雷鳴(中編)
真っ当に生きるという事はとても難しい。
間違いを一度も犯さない者などこの世にはおらず、生き方に自信を持てるというなんてのはよほど幸運でない限りあり得ない。
だからこそ真っ当に生きているなんて自負を持つ事は非常に難しく……それ故に、強い。
クロスという援護がありながらであっても遥か格上である宗麟に一矢報いる程度には、雲耀は真っ当に生きて来たつもりであった。
いつも金欠で誰かに集って、しょっちゅう喧嘩を売って迷惑をかけてはきたが、それでもとりあえずは、雲耀は真っ当にいきているつもりにはなっていた。
とは言え、それだけで勝てるという訳ではない。
その程度で勝てる程、宗麟という男の生き様は、その生涯は薄くない。
間違っている事など、最初からわかっている。
父を殺し、母を殺し、そして息子の誰かに自らを殺させようと考えるなんてのは、正しい事である訳がない。
だが、そこまでして己龍の家は長い時の中里守という地位を残してきた。
ならばこそ、外道になろうと、悪鬼となろうと。
羅刹と呼ばれたからには、それを成し遂げようと。
最後、それを終える時が来るまでは、その生き方を貫く。
宗麟はそう、心に決めていた。
そして、それが終わるのは、決して今であってはいけない。
この程度に、こんなぬるすぎる息子の刀で折れる程、宗麟の背に背負った物は軽くなかった。
決して軽い傷でなかった。
人であったなら確実に死に至り、魔物であっても肉体が相当に優れぬ限り動く事すら出来ぬだろう。
それでも、宗麟は崩れない、倒れない。
未だ、その瞳に宿る戦意は健在で――。
「俺さ、この程度の傷であんたが倒れるとは思ってないんだわ」
そうクロスは呟いた。
宗麟の目の前で。
刀の間合いより更に内側、怪我をしていない本来なら絶対に入れない懐。
そこに、クロスは立っていた。
そう……クロスは格上相手に油断する事はない。
人間という脆弱な身で魔物と戦い続けたクロスは、足掻き続けたクロスは知っている。
強敵相手に対して隙を逃す程愚かな事はないと。
パキンと、金属が折れる様な音が響く。
その瞬間に、宗麟の手から己が魂の重さが消え果てていた。
「素手で……か。見事」
宗麟は無手で刀をへし折ったそのクロスを称える様言葉にした。
「普通の剣なら折れなかっただろうが、この刀って武器は俺達の剣に比べて脆いからな」
「左様。斬る事に特化した故、側面からの打撃には――」
そう言いながら宗麟は持ち手だけになってしまった愛刀とその鞘を投げ捨てた。
クロスは溜息を小さく吐き、宗麟から距離を取る。
その様子を見て、雲耀はぽつりと呟いた。
「俺達は、勝ったのか……」
その言葉を聞いて、クロスは苦笑いを浮かべた。
「馬鹿。良く見ろ。あれが敗者の面か?」
そう言われ、雲耀は宗麟の顔を見る。
そして、どうしてクロスが溜息を吐いたのか理解した。
その顔は大人しく負けを悟った綺麗な顔なんかでは決してなく……獣のそれ。
最も近いのは、手負いとなった狼であろうか。
いつもの飄々とする剣術家の宗麟の表情だけでなく、そんな獣性すら秘めた表情となっていた。
「クロス殿、お見事です。貴方が殺すつもりで来ていれば、私は今、負けていたかもしれませぬな」
「はは。息子には何もないのかい?」
「ないですな。あれだけ見事な隙を作ってもらいながら手ぬるい一手しか打てぬ馬鹿にかける声はありませぬ。……ただ、認めましょう。剣術家として、己龍家の主としての果し合いで考えれば、私は負けていたと。故に――これからは主としてでなくただの羅刹として、里を護る為全てを殺し尽くした一匹の獣として、お相手願います」
その言葉と同時に、宗麟の風格が変化する。
表情や姿形は変わっていない。
だが、その気配は今までの元と比べて明らかに変化していた。
「……獣人、って言って良いのかしらんがその類かな」
クロスの言葉に宗麟は肯定も否定もしない。
ただ己が獣性を表に出すだけ。
それが、何よりの答えだった。
「獣人って……あいつが耳やら尻尾やら生やした姿見た事ないんだが……」
「なりそこないだからな」
息子の一言に、宗麟はそう答えた。
「なり、そこない?」
「耳も尻尾も、最初から私は持っておらぬ。姿かたちは人そのもの。故に、なりそこない。だから姿に関しては隠しておらん。元よりこのままよ」
「そうかい。じゃあ俺にもその何かは継いでるのかね」
「知らぬ。だが、まあ継いでないであろう。それだけ確かな角が付いておるんだから」
顔立ちどころか風格、種族すら違い親子かどうかすらわからない。
