10
朝になると、ダリアが私の着替えを手伝いに来てくれた。
ここに閉じ込められた直後、すぐに気転をきかせて私の部屋から、数着のドレスを運び出してくれたことを、改めてありがたく思う。
もしあれがなければ、私は一枚のドレスを着続けるしかなかっただろう。
身だしなみを整え、小さな窓から差し込む細い光に目を向けた。
外の景色は見えない。
陽の光が、もう恋しい。
外に出ることもできないので、ダリアが持ってきてくれた本を読みながら
時間を潰した。やがて昼食の時間になり、ダリアが以前と変わらない内容の食事を持ってきてくれたけれど……ずっと部屋にいるせいで食欲は湧かなかった。それでも、私はなんとか食べきった。
夕食の時間になると、ダリアがどこか表情を曇らせてトレイを運んできた。
トレイに並べられたお皿を見て、私はすぐに“何か”が足りないと気づいた。
(……あぁ、デザートがないのね。食後のフルーツも、ちょっとした甘いお菓子もないわ。
それに、紅茶のポットとティーカップも消えている)
代わりに置かれていたのは、大きな水差しと飾り気のないコップだけ。
私は小さく肩をすくめ、ダリアに微笑みかけた。
「大丈夫よ、ダリア。お部屋にいるだけでお腹なんて空かないもの。デザートや甘いものがなくても死にはしないわ。紅茶も……べつに毎回じゃなくていいしね」
(そうよ。こんなこと、たいした問題じゃない……私は負けない)
そう自分に言い聞かせた。
けれど、その日を境に紅茶は一度も出てこなくなり、スープはだんだん水っぽく、パンはいつも硬い“残りもの”へ変わっていった。果物や甘いものも、二度と添えられることはなかった。
変わりばえのない日々をいくつも過ごした頃、塔の階段を複数の足音が登ってくる気配に、私は思わず顔を上げた。
誰かしら……?
息をひそめて待っていると、扉が勢いよく開き、妹のミリアが数人の侍女を引き連れて現れた。
その目には、かつての無邪気さなどどこにもなく、ただ冷たく意地の悪い光だけが宿っていた。
ミリアの手には、見覚えのある小箱。私のお気に入りだったチョコレートだ。
「北の塔って、本当に淀んだ空気ですわね。やっぱり“罪人”のお姉様を閉じ込めておく場所だからかしら?」
わざとらしく鼻をつまむ仕草までしてみせる。
「ところで、お姉様。そろそろ甘いものが恋しいんじゃありませんか?これ、お姉様が大好きだったチョコレートですけれど……欲しいですか?」
唇の端に浮かぶ笑みは、あまりにも嘲るようだった。
「……わざわざそれを見せびらかしに来たの?相当ひまなのね、ミリア。私は別に欲しいとは思わないわよ」
「なっ…… 私は忙しいです!お姉様と違って、これから女王になるための勉強が山ほどあるのよ!
それにしても魅了の魔法で先生――王国でも指折りの学者たちを、ずいぶん上手に籠絡していたのですね? その人たちが皆、お姉様を褒めて私と比べるから……どれほど惨めだったことか!」
声を荒らげながら、ミリアは続ける。
「だから、あの先生たちは全部クビにして差し上げましたの。新しい教師を雇い直しましたわ。
私の教育を、お姉様に魅了された愚かな者に任せるなんて、まっぴらですもの!」
その言葉に、胸がひどく痛んだ。
「あの先生がたは……お祖母様が、私の王太女教育係として、選りすぐってくださった先生たちよ。それを簡単にクビにするなど……なんて愚かな……。それに、私は魅了魔法など使っていないわ」
「じゃあ、何であんなに何もかもできたんですか!おかしいでしょ?ズルしたのに決まっています!」
「……努力しただけですわ」
「ふん! そんなの絶対信じないわ。あぁ、このお菓子は、ただ見せびらかしに来たわけじゃありませんのよ。このチョコレート、全部“欠陥品”なのですわ。どれも少しずつ欠けているの。だから、お姉様にぴったりだと思って差し上げに来たんです」
「な、 なんて不敬な……ミリア様、こちらはあなたのお姉様のアウレリア様ですよ?あれほど慕い、尊敬しておられたじゃありませんか!それを、こんな…… 」
ダリアが震える声で抗議してくれたが、ミリアは涼しい顔でクスクスと笑い、硬い木の椅子に座る私を見下ろした。
ここにはソファーひとつさえない。
かつて私の部屋には、一人掛けから三人掛けまで揃った豪奢なソファと、大理石のテーブルが並ぶ応接セットが置かれていたというのに……。
「 お姉様、ダリアを黙らせた方がいいですよ。王太女の私に不敬なことを言ったと、 お父様に告げ口したら、ダリアなんてすぐにやめさせられるのですよ? ……そうだわ!お姉様が代わりに謝ってください。ダリアの無礼は、主であるお姉様の責任なんですから」
「……」
「謝れないんですか?ダリアに罰を与えてもいいんですね?」
胸がぎゅっと締めつけられるようで、息がまともに吸えない。
「……ダリアの言動は……お詫びするわ。……ごめんなさい……」
「ふっ……あっはははは!お姉様が、私に謝るなんて!すごく愉快だわ!あの誇り高くて、美しくて、何でもできるお姉様が……!しかも、こんな塔に閉じ込められて!」
笑いの勢いは、まるで抑えきれない感情の爆発だった。
「私ね、ずっとお姉様が大嫌いだったの。バイオリンも勉強も努力したって、絶対に勝てなくて……どれほど惨めだったか、わかります?その金髪だって、ずっと羨ましかったのよ。でも、それも“偽物”なんでしょう?魅了魔法で金髪に見せてるだけだわ。だって、お姉様だけ金髪なんておかしいもの!」
そう吐き捨てると、ミリアはチョコレートの箱を床に叩きつけ、扉を乱暴に閉めて去っていった。
箱を開けると、どのチョコレートも角だけが不自然に欠けていた。粉々に砕いたり、自然に割れてしまったという感じでもなく、まるで、わざと形が崩れる程度にだけ押しつぶしたような、妙に均一な欠け方だった。
(……こんな中途半端な壊し方、明らかに“嫌がらせのためだけ”にしたものだわね……こんなことをする子だったなんて)
私は改めて妹の本性を見た気がした。
今まで慕われていると思い込んでいた妹の本当の気持ちを知って、私は心の底からやるせないため息をついた。
“もう家族ではない”と思っていても、やはりあのような言葉を投げつけられれば、人間だから傷ついたりするのよ。




