後日談4B
◇
教室には、すでに数名の女子が登校しており、中には稜を見ている者もいる。
なんのアクションもないことに肩を落としているのは、ロッカーに入れた下手人のひとりだろう。
それに気づいたのであろう稜は、冷たい表情でいなしつつ、すぐに荷物を置いて雄馬のもとへ向かおうとした。
ただ、それより早く、雄馬の席を訪れた者がいる。
「お、おはよう、お兄ちゃん……」
「雄馬、おはよう!」
仁科美羽、そして北林綾香――元妹に、元幼なじみだ。
「……ああ、おはよう」
顔も見ず、そっけなく返した雄馬は二人を無視するように、カバンから教科書等を取りだして、授業に備えようとする。
とはいえ、この状況で声をかけてくるような二人が、そのくらいの対応でめげるはずもない。
「あの、これ……ほら、今日バレンタインだから」
「私たちで作ったの、受け取ってもらえないかな」
目の前に差しだされる二つの包みは、見るからにチョコレートだ。
これが参考書かなにかだったら、逆に感心するレベルでチョコレートだった。
刹那、空気が尋常でなく冷え込んでいく。
その冷たい空気のもとへ目を向けると、自分の席からこちらへ向かおうとしていた、稜と目が合った。
(顔が超こえぇっ!)
悪鬼もかくやという形相の彼女を、あとでどうなだめたものかと苦慮しながら、雄馬は二人に対して首を振る。
「悪いけど、それは受け取れない――もらう理由がないからな」
稜がもらったチョコレートと同じで、よく渡せたなという気持ちもあるが、それがなくとも受け取るつもりはない。
稜やレイコさんと約束したこともあるが、雄馬自身が、稜のチョコレートをひとつ目としてもらいたかった。
そうはっきりと拒絶するが、二人はその言葉をどう受け止めたのか。
「べ、別に他意はないの……ただの義理チョコだよ、ねぇ?」
「そうそう、友チョコってやつだよ。みんなにも渡すやつだからさ」
彼女たちとしても、相応の覚悟を決めてきたのだろう。
引く気はないという様子で、差しだしたチョコを引っ込めようとはしない。
「お兄ちゃん、チョコクランチが好きだったでしょ? それに、えっと……」
「おじさんもそうだよね。ほら、おじさんの分もあるから、おうちで渡しておいてもらえたらうれしいんだけど、だめ?」
本当に――悪意がまったくない様子で、彼女はそう口にした。
思わず、頭に血が上りそうになる雄馬だったが、昂った感情をなんとか抑え、少しこわばった声で告げる。
「――親父に渡したいなら、わざわざ俺に預ける必要ないだろ。仁科がそう言うなら、渡しに行っても親父は断らないはずだ」
自分に渡すために、親父をダシにするな――。
そう言ってやりたい感情は隠せたと思うが、雄馬の反応から、彼女らも悪手だったことに気づいたのだろうか。
「あ――ご、ごめん、なさい……そっちは、その……うん、そうしておくね」
仁科が申し訳なさそうに言えば、北林も合わせて追従する。
「私は、ほら……い、家に行かないようにって、言われてるから……でも、ごめん――その、そんなつもりじゃ、なかったんだよ」
これだからやりにくい――雄馬はそんな風に考えていた。
悪気なく、人の気分を害するようなことを口にしているからこそ、それに気づけばすぐに謝罪をする。
謝られてしまえば、そのことでいつまでもとやかく言いたくない、という気持ちが雄馬にも芽生えるものだ。
もちろん、程度にはよるが――少なくともいまの発言自体は、稜をあれだけの状況に追い込んだ、あの事件ほどではない。
だからこそ、必要以上に二人を責めたりはしないのだが、そうなると話はまた戻ってしまう。
「――それはもういい。けど、それとは関係なく、俺は受け取らないからな」
「っ……ど、どうして?」
どうしてもなにも、どう説明すればいいのか。
しばし悩んだ末に、雄馬は言葉を選びながら、真実を告げる。
「――俺に、一番に渡したいと言ってくれた人がいる。その人からは、夕方まで受け取れないから……今日はもう、誰からも受け取るつもりはない」
