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犯人が誰か分かったからって仕事の内容が変わる訳でもなく、相変わらず会議室での隔離状態が続いていた。
少人数でチェックする体制が出来ているので、更に人数投下しても効率が上がらないだろうからこのままやるんだって。あまりこちらに融通してしまうと通常業務の方に影響が出るし、詳しい事情を聞きたがる人とか、手のひら返したように今までの態度を謝って来る人がいて煩わしいので、隔離されたままなのは正直ありがたいけど、チェックする仕事量が膨大過ぎてやる気が萎えるんだよね。
今日も今日とて仕事の山と格闘していたら、肩から首近辺が痺れたようになって来たので、一旦手を止めた。
「お二人共、コーヒー淹れますけど、飲みますか?」
「ありがとう、いただこうかな」
「……貰う」
本日は、ようやく松田さんの事情聴取を警察に引き継いだ課長が、会議室にどっかりと腰を落ち着けて仕事をしていた。課長の無口かつぶっきらぼうな口調は、仕事中の常なのであまり気にしないけど、機嫌は良くなさそうだ。
芳賀さんも減らない仕事に首周りが凝ったのか、ぐるぐる首を回している。
見ているのは細かな数字だから、どうしても神経を使う。通常業務よりも疲労が蓄積しやすい感じがするので、無理に集中してやるよりは、少しずつ休憩を入れた方が結果的に効率は良かった。
思えば、余計な仕事が増えたのも、独りよがりな理由で心労を負う羽目になったのも、元を辿れば広田のせいなんだけど、今までの事を考えてみると、少し腑に落ちない点があるなぁ。
三人分だしちょっと休憩するつもりで、コーヒーメーカーにコーヒーをセットしながら内心で独り言ちる。
今回、本当に冤罪にならずに済んで良かったけど、そもそもなんで私は巻き込まれたんだろう?
いや、切っ掛けは広田が私に言い寄って来たからだけど、それすらも何か意図があったんじゃない?という思いがどこかにあった。女好きで有名だったみたいだから、たまたま私に目を付けただけかもしれないけど、タイミングが良すぎて納得ができないのだ。
特に目立つ方でもないし、容姿もプロポーションも普通。例えば胸が大きいとかなら、容姿が地味でも注目される理由が分からないでもないけど、それは当てはまらないし。……私?ふくらみ位あるよ。ちょっと大人しいだけだから。まな板とかではないから。
……だから余計に理由が分からないんだよね。
もやもやしたものを吐き出すように付いた溜め息を見咎めた芳賀さんが、じろりとこちらを見た。
「なあに、その溜め息。前に比べれば職場環境は随分改善されたでしょう。もしかして、まだ小煩い事を言って来る人がいるの?」
「いえ、そうではなくて……まあ、違う意味で珍しい生き物見る目を向けられる事はありますけど、それはもう今更なんで気にしないようにしています。今の溜息は、疲れたなーっていうのと……」
「というのと?」
「……そういえば広田がどうして私に気のある振りをしたのか、分からないままだったなーっていう、両方の溜息です」
「……ああ」
芳賀さんはちらっと課長の方を見る。課長は、芳賀さんとちょっと視線を合わせてからあさっての方に視線を巡らせた。
「……なんですか、そのアイコンタクト」
あからさまにどっちが言うのと合図している様子に、分が悪そうな課長の方を見やれば、あさっての方を見ながらもぼそぼそとした口調で話し始めた。
「あー、一応な、広田本人に聞いてみたんだ。嫌がられた相手にどうしてつきまとったんだって」
現在、広田の身柄は警察にあり、取り調べが進んでいる。会社側でもかなり調査をして資料を提出したんだけど、聞いたのは、その調査段階の時の様だ。
「広田への内部告発で、本人への聴取の前に当然事前調査が入ったんだが、あいつは姑息な癖に鼻が妙に利くやつだから、なんとなく察して身の回りが不穏だと思ったんだろうな。松田の他に、手足になる誰かが欲しかったみたいなことを言っていたぞ」
やっぱりそんな狙いなのかと腑に落ちるけど、だからって、なんで私?
