24
五日間の旅路は思った以上に私の体を弱らせた。塔での生活で筋力が落ちていたせいもあるだろう。あと少しで皇城に着くと聞いたとき、私はほっと胸をなでおろした。
アルシオン帝国の城門が姿を現す。重厚でありながら荘厳で、磨かれた銀灰色の城壁がどこまでも続き、近づく者に自然と背筋を伸ばさせるような、静かな威圧感があった。
(ここが……私の、新しい生活の場所になるのね……)
馬車が止まり、扉が開く。最初に吹き込んだのは、凍てつくような冷たい空気。そして無数の視線。整列した騎士たちが、一斉にこちらを見ていた。緊張のせいか、平静を装っているつもりでも足が少し震える。
「アウレリア王女殿下、馬車からお降りください」
ランス隊長が私に手を差し出そうとしたその瞬間。靴音がゆっくりと近づいてくる。誰もが頭を垂れる中、堂々と歩いて来たその人影は……宰相から聞いていた容姿とは、まるで違っていた。
陽光を受けるたびに輝く白銀の髪。
透明なアメジストの瞳。
美しく、冷たく、恐ろしいほど完成された顔立ち。
(……嘘、こんな……美しい人が……皇帝?まったく“醜男”ではないのだけれど?)
頭が混乱して、胸がどくんと跳ねた。
彼が一歩近づくごとに、息が吸えなくなる。
そして皇帝の瞳が、まっすぐ私を捉えた。
「アウレリア王女。遠路はるばるよく来てくれた。……お手をどうぞ」
眩しい微笑みとともに差し伸べられた皇帝の手に、私は一瞬、息を飲んだ。
隊長が慌てて横へ下がり、深く頭を垂れる。けれど、次にかけられた皇帝の声は、思いもよらない相手に向けられた。
「アウレリア王女の護衛、ご苦労であった。お前たちの休む部屋はすでに用意してある。ゆっくり疲れを癒すがいい」
「はっ……! あ、ありがたきお言葉……! 俺のような者にお声がけいただけるとは……!」
隊長の声が震えていた。
そんな彼に、皇帝はさらりと言葉を重ねた。
「あぁ、 お前は真っ当に努力してきた男だと分かっているからな。……望むなら、この国に残るといい。アウレリア王女の近衛として鍛え直してやろう」
「お、俺は……下級騎士で平民出身です。本来、近衛騎士など目指せるような身分では……」
「アルシオン帝国では身分など関係ない。実力主義だ。その地位を掴み取る覚悟があるかどうかだけだ」
圧倒的な迫力と優しさを兼ね備えた声に、隊長は息を呑んだ。
私の胸も、思わず熱くなる。
「隊長。皇帝陛下のありがたいお言葉を謹んでお受けしなさい」
「……はっ! 御意! アウレリア殿下に恥じぬよう、日々精進いたします!」
隊長の声は、もはや迷いを含んでいなかった。
(それにしても……着いたばかりなのに、どうして隊長の人柄をあそこまで正確に見抜けたのかしら?やっぱり、アルシオン帝国の頂に立つ方は、人を見る目が桁違いなのね……)
すぐ後ろで、お母様付きの侍女たちを乗せた馬車が、ぎしりと止まった。
三人の侍女はダリアを乱暴に押しのけ、当然のように私の横へ割り込んでくる。彼女たちは私よりかなり年上の侍女たちで、いつも人を見下すような目つきをしている。けれど今だけは違った。皇帝の姿を目にした瞬間、三人ともぽかんと口を開け、まるで魂を抜かれたように見惚れていた。
(……あら。いつもの尊大さはどこへいったのかしら?)
アルシオン帝国はグラディス王国よりも、ひんやりと冷たい空気に包まれていた。クラリス先生が最後に贈ってくださった淡いクリーム色のワンピースは上品だけれど、生地が薄い。
(……お母様は外套すら持たせてくださらなかったものね。寒いわ……)
その時――ふわり、と肩に重みが落ちた。
驚いて目を瞬く。
皇帝が、自分のマントを無言で私の肩へ掛けてくださったのだ。
厚手の生地が体温をすぐに閉じ込め、冷えきっていた体がじわりと温まって
いく。
「あっ……ありがとうございます……。その……上に羽織れるものを、一枚も持たされていなくて……」
自分でも情けないほど声が小さくなった。
(どうしよう……。恥ずかしい。ちゃんとした外套もないなんて。それに……これからのことを考えると……胸が痛いわ。持たされたドレスはどれも奇抜すぎて、とても人前に出られるものではない。宝石だって全部がらくただったし……いずれ着替える時が来たら、きっと笑われてしまうね)
胸がぎゅっと痛む。
強くあろうと何度も自分に言い聞かせてきたけれど、やっぱり私は年頃の娘なのだ。“これからこの男性の前で、恥をかく未来”を想像しただけで、心が痛くなる。
(大切にされるなんて思っていない。でも……せめて、軽蔑だけはされたくない。これから、お母様に持たされた悪趣味なドレスなんか着て、この方の前に立ちたくない)
胸が締めつけられた、その瞬間だった。そっと、皇帝が私の手を取った。次の瞬間、その手を自分の腕にそわせるように導き、まるで「大丈夫だ」と伝えるように、ゆっくりと指先で撫でた。あまりの優しさに、思わず顔を上げる。
すると、白銀の睫毛に縁取られたアメジストの瞳がゆっくりと細められ、穏やかな微笑みが降り注いだ。
(えっ……優しい?どうして?私は“十一番目の側妃”になるはずなのに……どうしてこんな……)
動揺して胸の音がうるさいほど耳に響いた。その私の不安な心を皇帝の温かな指先が、癒やしていく。
暖かいマントに包まれ、皇帝にエスコートされながら歩いていると、 私の横へと並ぶようにして、お母様の侍女の一人――マーサが歩み出てきた。その足が、わざとらしく私の進む道を塞ぐ。瞬間、足元を取られて体がぐらりと傾いた。
「っつ!」
「おっと……大丈夫か?」
転びかけた私を、皇帝が迷いなく腕を伸ばし、しっかりと抱きとめた。私の足の具合を確かめようと前にしゃがむと、私の足首をそっと触る。
「足首、痛くないか?歩けそうか?」
心配そうな面持ちで、優しく尋ねた。
「まぁ、アウレリア王女殿下。しっかり歩いてくださいませ。
そのようにふらついていては、見苦しゅうございますわ。男性にすがりつくなど……いくら皇帝陛下がお美しいからといって、淑女としてあるまじき振る舞いですよ?」
「本当に。アウレリア王女殿下は……男性に取り入るのがお上手なんですね」
三人の侍女の二人――ハンナとジーンが、わざと皇帝に聞かせるような声音でクスクスと笑いながら、私を蔑んだのだった。




