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追放されなかった男~二度目の人生は土下座から始まりました~  作者: あらまき
新天地を生きる二度目の男

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雷鳴(前編)


 人間であった時、クロスは自他共から過小評価されるという奇妙な存在となっていた。

 皆が皆という訳ではないのだが、少なくとも自分自身と大多数にはクロス・ヴィッシュという存在が過小評価されていた事については、間違いない。

 ついでに言うなら、そのクロスという存在を逆に最大限これでもかと過大評価していたのがクロード達仲間四人なのだから、それはそれで皮肉としか言いようがない状況だった。


 だからこそ、人間であった時誰一人クロスの正しい価値を知る者はいなかった。


 クロスという存在は一般人から見れば間違いなく化物の領域側にいる存在である。

 ただし、本当の頂点にはたどり着けない程度の、頂点を見上げて見つめる事が出来る程度が関の山。

 天辺に上り詰める程の才能は、クロスにはなかった。


 もし、クロスが冒険者であったのならきっと超が付く一流となっていただろう。

 ただし、冒険者の頂点に辿り着く事は絶対にない。

 上位冒険者百人には入るが、それがクロスの限界点である。


 それがクロスという存在の価値。

 クロスという存在を表す指標。


 だが、クロスという存在の、本当の意味での実力を測るには早計であると言って良いだろう。


 クロスの本当の実力、過小も過大もされない場合のクロスはどういう価値になるかと言えば……人類の頂点、クロード達に匹敵するレベルと言い換えても良い。

 誰にも知られていないが、クロスという存在の価値は、人類の頂点に限りなく近い位置にいたのだ。


 確かに、クロスの戦闘力は勇者の仲間として考えたら弱すぎた。

 勇者達が圧倒する魔物との戦いですら、クロスにとっては常時命がけ。

 常に格上との戦いであり、そこに自信が付く要素はない。


 逆に言えば、常に命がけの戦いで生き延び続けたのだから、その蓄積した経験量は常人どころか一流冒険者と比べても何百倍も多かった。

 一度や二度の死線を潜る事があるかないかが普通の人の人生で、死線を十度以上超える様なのは冒険者や兵士位なもの。

 百を超えるとそれはもう大英雄の領域。

 しかし、クロスは多い時なら一日で千は死線を潜り続けていた。

 絶対にクロスを殺させまいとする仲間達に守られながらだから死ぬ事はなかったが、それでも、圧倒的格上に囲まれ続けたその状況は確かにクロスにとって死線だった。


 じゃあその死線を潜り抜けた事がクロスの価値かと言えば、圧倒的な戦闘経験こそがクロスの価値かと言えば、それだけではない。

 まだクロスを知るには足りていない。

 完全なる上位互換となる勇者パーティーにいたから自分ですら気づいていなかったが、クロスの本当の価値はそこだけではなかった。


 クロードに剣を習ったクロスは剣を使えば超が付く程の一流で。

 メリーにナイフを教わったクロスはサバイバル式ナイフ術が一流で。

 ソフィアに応急処置を教わった為ちょっとした医者並に応急処置に長け。

 メディールから対魔法使いの指導を受けた為魔法使いの欠点を理解して。


 応急処置とサバイバル技術に実戦経験が加わって人体構造に詳しくなり、クロード達と共に行動していたから露骨にご機嫌取りに来る人を見慣れ、人の顔色を見る癖が付いて――。


 もちろん、彼らに教わった事はこれだけではないし、クロスは彼らにだけ物事を習った訳でもない。


 彼らの為に食事を研究したから料理の基礎知識と食材の基礎知識、加工知識は人間の料理人としてなら超が付く一流とまで昇華されている。

 魔物の世界では二流にすらなれないが、それは文化どころか文明レベルに差があるので仕方がないし、その経験と知識は決して無駄にはなっていない。


 実力が足りないまま多くの魔物と戦い続けた事により魔物研究者並の知識と観察眼を持ち、多くの人と触れ合い馬鹿にされ続けたから異常な程のコミュニケーション能力を持ち、冒険の日々、移動の日々、旅行の日々だった為旅についての様々な能力に長け……。


