互いに存在を許せない親子(後編)
宗麟は基本言葉足らずであり、誰かと話すのがあまり得意な性質ではない。
そもそも、対等と呼べる相手がおらず、また口で語るよりもその腰に携えた物で語る事の方が多い生涯を送っているのだから、口下手である事は至極当然であるとも言えた。
その事は認めるのが死ぬ程癪なのだが、幼少時共に暮らして来た息子の雲耀は思い出すと腸が煮えくり返る程、それを理解していた。
この男は、普通の生活を送る事が出来ない抜き身の刀の様な男であると。
だからこそ、雲耀は今の状況に酷く驚いていた。
そんなコミュニケーション能力が欠如しきっている宗麟と、ごく普通に話が出来ているクロス、この二体が交流する今の状況は雲耀にとって、大きすぎる未知の経験なだけでなく、どこか怒りにも似たネガティブな感情が呼び覚まされる様なものでもあった。
「宗麟は自分の事を不器用な男と思ってたんだよな? それで、どうしてその難しい刀を使おうと思ったんだ?」
数度の会話の末、気心知れた友に語る様な口調でクロスは宗麟にそう尋ねた。
宗麟は自分を不器用だと語った。
それは口下手という意味だけでなく、同時に多くの事を出来ないという意味に加え、手先があまり達者ではないという意味も含まれる、まさしく三重苦の意味で、宗麟は自分を不器用だと思っていた。
刀と呼ばれる剣の特徴を纏めると、異様な程の切断能力がある重たい武器となる。
だからこそ、技量次第では鋼であろうと容易に切断出来る。
そう聞くと非常に強力な武器に思えるのだが、クロスはこの武器を使おうとも思わないし知り合いに勧めようとも思えない。
その素晴らしさに比例する様に、とんでもない短所を抱えているからだ。
まず、量産が難しい。
製造に相当な技術が必要な上にとにかく時間がかかる。
それ故に数が制限され、値段も決して安い物とならない。
続いて、斬る事以外が苦手である事。
クロスが普段使うロングソード、ショートソードと刀は同じ斬るでも大きな違いが存在する。
刀の方が切断武器としては正しく優れ、文字通り絶ち斬っているのに対して普通の剣は叩き斬っている。
強引に切っている一般的な剣と異なり、刀は切れ味の鋭い包丁を使う様な、すーっと綺麗な切断面が生まれる。
だからこそ、刀はそれに特化しすぎそれ以外出来ない。
突く事なら決して出来ない構造をしている訳ではないのだが、刀での突きはあまり強い行動と言えない。
最後に、最大にて最悪の欠点。
鋭すぎる刃故の特徴なのだが、刀は脆すぎるのだ。
普通の剣なら多少刃こぼれしても問題なく、何ならギザギザのノコギリみたいな刃になっても戦い続けられる。
要するに重ねた鉄板の様な物である為振り回すだけで十分すぎる凶器となるからだ。
だが、刀の場合はそうはいかない。
一つの刃こぼれだけでナマクラと化す。
更に、血糊や油にも弱い。
そして切断出来なかった時は、嫌な程あっさり折れる。
それを欠陥武器とまでは思わないが、それでも、クロスは刀が武器として優れているとは到底思えず、自分が不器用だと思ったなら、こんな武器を使うなんて選択は絶対に思い浮かないだろう。
「クロス殿の言いたい事はわかるつもりです。刀は、あまりにも担い手を選ぶ。私も刀を捨て、別の武器を選ぶ者を多く見て来ました」
「だよな。俺が蓬莱に住むなら迷わず槍を持つ」
「ええ。流石と思います。ですが、一応その理由を尋ねても?」
「刀より容易に強くなれて、主流の武器である刀に強いから」
それは、宗麟の想像していた通りの答えだった。
「敬服致します。多くの武器に触れ、多くの武器を知れた。その経験、知識を重ね覚えた実戦の空気。それこそがクロス殿の強みと思えますな」
「……そう言われた事はなかったなぁ。結局どれも使えない半端ものにしかならなかったし。だからさ、その生き方が出来なかったからこそ、俺は誰よりも一本の武器を選ぶ事の大切さもわかってる。俺ら凡人……いや、凡夫はそうしないと上を目指せない。ああ、結局俺は上にいけなかったな」
「クロス殿でもそう思うのですな」
「だってさ、宗麟はぶっちゃけそれほど才能なかっただろ?」
それを怒りもせず、宗麟は素直に頷いた。
「はい。自らを凡夫と語るクロス殿よりも、きっと私は才能に恵まていないと思います」
「だけど、今の俺よりも、宗麟は遥かに強い。違うか?」