もちろん、明日になっても受け取りはしないが――。
そんなことを思いながら、これであきらめてくれればと願うものの、雄馬のその発言は、二人にとって相当に衝撃的だったようだ。
「な、なんなのそれっ……誰なの、その人って!」
「……もしかして、生徒会長さん?」
血相を変えて問いただしてくる二人の反応に、雄馬は疲れきった様子で、大きくため息をもらした。
「いや、全然違う……というか、なんで会長が出てくるんだよ」
「だ、だって――お兄ちゃん、昔……会長さんと、その……」
言いよどむ仁科の言葉を待っていると、不意に教室の扉が開く。
雄馬の席は、後方の扉付近にあるため、すぐ隣で開いた格好だ。
「――失礼する。羽生雄馬は……いてくれたか」
その声の主は、いま名前が挙がったばかりの彼女だった。
…
東条響の登場に、めんどうなことになったと雄馬は嘆息する。
稜のほうはいくらか落ち着いたのか、逆に一周して冷たい怒りになったのか、少し離れた位置で微笑みながら、こちらを見ていた。
逆にこわい。
「雄馬、おはよう」
「……おはようございます、生徒会長」
「さすがに、もう引継ぎは済ませた引退の身だよ」
「……そうですか。お疲れさまです、東条先輩」
ここで元会長などと呼ぶのは、さすがに性格が悪すぎるだろう。
彼女を喜ばせてしまうとは知りつつも、名を呼ぶしかない。
案の定、名字とはいえ名前を呼ばれた彼女の頬は、うれしそうにほころぶ。
「ああ、ありがとう。それで――今日は、バレンタインだろう?」
彼女の手には上品そうな紙袋があり、中は容易に想像できた。
だが、それを差しだそうとする前に、先客二人が声を上げる。
「ま、待ってください、東条先輩!」
「先輩は、放課後に渡すんじゃなかったんですか?」
問いただすような二人の言葉に、東条はきょとんとして首をかしげる。
「なんの話だ? 私は特に、なんの約束もしていなかったが――」
そう口にした東条だが、すぐに察したらしく目を見開き、その顔は自然と、すぐ近くでたたずんでいる稜のほうへ向かった。
目を向けられた稜のほうは、相変わらずポーカーフェイスのまま、うっすらと微笑んでいる。
やはり怖い。
「……不健全なまねはよしたほうがいい、そう忠告したはずだが」
「――なんのことでしょう、先輩?」
つかつかと彼女のもとへ向かい、ねめつけながら告げた東条の言葉を、稜は意味がわからないという様子で受け流す。
「とぼけたところで、きみ以外に誰がいる?」
「そっちの二人が先輩を牽制するための、ブラフかもしれないですよ?」
クスクスと笑いながら、稜は軽く髪をかき上げた。
「まぁ――たしかに、約束した現場には居合わせましたけどね」
(言うのか……いや、隠す理由も必要もないけどさ)
しかも、言い方がまた曖昧だ。
誰かと約束をした、それを見ていたようにも受け取れる。
受け取らない約束はレイコさんとしたもので、そちらは間違いではない。
放課後にもらう約束のほうは、もちろん稜本人で合っているのだが。
「え――稜くんと、お兄ちゃんが?」
「それって、どういう……あ、あんなの、ただの噂だよね?」
自分と稜、二人を見くらべて仁科たちは戸惑い、東条は歯噛みをする。
例の、自分たちがカップルだという噂に翻弄されているようだ。
(まぁ――噂じゃなくて事実だけど)
ノーコメントを貫くように黙りこくっていると、三人の少女に勝ち誇った笑みを向けながら、稜がこちらに向かってくる。
「――雄馬、ちょっと出ようか。なんだか騒がしくなってきたし、あまり教室にいないほうがいいみたいだ」
「……そうだな、そうするか」
教室の女子たちがこちらを見ているのは、先ほどから感じていた。
雄馬は稜の意見に同意し、そのまま教室を出ようとする。
「あ――ま、待って、お兄ちゃんっ」
「まだ話は終わってないし、チョコだって――」
二人は慌てて、そして東条は無言のまま、それぞれが包みを手にしたまま、そんな雄馬たちを追いかけた――。
…
