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たったそれだけの理由

作者: 椎名正

 私が、十年ぐらい白く染め続けていた髪を黒髪に戻したのは、たいした理由ではなかった。

 風邪気味になり体調がやや悪くなって、髪を白く染めるのもめんどくさいから、もういいかと思ったのだ。

 私が髪を白く染め始めたのは、デザインの仕事で食べていく決心をした社会人一年目。少しでも目立って、私のことを認知してもらうことが目的だった。漫才師が舞台で派手な衣装を着るみたいなものだ。

 まあ、その白い髪は、デザイン関係の仕事上ではたいして目立つものではなく、通勤の間にじろじろ見られたり、近所で変な色の髪をしている奴だと認識されているぐらいなものだった。


 黒髪に戻して三日過ぎた頃、帰り道で変な男に遭遇した。

 周りが見渡せない所で、帰宅が遅くなりがちな私には通りたくない道だが、迂回するとだいぶ時間がかかるので嫌々ながら使う道だった。

 その男は、何もないところで立っており、こちらのことをじろじろ見ていた。

 嫌だな。

 と、思いながら、その男のわきを通る。

 次の日もその次の日も、その男は立っていた。

 その男は、その道を通る人の顔をじろじろと見ていて、私のことも見てきていた。

 若い男だったが、なめられないためにそれを誤魔化すためだろう髭をはやしており、他人を威圧することを目的にしているチンピラファッション。

 関わらないように気配を消して、私はその男の脇を通り過ぎる。


 「あれ、やばいですよ」

 同じ会社で同じ道を通る後輩は、物凄い危機感を持っていた。

 一度、その道を通り、その男を見てから、二度とその道を使っていないそうだ。

 「あいつの近くに、エンジンがかかった車が止まっていたでしょう。窓を加工して中が見えないようになっていて。あいつ、誰かをさらおうとしているんですよ。先輩もあの道は使っちゃ駄目です。あいつ、顔じゃなくて髪を見てましたよ。もしかして、狙われているの先輩かもしれませんよ。先輩の白い髪、けっこう有名でしたから。絶対にあの道を使っちゃ駄目ですよ」


 後輩に忠告されたその日の帰り道、その道を通らなかったのは偶然だった。

 普段の仕事に疲れている状態だったら、その道を使っていただろう。

 その日は、短期のプロジェクトが午前中に終わり、解放感で精神的余裕があった。

 その道を通る前に、警察署に寄る。

 私の話を聞いた若い警察官は、話の途中で部屋から飛び出していき、上司であろう年配の警察官を連れてくる。もう一度、同じ話をして、その年配の警察官は、その警察署でもかなり偉い立場であろう警察官を連れてくる。また同じ話をして、今度は大勢の警察官がやってくる。

 事態はわからないが、異常な緊迫感から、何かが起こっているのはわかる。

 私はパトカーに乗せられて帰宅し、次の日は仕事を休んでもらいたいと警察に頼まれた。護衛の警察官が、ずっと私にはりついていた。


 三日ほど会社を休み、警察の厳重な警護を受け、ちょっと大げさすぎないかと思い始めた私に、警察が報告をする。

 私を誘拐しようとしていたやくざ達を逮捕して、そのやくざ達に拉致監禁されていた会社員を保護した、と。

 このあたりにやくざが存在することも知らなかった私は、その警察官の言葉をすぐには飲み込めなかった。

 「えっ?やくざが私を誘拐?えっ?えっ?なんで?」

 警察官がそのやくざの組織名と保護された会社員の名前を教えてくれる。どちらも聞いたこともなかった。

 保護された会社員はかなりの暴行を受けていて、もう二度と歩けないしまともな食事をとれないと、警察官は教えてくれる。

 もし、私がやくざに捕まっていたら、同じような暴行を受けた上で、その会社員と一緒に殺されていただろう、と。

 「えっ?えっ?」

 わけがわからずパニックになりかける私に、警察は説明してくれる。

 「保護した会社員なんですけど、繁華街で肩がぶつかってそのやくざと喧嘩になって、人目がある中でそのやくざをぼこぼこにしてしまったんです。やくざは報復ができないと思われたら、その世界で生きていけない。だから、その会社員をむごたらしく暴行して殺すことを決めた。喧嘩になった時にその会社員には連れの女性がいた。その女性は、やくざにさらわれる前に逃げ出していた。実際には何も知らずに旅行にいっていただけでしたが、やくざ達は女性が逃げたと思い込んだ。それで、その女性のかわりを用意することにした。それが、あなたです」

 「えっ?なんで?えっ?」

 「あいつら犯罪をするやつらは、驚くほどいいかげんなんです。真面目に会社勤めをしているあなたでは想像できないほどの雑さなんです。今回も、会社員本人を捕まえたから、その連れの女性は別人でもいいだろうとの感覚で」

 「えっ?えっ?」

 それでなんで私がターゲットになるかわからない。

 警察官は、私のようにうまくしゃべれなくなる人間の対応に慣れているのか、私の聞きたいことを察して、答えを返してくれる。

 私には理解ができないその答えを。

 「その会社員の連れの女性は、白い髪に染めていたそうです」


     おわり


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