何となく気配が似ている事を除けば、宗麟と雲耀は親子にはとても見えない。
だから宗麟は自分の力は継いでいないであろうと考えた。
自分の成りそこないでの失敗した力なんて、継がない方が良い位だが。
実のところで言えば、宗麟は自分ですら己が種族が何なのか詳しくわかっていない。
両親共に鬼なのに獣の特性を宿した自分の正体などわかる訳がなかった。
その位特性が弱く、薄く、そして混ざりあっている。
本来ならきっと獣の耳や尻尾が生え、牙が生え、爪が伸びていただろう。
または何か別の生物の様な姿となっていたであろう。
だが、そうはならなかった。
なれなかった。
生まれた時から人の姿をし、鬼の様な怪力も持たず、手先も決して器用ではない。
宗麟は当初、ただの出来損ないでしかなかった。
それでも、最初は希望を捨てなかった。
身体が成長し、能力が伸びれば種族的特徴が出やすくなる。
そう信じて鍛えていた宗麟が成熟期になり理解した事は、己が出来損ないであった事への再確認のみ。
それでも諦めず努力を重ね、登りつめ足掻き続け、その果てに見えた己が肉体の答え、その種族的特徴の発現は――己龍家の剣術として相応しくない物だった。
表に出たそれに、父も母も落胆した。
最初から宗麟に期待していなかったが、それでも、彼らは宗麟に落胆を覚えた。
だから普段、宗麟はその力を使わない。
その力で勝っても己龍家の当主として勝った事にならないから。
鍛え積み上げてきた剣術で勝ったという事にならないから。
だが、今の宗麟には、他に戦う術は残されておらず、こんなぬるい相手に、雲耀に膝を付いて良いはずがない。
だからこそ、宗麟は己が恥である力を、種族的特徴を見せるという選択を取った。
「……ええ。私は出来損ないで、特徴らしい特徴を持ち合わせません。ただし……一つだけ、それらしい物があるんです。ええ、これが――私の牙らしいです」
そう、言葉にし宗麟は左手をクロス達に見せる。
薬指の折れた左手。
その手の平の中央に、小さく裂けた様な傷があり、そしてその傷は徐々に大きくなっていく。
血管を破き血を噴き出しながら傷が広がっていき、同時に骨が軋み、割れる様な音が鳴る。
それを宗麟は平然としていた。
そしてクロスと雲耀が気づいた時には、その傷から血に染まった、長い刀の持ち手の様な物が見えていた。
それを宗麟は右手で掴み――肉体が壊れる様な音を鳴り響かせながら引きずりした。
ずるり、ずるりと姿を見せる血で染まったその刀身。
その姿は、長い一本の牙の様でもあった。
最後まで抜き終わり、その全長を刀は見せる。
それは、その刀身は左腕より遥かに長かった。
刀身だけで百センチを遥かに越えるそれは、刀と呼ぶよりも、大太刀と呼んだ方が良いだろう。
その象牙の様な刀身を、宗麟は左手ではなく右手を軸に持ち、血払いを行い自らの血を飛ばす。
「抜刀――覚醒」
宗麟がそう呟くと、その刀は形状を変化させた。
持ち手は黄色と黒という警戒色の二色。
牙の様であった白く丸い刃は漆黒の刃と化し、鋭く鈍く輝いていた。
これこそが宗麟という男を表す物。
宗麟という男の鋼。
己が生涯を賭して露見させたその特性、本来なら表に出ない特性を壁を打ち破る事で表したが、その特性は己龍家剣術に向かない物であった。
それでも、そのどうしようもなく己の生涯を賭した剣術を否定する刀であっても、この刀こそが宗麟そのものだった。
大太刀の刃先を後ろに向け、半身を前に出すという古願調龍一刀術にない構えを宗麟は取る。
その瞬間、殺気が溢れかえった。
本来の宗麟の殺気だけでない、二種類の殺気。
それが、その大太刀から放たれていた。
「お好きな時に」
そう言葉にし、宗麟はクロスと雲耀に再開の合図を任せた。
「……ありゃ、二メートル位あんな」
雲耀は呟いた。
「いや、百七十ってとこじゃね? 宗麟よりも短いし。刀身が……百五十ってとこか」
「……良く脇構えの相手の刀身把握出来るなクロス」
「慣れって奴だ。んで、どうする?」
「クロスはあの野太刀相手にする様な武器用意してるか?」
「十秒あれば」
「なんだそりゃ。……んじゃ、十秒用意するから行ってこい」
そう雲耀が言うとクロスは後方に去っていった。
雲耀は宗麟を睨み、刀を構える。
自分の刀は決して短い方ではない。
だが、あの大太刀相手には少々以上に頼りなく感じた。
そんな不安な気持ちのまま雲耀が剣を構えていても、宗麟は責めず、脇構えのまま微動だにしていなかった。
「……来ないのかよ」
その言葉を、宗麟は無視する。
どうやら、戦いの合図があるまで本当に待つつもりらしい。