「水野さんから相談を受けた後、何回か広田が経理課の近くでふらふらしてるのを見たのよ」
と、今度は芳賀さんが引き継いだ。
広田は通り掛かりの顔見知りに、仕事はどうしたって聞きたくなるくらいにやたら声を掛けていて、元カノである山野さんにも普通にちょっかいを出していたらしい。
「話の内容まで聞いた訳じゃないし、すぐに山野さんが広田の肩を突き飛ばして行ったから、友好的にも見えなかったんだけど、広田の性格的に、付き合った事のある人にまずは声をかけるんじゃないかって思うのよね」
確かに有りもしない好意を積み上げるよりは、一時は付き合っていた相手をどうにかした方が楽な気がする。前提条件として、よっぽど酷い別れ方をしていない限りって付くけど、広田の厚顔さから鑑みると、神経を逆なでるようなことを言ったかやったかして、即行で断られていそうな気はするなぁ。
……だけど、山野さんが広田の口車に乗らなかったというのと、私が選ばれたのは別問題だよね?
「下手な鉄砲数打ちゃ当たるパターンかもしれないけど、多分、腹癒せ」
最後のセリフに「ん?」と首を傾げると、芳賀さんは苦笑を浮かべた。
「私も広田に口説かれていた話をしたでしょう?」
「ええ、勿論覚えています」
「課長に告白して振られた後だったんだけど、相手にするのも面倒くさかったから、『社内に彼氏がいて、凄く優秀な人だから嫉妬されるのが嫌で秘密にしてる』って言ったの。そうしたら、課長と付き合っているって勘違いされて、大変だった事があるのよ」
高山課長は当時はまだ課長じゃなかったけど、他部署の広田でさえ知っているくらい既にできる人だと衆知されていたため、芳賀さんは勝手に誤解した挙げ句に付き合っているという噂を流されてしまい、高山課長に謝った事があるらしい。
「その噂が未だに残っているから始末が悪くてね」
うん、私も課長に否定されるまでその噂信じていたからね。噂の出所が広田だとは思わなかったけど、なまじ課長とスペックが変わらない林さんと内緒で付き合っているから、否定しても中々消えないんだって。
まあ、噂のおかげで比較的すんなり付きまとってこなくなったので、悪いことばかりではなかったみたい。
「で、さらに、山野さんが自分のお願いを断わった理由が、『課長の事が好きだから元彼なんかの出る幕じゃないわ』って事だったら、課長のせいで思い通りにならなかったのは二度目になる。もしかしたら、他にもあったかもしれない。広田としては当然、面白くないわよね」
「そうですね」
変に自分に自信があったみたいだから、逆恨みはしそうだ。……て、あれ?
──もしかして、もしかすると。
山野さんも、広田も、私が課長から好意を持たれているって分かってたってこと?
だから広田は高山課長に反発して私に目を付けたし、山野さんも実は、以前から私の事を敵視していた?
「……山野さんといい、広田といい、どうして私が課長に気に入られているって思ったんでしょう?」
電話当番を代わってまで私と話す機会を作ってくれたっていうのは、遅ればせながら気が付いたけど、イヤミ眼鏡なんだもの。ちくちくいじめられた記憶しかないぞ?
「…………」
「…………」
二人して、沈黙。芳賀さんが一瞬、もの凄く馬鹿にしきった目つきで課長を見る。
「だから、小学生かって突っ込まれるのよ」
ぼそっと言ったのではっきり聞こえなかったけど、多分、芳賀さんはそう言った。
「あの?」
「いや、ね。課長が……」
「さあ、もうそろそろ仕事を再開しよう。コーヒーはまだか?」
芳賀さんが説明しようとしたことを、課長がそれはもうわざとらしく遮る。
いや、確かにコーヒーは出来ましたよ。でも。
「そこまで言いかけて、止めなくたっていいじゃないですか。私、広田の事を調べやすいから、課長は親切にしてくれたんじゃないかと思い始めてたんですけど、違ったんですね?」
「……………………」
「……………………」
さっきと同じように二人して黙り込んでしまったけど、今度は重みが違う。芳賀さんがごみでも見るような目つきで課長を見た。課長は課長で──な、なんか、怒ってます?
こっちを睨んでいる課長の視線は、広田と付き合っているのか?って聞いて来た、いつぞやの残業の時を思い起こさせるものだ。
……あれ?なんか、また私、やらかした?
