアでは絶対に考えられない事だった。
かつての仲間だからこそ、三人はソフィアが激昂し怒り狂っているという事が理解出来た。
クロスを失い、渇き強い感情を失った仲間がここまで感情を露わにするのは珍しい事で、しかもそれが最も堪忍袋の緒が太く長いソフィアだったのだから三人は驚かずにはいられなかった。
「ソフィア。何があった?」
クロードの質問に、ソフィアはニコニコと微笑み、答えた。
「これ。クロスさんの偽者でしたの」
その瞬間、玉座の間の空気がピシリとひび割れ、凍り付く。
「しかも、クロスさんの名前を騙って多くの婦女に暴行しておりました」
楽しそうに、酷く面白そうにニコニコするソフィア。
だけど、身に宿す空気は酷く冷たかった。
この雰囲気に驚き、恐怖した者はセラフィム以外にはいない。
ソフィアと同じ様、三人も同様一瞬で怒りの限界点まで到達していたからだ。
それは、四人とってただ一つの逆鱗だった。
「そうか。ご苦労。後の事は、被害にあった人で生きている人のケアは俺の国が総力を持って行う。クロスの名を使い女性を不幸にする事は許さないからな」
クロードの言葉を聞き、ようやくソフィアは少しだけひりつく様な空気を緩和させた。
「ありがとうございますクロード様」
そう言ってソフィアはクロスに似ても似つかない男の生首をぽいと放り投げた。
その生首は、クロード、メリー、メディールの三人が奪い合う様に汚し、怖し、破壊していった為一瞬にして塵すら残らず消滅した。
全員で一休みをし、落ち着いた後ソフィアはいつもの雰囲気に戻り優し気な口調で質問した。
「そう言えばどうして皆様集まっているのでしょうか? もしかして私ハブられてました?」
「偶然だ。お前は私らがそんな気軽に集まる様な関係に見えるのか?」
メディールは吐き捨てる様そう言葉にした。
「いいえ全く見えません。楽しそうにも見えませんでしたし」
そう言った後、ソフィアはクロードの方を見つめた。
「それともう一つ。クロード様。その剣は一体何です? 今更武器変更ですか? 何か厄介事です?」
ぶっちゃけクロードは人間界の中だけならひのきの棒だけで誰でも打ちのめせる。
武器を更新する必要も交換する必要なかった。
「いや。これは部下が見つけた物なんけどさ、あの伝説の勇者の剣だそうだ」
「まあ。ではお話しますの?」
ソフィアが驚いた口調でそう尋ねると、空気を読んでというか皆の殺気に気圧され黙っていたセラフィムは高らかに己を宣言しだした。
『ええ。そうですとも!? 仮マスターの言う通り、私は伝説の勇者の剣。数多の勇者様達と共に冒険し、偉業を成し遂げた勇者の無二の友、相棒。そして恋女房でパートナー。それが私セラフィムでございます』
ドヤ顔が目に浮かぶ様なしゃべり方のセラフィムにメディールは苦笑いを浮かべ、メリーとソフィアは楽しそうに微笑んだ。
「あれ? どうして仮マスターなんです? クロード様は勇者の地位こそ返上してはいますが、神様も民の方々も皆が、万人がクロード様を勇者とお認めになっておりますが」
「どうやら俺は勇者の器じゃないらしい。勇者ってのは心が綺麗でないといけないらしいからな。一応神様が認めてるから仮マスターなんだろう」
『え? 違いますけど仮マスターが仮マスターの理由』
セラフィムはあっさりした口調でそう言葉にした。
「そうなのか? じゃあ仮マスターってどういう事だ?」
『仮マスターに私が選んであげた理由はですね、マスターに最もふさわしい方『本物の、私の勇者様』と強い縁が結ばれているからです。縁があるという事は、いつか巡り合うという事です。だから仮マスターを仮マスターに認証し私はここで私の本当の勇者様が現れるのを一日千秋の思いで待ち続けているのです。……おや、皆様からも仮マスターにして良い位には私の勇者様との縁を感じますわね。という事は……もしかして今日そのお方がここに来るでしょうか!? そうなのですね!?』
興奮を隠しきれない様子でまくしたてるセラフィム。
その声を聴き、メディールは少し考え込み尋ねた。
「その勇者様ってのは、私達ではないのよね?」
『ええ。というか皆様の様な実力はぱなくてもドス黒い心を持った人は勇者になれませんって。皆様が自分の意志で人助けをするって言えば正直頭の異常を疑いますね』
「それは納得出来るわ。それで、私達全員と深い縁があるのよね?」
『はい! なんとこの場にいる全員と縁が深いお方です! どうして皆様の様な闇属性に入りそうな方々と縁が深いかわかりませんが、間違いなく皆様の深いお知り合いですね』
「そ。あらかじめ言っとくけどさ、私あんたら以外とまともに会話すらしてないから」
そうメディールが宣言にする。
全員と深い縁に刻まれて、勇者と呼ばれるべき高潔な精神を持ち、そして何があっても諦めない人柄。
そんな人物、一人しか該当する訳がなかった。
「あー。セラフィム。君のその言葉は俺達四人にとって心の底から嬉しい事実だった。あいつを認めてくれてありがとう。ただそれだけで、俺達はセラフィムに対し深い敬意を持つ位には嬉しかった」
『ですね。何か知りませんけどさっきの一言の瞬間に好感度が跳ね上がった様な気がしますし、敬意とか尊敬とか敬う気持ちがビンビン伝わってきてますね。ええ、不思議な事に』
「ああ。だけどさ……これは君には、セラフィムには辛い事実でもあるんだ。俺達にはもう一人、仲間がいる。俺達みたいな人を人とも思わない化物と異なり、優しくて、どれだけ酷い目にあってどれだけ馬鹿にされても人を敬い愛し、優しいまま足掻き続けた諦め知らずの……そんな奴がさ」
『おお! それこそきっと私の勇者様。実力などどうでも良いのです。むしろ弱い方が嬉しい。支え甲斐がありますからね! 必要なのは優しさと、勇気と、諦めない心。それで、そんな私だけの勇者様は一体今どこに!?』
クロードは天上の方を見つめ、小さく、擦れる様な弱弱しい声で呟いた。
「死んだよ。魔王を倒した後、人間共の私欲の為にな」
セラフィムはその後しばらく無言となり、数時間後めそめそと泣き出した。
その泣き声は一月程続いたが、その間クロードはその剣をひと時もてばなそうとせず、ずっと慰める様に抱き続けた。
まるで自分を慰めるかのように。
ありがとうございました。




