MD2-037「グリーングリーン-7」
「夜空を逆さまに見てるみたいだ……」
僕のつぶやきは声になったのか、ならなかったのか。
奇妙な浮遊感の中、僕は目の前の景色に心を奪われていた。
つぶやいた通り、夜空をそのままひっくり返したように
うつぶせの状態でどこかを漂う僕の眼下に小さな光が無数に瞬いている。
時折光が強くなったり、動いたりと見ていても飽きない。
真夜中のような光景に段々とどこからか光が差す。
そうしてくると僕の目に見える光景が、やはり夜空ではないことに気が付いた。
それは川、それは山。
あるいは木々や、塊で動いているのは動物だった。
そうなるとこの見えている光は空の星ではなく、
全てに宿る……そう……。
………
……
…
「ファルクさん!」
「はっ!? あ、あれ?」
今度ははっきりと僕の口から声が出た。
寝坊してしまった時のように慌てて体を起こした僕を
誰かが抱き寄せてくる。
ふんわりと漂う匂い。
そして感じる体温。
横を向けばそこには泣き顔のマリーがいた。
「サフィリアさんも、エメーナさんも……あ、なんとかなったんですね」
ようやく僕は何をどうして気絶していたのかを思い出してくる。
割れていた結界は閉じられ、どかした2匹の地竜のそばには何人ものエルフの姿。
「君のおかげでね。驚いたよ。君が使い手だったとは……何かあるとは思っていたけれど」
「使い手って……ああー……えーっと、その……」
ここにきて誰にもご先祖様の事をちゃんと打ち明けてないことが裏目に出てきた気がする。
マリーの好意に甘えていたツケと言ってもいいんじゃなかろうか。
と、そんな僕を抱きしめたままのマリーが
さらに、という風に力を込めてくる。
「そんなことより、駄目ですよ。大きいサボタンの時に約束したじゃないですか!」
「そう……だね。1人じゃなく2人でやろうって言ったね。ごめん」
必死だったんだ、というのは言い訳にならないだろう。
振り返れば僕はそんなぎりぎりの動きばかりだ。
もう少し余力を持った人生を送らねば。
「あらあら、サフィリア。貴方もあのぐらい積極的にいかないと」
「お婆様、運命の相手はそうそう出会える物ではありませんよ」
(はっ! 宿屋じゃなかった!)
からかうような声を聞き、僕は正気に戻る。
見渡せば、誰かが呼んだのかエルフの人達は
地竜の解体をしながらもどこか微笑ましい目で僕達を見ている。
マリーもそんな状況に気が付いたのか、
顔を赤くしながら抱き付いた状態から離れていく。
それでも僕の腕をつかんだままではあるのだけど。
「もしかして僕が気絶してからそんなに時間が経ってないですか?」
「ああ、そうだね。ホルコーに乗せてもらって里に帰って人を呼んで……、
といったところさ。休憩程度だね」
僕はマリーに断りを入れて立ち上がり、体の調子を確かめる。
見る限り、大きな怪我はない。
怪我は無いし、疲れているという訳でも無いのだけど……。
だるさとも違うこの妙な疲労感は何だろう?
