49 俯瞰視点
それから数日後。
シルヴァンに、耳を疑う報告が入った。
「陛下。国境付近に、グラディス王国の宰相とその息子レオニスが到着したとのことです。今回の件についての陳謝とともに、事件の発端とされる王妃を連行し、陛下のお目通りを願っているとのことです」
「……何だと? なぜ……王妃が来る?」
「国書も預かっております。こちらをご覧になれば、詳細がおわかりになるかと」
差し出された書状には、グラディス王国の封蝋が押されていた。シルヴァンは国書を開き、その内容に深く息を吐く。そこには、アウレリアの魔力鑑定を歪めたのは王妃であること、帝国内に噂を広めさせたのも王妃の単独指示であったことが記されていた。さらに、王太后の事故の裏にも、王妃が関与していたと断じられている。
――すべての元凶である王妃を差し出せば、一件落着するはずだ。そう言わんばかりの内容だった。
「……こんな話、アウレリアに聞かせるわけにはいかないぞ……実は王太后の最期が、人為的なものであった可能性があるなど…………心から慕っていたお祖母様だからな……」
シルヴァンは低く呟いた。アウレリアを守りたい、そのためには真実であっても残酷すぎる事実は伝えたくなかった。
「……追い返せ。待て、宰相の息子と言ったな?……いい、俺が国境へ赴く。直接言いたいことがある」
シルヴァンは即座に愛馬へ跨がり、近衛騎士たちを率いて国境へ向かった。
その頃、宰相とレオニスは拘束した王妃を連れ、数人の騎士だけを従え、国境付近で何日も待たされていた。
やがて姿を現したのは、まさかの、皇帝シルヴァン本人だった。
「……結論を言おう。帝国は王妃を受け取るつもりはない。王妃ひとりに罪を押しつけて済む段階など、とっくに過ぎている。王族はもちろん、そこにいる宰相も、大臣どもも同罪だ。我が国へ、こちらが追放したシスターどもを密かに送り込み、皇妃に対する悪意ある虚偽の噂を流させた――この罪は重い。そして何より、時をさかのぼって罰すべきは、俺の皇妃を十歳の頃から幽閉し続けた、その暴虐だ。これは個人の暴走ではない。“一国の意思”とみなす!」
シルヴァンは次にレオニスへ視線を流し、口元だけで冷たく笑った。
「……お前がアウレリアの“元婚約者”か。鑑定結果が出た途端に彼女を切り捨てたそうだな。よくぞ、俺の皇妃に婚約破棄を突きつけてくれた。その一点だけは褒めてやる。おかげで俺は“世界一幸せな男”になれた」
ゴミを見るような視線に射抜かれ、レオニスは唇を震わせたまま一言も返せない。宰相もまた血の気を失い、ただ地面を見つめることしかできなかった。
「以上だ。王妃だけを差し出せば済むと思うとは……その考え自体が愚かだ」
シルヴァンは冷ややかに告げると、踵を返し、近衛騎士たちへ短く命じた。
「……皇妃が恋しい……ただちに、城に戻るぞ!」
その背中は、もはやグラディス側の者たちの存在など、眼中にないという意思を雄弁に語っていた。取り残された宰相たちは、皇帝が去ったあとの静寂の中で、自分たちが“完全に見捨てられた”ことを悟るしかなかった。
翌日から、アルシオン帝国は予定通り制裁を発動した。
・穀物の輸出完全停止
・金属・薬草・織物・馬の禁輸
・国境封鎖による往来の遮断
さらに帝国は周辺諸国へ外交布告を送りつけた。
「グラディス王国は、我が皇妃への冤罪と帝国への敵対行為により、制裁対象国とする。取引継続は帝国への侮辱と見なす!」
その宣言一つで情勢は一変した。
大陸各国は強大なアルシオン帝国への配慮から、次々と国交停止を決断した。
わずか一週間。
グラディス王国は“世界から切り離された孤国”となったのである。
最初に悲鳴を上げたのは市場だった。
穀物は半日で消え、翌日には値が十倍に跳ね上がる。
薬草は尽き、織物の入荷は途絶え、ついに鍛冶屋の炉からも炎が消えた。
生活を支える物資が次々と姿を消し、職人は仕事を失い、庶民は日々の糧すら確保できなくなる。
街には怒号が飛び交い、買い占め、暴力、略奪――治安は雪崩のように崩壊していった。
グラディス王国は慌ててアルシオン帝国へ使者を送り「話し合いを」と懇願したが、全て国境で追い返された。
国境を守る帝国側の騎士たちは無表情で同じ言葉を告げる。
「アルシオン帝国に害をなした自業自得である。自ら蒔いた種の報いを受けるがいい!」と。
王都で暴動が始まる中、王宮ではさらに醜悪な争いが渦巻いていた。
国王と王妃は互いに責任を押し付け合い、貴族会議は罵倒と悲鳴の応酬で荒れ果てていく。
ミリアはヒステリックに叫び散らした。
「全部お母様のせいよ!」
自らも率先してアウレリアを虐げてきた過去など、きれいさっぱり忘れ去って。国王は王妃だけに全ての罪を着せ、北の塔に幽閉した。
大臣たちも同じだった。
「私は第一王女殿下をいつも気の毒に思っていた」
「亡き王太后様に顔向けできない」
などと口々に言いながら、アウレリアが冷遇されていた日々に一度も異を唱えなかったことを、都合よく忘れていた。
城勤めの使用人たちは次々と辞職し、王宮から逃げ出した。なにかにつけ宰相に意見してきた宰相補佐も、国を見限り去って行った。食料庫は底をつき、王族ですら飢えに怯えるようになったその夜、王都に満ちていた不満は、ついに臨界点を超えた。
飢え、病、失業。
そのすべての元凶が“王家の愚行”であると知れ渡ったその日、民衆は松明や鍬、棍棒を手に王城へ押し寄せたのだ。
「愚王を倒せ!」
「邪悪な王妃を捕らえろ!」
「俺たちが飢える原因を作った無能どもに鉄槌を!」
怒号は波のように広がる。 最初の門が破られ、王族の居住区にまで怒声が迫る頃には、国王・ミリアはすでに“脱出用の隠し通路”を、互いに突き飛ばし合いながら走っていた。
「どきなさい、ミリア! 私が先だぞ!」
「お父様こそ! 親は子どもを守るべきでしょう? 私を逃がして、お父様が盾になってください」
「うるさい! 国王である私が先だ!」
そこへ、宰相とレオニスも必死の形相で後から追ってきた。
「陛下、どうか私たちもお連れください!」
「そうですよ、僕はミリアの婚約者で、ほぼ王族扱いされています……!民衆に捕まったら、どんな目に遭わされるか……!」
ちょうどその晩、宰相とレオニスも王城に泊まっていたのだった。 恐怖に顔を引きつらせた四人は、暗く狭い通路の中を先を争うように逃げ惑う。やがて足元の崩れた石に次々とつまずき、折り重なるように倒れ込んだ。
その時、背後から松明の光が差し込む。
「いたぞ!国王と宰相だ!」 逃げ場は、もうなかった。 一方、王妃は北の塔であっさりと捕まった。
そして翌朝。 国王・王妃・ミリア王女・宰相・その息子レオニスは、民の手により粛正された。