さて、どうしたものか――。
いつもの空き教室は、二人の憩いの場所だ。
そちらへ向かうことはためらわれ、適当に屋上でも行こうかと歩きながら、雄馬は稜に目を向ける。
「なに?」
「いや……その、すまん」
「……んーん、別に怒ってないよ。ちゃんと断ってくれたし」
気にしないで、というように身体を揺らし、トンと肩でタッチしてくる。
「それはそうだけど……あの調子だと、無理やり押しつけられそうでな」
「捨てればいいんじゃない?」
「無慈悲っ!」
せめて稜と同じように、落とし物へ届けるに留めておいてほしい。
食べ物を捨てるのは、流儀に反するというものだ。
「まぁ、それは冗談として――」
「そう願うよ……けど、ほんとどうしたもんか――レイコさんに頼んで、電話で牽制してもらうか」
ふと思いつき、そう口にしてみるが、すぐに稜の顔が渋面になる。
「……悪い、さすがにいやだよな」
「ごめん、わがまま……でもさぁ――」
稜の言わんとすることは、わからないでもない――というかわかる。
ほら言ったじゃないですかお嬢さま、と勝ち誇るレイコさんの顔が、容易に想像できた。
それで稜が悔しがるのもそうだが、彼女の前で女性問題を解決するため、他の女性の力を借りるのもしのびない。
それに相手が明確になったところで、そうなれば今度は、レイコさんから受け取ったあとに渡そうと画策されるだけだ。
「雄馬は、受け取る気がないってことだよね?」
「ああ。あいつらとは色々あったし、いま受け取るのは間違いだ……だから、絶対に受け取りたくない」
つまり、受け取らないで済む、合理的な理由が必要なわけだ。
「知らないやつが相手だったら、甘い物は苦手って言えば済むんだけどな」
「……好みまで知られてるもんね」
「こ、子供のときの話だ……いまは別に、そこまで好きってわけじゃない」
どこか棘のある指摘に、雄馬は慌てて弁解する。
たしかにチョコクランチは好きだが、特別というわけではない。
稜に聞かれたとき、特に種類を指定しなかったのは、そういう意味だったのだが――もっと真剣に考え、しいて言うならという返し方をすべきだった。
そんな反省をしつつ、話をそらす意味も込めて、別の手を考える。
「虫歯があるから……っていうのも、難しいか」
「受け取る約束があるんだから、受け取らない理由にはならないね。食べなくていいから、なんて言われたらどうしようもないし」
「なら、最近ちょっと太り気味だから、ってのも無理か……」
受け取るだけでいいから、と言われた場合を考えなくてはいけない。
「……捨てることになるから、ってはっきり言うか」
「雄馬がそういうことしないってことは、どうせ向こうもわかってるよ」
「う……」
「あ――ごめん、いまのは嫌味じゃないからね」
いまの『は』ということは、やはりさっきの好みの話は――。
「金欠で、お返しが用意できないとか……ほら、義理でも気にするほうだし」
こわい想像を振り払い、そう別案を口にする。
「悪くはないけど……お返しはいいからって、押しきられそうじゃない?」
たしかに――実際には金欠ではないし、仮に金欠だったとしても、なんだかんだでお返しをする雄馬にとっては、やはり受け取らない理由にはならない。
迷惑だからと言っても、それなら向こうは、お返しはいらないとはっきり言ってしまえばいい話である。
なにせ向こうにとっては、雄馬が食べること、雄馬からお返しをもらうことは二の次で、まずは受け取ってもらうことが最重要なのだ。
(……いや、待てよ?)
と――そこまでを考え、雄馬はふと首をかしげる。
(逆に考えれば、俺が受け取らない理由じゃなくて、あいつらに渡す気をなくさせる理由があればいいのか――)
受け取る以前に、渡されなければいい。
それはつまり、彼女たちがなぜ、ここまで渡す気になっているのか――その理由を見つけ、壊してやればいい。
「……雄馬?」
稜の言葉に反応することなく、雄馬は立ち止まり、三人を振り返った。
本日の、そのときです