『大技の反動だ。あの技は無理が効く代わりにその分の反動がある。
2週間はスキルが使えないし、魔法を使う魔力も戻らん。
回復に例外はあるがはっきりとは言えないな』
頭に響くご先祖様の声もどこか疲れている。
それでも沈黙ではなかったことに僕は安心しながら、エメーナさんに頭を下げ、
解体されていく地竜を見る。
「あれ、子供……なんですよね? 親と比べるとだいぶ小さいですし」
大きさ的にはなんとか退けた成体と比べれば一目瞭然の小ささだった。
それでも牙や爪の鋭さ、鱗の堅牢そうな輝きはこの状態でも怖い。
「ええ、私も数度見たかどうかというぐらいの大きさの親でしたからね。
小さく感じる通り、まだ子供です。とはいえ……人でいえばちょうどあなたぐらい。
幼体と呼ぶには大きく、成体と呼ぶにはまだ小さい、というぐらいでしょうか」
子供でも、空を飛べなくても竜は竜。
全身使い道があるのだというのは僕でもわかる。
エルフとしても貴重な素材となるのだろう。
「君たちにもある程度素材が分配されるはずだ。
あれらは私たちが倒していないとはいえ、君たちがいて親を退けなければ
手に入らなかった物だからね。期待しててもいい」
僕はサフィリアさんの言葉に頷く。
元より多くを要求するつもりはないしね。
解体しろと言われても僕の装備じゃ大きく切ることすら難しいし、
素材として使うために小分けにするなんてもっての外。
無駄になるぐらいなら上手く使ってもらった方がはるかにいい。
勿論、エルフお手製の装備なんかが手に入れば最高なのだけど。
「あの……竜の鱗とかを使うと杖が良くなるって聞いたことがあるんですけど」
おずおずとマリーが自身の杖を手にしながら聞くと、
サフィリアさんもエメーナさんもうなずいた。
先端を鱗で覆うもよし、持ち手に爪を使うもよし、
素材が木であれば血をしみこませることでも大きく違うのだそうだ。
僕にも小さい形のを作ってくれるらしいけど、
ますます僕たちぐらいの冒険者が持っていていいのか怪しい装備になってきたぞ?
『普段は隠しておいて、切り札として使うしかないな』
響くご先祖様の声が全てだった。
さらに休憩後、僕達は本来の目的地、ユグドラシルの1柱を目指していた。
道中、僕は秘密を話す。
そう、腕輪のことを。
「だからご先祖様、ファクトじいちゃんは本人ではない、
限りなく本人の記憶をもとに再現された魔道具だ、と言っています」
話しながら、僕はご先祖様から告げられた制作理由等に驚きを隠せない。
曰く、魂の双子を作っただけだ、とのこと。
本人的には元の肉体に宿っていてこそ本人だと思っていたらしく、
生身の本人、そして魔道具に宿った側も互いに納得していたらしい。
「なるほどね……。失われた精霊戦争時代の遺物を多く発掘、発見して
各地の王家やギルドを仲介に世に知らしめた有名人じゃないか。
彼がいなかったら人の世の中だけじゃなく、
エルフだって今も森に引きこもってるだけの種族だったはずだよ」
今日はもうこれ以上驚きたくないよ、と
サフィリアさんはおどけながらそう言ってくるが
その顔は笑顔だった。
「ええ、そう、そうですとも。ああ……あの懐かしい気配はそのせいなのですね。
聞こえているのかしら? 人間にしては妙に長生きでおせっかいな人ね、
と思っていたのに死んでしまってからもまあ……おせっかいなこと」
対するエメーナさんも笑顔のまま、
急に若返ったような声でコロコロと笑う。
僕はなんだか元気そうなその姿に釣られて笑顔になってしまう。
マリーはと言えば、僕を気にしたのは腕輪があったからじゃないから、
腕輪はついでですから、などと口にしていた。
どうやら告白染みたことを言われているらしい、
と気が付いたのはそのすぐ後だった。
『見世物になるかと思えば、どいつもこいつも……俺がファルクを
操ったりしないかとかは疑わないのかね?』
(無理じゃないですか? ご先祖様があのファクトなら、
色々面白い話が残ってますよ。今度、調べましょう、ええ)
呆れたようなご先祖様の声に答えながら、
僕は静かに歩くホルコーの首元をぽんぽんと軽くたたく。
ホルコーにはそれで僕の感謝の気持ちが伝わったらしい。
ブルルと一鳴きだけして、少しだけ顔を向けてくる。
どこかホルコーも楽しそうだった。
そうして僕達は目的にたどり着く。
そこは……壁だった。
正確には壁のようにそびえたつ巨木、なのだけどね。
近づくと視界一杯に幹が広がっており、
果てが見えにくいほどだ。
太い根っこ、そして無数の枝葉。