 そう、クロスの本当の価値は、恐ろしい程に幅広くオールマイティーな事にあった。

 その全てが勇者達四人は勝てていない為、クロスはそれを無意味に思っているが、そんな訳がない。

 はっきり言ってそれはそれで化物としか言い様がなかった。


 冒険者、料理人、戦士、兵士、旅人、狩人、魔物ハンター、山賊、盗賊等のリーダー、魔物研究者、マッパー等々……。

 品位と知性、専門技術に魔法といったどうしてもクロスが持ち得ない物を除けば、大体の事に対してクロスは一流以上の能力を兼ね備えていた。


 ここまでオールマイティーとなればそれはもう人類の中でも頂点の一つと言っても良いだろう。

 というよりも、同じ様な事をしようとする存在すらいない。

 最も近いのはメリーだがメリーはもっと暗い事に特化している為役割が少々異なる。

 クロードだけは例外で、クロスのする事の全てをそれ以上の実力でやろうと思えば出来る。

 文字通りなんでも出来る事が勇者の強さだからだ。

 クロードにはクロスの様に誰かの助けとなりたいなんて心がない為、クロスと同じ事をやろうとすら思わないが。


 勇者達の為に、仲間達の為に何かをしたいと常に思い続け、体を動かし続け多くの経験を得た男。

 クロスはそれだけ多くの事を習得できるまでに、能力を広く横方面に伸ばし続ける人生を過ごした。


 だからこそ、魔物となった今でもクロスという存在は魔王城というエリート達が集う中でも決して引けを取らない程の能力を持ち合わせ、超が付く程の一流扱いを受けている。

 エリーが傍にいる時限定だが、クロスという存在は魔王名代と呼ばれるに相応しい存在となっており、同時にもう少し自身が戦闘に長けるか戦闘に優れる部下を増やせば、魔王となる事も決して夢物語ではない。

 それが、現時点でのクロスという存在の本当の、正しい価値だった。


 そんなクロスだから、オールマイティーなクロスだからこそ、自身の欠点は誰よりも理解している。

 クロスの強みは選択肢の広さにある。

 戦闘に限定されるより、文字通り何でもありな状況ならクロスという存在は間違いなく、輝きを放つ。

 それこそがクロスの欠点。

 それがクロスの限界で、壁を越えられない理由。

 クロスが本物と呼ばれる様な相手に勝てない理由は、そこにあった。


 つまり、クロスの欠点は、相手の土俵で戦う事そのものにある。

 そうなった時点で、選択肢が限られてしまったクロスに勝ち目は残らない。


 そして現時点で言うなら、己が身を凌ぎあい、削り合い刃をぶつけ命を奪い合うというこの状況は間違いなく宗麟の土俵となっており、クロスの持ち味の大半が殺され切っていた。



