7 冤罪
個人的な思想、信条とは関係ござーませんことよ。
その週末、とある犯罪者グループが一斉検挙された。
グループのおもな犯行は痴漢冤罪による脅迫、および名誉棄損、その他諸々。
つまり――姫王子を訴えた女性と、組織的に冤罪事件を起こして示談金をせしめていた女性グループ数人が、まとめて逮捕されたということだ。
調べによると女たちは、いわゆるミサンドリー的な思想を持ち合わせ、男たちへの憎悪を解消する手段として、それらの犯行を起こしたらしい。
よりたちが悪いのは、自分たちを女性として優遇しない男を、優先的に的にかけていたということ。
誰にも平等に接する人間などは、格好の餌食だったというわけだ。
…
「いやぁ――大事件だな、稜」
「はは……まぁね。家がやってくれるから、僕はなにもしなくていいんだけど」
自転車をこぎながら、のんきに話している二人ではあるが、姫王子の声は非常に疲れきっている。
「そのわりには、疲れてるよな?」
「まぁ、家からの連絡は受けなきゃいけないし……そのときに聞いた内容が、胸やけするほど重くてさ」
そう言って話してくれたのは、だいたいが賠償についての話だ。
犯人グループの親族は、それぞれがそれなりに裕福な家だったこともあって、そちらまで巻き込んでの騒動になったらしい。
支払った示談金の払い戻しはもちろんのこと、そこに多額の慰謝料を乗せて返される形になり――。
騒ぎや事件を助長したという理由から、責任を取る形で、鉄道会社や報道各社まで賠償することを表明し、謝罪会見、謝罪報道もすでに済ませている。
警察が動いたため、国からも賠償が行われるだろうとのことだ。
「……すごいな。いや、すごいんだけど……おかしくない?」
下劣で卑怯な犯罪ではあるが、痴漢冤罪によって、それだけの人間が責任や賠償を負わされるという事態は、そうそう起こりえない。
数年かけて整備された法律により、故意の虚偽告発は重罪となっているが、民事を含めてこれだけの決定が、それも一日や二日で下されるなど異常だ。
異常というか、不可能なはずだが――。
「まぁ――色々あったんだろうね」
なんてことないといった様子で、そんなひと言で済ませてしまう姫王子が、逆におそろしくなる。
「色々って……なんだ」
「色々は色々だよ。たぶん世の中には、絶対に怒らせちゃいけない人とか、怒らせちゃいけない場所とか、そういうのがあるんじゃないかな」
だから、それはなんなんだよ――と。
聞きたい気持ちはあったが、雄馬は口にしなかった。
きっと姫王子は知っている、それらの正体を。
ただ――それを知っていてなお、彼は状況に絶望していた。
それらが実際にあるとしても、けして万能ではない。
なんてことのない口ぶりであっても――。
彼が恐怖したこと、絶望したこと、いつ救われるかわからない地獄に捕らわれていたこと。
少なくともそれらは事実だ、姫王子に一切の瑕疵はない。
「……だとしても、大変だったよな」
だから雄馬は、そう告げるにとどめておいた。
「たぶん――学校も大騒ぎだぞ。関係者全員、大パニックだろうしな」
「だろうね」
意図せず、脅かすような口調になってしまったが、姫王子はケロッとした様子でそう答える。
「……なんか、落ち着いてんな?」
「そりゃあ、週末のうちに、しっかり覚悟してきたからね――大丈夫だよ」
言いながら彼の足は、強くペダルを踏み込んだ――。
…
「ごめんなさい! 本当にごめんなさい!」
「悪かった、疑ってるわけじゃなかったんだ!」
「私は王子サマのこと信じてたの! でもみんなの手前、仕方なくてっ……」
等々――。
その百倍、へたすれば二百倍ほどの声が集まり、姫王子に謝罪を投げかける。
いつもより、さらに三十分早く登校していたからよかったが、そうしていなければ教室はおろか、昇降口に入ることすらできなかっただろう。
それだけの人数が、彼への謝罪のため、教室まで押しかけていた。
席の離れている雄馬は、その光景と姫王子を遠くから見つめ、考え込む。
(……稜、まったく反応しないな)
中には例の、姫王子に退学勧告までした、最低な教師もいた。
恨み言のひとつどころか、全員に百くらい返してもいいだろう。
なんなら殴ったところで、逆に彼らは免罪符を得るくらいで――。
(――あ、そういうことか)
長らく一緒にいたせいだろうか、姫王子の考えが自然と伝わってきた。
どうなるかと見守っていると、彼らもようやく、姫王子がなんの反応もしないことに気づいたようだ。
椅子に座り、腕を組み、目をつむって、眠っているように微動だにしない。
違和感を覚えた面々が、ざわつきながらも声をおさめ、どこか気遣うような、窺うような視線をぶつけてくる。
やがて静まり返った教室の中で、姫王子は目を開き、ゆっくりと告げた。
「――気は済んだ? なら、そろそろ離れてもらっていいかな」
淡々とした語り口、冷たい声。
おだやかで慕われた王子さまの顔ではなく、冷酷で容赦のない支配者の目が、チラリとだけ周囲を眺めた。
「……謝罪は受け入れてもいい」
その声に、周囲には安堵した雰囲気が広がるが、それで済むわけがない。
直後に姫王子は、さらに底冷えするような声音を響かせる。
「ただ――僕は、誰ひとりとして許すつもりはない。あれだけの屈辱を受けて、それを笑って許せるほどの聖人になんて、なりたくもないからね」
冷たい怒りが、可視化されているかのようだった。
抑揚なく吐きだされる言葉に気圧され、人の輪が徐々に後退していく。
ガタリ、と音を立てて姫王子が立ち上がった瞬間には、その全員が怯えたように身をすくませていた。
「――きみたちのことは一生、心から軽蔑するよ」
最後にもう一度、冷たい視線で彼らの心身を芯から凍らせ、どこへ向かおうというのか、姫王子は足を進ませる。
彼の向かおうとする先に人の壁は割れ、ちょうど雄馬の席とつながる形に、道が広がった。
それを見つめていると、近づいてくる彼の表情は、少しずつ緩んでいく。
「――雄馬っ、どうだった?」
「ああ――よくがんばったよ、稜」
周囲の人間には、二度と向けられることはないであろう、最上の笑顔――。
これを独占できるのはきみだけだと言わんばかりに、姫王子は蕩けるような明るい笑みを浮かべ、ニコニコと雄馬を見つめていた。




