愚直な程不器用な魂
それは最初からわかり切った事でしかなく、そしてどうしようもない事としか言いようがない事だった。
クロスは昔から――ずっとずっと昔の、勇者達と共に冒険をしていた時からずっと感じている物がある。
昔ではクロード達仲間に対して、今は魔王アウラフィールや純血ヴァレリアに対して。
そんな彼らと自分との間にはただ実力の隔たりがあるだけでなく、越える事の出来ない壁の様な物があると、クロスは感じていた。
その壁の正体は、一体何なのか今もわかっていない。
常日頃からずっと考えていた生前ですら答えを見つける事は叶わず、そして今でも残念な事に、その答えについては見当すら付いていない。
格上であっても必ず負ける訳でもなく、格下であっても必ず勝てる訳でもない。
戦いという物はそういう物であるはずだ。
あるはずなのに、クロスはクロードとどんな方法で戦っても勝てる気はしなかった。
クロードだけではない。
ソフィアも、メディールも、メリーも。
勇者として共に戦った仲間の誰にも、クロスは勝てていない。
模擬戦として相対すると、それが……壁の様な物がはっきりと見えていた。
その壁を越えた存在が、仲間達で、その壁を越えられない存在が、自分。
紙一重の様に感じる事もあれば、一生越えられない程分厚く感じる事もあった。
その壁の正体は今もわかっていない。
一流の証なのか、それとも文字通りクロスという存在の限界点、壁なのか。
正体はわかっていないが、それでもわかる事がある。
その、壁を越えた相手に対して、クロスという存在はただただ無力であるという事だ。
結局の所、クロスは壁を越える事どころか正体すら掴めなかったという事が一つの答えであり……そんなクロスが壁の様な物を感じる相手に、宗麟相手に勝てる訳がない。
だから、これは最初からわかっていた事だった。
夜間の強襲、不意打ちの毒矢。
クロスが今出来る最大かつ最も効果的な先制攻撃。
屋敷の中で、独りゆっくりお茶を飲む宗麟に目掛け、クロスは音を殺し、気配を殺し、矢を放った。
宗麟は飛来し襲い掛かる矢を見ようとすらしない。
障子の紙を破り、顔のすぐ傍まで襲い掛かるその矢に一切目を向けず――宗麟は、湯飲みの底で軽々と受け止めた。
宗麟は湯のみを置いた後小さく息を吐き、矢の飛んで来た方角をちらっと見つめ、ほんの少し、口角を上げた。
「――己龍当代として、この果し合い、承った。そちらが二人であるのなら、こちらは一人で構わぬ。さあ、参られよ」
そう、朗々と語り上げた後、宗麟はゆっくりと立ち上がり中庭の方にいるクロスと雲耀の元に歩き出した。
「ああ……そうだよなぁ。こうなる事位、最初からわかっていたさ……」
そう、クロスは呟き無意味となった弓と矢を捨て、酷く特徴的な剣を手に握る。
片刃の直剣で、刃の反対側には深い切込みが幾つもありノコギリの様な形状になっている。
それは、ソードブレイカーと呼ばれる種類の剣、剣を壊す為だけに作られた剣だった。
「無駄ってわかってたのに、そんな強力な毒矢用意したのか?」
「それはな雲耀。最初から勝てないとわかっているからこそ、ワンチャンを手繰り寄せる為に出来る事は、思いつく限りの事を全て本気で試す事が大切なんだよ」
「……それは良いんだが、もしそのワンチャンが通ってたら、あいつ死ななかったか? 俺は生きたまま倒すって頼んだはずだが」
「どうせ死にゃあしないさ。あの手の化け物は雲耀の思う以上に理不尽なんだ。それを俺は良く知ってる。悲しい程にな。だからこそ……出来る事は全部やるぞ。良いな?」
「……お前やっぱやべぇわ。色々な意味で」
そう、雲耀は呟いた。
開幕で完璧な隠密での即死級の毒矢での一撃。
それが意味のない行動だとわかると即座にソードブレイカーを持ち近接準備。
それ以外にも見ている限りで後十や二十位隠し玉をクロスは用意している。
それを考えると、本当にクロスという存在は色々な意味でおかしい。
とても元勇者の仲間で賢者と呼ばれ、魔王名代である男とは思えない。
雲耀にはクロスという存在は歴戦の暗殺者の類である様に思えた。
「雲耀。下手な連携はいらん。俺を踏み台にして倒す覚悟を持て。良いな?」
