18
塔の階段に、重たい足音が響いた。お母様でもミリアでもなく、もっと威圧感のある男性の足音だった。
ダリアが小さく息を呑み、クラリス先生が首を傾げた。授業中だったため、部屋の扉にはいつものように内側から鍵をかけている。扉の前で足音が止まり、次の瞬間、乱暴に扉を開けようとする気配がした。
「アウレリア、鍵を開けろ!」
鋭いお父様の声が響き、私は慌てて立ち上がる。鍵を外すと、目の前には険しい目つきのお父様が立っていた。
「閉じ込められている身のわりには……随分と穏やかな暮らしだな」
「えぇ、与えられた環境の中で、自分なりに精一杯生きておりますわ」
お父様の嫌みな言葉に、ダリアがぐっと拳を握るのが横目に見えた。でも私はお父様と目を合わせ、ただ静かに続ける。
「お越しくださり、ありがとうございます。何か、ご用でしょうか?」
お父様は、まるでこの瞬間を楽しんでいるかのように、ゆっくりと口角を
上げた。
「慈悲深い国王として……お前に“道”を示しに来たのだ」
胸がざわりと波立つ。
「道……ですか?」
「うむ。お前は、アルシオン帝国へ嫁ぐことに決まった」
空気が、一瞬で凍った。アルシオン帝国は長年 グラディス王国とは敵対していた国で、国境付近では度々小競り合いが続いていた。ダリアが真っ青になって口元を押さえ、クラリス先生は息を呑んで立ちつくした。
私はただお父様を見つめ返す。口から発せられたのは、感情のこもらない冷たい声だった。
「……突然のことでございますね。理由を、伺ってもよろしいでしょうか」
「ああ、理由ならあるとも」
お父様はわざとらしくため息をつき、声を荒げる。
「北の塔に閉じ込めておっても、男どもを惑わす悪女は、この国にはいらんのだ。“魅了魔法”とやらを外に漏らしていたのだろう?ゆえに、敵国に追放することに決まったのだよ」
「私は、そのようなことはしておりません」
「黙れ!」
怒声が、石壁に反響して跳ね返る。ダリアがびくりと肩を震わせた。お父様は我が国の騎士が、酒に酔って帝国側の騎士を襲ったことを説明する。
「帝国との和平には詫びが必要だ。だが謝罪だけでは足りぬ。詫びの品がいる。それが……お前だ。アウレリア」
言葉の意味が、一拍遅れて胸に落ちる。
(詫びの、品?)
「お前の美貌なら、向こうも悪く思うまい。皇妃でなくとも、側妃の一人くらいにはなれるだろう。まったく……我が国に置いておけぬ厄介者が、ようやく役に立つとはな」
胸の奥がぎゅっと痛んだ。あまりの言い草に呆れと悔しさが同時にこみ上げる。
( 実の娘に……よくもこんな仕打ちができるわね……どこまでも私を貶めたいのね……)
私は静かに息を整え、ゆっくりと口角を上げた。
(この男の前では絶対に泣くものか! 泣くぐらいなら……いっそ、艶やかに微笑んであげるわ!優雅に美しく……お父様が恥ずかしくなるほどの威厳を持って……)
「お祖母様がご存命でしたら……きっと、お父様のこの決断を深く嘆かれたでしょうね。実の娘を、長年敵対してきた帝国へ“詫びの品”として差し出すなど。私は、お父様を軽蔑いたします」
そう言いながら微笑んだ。その瞬間、お父様の顔は怒りで真っ赤に染まった。
「うるさい! すでに国書を携えて宰相がアルシオン帝国へ向かった。お前には荷馬車を用意させるから……一人で帝国へ行け。厄介者にかける金など、一銅貨たりとも惜しいわ!」
吐き捨てるような声。 けれど私は、動揺しなかった。むしろ静かに、淡々と告げた。
「……お父様、ご理解が浅すぎますわ。“詫びの品”が私だというのなら、王女として相応の準備を整えなければ失礼にあたります。価値のない贈り物など、誰もありがたがりませんのよ?」
空気が震えるような沈黙。私は静かに視線を上げた。
「どうでも良いと捨て置かれた王女が送られてきたと知れば、挑発と受け取られ、皇帝陛下の機嫌を損ねるでしょう。ですから、“荷馬車で護衛も侍女もつけず送りつける”など、最も愚かな手でしょうね」
そこまで言って、私はやわらかく微笑んだ。
バンッ!
お父様の手が、私のすぐ横の石壁を叩いた。乾いた音が塔の部屋に響き、粉塵がぱらりと落ちる。
「黙れ、小娘が……! お前なぞ、何の価値もない偽物のくせに!邪悪な魔法を使って、美しく賢く見せている嘘つきめっ!」
最近のお父様は私に言い負かされると、必ず壁や扉に八つ当たりをし、私を偽物と呼んだ。大きな音を出して威嚇すれば、私が怯むとでも思っているようだ。
「グラディス王国の第一王女として恥ずかしくない馬車を用意する。ドレスも宝石もそれ相応に準備してやろう。お前が言うように、体裁だけは整えてやる!」
お父様は踵を返し、扉を乱暴に閉めた。石壁に反響した音が、いつまでも耳に残った。
「アウレリア様……っ!」
ダリアが駆け寄ってきて、 震える手で私の手をぎゅっと掴んだ。クラリス先生は、ただ唇を噛みしめ、悔しさを押し殺すように目を伏せながらつぶやいた。
「このような事態になっても、私には国王を止める術もありません。無力な自分が情けないです」
私は二人の顔を見て、かすかに笑う。
「大丈夫よ。……ええ、大丈夫。泣かないで、ダリア。クラリス先生も、そんなに暗い顔をしないでください。この塔で一生を終えるよりは、きっといいことがあるような気がします。 どちらにしても決まったことですから、心をしっかり持ってなるべく皇帝陛下に嫌われないようにしたいと思います」
言いながら、自分で自分を励ます。やがて二人が部屋を出て静寂が訪れると、私はベッドに腰を下ろし、そのまま背を倒した。
見上げた天井がゆれて見える。こらえようとした涙が、ひとつ、またひとつ零れ落ちた。理不尽すぎて、悔しくて、悲しくて、声にならない嗚咽が喉の奥で震えた。それでもくじけるわけにはいかない。だって、私はお祖母様と約束したのだから。
何があっても常に誇り高く、気高く生きるのだと……