 戦闘開始から五分経過。

 状況は限りなく最悪と言えるだろう。

 対策に対策を重ねた不意打ちは全て無駄に終わり、真っ向勝負に持ち込まれたこの状況。

 戦えば戦う程、宗麟という存在が馬鹿馬鹿しく思え、勝てるビジョンが全く見えない。


 何をしても、どんな手を打っても、宗麟という存在が、その構えが全く崩れる気がしない。

 力強く、一切の隙を見せず、ぶれず、ただ悠々と立つその姿。

 ただ刀を構えこちらを見てるだけの宗麟が、クロスにはまるで山の様に見えた。


 最悪なのはそれだけではない。

 これが人間の戦いであるのなら、まだ良い。

 だけど、これは魔物同士の戦い。

 魔物には魔物らしい何らかの特徴が出て来るものなのだが……宗麟にその特徴は未だ見られず、姿も立ち振る舞いも人そのもの。

 宗麟の頭部には雲耀の様に角が生えておらず、そして鬼らしき馬鹿力も見せていなかった。


 宗麟に種族的特徴がない魔物であると考えるのは、間違いなく甘い考えだ。

 まだ、宗麟は己が種族が何であるかを見せていない。

 つまり、種族という隠し札を見せ札として使っているという事。

 その事実は、絶賛追い詰められ後がないクロスと雲耀にとって間違いなく最悪な事実だった。


「おい。あんたの親父さん何の種族か本当にわかんねーのか? ヒント位あるだろ」

 そう嘆く様に尋ねるクロスに雲耀は血まみれの手に包帯を巻いて強引に止血しながら答える。

「知らん。とりあえず母親が鬼で俺はそっちを受け継いだ」

「弟とか妹は?」

「鬼とか一つ目とか狐とかそういう特徴継いでるけど母親の方ばっかだ」

「え? 奥さん一人じゃねーの?」

「全員妾みたいなもんだ。一人産ませたら後はもう放置だよ。こいつはそういう奴なんだ」

「なんてもったいない……」

「そこでもったいないって発想が出る辺りクロスも相当だよな」

 そう呟き雲耀は苦笑いを浮かべた。


「という事で、奥さんに対してどう思っているのか感想どうぞ! 女なんて使い捨てって言ったら嘆きと怒りと嫉妬と憎しみで必ず殺す」

 クロスは正眼の構えを取る宗麟にそう叫ぶ。

 だが宗麟はそれに対し一切反応を見せず、無表情のまま、その刀を構え続ける。

 その様子はまるで刀に全てを込めている様で、宗麟の本体がその鋼であるかの様でもあった。


「……腹立たしい事だが、奥さんの方誰も不幸になっちゃいないから安心しろ」

「そか。そりゃ良かった。と言っても、あんま心配してなかったけどな」

 そう言ってクロスは微笑み――迫りくる宗麟の刀を慌てて回避した。


 そう、こういう男なのだ宗麟とは。

 空気など読まず、隙があればいついかなる時でも殺そうとする。

 面白味のない男と呼ばれる様な、そんな愚直な男。

 だからこそ、己の生きる道を邪魔しない限り、誰かを不幸にしようとはしないだろうと思える。

 その己の道の先にある息子、娘達を除いてだが。


「古願調龍派一刀術崩しが一……截釘(せってい)

 そう呟き、宗麟は剣を鞘に納刀する。

 鍔と鞘が重なり合い、小気味よい金属音を放つと同時に――クロスの両手にあるソードブレイカーが根元からへし折れた。

 避けたつもりになっていたが、どうやらそういう訳ではなかったらしい。


「うへぇ。何されたかすらわかんなかったんだけど……」

 そうクロスは愚痴りながら背中に隠していたバラバラの棒を取り出す。

 それをくるくる回しながら組み立て――、一本の槍としてクロスは刃先を相手に向けながら若干下向きにし、待ち構える様な構えを取った。


「クロス。時間稼ぐから少し休め」

「あん? いや俺大して疲れて――」

 そう言葉にした後に、止血したはずの胴体から血が漏れ出している事にクロスは気づいた。

「疲れじゃなくて、あいつが傷口に刃を軽く通したんだよ。クロスを弱らせる為に」

 雲耀はそう言った後刀を抜き、いつの間にか刀を抜き放ち構えている宗麟と同じ様な正眼の構えを取る。

 同じ様な構えのはずなのにその様子は随分異なっており、どこか待ち構える様な宗麟と比べ雲耀の構えは今にも突撃しそうなそんな前のめり感の強い構えだった。


「当主なんだからさ、剣術で挑まれたら断れないだろ? 時間稼ぎに付き合えや」

 そう、雲耀は挑発気味に言葉にする。

 宗麟は無表情のまま、ぽつりと呟いた。

「挑み手から名乗れ。それが作法であろう」

「はいはい。己龍家基本剣術が崩し、二十八舎宿星東方蒼龍兵法雲耀流――ま、要するにただの我流だな」

 そう言葉にし、雲耀は刀を振り上げ上段の構えを取った。


「古願調龍一刀術免許皆伝、己龍一刀羅刹宗麟――」

 そう言葉を返し、宗麟は頭の右前辺りで剣を立てたままの構え、八相の構えを取った。


「あんたさ、正規に名前名乗る時一刀が被っててちょっと間抜けだな」

 そんな雲耀の言葉で、無表情の宗麟にしては珍しくほんの少しだけ眉を顰めた。




 雲耀と宗麟は、じり……じり……とすり足での平行移動を繰り返す。

 軸をずらし合い、戻し合い、引き寄せあい。

 円となる様な動きはまるでスローダンスを踊っている様でもあった。


 だが、そんな優雅な時間は決して続かない。

 雲耀という男とは、そんな穏やかで殊勝な戦いが出来る様な性格である訳がなかった。


 雲耀は相手に軸をずらされても気にせず、すり足を遅くし代わりに距離を詰めていく。

 上段の構え、超攻撃的な構え。

 そのまま一歩、間合いを踏み越え――。

 先に間合いを踏んだのが雲耀だからこそ、先に動いたのは宗麟の方だった。


 後の先を取った宗麟は瞬歩により一瞬で間合いを詰め、八相の構えから袈裟斬りに刀を振り抜く。

 それを雲耀はほんの少しだけ軸をずらして避けるという、まるで全部わかっていたかのような紙一重の回避をして見せる。

 その時の雲耀は笑っていた。

 宗麟は、雲耀のあの不用意な一歩はただ自分を招く為の撒き餌だったのだと悟った。


 回避した宗麟の側面に立ち、雲耀は真っすぐ刀を振り下ろす。

 腕を切り落とさんとする鋭い斬撃。

 容赦も何もないその一撃を、宗麟は横移動ではなく九十度の回転移動で回避する。

 ギリギリの回避、腕の横を刀をすり抜ける程のギリギリ。

 大きく避ける余裕はなく、大きく避けると反撃出来ないからこその、少々危険な一手を宗麟は何となく当たり前の様に通した。

 