冷えた空気の中、芳賀さんが静かな声で告げた。
「課長?小学生みたいなことやってるから、こんな誤解されるんですよ。水野さんを一方的に責められませんからね」
「…………」
今度の沈黙は割と雄弁だった。ちょっと怯んだ表情をした後、怒気が弱まる。
ふっとふてくされた様な顔をして課長の視線が外されたので、芳賀さんの方を見たら、柔らかな微笑みを浮かべてくれた。
「水野さんから相談を受けたすぐ後、課長から広田が背任でもうじき聴取を受けることと、あなたが巻き込まれているって聞いたの。……それ以前に、課長が水野さんの事、結構気に入っているんじゃないかって疑ってたのよ。やっていることが、小学生の子供が好きな子をいじめて喜ぶアレにそっくりだったから。そうしたら、案の定、好意は全然伝わっていないのに、自分に相談しないで私に相談した事に腹を立てているって、本当に子供か!って突っ込みたかったわ」
芳賀さんは、本当の「ほん」の所ですごいタメを作って言った。課長、目を逸らして聞こえないふりをしているけど……ちょっと耳が赤い。
小学生のアレって、イヤミの事?
あ、思い出した。確か──。
「つついて反応しない相手だとつまらないって言われました。……そういえば、完全に子供の言動ですね」
「まあねぇ。あなた、いくつ?って私も言ってやりたかったわ。こんな人が一時でも好きだったなんて、過去の私に説教したいくらいなのよ。なまじ外面がいいから、山野さんの他にも騙されている子はいるだろうし」
恋する乙女は強い。芳賀さん、容赦なしだ。
会社側に無実を証明しないといけないから、その立証のための証人になってほしいと言われて快諾したことと、その時に意思確認なぞをしたそうです。まあ、私に告白した事なんかを白状させたみたい。
「共犯者あぶり出しの件でフォローが出来なかったのは、ある意味、仕方ないとは思いますけど、その先はちゃんとして仕事に影響が出ないようにして下さらないと困るんですよ?」
そっぽ向いたままの課長に向かって、芳賀さんはきっぱりすっぱり言いきった。
「えーっと、その後、山野さんは、事件そのものには関わっていないって事になったんですか?」
山野さんの名前が出たついでに、聞きたかったことを聞いてみる。
と、課長が話題を変えようと思ったのか、何事もなかったように返事をしてくれた。
「一応な」
松田さんがお休みの時に代わりに処理した事や、繁忙期に手伝った事であり、あくまでも内容を知らずにやっていた、と認定されたようだ。
道義的責任もあるので、辞めるのか、辞めさせるのかという判断をこれから下すのだそうだ。
「水野の共謀説を流した本当の出所は松田かもしれないが、二人で面白おかしくお前の噂をしていたのは変わりがないからな」
「それに、今度は水野さんと完全に逆の立場になる訳でしょう。どれだけ心臓が丈夫でも、きついわよ」
面と向かって、事件に関わっているのにしらばっくれているって言われたけど、当の本人は知らなかったとはいえ、一部は本当に関わっていたから周囲の声に耐えられない、か。
「会社側の判断はまだもう少し時間がかかるだろう。どちらにしろ、目の前の仕事を片付けるしかない」
「はい」
「分かりました」
今度こそコーヒーをカップに注いで二人の前に置いたら、芳賀さんはともかく、課長からは睨まれた。……あれ?
「聞きたいことも言いたいこともあるだろうから、時間を取る。食事をおごってやる約束もあるから、今日にでも飲みに行かないか」
「えーっと、明日も平日ですけど……」
「お前は、食事だけにすればいいだろう。……嫌とは言わないよな?」
それ脅迫だよね、な台詞を吐く課長。まあ、私も用事はあったにはあったけど……。
「分かりました。今日で構いません」
私が抵抗しなかったことに少し驚いたような表情をした後、課長はふっと微笑んだ。いや、そこで色気を出さないでください。どう対処したらいいか、よく分からないので。
「しばらく長いもんは見たくないから、鰻はまた次回にして、居酒屋の個室を予約するからな。……逃げるなよ」
「逃げませんよ」
苦笑をしてそう告げると、課長は仕事に手を付け始めた。
長いもの見たくないって……あー、みみずがトラウマになったのか。
なんか色々ごめんなさい。
何とか投稿できましたが、急いだ分、校正が甘いかもしれません。