「私にはわかり兼ねます。ただ……凡夫でしかない私でも、こうして一角の里守になれた事は確かです」
「謙遜しないで良いさ。ここまで差が酷いと流石に確信出来る。だからこそ、聞きたいんだ。どうして大変であるとわかっていた刀を選んだんだ?」
「……そう言われると、答えに困りますな。……強いて言うなら、私が己龍であるからと。ただ、ここが刀を扱う家だったから、特に考えず刀を選び、そして己龍として、己をただ鍛え続けたとしか言えません」
「家がそうだったってだけ?」
「ええ――いかにも。私にとって刀とは、その程度でしかなかったですね。家が槍術なら槍を、弓術なら弓を使っていたかと」
「それでも、刀を続けられたんだな」
「ええ」
「辞めたいとは思わなかったのか?」
「何度も思いました」
「それでも、刀一本のみでここまで鍛え続けられたのはどうしてなんだ?」
「……ただ、辞めなかったから辞めなかったとしか」
その言葉が良くわからず、クロスは腕を組んで考え込んだ。
「言葉を交わすって難しいなぁ」
「ええ。いつも思っております。刀を振る事よりも、よほど難しいと」
その言葉にクロスがどっと笑うと、それに釣られ宗麟も微笑んだ。
「ただ、刀は私に似てると、思った事はあります」
「似てる?」
「はい。刀は斬る為だけに全てを捨てこの様な形となりました。私も、その厄介な刀を振る為だけに、全てを捨ててここまで来ました。だからこそ、他者は私を刀に似た男と呼ぶのだと」
その言葉の意味が納得出来る程に宗麟という男の風格は、重い。
一つだけを選んで、それを洗練させ続けて来たからこそ見える、体に纏う闘気。
才能ないからこそ、一つのみを極め続けた形。
クロスが目指すべき形が、羅刹の形がそこには有った。
「宗麟は己が刀を磨く為に、何を捨てて来たんだ?」
「――クロス殿が大切に思う、全てを。故に、私はクロス殿を尊敬しています。私が捨てて来た物を大切にしているクロス殿に、敬意を抱いております」
そう語る宗麟の目は、酷く真剣な物だった。
「そっか」
ただそれだけ、答え、クロスは優しく微笑んだ。
雲耀はこれだけ長く話す父親を見るのは初めてで、おそらく今日この日の会話量だけで雲耀が幼少時父と交わした日常会話の量よりも多いものだった。
「クロス殿。こちらからも一つ、尋ねても良いだろうか?」
しばらく雑談を重ねていた後、宗麟にそう呼ばれクロスは頷いた。
「ああ悪い。こっちばっか色々聞いてたな」
「いえ。どうやら私は話題を出すのが苦手らしいので、それはむしろありがたく思っておりました」
「そかそか。それで、何かな? 俺の事で良かったら何でも聞いてくれ」
「では。クロス殿はどの様な要件で我が屋敷に訪れたのか尋ねても?」
「あー。実は知らないんだ。雲耀、どしてだ?」
そう言って、クロスは雲耀の方をちらっと見つめた。
「何だ。クロス殿がここに用があるから連れて来たのではなく、お前の方が用があるのか」
宗麟は酷く落胆した様子で、そう呟いた。
「……俺が用あったらいけないのかよ」
「……クロス殿の前だ。聞くだけ聞いてやる」
「上から目線で偉そうにっ!」
そう言葉にし雲耀は歯が軋む程強く顎を噛みしめた。
「そう思うのなら、上からが嫌なら私を越え、役割を全うしてみせろ」
「うるせぇ! なぁクロス。明日暇か?」
親子喧嘩の中唐突に名前を呼ばれ、クロスは慌てた様子のまま頷いた。
「え、あ、ああ」
「じゃあ明日だ。明日ここに来る。次は、貴様をぼっこぼこにしにな」
その言葉にクロスは驚く。
だが、宗麟は驚いた様子を見せずむしろ呆れた様な顔をしていた。
「下らん事を……。何故今ここでやらぬ」
「はっ! 今日は良いんだよ。てめぇについてクロスに教えるだけなんだから。それとも、てめぇから来るか? それなら受けてやっても良いぞ」
「……好きにしろ。明日と言わず、今でも、夜でも、何年後でも、私が生きている時なら、好きにな」
そうとだけ宗麟は冷たく答えると、雲耀は怒りを込めた瞳で宗麟を睨みつけた。
「え? ちょっと待って。俺親子の殺し合いに巻き込まれてるの? というか雲耀。流石に親殺しはどうかと思うぞ?」
そう、クロスは二体がクールダウンする様宥めながら言葉にする。
それを見て、宗麟は少しだけ目を丸くしてみせた。
「……本当に何も語らずクロス殿を巻き込んだのか」
「ああ。とは言え、クロスなら俺を助けてくれるって信じてるから問題ないけどな」