 この瀬戸際の一手により横に付いていたという雲耀のアドバンテージは消滅し、お互い正面から向き合うという元の状態に戻っていた。

 刀という一撃で勝負の決まる武器の場合、意外な程攻防がはっきりと分かれる。

 動き出した相手に対しカウンターを仕掛けるというのはよほど入念に準備した場合でしか不可能であり、受け手は基本防ぐか避けるという選択を迫られるからだ。

 ただし、刀という武器は攻防が分かりやすいのと同じ様に、攻防の切り替わりも非常に早い。

 基本的に一度刀を振ると、攻め手は次受け手に回る。

 だからこそ、アドバンテージを奪われた雲耀は無理に攻めず宗麟の次の一手を待った。


 宗麟は振り下ろした後の為下段の構えとなっているが、その構えのまま一歩踏み込み突きを放つ。

 一切殺意を感じない、ゆるくぬるい突き。

 あまり早そうに見えない、のろのろと見える突き。

 だからこそ、それが恐ろしい物だと雲耀は知っていた。


 古願調龍一刀術の技の一つ、霞。

 自然と同化し自分の存在感を極限まで薄め、対策する事を忘れる程相手を油断させ放つ突き技である。


 雲耀はそれを一歩下がり、避けながら下段の構えを正眼に戻す。

 そして相手の突きを放つ手が伸びきったそのタイミングで刀を振り上げ、一気に振り下ろした。


 上から下に振り下ろす、基本かつ最も優れた刀の動き。

 頭が単純で同時に身体能力の優れる雲耀が最も自分を生かせる剣技。

 その斬撃に対し、宗麟は刀の刃を上に向け、斜め向きに斬撃に対して刃を重ね――流れを反らした。

 シャリシャリとあっさりとした金属音が響き、火花が散る。

 まっすぐ墜ちる様な斬撃は宗麟の刀を伝い反れた。

 ついでとばかりに宗麟は雲耀の顎目掛けて刀を振り上げる。


 雲耀は頭をひょいと横に避けて切り上げを躱し、思いっきり力を込めて回し蹴りを放った。

 流石にそれは予想外だったらしく宗麟は避ける事が叶わず、宗麟はダメージを流す為蹴りを受け止めながら後方に跳んでみせた。


 そして両方共に正眼の構えとなり仕切り直しとなった。




 雲耀の剣術は我流とは言え、そこらへんの浅い我流とは異なりちゃんとした下地がある。

 己龍家に続く古願調龍一刀術という下地を元に、自分の得意な動きを組み合わせて作られたのが、雲耀の我流剣術である。

 とは言え、我流であるとかないとか関係がなく、雲耀の実力は宗麟に全く届いていない。

 途中から家を出て、家の剣ではなく色々な場所の剣術を取り入れた雲耀の行動は回り道でしかなく、その間もただ己が鋼を磨き続けた宗麟と比べれて見れば、むしろ差は広がっていると言っても良い。


