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ミリアが来た日から数日後。
塔の階段から、また複数の足音が近づいてくるのが聞こえた。誰も話し声を上げていない。
ミリアとその侍女たちなら、おしゃべりの一つでも聞こえてくるはずなので、違うと思う。静かに近づく人の気配だけが、じわりと階下から這い上がってくる。胸がざわつく暇もなく、やがて扉がゆっくりと開いた。そこに立っていたのは、お母様とその侍女数人だった。
「……まあ。ここが“魅了魔法を操る悪女の部屋”というわけね。かわいそうに…… 今までは贅沢三昧の生活をしていたのにね」
お母様は部屋を一瞥すると、すぐに私のほうへと目を向けた。
「要件だけ言うわね。アウレリアとは余計な会話をしたくないのよ。恐ろしい魅了魔法持ちですからね。お義母様の宝石を、全て私に渡しなさい」
「……嫌です。お祖母様から正式に譲り受けた品です。遺言書にも、『アウレリアに全てを残す』と書いてあったではありませんか!」
「ええ、知っていますよ。けれど魅了の魔法持ちで幽閉となったあなたに、その権利はなくなりました。そもそも、もう外に出ることがないのだから、高価な宝石を持っていても仕方がないでしょう?私が代わりに舞踏会や夜会でつけてあげましょう。さあ、さっさと渡しなさい!」
私が首を横に振ると、お母様は薄く冷たい笑みを浮かべ、連れてきた侍女たちに顎で「探せ」と指示した。しまう場所なんて備え付けの小さなクローゼットや、簡素な机の引き出しの中ぐらい。すぐにクローゼットの奥から見つけ出されてしまう。
「ヴァルステラ帝国の皇女様が持ち込んだ宝石……こんな薄汚い魅了魔法の詐欺師に残しておくより、王妃である私が管理するほうがよほど国のためです」
「……返してください。それは……お祖母様が私にくださった大切な……思い出が詰まった宝物なのです。高価だから惜しいんじゃありません。お祖母様の形見だから、私が持っていたいのです」
「あなたが持つには不釣り合いですわ。このネックレスや腕輪に散りばめられた宝石。その一粒でさえ、途方もない価値があるのよ。……あなたはもう、王太女ではないのだから、みっともなく分不相応なものを欲しがるのはやめなさい」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かが、ぱちんとはじけた。私はゆっくりと椅子から立ち上がり、お母様の前まで歩いていった。怯むことなくその瞳を見つめ、うっすらと微笑んで告げる。
「どちらが“みっともなく分不相応”なんでしょうね?遺言で持ち主が決められた宝石を、力づくで奪おうとするなんて……泥棒と何が違うのかしら。これが、この国の王妃のすることなのですか?」
「ひっ……お、王太后様?そんな……表情も、言い方も……そっくり……。ま、まさか本当に王太后様なの?あっ、宝石だけは……持って行かなくては……」
お母様は信じられないものを見たかのように目を見開いた。肩を震わせ後ずさりしながらも、宝石箱だけはしっかりと、胸に抱え込んで離さない。
半ば悲鳴のような声を上げ、そのまま侍女たちを巻き込むようにして、慌ただしく駆け去っていった。まるでお祖母様の幽霊でも見たかのような、そんな顔つきで。
私はその宝石たちがどれほど高価なのかを、もちろん知っている。
けれど、私にとっての価値は金額ではなかった。
お祖母様と過ごした時間。
優しく頭を撫でてくれた手。
「あなたは必ず良い女王になれる」と笑ってくれた声。
その全部が、あの宝石には詰まっていた。
お母様は“高価な宝石だから”奪っていった。
私は“思い出があるから”手元に置いておきたかった。
扉が閉じた瞬間、胸の奥で何かがゆっくりと崩れ落ちていく気がした。
(……お祖母様の形見まで奪われるなんて……私は……一体どこまで奪われてしまうの……?)
それからしばらくした後、階段を上がる足音がして、ダリアが部屋に入ってきた。私の顔を見た瞬間、はっと目を見開く。
「アウレリア様……何かあったのですか?」
私がお祖母様の宝石をお母様に奪われたことを話すと、ダリアは悔しそうに拳を握りしめ、それでも私を気遣うように表情を和らげた。
「本当になんとも、がめつい王妃様ですね。ご自分だって有り余るほどの宝石をお持ちなはずですのに……。でも、宝石は奪われましたが、アウレリア様の心に残る王太后様との優しく温かい思い出だけは誰にも奪えないです。だから……どうか元気を出してくださいね」
「そうね、ありがとう…… そう考えると、少し気持ちが楽になったわ。それにしても、お母様のあの表情はおかしかったわ。私をお祖母様と間違えたのよ。まるで、幽霊を見たように体をブルブル震わせて後ずさりしたくせに、宝石箱だけは離さなかったわ」
「ぶふっ。そうなんですね?本当に、欲深い方ですね」
私とダリアは顔を見合わせて、久しぶりに声をあげて笑いあったのだった。




