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店の者はその気配にすぐ気づき、慌てて飛び出してくると深々と頭を下げた。
「よ、ようこそ……皇帝陛下……! まさか直々にお越しくださるとは……!」
店主の声は震えている。シルヴァンは私をそっと抱きかかえるようにして馬車から降ろしながら、穏やかに笑った。
「久しぶりだな」
その柔らかな声音に、店主の緊張がふっとゆるむのが分かった。
「アウレリア、ここは帝都でも最高級の仕立て屋だ。色も、素材も、デザインも……好きなものを好きなだけ選んでいい。店主、俺の皇妃にふさわしいドレスをたくさん仕立ててくれ」
「え……ええっ、そんな……! あまり贅沢をしては、国庫に負担をかけてしまいますわ。おそらく、皇妃の衣装費は民や貴族の税から――」
言いかけた私の唇に、シルヴァンがそっと触れた。
「アウレリア。アルシオン帝国の皇室は、税に頼らない」
「え……?」
「皇領農地の収入、帝国直轄の陶工房、それから馬の繁殖牧場……。皇室の費用はすべて“そこ”から出ている。民の税に手をつける必要はないんだ」
柔らかな声に胸がほどけていく。
(……そうだったのね)
「だから遠慮はいらない。アウレリアがドレスや宝石を買ったぐらいでは、びくともしない。むしろ皇妃が美しさを保つことは帝国にとって必要なことだ。どんな舞台女優よりすばらしい広告塔だからな。アウレリアが身につけるドレスも宝石も、国境を越えて流行するだろう」
「……そんなふうに言われたら、安心して甘えてしまいそうですわ……」
ぽつりと小さく漏れた本音に、自分でも驚いた。塔で過ごしていた頃は、着るものも最低限しか許されず――贅沢など考えたこともなかったから、どう振る舞えばいいのか分からなくなる。
「甘えればいい」
シルヴァンは迷いなく言い切った。
「俺はそのために、ここにいる。店主、どんどん生地を持ってこい!」
店主は嬉々として素早く指示を飛ばし、職人たちが次々と生地を広げていく。
光沢のある上質なシルク、空気のように軽い極薄のシフォン、深紅のサテンには、繊細な金糸で薔薇の花が刺繍されている。ほかにも、夜明けの霧のような淡いグレーのオーガンジー、クリーム色のベルベットなど、どの生地も宝石のように美しかった。
「皇妃殿下の瞳の色に合わせて、鮮やかなブルー はいかがでしょうか……やはりしっくりきますね……」
「こちらは皇帝陛下のアメジストの瞳に合わせて……上品で深みのある紫になっております……あぁ、紫も実にお似合いですね」
シルヴァンは私の横に立ち、店主や店員が差し出す生地を、ひとつひとつ丁寧に見比べる。
「うん、アウレリアはどんな色でも似合うな。むしろ、似合わない色がひとつもない。全部仕立てよう。迷う必要はない。デザインは最新の流行でもいいが……俺は女性のドレスに詳しくない。アウレリアが好きに選べ。ゆっくりでいいぞ」
「えっ、ぜ、全部……!?」
「当然だろう?皇妃だぞ。必要な分は……いや、必要以上を揃えてやるのが、皇帝である夫の務めだ」
(……ど、どうしよう……嬉しいけれど、贅沢すぎて心臓が止まりそう……)
でも、シルヴァンの表情は真剣で、まるで私が喜ぶのを心から楽しみにしているようだった。それが嬉しくて、 私は、はじけるような明るい笑顔を向けた。
「ありがとうございます。とっても嬉しいですわ。私の旦那様は世界一気前が良くて、妻を甘やかす天才ですわね。ですが……ダリアとカミラにも、この生地を分けてあげてもよろしいですか?
ずっと私のために働いてくれているダリアと、これから支えてくれるカミラに、外出用のドレスを贈りたいのです」
「いいとも。俺の皇妃は……本当に優しくて慈悲深い」
◆◇◆
次に立ち寄ったのは、皇族御用達の宝飾店だった。ここでも店主は最敬礼で私たちを迎えてくれた。
「ドレスが揃えば、あとは宝石だな。店主、俺の皇妃にふさわしい宝石を並べてくれ」
「かしこまりました! すぐに持ってまいります!」
店主と従業員たちは満面の笑顔で、次々とジュエリーを運び込んだ。
奥の豪華な応接間。大理石のテーブルには黒い布が敷かれ、その上にダイヤ、サファイア、ルビー、エメラルド……煌めきの洪水のように宝石が並べられていく。
「好きなものを選べ。アウレリアのためにティアラやネックレスを作ってもらおう。指輪も必要だな。結婚式では、互いに指輪をはめあうのが醍醐味だからな」
「えっ……結婚式をしてくださるんですか?」
「は? 当たり前だろう。結婚式は大々的にやりたいから、準備に一年はかかるんだ。だから少し先にはなるが、もちろんやる。俺はアウレリアのウェディングドレス姿が見たいし……それに俺の皇妃がどれほど素晴らしい女性か、諸外国に自慢する絶好の機会だ」
子供みたいに胸を張るその姿に、思わず笑ってしまった。
でも、その可愛い理由も全部ひっくるめて、シルヴァンは私を笑顔にしてくれる。同時にこれはきっと、諸外国へ国力を示す重要な場でもあるのだろう。
(……旦那様が恥をかかないように、この方の隣に並び立つのにふさわしい自分でいなくちゃ……よし、頑張る!)
心の中でそっと気合を入れた瞬間、シルヴァンが楽しそうに微笑んだ。その視線に胸が暖かくなりながら、私はシルヴァンと宝飾店での時間を存分に楽しみ、たくさんのドレスと宝石を買ってもらった。




