31
翌朝。
朝食のテーブルには、焼き立てのパイ、色鮮やかなフルーツの盛り合わせ、香り高いハーブティーに、湯気の立つ卵料理まで――見ているだけで心が浮き立つ品々が整然と並んでいた。
「昨夜は、よく眠れたか?」
「えぇ……久しぶりに、ぐっすり眠ることができましたわ。ふかふかのベッドで、とても寝心地が良くて……本当に、久しぶりに安心して眠れました」
「それは良かった。食べ物の好き嫌いはないか? とりあえず少しずつ盛り合わせてあげよう。オニオンやセロリは大丈夫か?」
「はい。何でももりもり食べられます。苦手なものはなくて……実は私、けっこう食いしんぼうなのかもしれません」
「そうか。良かった。遠慮せず、たくさん食べろ」
そう言うと、シルヴァンは自然な所作で、どの料理もまんべんなく私の取り皿へと取り分けてくださった。そのさりげない気遣いが嬉しくて、私は思わず小さく微笑んでしまう。
アルシオン帝国の食卓は、どれも大皿にたっぷり盛られ、自分で好きなだけ小皿に移して食べるスタイルらしい。盛り付けには大きなスプーンやフォークを使い、余った分はそのまま使用人たちに回されるとのことだった。
「実は、使用人たちは俺たちと同じ料理を食べられるのを楽しみにしているんだ。だから、いつも多めに作らせている」
シルヴァンがそう穏やかに説明してくださる。
なるほど、それなら無駄も出ないし、大皿に惜しげなく盛られている理由にも納得がいく。
(……それにしても……こんなにも大切に扱ってくださるなんて、夢にも思わなかったわ。……私の旦那様、素敵すぎる……)
そっとシルヴァンを見やると、彼は甘く優しい微笑みを返してくださった。一瞬で頬が熱くなる。
(恥ずかしい。でも、それ以上に、たまらなく嬉しい。最高に幸せな朝だわ)
朝食を終え、自室でさっそくクラリス先生へ宛てた手紙を書いていると、扉の向こうから控えめなノックが響いた。
「アウレリア、午後は散歩がてら街へ出ようと思うんだが……どうだ?」
扉を開けると、シルヴァンが穏やかな微笑みを浮かべて立っていた。
「街……ですか?」
「そうだ。必要なものを揃えないとな。アウレリアに、ドレスと宝石を買ってやろうと思う。グラディス王国から持たされた宝石とドレスは、王妃へ返品してやればいい。思いっきり贅沢な品が詰まっているかのように豪華な包装紙に包んで、上等のリボンまでつけてな。 『王妃にこそ相応しいものです』と、一言添えて、俺が送り返してやろうか?」
シルヴァンはわずかに口元を吊り上げ、冗談めかした声音で言った。
「ふふっ、それは楽しそうですね。ですが……シルヴァンに、そんなお手間を取らせたくはありません。それより……あのトランクの中身をご覧になったのですね?本当に、お恥ずかしい限りです。あんなものしか用意してもらえなかった王女なんて……」
「おっと、そこまでだ」
シルヴァンは、ぴしゃりと私の言葉を遮った。 穏やかな声なのに、有無を言わせない強さがある。
「自分を卑下する必要なんて一つもないぞ。恥じるべきは王妃や国王だ。アウレリアがグラディス王国でどんな扱いを受けてきたか……だいたい把握している。全面的に国王夫妻や宰相、大臣たちが悪い。アウレリアは、少しも悪くないぞ」
まるで私の胸の奥に渦巻く痛みを読んだかのように、迷いなく言い切ってくれた。
(……きっと、私が輿入れする前に、いろいろ調べてくださったのね。 自分の妻に迎えるなら、それは皇帝として当然のこと。もしかして……“魅了魔法持ち”だという私の噂も、すでにご存じなのかしら……? どうしよう、今お話しするべき?)
「アウレリアは、何も心配する必要はない」
私の戸惑いに重なるように、シルヴァンの低く優しい声が降りてきた。
「ちなみに、アルシオン帝国民は精神操作系の魔法には耐性がある。つまり、そういった魔法は俺たちにはまったく効かない。だから気に病む必要は微塵もないさ。さあ、行こう。俺の皇妃に相応しいドレスと宝石を買いに」
(……どうして、私が考えていることが分かるの?)
本当に、察しのいい方だ。それに、“魅了魔法”そのものには触れず、ただ私を守るように言葉を選んでくれる。私がその噂でどれほど傷ついてきたか、きっと分かっているのだわ。
(あぁ……なんて優しい方かしら。私が欲しい言葉を、こんなにも自然にくださるなんて……最高の旦那様だわ。……好き……)
私は……お会いして二日目にして、もう好きになり始めていた。
十歳から北の塔に幽閉され、心の支えと呼べるものはダリアとクラリス先生だけだった。“気高く生きなければ”と必死に気を張ってはいたけれど。それでも、あの年月はあまりに辛くて、寂しくて……胸が凍えるようだった。だから、こんなにもまっすぐに好意を示され、欲しい言葉を与えてくれて、大切に扱われると、心の重さがすっとほどけていくようで……自然と好きになってしまう。
(……私は、このままシルヴァンを好きになってもいいの?)
不安混じりの思いを抱えたまま彼を見上げると、シルヴァンはそっと私の髪を撫で、また“欲しい言葉”をくれた。
「俺はアウレリアが大好きだ。いわゆる……一目惚れ、というやつだな。それに、こうして一緒に過ごす時間が増えるほど……どんどん好きになっていく。だから……君も俺を好きになってくれると、嬉しいよ」
耳まで赤く染め、少し照れたような声。その姿が愛おしくて、胸が痛いほどだった。
「あ、の……わ、私も……シルヴァンが……す、好き……です……」
思い切って告げた瞬間、羞恥が一気に押し寄せ、顔を上げることができない。両手で頬を覆ってもじもじしている私を、シルヴァンはそっと抱きしめてくださった。温かく、優しく、蕩けてしまいそうなほどに。
ちょうどそのとき、廊下ではダリアに掃除を言いつけられていたマーサたちが、モップを手に床を拭いているところだった。
「全く……こんな人目のあるところで、イチャイチャと……はしたないこと」
「 美貌の皇帝の寵愛を得たからって……舞い上がって……」
小声のつもりなのだろうが、十分こちらに届く声量だった。
(……正直、マーサたちの“勇気”には感心してしまうわ。シルヴァンを怒らせるようなことを、たとえ小声でも、こんな至近距離で言うなんて……。 まさか、シルヴァンにも聞こえていることに気づいていないの?)
次の瞬間。シルヴァンの表情がすっと変わった。さっきまで私を抱きしめていた優しい面影は消え、皇帝としての冷たい威圧がその瞳に宿る。
彼はゆっくりとマーサたちへ振り向いた。