そんなクロスの言葉の意味が、雲耀にはいまいち理解しきれなかったが、とりあえず頷いておいた。
「……一手。お相手願う」
宗麟は中庭にてソードブレイカーを持ち、本来の腰の位置位まで頭を下げて床に手が触れる寸前という不思議な構えをするクロスにそう告げる。
クロスはそれに答えない。
言葉にする代わりに、クロスは自らの魔力を体内で限界まで生み出し、体内で爆発させる。
一瞬で到達する魔法使いとしての覚醒状態、魔法を使う者の戦闘形態。
世界に接続された様な、世界が自分の物となる様な、そんな超感覚を、クロスは久方ぶりに呼び覚まし、そのままクロスはカウンターを狙うかの様、一ミリたりとも動かずその場に止まり続けた。
「……まるで蜘蛛の様な構えよ」
そうとだけ言葉にすると宗麟はゆっくりと刀を抜き、その場で正眼の構えとなる。
前に出る、刀の範囲外からの動かずの中段の構え、それに対し超低空の構えを取り続けるクロス。
しかし、両者はどちらも動いていない為、その距離は一歩も――。
「おらぁ!」
雲耀は叫びながら、宗麟の側面から抜刀し刀を振り抜く。
全力全開の、後の後も後の先も考えていない筋力のみのごり押しの剣。
それを見て宗麟は――落胆の表情を見せる。
その直後、雲耀は大きく後方に吹き飛んだ。
宗麟は一歩たりとも動いた様子は見せていない。
にもかかわらず、雲耀は確かに何かの攻撃を受けていた。
クロスは吹き跳び岩に直撃する雲耀を見ても、一歩も動かない。
宗麟から目を離す事が出来ず、カバーする事すら出来ず、今も動けないまま。
その頬には、一筋の冷や汗が流れていた。
お互いに一歩も動いていないからこそ、それはクロスにとって極度な程不利な状況となっていた。
カウンター狙いで相手が動かないとか、そういう結果的な意味だけではない。
一対一の剣で果し合いで今回の様なお互い動かない、静の動向と呼べる様な状況は非常に良く起きる。
お互いがカウンター狙い。
実力が均衡して、お互いの動きが読め過ぎて。
逆に動きが読めなさ過ぎてお互い慎重になって。
様々な事情からお互いが動けずその動く時を待ち続ける状況、静の動向。
この様な状況で先手を取る事が出来る者というのは静観が出来る者に限られる。
そしてそれはつまり……より己の剣に向き合った者。
だからこそ、半端者であるクロスには非常によろしくない状況だった。
ただでさえ何をしてくるのかわからない格上相手なのに、ただ待つ事しか出来ない状況。
間接的に選択肢が削られた状態というのは選択肢が武器であるクロスにとって最悪な状況。
それでも、相手の行動がわからないからクロスはただ待ち続けないといけない。
嫌な状況であってもクロスは一切意識を途切れさせる事なく宗麟の動向を見続けるしかなかった。
何か動きがあった場合、すぐ動ける様に。
そうやってクロスが待ち続けている今でも、宗麟は一切、一ミリたりとも動いている様子は見えなかった。
「クロス! 逃げろ!」
雲耀の叫び声を耳にし――そこでようやく、クロスは気が付いた。
一歩も動いていないと思っていた宗麟は、既にその刀の間合いにまで歩を進めていた事に。
我欲を殺し、自分を殺し、友を殺し、家族を殺し。
すべてを殺し尽くした男の一刀は、音すらも殺していた。
無音の斬撃で交差した後、お互い振り向き再度向かいあった。
「……一手、遅ければ逆でしたな」
宗麟のそんな言葉にクロスは鼻で笑った。
「一生届かない差を一手差とは言わんわ」
そう言葉にするクロスの手に握られたソードブレイカーは真ん中辺りから折れ、元々短い刃渡りは今やナイフよりも短い程となっていた。
事実、それは確かに一手差と言える程度の差だった。
クロスがもう僅かでも早く動き、もう少しでも早くソードブレイカーの隙間に剣を差し込んでいれば、折れていたのは宗麟の刀の方だった。
だが、その一手は宗麟が場を見極めた後に生み出した一手。
その一手こそが、クロスにとっての壁。
つまり、今のままでは一生届く事のない差そのものだった。
再度、剣を構える宗麟。
言葉はなくとも、その明確な殺意をクロスは感じ取れた。
今度は、剣を高く持ち上げ上段の構え。
必ず一撃で殺すという強い意志の感じる攻撃的な構え。
その構えを見た後、クロスは折れたソードブレイカーを捨て、新しい武器を取る。