そうしているうちに戻って来たクロスの手には、巨大な直刃の両手剣が握られていた。
刃渡り百センチにも達する分厚い刀身をした大剣、ツヴァイヘンダー、ツーハンデッドソードと呼ばれるそれを、クロスはまっすぐ構えた。
戦いが再開され、お互いに数度打ち合った。
その結論で言えば、宗麟の大太刀は見た目程恐ろしくはなかった。
今までの様な鋭く透き通る様な剣技は出来なくなり、行動の多くが力強い代わりに大振りであるからだ。
雲耀の刀では正面から受け止める事は出来ないが避ける事は可能で、それすらも出来ない時はクロスが大剣で受け止める事が可能。
その巨大な刀の余波で多少の切り傷は出来るが、それでもその斬撃が直撃する事はない。
クロスと雲耀の二体がかりであるならば、それは先程よりもむしろ戦いやすい部類だった。
どうして宗麟がその大太刀を使わなかったのか。
どうしてその力が己龍家剣術に向いていないのか。
それを二体は身を持って理解出来た。
だからこそ、それに、その殺意の本当の意味に気づくのは相当に遅く、二度目の開戦より十分以上が経過した時だった。
横に大振りで凪ぐ大太刀を、雲耀は後方に下がり回避する。
それと入れ替わりでクロスは前に出て、その大太刀を大剣で受け止めた。
何度目か繰り返された、クロスがカバーして雲耀の代わりに攻撃を受け止めその隙に雲耀が攻撃するという戦法。
だが、今回は少々事情が異なった。
クロスは確かに、今までと同じ様斬撃を受け止めた。
受け止めたはずなのに……クロスは後方に吹き飛ばされる。
速度は全く落ちず、クロスはそのまま、家の敷居を囲む壁に激突した。
「クロス!?」
雲耀はそう叫び、吹き跳びクロスを目で追った。
「……だから未熟なのだ」
そう言葉にし、宗麟は大太刀で突きを放った。
巨大な刀から繰り出されるその突きは暴風を引き起こし、それはまるで巨大な獣が突撃してきたかのような突きだった。
「刀で受け流そうにも風でぶれ、避けようにも油断して出遅れ」
その突きを雲耀に避ける事は叶わず――。
「――ぬ」
宗麟はそう呟くと同時に突きを止めその場から離れる。
その直後、先程まで宗麟のいた辺りの地面に、投げナイフが突き刺さった。
「雲耀。油断するな!」
そう言いながら、クロスはよろよろと雲耀の元に移動した。
「わりぃ! 大丈夫か!?」
「……悪いニュースと凄く悪いニュースと最悪なニュースがあるぞ」
ふざけた口調のまま姿を見せるクロスは、どこか骨がイカれていてもおかしくない位ボロボロだった。
「……順番に頼むわ」
「オーケー。まず悪いニュースだが、さっきので俺の剣歪んだわ。ぶつかる時咄嗟に剣で受け身とったのが不味かったな」
「まあクロスが無事ならまあ良し。それで、凄く悪いのは何だ」
「ぶっちゃけ無事じゃない。剣もそう長く保たないけど俺自身ぶっちゃけどこまで戦えるかわからん」
魔力を流して何とかなっているが、もし魔力を流すのを止めた瞬間立っている事すら出来なくなるだろう。
それ位、クロスの受けたダメージは大きかった。
「……それより悪いニュースあるのか」
雲耀の言葉を示す様、クロスは自分の右腕を見せる。
そこにあるのは、本当に小さな切り傷。
大太刀を受け止めた時に出来た、直接触れた訳でもないかすり傷。
そこから流れる血の色は、ほんのりと緑色になっていた。
「宗麟の武器、あれ毒があるわ。それも直接触れなくても効く様な性質悪い毒が」
その所為で、クロスは足のふんばりが効かなくなっていた。
クロスと雲耀はお互いに顔を見合わせた後、苦笑いを浮かべる。
状況があまりにも悪すぎて、お互い笑うしか出来なくなっていた。
「逃げるか?」
雲耀の一言に、クロスは首を横に振った。
「逃げられると思うか?」
「……俺が殿になれば……」
「さて、俺の毒はどういうタイプかな。もしこれが悪化するタイプなら……俺が逃げるのはまあ無理だわな。だから俺を殿にして逃げるって手はあるぞ。あるけど……」
「それはないな。……さて、どうしたもんか」
そう言葉にし、二体はお互いの距離を開け宗麟の方を見る。
攻撃と攻撃の隙間が出来た為、会話する時間が増えたのは良い事だが、攻撃の重さはその分増している。
本当にどうしよう。
そんな事を考えならその大太刀を見て、クロスはその不明な殺気の正体の一つを、宗麟の獣性とも言えるものの一つを理解する。
それは、蜂。
必ず刺し殺すという様な、凶暴な毒を持つ蜂。
その大太刀の殺気が蜂系の魔物の物だとクロスは毒を受けた今更に気が付いた。
ありがとうございました。




