19 俯瞰視点
アルシオン帝国の帝都。
その中心にそびえる皇城は淡い銀灰色の石で築かれ、陽光を受けると静かに光を返していた。派手さはないのに、ひと目見ただけで“帝国の威厳”が分かる建築。
磨かれた石壁がどこまでも続き、近づく者に自然と背筋を伸ばさせる静かな圧があった。
グラディス王国の宰相は馬車から降り立った瞬間、緊張のあまり喉がひりついた。祖国では威張っていたものの、大国を相手にした交渉の場など、彼にとっては片手で数えられるほどしか経験がない。王太后が健在だった頃は、要の外交はすべて彼女が担っていたのだ。
門を守る帝国兵たちの視線が鋭い。誰一人として無駄口を叩かず、網の目のように配置されたその姿はまるで“城全体が生き物”のようで、外敵を一切寄せ付けない。
(……噂どおりの恐ろしい国だ。戦になれば、我が国などひとたまりもない……)
靴音が高く響かせ長い回廊を進みながら、宰相は国書を胸に引き寄せた。幽閉されていた第一王女アウレリアを“献上品”として差し出し、厄介者を国外に追い出す。今日の目的はそれだ。この大仕事さえ成功すれば、息子レオニスはミリア王女の王配になれる。宰相の頬に、下卑た笑みが浮かんだ。
重い扉が開き、玉座の間が目の前に広がる。宰相は一歩足を踏み入れた瞬間、その光景に息を呑んだ。天井近くまでそびえる淡い銀灰色の大柱が整然と並び、その間には帝国の戦史を描いた巨大なタペストリーがいくつも掲げられていた。
どれも、第24代皇帝シルヴァン・アルシオンが即位してから新たに作られたものに見える。若くして皇位を継いだはずの皇帝が、これほどの戦果を残している。つまりシルヴァンは、いくつもの戦を経験しそれを勝利に導いた圧倒的支配者なのだ。
(若造と侮っていたが……なんという百戦錬磨の皇帝よ……)
怯えを押し隠す間もなく、視界の奥で動きがあった。玉座へ向かってゆっくりと歩み寄り、その王座に腰を下ろす“存在”。皇帝シルヴァンの姿が目に飛び込んできたのだ。
白銀──光の角度で白金にも見える、滑らかなプラチナブロンド。
耳にかかる程度の長さで丁寧に整えられた髪は、動くたびに柔らかく光を散らし、赤い絨毯と鮮烈な対比を描く。
瞳は澄んだアメジスト。冷たく研ぎ澄まされ、底知れぬ知性と何か鋭い光が宿っていた。長身で、無駄な肉が一切ない。しなやかさと鍛え抜かれた強さが同居し、彫像のように完成された“美”であった。
皇帝のオーラ、威厳が空気を満たすなか、宰相は冷や汗が止まらない。格の違いに、足を震わせた。
(こ、これが……シルヴァン・アルシオン皇帝……?)
その美貌にあった、低く静かな声が玉座の間に落ちた。
「……我が国の騎士に酔った勢いで喧嘩を売り、一方的に殴りつけてきたとか。国境を守る騎士が昼間から酒とは……ずいぶんとおめでたい国だな。……よくも、こうして手ぶらで来られたものだ。アルシオン帝国を侮っているのか?」
底に怒気を乗せた声に、宰相は肩を震わせた。若いとは思えぬ“帝王の風格”。
宰相は慌てて膝を折り、頭を下げる。
「と、とんでもございません……! グラディス王国、国王陛下よりの国書を……お持ちいたしました。ここにお詫びの品として献上したいものを記しております」
震える声を必死に整えながら、宰相は国書を捧げた。
(どうか、アウレリア王女に興味を持ってくれ。肖像紙も同封したのだから、それなりに効果はあるはずだ。……頼む、王女に興味を持ってくれ)
シルヴァンは国書を受け取りながら、宰相を横目で覗った。その瞬間、アメジストの瞳がわずかに細められた。まるで心の奥の醜い願望まで、すべて透けて見えているかのように。実際のところ、シルヴァンは幼い頃から人の心が読めた。この事実を知るのは、後ろに控える参謀アンドレだけ。
国書を確認し、肖像紙を一瞥した皇帝の口元に、皮肉めいた笑みが浮かぶ。
「……『アウレリア王女を、詫びの品として献上する』か……。肖像紙まで添えてあるとは丁寧だな。……本当にこの絵のとおりなのか?とんでもない美女だぞ?この王女を側妃として献上するだと?皇妃ではなく?しかも『扱いはご随意に任せたく』だと?」
「は、はい。実物はそれ以上の美しさでございます。 しかもお血筋は祖母の王太后殿下がヴァルステラ帝国の皇女殿下でしたので、高貴な姫でございます。見た目もそっくりでございまして、我が国が誇る第一王女です……」
(まあ 、実際は魅了の魔法持ちという鑑定が下されてからは、厄介者扱いだったがな。しかし 北の塔に幽閉されていたが、 国王をやり込めるほど聡明に育ってしまった。……国王や王妃はそれも不満なのだが……とにかく、この王女を国外追放するのが国王の望みだ。実の娘なのに、側妃の一人としてぞんざいに扱われることを望んでいる。さて、そんな展開になれば良いが……)
宰相の心の声に、シルヴァンの唇がわずかに歪む。
「興味深い話だな。そこまで自慢する第一王女を献上すると言うのなら……望みどおり側妃の一人として迎えてやろう。側妃はこれで十一人目だ。敵対してきた国の王女を丁重に扱うつもりはないが、それで良いのか?」
皇帝の後ろに控えていた参謀アンドレは、笑いを噛み殺すのに必死だった。
( 十一人目って……!? 陛下、側妃どころか皇妃もいないでしょうが。“女は信用できん”と言って侍女も近づかせないくせに……また心を読んで遊んでいるな)
「は、はい……! ありがとうございます……!丁重に扱っていただかなくても十分でございます。国王もそのお言葉を伝えれば、非常に喜ぶことでしょう」
宰相は丁寧に頭を下げた。
(やった! 無事に側妃の一人として冷遇されることが約束されたようなものだ。 これで安心して国王に報告できるぞ。きっと、お喜びになることだろう)
シルヴァンの瞳が、不穏な色を帯び、キラリと光る。
(……胸糞悪い……騎士の不祥事の責任を娘に背負わせ、詫びの品物扱いにし側妃で良いだと?……扱いはご随意に任せたく、だと? 高貴な血筋の姫だろうに。……気の毒になるよ)
宰相は心で歓声を上げた。
(……これこそ王妃殿下やミリア王女殿下のご希望通りだ)
その心の声を、シルヴァンはまたもや聞き取り、内心でため息をつく。
(……王妃と妹まで腐っているとは。気の毒な王女だな……決めた。もし嫁いできた王女がまともなら、俺は誠意をもって迎えよう。そして、それに見合うだけ大切にしてやるぞ。側妃の一人に、だと?冗談じゃない。心を読める俺に、何人もの女の心の声を、一生同時に聞き続けろというのか?雑音で頭がおかしくなるぞ。妻は皇妃一人で十分なのだよ)