それは、先程と全く同じ武器だった。
すっと、宗麟は上段の剣を下ろし中段の構えに移行する。
再度ソードブレイカーを破壊する為に、臨機応変に行動出来る正眼の構え。
それに合わせてクロスはソードブレイカーをもう一つ取り出し、逆手二刀流という独特の構えを取った。
「蜘蛛の様と思っていたが、どうやら雲であったらしい。先が読めぬ構えばかり取られる」
「先が読める構えを俺が取っていたらもう終わっているだろ」
「ええ。全く以てその通りかと」
そう言って宗麟は、じりじりとすり足で横に移動しクロスの軸をずらそうとする。
クロスも軸を宗麟に合わせ、同時に軽やかにステップを踏み相手に軸を合わせられない様意識する。
先程と真逆の、動の動向。
お互いの動きを探り合い、お互いの行動に強い動きを探す時間。
先の先も、先の後も、後の先も、後の後も。
どの様な行動でも通る可能性の見える動の動向であるなら、クロスはまだチャンスを掴む事が出来る。
少なくとも、雲耀にチャンスを渡す事が出来る。
そう、思っていた。
「――見えた」
そう、宗麟は呟く。
クロスは何ひとつ、見えていない。
刀を振るのどころか、宗麟が手を動かした事すら分らなかった。
それでも、体は覚えていた。
実力のない身のまま強敵と戦い続けたその身が、常に死の危険を覚え続けた絶望としか呼べない戦いを繰り返したその魂が、それを理解した。
死の感覚、終わりの瞬間、死神の鎌。
クロスにとってあまりに馴染みある終焉の気配が一気に湧き上がり、クロスはわき目も振らず羞恥も忘れ、逃げる様なみっともない恰好で慌てて後方に飛び退いた。
流るる鋼の音。
それを表すなら、雷鳴。
音を聞いた時には全て手遅れとなっている様な、そんな音。
その音と同時に、クロスの胴体は袈裟斬りに斬られていた。
「見事――」
そう呟き、振り抜いた剣を正眼で構え直す宗麟。
クロスは胴を斬られた痛みに顔を顰めた。
「すまん任せきって。大丈夫か?」
体調を整え合流する雲耀の言葉にクロスは頷いた。
「ああ。と言っても、無傷という訳にはいかなかった。血を止めるまで一分……いや、三十秒程頼む」
「あいよ」
そう答え、今度は雲耀が宗麟に挑んだ。
「何故二人で来ぬ」
そんな当然の疑問。
それに雲耀対しては――。
「知るか」
そうとだけ答え、強引に剣を振った。
ある意味正解の行動。
相手の質問に一々答える必要はないのだから無視すれば良い。
雲耀は剣術のけの字も見えない乱雑な剣をまっすぐ縦に、振り抜いた。
それを宗麟は剣で受け止め鍔競り合いの恰好となる。
そのまま――くるりと、切っ先を回転させ刀を絡め合った。
それはなぎなたでの基本的な動き。
相手の武具を封じる動きに、非常に酷似していた。
雲耀の剣は全く動かない状態に固定され、剣を振る事どころか引く事すら出来なくなる。
相手の攻撃を防ぎ、同時に隙を生み出すという技。
それに対し雲耀は……宗麟には絶対に出来ない方法で対処した。
そう、己が魂の刀を捨てるという方法で――。
拘束された刀を手放し、雲耀はそのまま拳を宗麟に叩きつける。
それは奇しくも僅か一手分の差だった。
宗麟が相手の刀を拘束しているその一瞬、宗麟が剣を振るまでのそのわずかな時間を狙っての攻撃。
右腕をのまっすぐ振る突きの様な拳の一撃。
腕力に勝る鬼の放つ、巨腕。
それを受け、宗麟はふっ跳んだ。
「良しお待たせ! そしてグッジョブ。やるじゃねーか」
さっきの攻防を見てクロスはそう叫ぶ。
そんなクロスの方を雲耀は見つめた。
「……どした? そんな顔して?」
煮え切らない様なそんな顔をする雲耀を見て、クロスはそう尋ねる。
雲耀はそんなクロスに、自分の右拳を見せる。
僅かな間にカウンターを受け中指と薬指の間が裂けた状態となった、見るも無残な状態の拳を。
「すまん。悪いが良いのもらっちまった。治せるか?」
「……いや、俺魔法使えないんだ。自分の体に魔力流すだけが関の山」
「そうか。んじゃ、このままいくしかないわ。ぶっちゃけさ、さっきの手応えなかったし」
そんな雲耀の言葉を待っていたのか。
土埃の中、宗麟は刀を持ち、音もなく姿を見せると再度、同じ様に正眼の構えを取った。
ありがとうございました。