 それでも、今雲耀は確かに、五分とまでいかずとも五分に近いところまで打ち合う事が出来ていた。

 雲耀は宗麟の剣を知っていて、宗麟は雲耀の剣を知らない事。

 雲耀の方が身体能力は高い事。

 それらも理由にあるにはあるが、実力の差を狭める程では決してない。

 今、雲耀が宗麟に食らいつけているのはその雲耀の意志によるものである。


 雲耀は家を出てから今日まで常に、毎日毎時間、ただただこの日の事だけを考え続けて来た。

 実の父を間違っていると糾弾する為に。

 父が子供を、その逆に子供が父を殺す事を下らない物だと言い切り、父という存在の生涯を否定する為に。

 ただその為に、恐ろしい父の剣術に対抗する術を雲耀は常に考え続けて来た。

 その飢え求め考え続けた結果が、今ここに生まれていた。


 それでも……ここまでやって、ここまで捧げて……尚、雲耀に勝つ目など全く残っていない。

 得意な部分を押し付けて、相手の嫌がる行動をして、相手の流派の欠点をチクチクいたぶって、それでようやく四分半程度。

 その上刀を交えれば交える程、情報アドバンテージが消えていく。

 己自身が鋼であり、殺意であり、刀である宗麟の生涯を相手にするに雲耀の執念はまだ届いておらず、ただ、足掻く事が許されただけだった。


 しかし、それで十分だった。

 それだけ出来れば、状況を変える一手には十分過ぎた。


 それは宗麟だけでなく、雲耀にとっても予想外な事だった。

 この行動が、雲耀が全力の宗麟と向き合えているという状況が、恐ろしい程に都合の良い状況だという事は、誰にとっても予想外だった。


 今、宗麟は雲耀の方に意識を集中させている。

 つまり、クロスの方にほとんど意識を向けていないという事である。

 一応何時襲ってきても良い様用心はしているが、その程度しかクロスに意識を割り振ってなかった。


 クロスは剣の腕は一流程度で、宗麟の足元にすら及んでおらず、今手に持っている簡易組み立て槍なら懐に入られただけで死が確定する。

 そう、戦闘という意味でクロスは今回ほとんど役に立てない程度の実力しか持っていなかった。


 しかし、戦闘という意味だけでないのなら、クロスの実力は少々以上に変わってくる。

 オールマイティに何でも出来るクロスをフリーにさせるという事は、クロスの培ってきた人生と、クロスのこれまで生き抜いてきた生涯と戦うという事。

 その分厚く重い、実力不足のまま魔王討伐に向かったという男の、どんな事でもやって、あらゆる事を行って、仲間達と共に居ようと願った男の凄惨たる生涯そのものと戦うという事に他ならない。


 一歩、宗麟は一歩だけ足を前に進めた。

 たったそれだけの行動で、宗麟はクロスの術中にかかっていた。


 現在いる場所は己龍家の庭、宗麟のホームポイントである。

 そこに何がどれだけあり、どういう風になっているのか家主である宗麟は正しく理解しており、実家の範囲ならこれだけ広くても目を閉じて生活すら出来る。

 それほどに馴染んだ場所だからこそ、宗麟にとってここはホームで、クロス、雲耀にとってここはアウェーとなると言っても過言ではない。

 宗麟にとってこの庭は、この家は目を閉じても歩ける程馴染みのある場所である。

 だからこそ、宗麟は強烈な違和感に襲われた。


 その違和感の正体はわからない。

 足元にあるはずの丸石が一つなくなっているなんてのは、当たり前にあると思った物が違う物だったからなんて小さな違和感の正体に即座に気づけという方が無理な話である。

 浮きあがった丸石がなくて、右足の感覚がわずか数ミリ程度いつもより低いだけ。

 だけど、毎日暮らし訓練する宗麟はその違和感を絶望的なまでに気づき覚えてしまい、わずか一瞬だけだが、意識を飛ばしてしまう。

 その隙を、その原因を作ったクロスが見逃す訳がなかった。


 指に小さな金属製の玉を掴み、親指を弾いてそれを飛ばす。

 指弾という暗器の一撃、普段なら絶対に通らない、わかりやすすぎるしょぼい一撃。

 ただし、一瞬だけ意識が飛んでしまった宗麟にとってそれは無拍子とほぼ同じであり、鉛色の玉は見えていない。

 小さな金属の玉。

 必殺の一撃なんて威力がある訳でもなく、本来なら目等の急所以外ではただ痛いだけにしかならない様な攻撃。

 それをクロスは猟師になれるほどの集中力と見と待ちの力を使い、盗賊の最高峰メリーに直に習った指弾着技術を生かし、魔物の肉体で今出来る限界まで魔力を体内に流し力を圧縮した状態で放っている。


 指弾は弾丸の様にまっすぐ直進し……そしてクロスの狙い通り、刀を持つにあたって最も重要な宗麟の左手、そこ目掛けて進み――その薬指第二関節に直撃する。

 めきっと、わかりやすい音と共に薬指が反対方向に曲がり痛みに襲われる宗麟。

 そこで刀を落とさなかったのは、宗麟のその生涯が刀と共にあったから、宗麟がそれだけ修羅場をくぐっていたから。


 だが、その痛みから生まれた隙はどうしようもない程に大きく、宗麟は雲耀の一太刀をその身に受けた。


ありがとうございました。

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