それでいてただの巨木とは思えないこのプレッシャーというか、
何とも言えない存在感。
まさに、聖樹と呼ぶにふさわしい物だった。
「これ……樹齢は……もしかして1000年ぐらいでしょうか?」
「まさか、いや……でも……そうなのかも?」
『俺も見た記憶は数度しかない。前より確実にでかい気がするなあ……』
マリーのつぶやきに僕は思わず反論しながらも途中で疑問に変わる。
「残念。話によればもっとさ。なんでも世界と共に産まれたらしいよ」
サフィリアさんの返答に僕は思わず振り返ったけど、
からかうような表情はそこにはない。
ということは……とエメーナさんも見るけど頷かれるだけ。
すごいとしか言えない……。
「はー……ここにいるだけでも何か自分の中が変わっていく感じがしますよ」
マリーの言うように、目の前に立っているだけで
何かが体の中をめぐり、力を感じる。
「ふふ……それはユグドラシルが生きているから、ですね。
この木は魔法を使うのです。それで己の必要な水を得、
光から糧を作り出し、森を満たしているのです」
僕は最初、ユグドラシルの巨体を維持するためには
相当な水や栄養が必要だと考えていたけど、どうもそうではないらしい。
逆に外に向けて力を生み出しているのだとか。
目の前で感じるのはユグドラシルが使う魔法のために
周囲の精霊が動き回り、僕達の体を通っているからだそうだ。
「二人とも、あちらへ。私達エルフが誓いの祈りを行うのに使っている場所があります」
エメーナさんの案内に従って僕とマリーは歩く。
ちなみにエメーナさんのそばにいる男女のエルフはそのままだ。
聞いた話によれば、本当に必要な時以外喋らないという修行中らしい。
言葉は力であり、しゃべるほど葉が生い茂るように言葉は広がってしまい
大事なことが隠されてしまう、という考えからだそうだ。
いくつかある修行の1つであり、別に普段喋るのを禁じているわけじゃないですよ、
とエメーナさんは言うけど2人とも真面目そうだからあまりしゃべらないと思う。
夜はしゃべっていいらしいので、里に戻ったら夜にお話ししよう。
木のうろのような場所で促されるまま、僕達は座り込んで祈りをささげる。
祈りの句は特にないそうだ。
試しに、と言われるままに僕は周囲の精霊を感じながら
流れに沿うように意識を向け、呼吸を深めていく。
どのぐらい祈っていただろうか?
唐突に、何かの流れに僕の意識がつながった気がした。
それは塊。
塊としか言えない、ものすごく大きな物だった。
突然のことに僕は声を出せない。
ご先祖様ですら、圧倒された気配を感じるぐらいだ。
(何か……聞こえる?)
そんな中、僕は塊から何かが伸び、声らしきものを聴いた気がした。
それは徐々に明確となり、僕の目の前に何かがいるのがわかる。
優しく、力強い気配。
実際に顔をあげられたのか、目を閉じたまま
顔を上げたように感じたのか、それはわからない。
でも、誰かが目の前にいた。
『若者よ、よくぞ来た。我が子らの良い友となってくれ。
良く鍛え、良く励み、良く挑むがいい。
そうすればお主の目的も果たせよう』
厳かにその声の主は僕にそう告げ、頭を撫でられた気がした。
エルフの偉い人かな?と直感的に僕は感じ、
心の中で頭を下げようとした時だ。
目の前の誰かは笑い出した。
音になっていない笑っているということだけはわかる笑い声という奇妙な光景だったけど、
僕には本人がとてもうれしそうに感じた。
『いいぞ、世界に還ってなお、面白いことは起きる!
彼の者を宿らせし者よ。魔力だけでは世の中は渡れぬ。
力、肉体も大事だ! なあに、魔力が尽きても殴ればなんとかなる! 良いな!』
(……え?)
謎の声の言うことに僕は思わず疑問の声を心で浮かべ、
集中が途切れてしまったようだった。
気が付けば祈り始める前のやや薄暗い穴の中だった。
「終わりましたか? 出会いがあったようですね」
外に出た僕を待っていたのは先に出ていたらしいマリーと、
こちらを見つめるエメーナさんの優しい笑顔。
「は、はい……出会いは出会いだと思うんですよね。ちょっと、いえ、
かなり不思議でしたけど……」
僕はそう答えるのが精一杯だった。
声の主が誰だったのか、は里に戻ってから
再度始まった宴の最中、ご先祖様に言われるまで謎のままだった。
僕とマリーの、エルフの里での事件は
こうしてあわただしさと謎を残したままではあるが、終わりを告げた。
声は誰だって? それは野暮ってものです(きっと違うから




