智謀2
「これから議を開くからな。準備を済ませておけよ。うむ? そう言えば道秦の姿が見えぬようだが」
伊尹兄が打ち合わせに来る。あの忌々しい男の事を聞いてきた。
「その名前を出さないで頂きたい。思い出すだけでも気分が悪くなる」
「何かあったのか?」
「何かというものではない。行かねばならぬのでしょう。支度は済ませた。早く向かわねば」
兼家に先を越されるだけでも嫌な気分になる。奴より先にと父の屋敷へ牛を走らせた。
右近の木に落雷があり、立ち枯れてしまった。新しく植え替えることですら揉め事が起きる。
しかし、それこそ好機なのだ。ここで寄贈に名を連ねれば出世にも影響を与える。
伊尹兄と取りなして橘を植える。それを確認するだけの議だ。
「集まったな。この件に関してはお前たちに任ずるつもりだ。好きに決めてくれ」
父に任され、伊尹兄が場を仕切る。
「兼家、案はあるか?」
「はい、今まで梅が植えられておりましたが枯れてしまったこの機会に橘を植えてはどうかと思っております」
「な……」
「何を言っている!」
伊尹兄の言葉を遮り、声を上げてしまった。伊尹兄と2人で決めた事にする手筈だったのだ。兼家が賛同しては困る。
「兼通兄、何か問題でも?」
「問題はある! 橘なぞ、あれ?」
俺も橘を推すのであった。いや、しかし。
「兄も橘でいいと思いませぬか?秋になれば実を食することもできます。滋養にも良いのでお帝も健やかに召されると思いますが」
「いや、正しい……とも思う。いや違う。お前が言ってはいけないことだ」
混乱する。何がいけないのだろう。しかし、こいつが言うことは全て間違っている事なのだ。だが、俺も橘を植えさせる筈だった。なんだこの矛盾は。
「もしかして、寄贈の名に私が載るのが問題なのですか?」
そうか。引っ掛かりはそれだったのか。
「そうだ。これはお前の功績では……」
「落ち着いて下さい兼通兄。私は名なぞ必要ございませんよ。もし橘に決まりましたら父様と伊尹兄、そして兼通兄の連名で植えて下さい」
「あ、……お?」
「それならば問題はございませんね?」
「おう……」
兼家は兄と父に確認を取る。寸刻と経たずに話がまとまった。
* * *
心に靄を抱きながら帰路に就く。今まで議とは兼家の言うことを説き伏せるもなとばかり思っていた。
このようにすんなりと決まることはあっただろうか。
父の屋敷に着いて、これ程早く帰れることがあっただろうか。面倒事がすぐに片付いた筈なのに、おかしな気分になる。
「兼通兄」
車の外から声がする。窓を開けるとニヤリと笑みを浮かべた兼家が立っていた。
「なんだ?」
「申し訳ございませんが、大事がございますので私の家に来て頂けませんか?」
いつもなら話も聞かずに帰っていただろう。
しかし、今日の議とこいつの態度に何か気になるところがあったので着いていくことにした。
* * *
兼家の屋敷に出向いたことはこれまであっただろうか。いや、きっとこれが初めてだ。
俺のに比べるとみすぼらしい家だな。優越感に満たされる。
兼家の先導するまま粗末な廊下を渡り広間に出ると、そこには保憲と遥晃、そして道秦が座していた。
「なっ、何故貴様がそこにいる!」
「ひっ! 申し訳ございません!」
「兼通様、皆が集まれば全て説明致します。申し訳ございませんがお待ち下さい」
遥晃に遮られる。ここのところおかしな事が続いている。もう訳が分からない。
「貴様遥晃! 道秦の始末をお前に任せたはずだ! なぜこいつを都に残しておる!」
「今回の件は私が策を労しました。もうすぐ最後の方が来られますからその時説明させていたいただきます」
「策? お前、何を謀っ……」
ドタドタと廊下を踏みしめる音が聞こえる。遥晃の言う最後の人物なのか?
部屋を探し回りながらこちらに近づいてくる。
廊下の先から顔を出したのは血相を変えた伊尹兄だった。
「兼家! これはどういうこと……な、のだ?」
俺達の顔に気付くと怒りに満ちた伊尹兄がキョトンとする。訪れたしばしの沈黙を遥晃が破った。
「こういうことですよ。伊尹様」
* * *
「今回、に限らず裏で兼家様と兼通様を引き剥がそうとしていたのは伊尹様ですね」
役者が揃ったから、説明を始める。
「2人に問題を起こさせ、貶めようとした」
「な、何を根拠にそんなことを」
「全て裏は取ってあります。2人が互いに接点を持たないことをいいことに異なる情報を与えていがみ合うように仕向けていますよね。ここに皆が揃っています。この状況を見れば言い逃れはできないと思いますが」
「しかし、それで私になんの得が……」
「伊尹様は2人が落ちぶれることで相対的に自分の地位を上げることができますが、九条流自体も壊そうと画策しておりましたね?」
「なっ?!」
一斉に声が上がるが構わず続ける。
「伊尹様も裏で操られていました。左大臣藤原実頼様が次男、藤原頼忠様と組んでいましたね?」
伊尹は目を見開いたかと思うと落胆し、わなわなと震え出した。
「そこまで、そうか。結局貴様に乗っ取られる運命と言うわけか」
はい?
「吉備津遥晃! 貴様が兼家を唆し、九条流を手中に納めようとしているのは分かっているのだぞ!」
伊尹は俺を指差し、声を上げた。