「貴様のそれは甘えだ。阿呆め。クロス殿が貴様の考えに全て同意すると思うな。クロス殿。巻き込んでしまい申し訳ない。明日ここに来るかどうかは詳しく話を聞いたうえで決めてください。その上でもし愚息に付いて下さるのであれば……」
その言葉の後、クロスは冷たい、刃の様な殺気を覚えた。
「その時は……クロス殿の生涯を賭して生み出されたその執念、是非、楽しませて頂きます」
そう答え、宗麟は深く頭を下げると立ち上がり、その場を後にする。
いなくなって二体取り残された後、クロスと雲耀は安堵するかの様に、大きく息を吐いた。
「さて、宣戦布告も終わったし帰るか」
そう、雲耀は気楽に言葉にする。
ただ、その足は少々震えていた。
「もちろん、事情を詳しく聞かせてくれるんだよな?」
そうクロスが尋ねると、雲耀は頷いた。
「ああもちろんだ。恥でしかないけどまあ……巻き込こんだからちゃんと事情位はな」
そう言って、雲耀は苦笑いを浮かべた。
さっきまでの己龍家とは異なり、小さく安い平長屋。
そこの一室で雲耀が最初に尋ねたのは、その名前についてだった。
「あいつの名前覚えてるか?」
「あいつ?」
「さっきまであってたアレだアレ」
「ああ。宗麟か。己龍一刀羅刹宗麟だろ。何かすげぇ名前だな」
「ひでぇ名前だろ?」
「俺はカッコいいと思うぞ? かなり物騒だけど」
「……そうかい。まあ、印象とかそういうのはどうでも良いんだ。大切なのは、名前の由来の方だ」
「ああ。ミドルネームっぽいし何か二つ名とかそういう奴なのか」
「まあそんな感じだな。ちなみにあいつの元々の名前は己龍羅刹だ」
「ミドルネームの方が元々の名前なのか。変わってんな」
「んで、一刀ってどういう意味だと思う?」
「一刀流って事じゃないのか? 一刀羅刹だから刀一本だけで生涯戦い抜くとか、自らも一振りの刀とか、そんな感じ」
「……まあ、当たらずとも遠からずだな」
「んじゃ、名前の意味は?」
「その名を得る時、当主となる時先代並びに関係者を皆殺しにしたから。一刀ってのは、それだけあれば良いって意味」
「……は?」
「ちなみに、殺し合った先代はあいつにとって最愛の父親で、関係者は愛しい母親とか仲の良い親族だな」
「……は? 一体何があって……」
「そういう狂った家なんだよ己龍ってのは。とは言え、あの糞野郎はその己龍家の中でも特に己龍らしい糞野郎だけどな」
そう言葉にしてから、雲耀は己龍家についての説明を始めた。
まず里守とは一体何なのかという話なのだが、これは簡単だ。
里守とは、蓬莱の里に入って来た侵入者を排除する役割を持った民の名称である。
里守は蓬莱の里で表の防衛隊である門番とは一切関係がない。
それどころか、そもそもの組織図の中に里守という存在は乗ってすらいない。
要するに、ただの民衆である。
軍としての名声は望まず、金銭も望まず、ただ、入って来た侵入者を殺し排除するのみ。
その役割のみを担う最後の守護者。
その為、彼らが戦う頻度は極めて低い。
彼らが戦うという事は、門番が負けたか隙を突かれ、敵勢力が門の内側に入った時のみ。
事実、里守が百年程実戦を経験しなかったという事も実際にあった。
そんな滅多に戦わない彼らが必要かどうかという議論は、これまでほとんど起きた事がなく、必要な事が当たり前となっている。
その理由は国民性にあるだろう。
蓬莱の里は昔国であった頃から、他の国と比べて非常に特徴的な性質を持っている。
それは、度が付く程の引きこもり癖だ。
外に出るのがおっくうで、内に籠るのが大好きで、外では基本的に大人しく猫を被る様な、そんな民族性。
その代わり自らの引きこもる場所に危機が迫ると唐突に豹変し、その凶暴性を発揮する。
それはまるで、子を護る母獣の様である。
そんな国民性を濃縮し、他の民の代わりに護る事に特化した民。
それが里守である。
彼らは一族共々その為だけに生き、その為だけに死ぬ。
そういう生き方こそが至高であるとしているのが、里守という存在だった。
「そういう立ち位置だから、里守は強さの基準に入っていない。一応この里で俺の強さは五番目程度って言われているけど、実際は十番どころか五十にも入らねーだろうな。そして、己龍家は里守の中でも特に里守らしい一族だ」
「まあ、宗麟を見たらそれはわかる。あの強さはやべぇな。魔王になれるんじゃね?」
「強さだけで見ればなれるかもな。まあ里を護る事に特化した故の能力だから色々穴あるけど。んで、自己犠牲の末に国を守るとか、そういう下らない誇り高さを持ったのが里守だ」
「あんまり悪く言うなって言いたいけれど……」
クロスはそれ以上何も言えない。
怒りとかそういうものではなく、雲耀から感じるのは悲しみにも似た憎しみだったからだ。
己龍の家は里守となる前から刀を中心とした武術の稽古場でもあった。
古願調龍派一刀術とも呼ばれる剣法で、一太刀の重みを理解する事が真髄であり奥義とも言われている。
その剣法の性質は非常に里守に向いており、当然の様に里守となり、そして里守であり続けた。
そんな時を重ねた末に生まれたのが、宗麟である。
息子である雲耀が言う通り、この男は、恐ろしい程里守に、己龍家に向いていた。
才がないから、刀のみに生涯を費やす事と決めた。
周りがお前には無理だと言っても、お前如きでは意味がないと言われても、それでも宗麟は刀のみにただただその生涯を捧げ続けた。
私情を捨て、娯楽を捨て、快楽を捨て……。
その全てを捨て、その分だけ宗麟の内にある刃は、刀の様に鋭くなっていった。
己龍家には一つの家訓が存在していた。
それは、当主となる者は現当主を自分の力で越えなければならないという物である。
当主は己が力を常に磨き続け、当主の座を守り続けなければならない。
その全盛期を維持する当主を、跡継ぎが正面から超える事。
これこそが至高の瞬間であり、その果てに、より純度の高い里守が生まれる。
そう、己龍家では言い伝えられてきた。
故に、当主争いは、常に全力、常に本気。
それは文字通りの真剣勝負であり、だからこそ、歴代の当主争いでは大体、どちらかが命を落としている。
その中でも、宗麟は尚特別で、別格だった。
強さという意味だけでなく、純度が高いという意味でも、切り捨てたという意味でも。
「当主の座を奪い合う果し合いには幾つか条件ああってな、その一つが参加者数の調整だ。特に条件がなければお互いの数は一体か二体差までって決まっている。だけどあの野郎は、当時の関係者全員を指定した。戦える奴全員を――」
雲耀はそう吐き捨てる様に言葉にする。
果し合いに、父だけでなく母や親族全員に、宗麟は出る様求めた。
家族、親族はその理由を知ろうともせず、反対する事なく頷き当主争いに参加した。
良き里守が出るなら、命などどうでも良いと考える者しか、その場にはいなかった。
そして宗麟は、当主争いの場で、今まで切り捨ててきた時同様、家族を情ごと絶ち斬った。
「――あれ? それなら何で雲耀生きてるんだ? 戦える奴全員って」
「その頃俺は生まれてすらいない。あいつは当主となった後、跡継ぎの為に、自分を殺す奴を生み出す為に子を残したからな」
「……なるほどなぁ。雲耀、お前が怒っている訳はわかった。そんで、俺に、ダチとして俺に何を手伝って欲しいんだ? 宗麟を殺す事か?」
「いいや。その逆だ。俺はそんな糞野郎共の仲間になりたかぁない。そんなしきたり参加すらしたくない」
その言葉に、クロスは微笑んだ。
「良かったよそう言ってくれて。んじゃ、俺に何を求める?」
「あの馬鹿を生きたままぶっ飛ばして、ぼっこぼこにする。壊すのはあの馬鹿じゃない。下らないしきたりの方だ。……俺にゃ腹違いの妹やら弟やらが沢山いる。顔も見た事ないがな。そいつらが巻き込まれる前にさ、しきたりを終わらせてーんだ。最悪、己龍の名を潰せば何とかなる」
雲耀はそう呟いた。
その言葉から、クロスは雲耀の本当の願い見えた気がした。
これ以上、父親から感情が消えるのを見たくない。
親子での殺し合いなんか、して欲しくない。
親しくなくても、お互い嫌い合っていても、それでも、あいつは親なんだ。
そんな、雲耀の本心が。
「確約は出来ねーな。完全に格上相手だし。ただまぁ……やれるだけはやってみようぜ」
そう、クロスは言葉にし雲耀の背を軽く叩いた。
「……すまん」
「そこは謝る場面じゃねーだろ」
「えっと……かたじけない?」
「ちょっと違う気がする。あと、そういう話し方するとやっぱり親子なんだなってわかるわ」
「もう二度と言わねぇ。……ありがとなクロス」
「――おう」
そう言葉にし、クロスと雲耀はお互いの拳をとんとぶつけあった。
ありがとうございました。




