MD2-246「はじまりの声」
新しい生活は慌ただしさばかりが目立つように思う。無事に故郷に帰ってきたマリーではあるけれど、当然いきなり全部の仕事をこなせるはずもない。むしろ、やれないことの方が多いわけだ。
以前の事件で反省し、改めて代理の領主となっているランドルさんの補佐の元、あれやこれやとマリーは忙しい日々を過ごしている。対する僕も、暇を持て余すということは無かった。
「ただいまっと」
「お帰りなさいませ。お湯の準備は整っております。まずはそちらの汚れた外套を……」
屋敷のそばに急遽作られたホルコー用の厩舎。いつものように舞い降りた僕は駆け寄ってきたメイドさんに頷きつつもマリーの居場所を聞いてみた。やっぱりお仕事に忙しいみたいだ。ホルコーをねぎらうように餌となる野菜をあげようとしてメイドさんの言うように自身の汚れに気が付く。
明らかに魔物由来のあれこれで汚れている外套を渡されたのにも関わらず、嫌な顔1つしないメイドさんにある意味感心しつつも準備されたお湯で体を洗う。今日も数は多かった……強さはそうでもなかったけどね。
『ただ倒すのではなく、次を見据えた動きも極めていかないといけないな』
(うん。返り血を浴びない戦い……か。少し前の僕なら考えもしなかったよ)
ぬるめのお湯で体を拭くと随分とさっぱりした気がする。ちなみに装備はアイテムボックスに仕舞うと汚れとかは一緒にならないから掃除いらずなんだよね。日に当たって色が変わったり、痛んだ物とかはしょうがないけど……すごい便利だ。
「ん? おお、無事に戻られたか」
「ええ、ランドルさんも問題なさそうで」
必死に仕事をこなすマリーへと持っていく書類等を抱えている様子のランドルさんの表情は明るい。色々あって息子さんを失っているし、それには僕とマリーがこれ以上ないぐらい関わっている。内心は複雑なはずなのだ……と思うんだけどなあ。
「ファルク殿。私は息子の分まで生き、マリアベルを支えると決心したのだ。それだけのことだよ」
「わかりました。では討伐の報告を。南東のハン村に出没したというゴブリンの群れ、40匹ほどでしたが討伐完了です」
ランドルさんがそう決心したのなら僕もそれに応えるまでだ。気持ちを切り替え、領主代行へと報告を行うのだ。領内から寄せられた魔物による被害の連絡、その対処の結果を。
以前と比べて、人々は危機感を抱けているとは思う。平和は何もしないと維持できないとだということを改めて知った形だ。でもそれは日常の延長線で、すぐにどうこうできることでもなかった。見回りを増やすことは出来ても、いざとなったら退治する戦力があるとは限らないのだ。
「やはり空を飛べるというのは大きいな。それにファルク殿も強い」
「僕もいい経験が積めてると思います」
これは本音だ。実際、わざわざこちらまで魔物の話が来るということはそれなりに緊急だったりするわけで、急ぎに越したことはない。となればホルコーの出番なのだ。すぐに飛び、現地で話を聞いて出来るだけ早く、確実に討伐する。ここしばらくの僕の生活はこればかりだ。マリーみたいに書類仕事ができないから、なんだけどね。
冒険者がなかなかやってこないような場所や、割に合わない、色々理由はあるけれどかといって放置するわけにもいかないような場所を僕は重点的に訪れている。何もなくても街の周囲を見回るぐらいのこともしてるんだ。理由の1つは、ホルコーという存在を知ってもらうこと、かな。こうやってホルコーが毎日空を飛んでると人々も慣れてくれる。
「もうすぐ今日の分は終わるはずだ。邪魔をしないように自室に引っ込んでおくよ」
「べ、別にそこまで気を使ってもらわなくても……いえ、ありがとうございます」
領主代行として過ごした時間はランドルさんにとってどんな影響を与えたのだろうか? 以前よりも硬さは取れ丸くなった印象を受ける。
(変に重い対応をされるよりはこのほうがいいんだけどね……うん)
結果的に僕が彼の息子だった相手と戦ったのは間違いないのだ。例え、魔物同然となってしまったとしてもだ。歩いていくうちにマリーが仕事をしている執務室の前まで来た。落ち込んだ気持ちだと、心配かけちゃうからね、切り替えないと。
「マリー、入るよ」
「ファルクさん、お帰りなさい」
書類の山、とはなっていなかったけれど机の上にはまだいくつか束がある。領内の報告だったり、陳情書だったりと目を通さないわけにはいかない物ばかりだろうね。僕が手伝えればいいのだけど、まだあくまで外向きには友人状態の僕がこれ以上踏み込むのは難しい。近々、正式にお付き合いをしてることを告知する予定はあるんだけどさ。
『改めて人に言うのは恥ずかしいもんな』
(そういうことだよね。でも、いつかやらないと)
マリーの気分転換になればと、雑談を交えながら部屋の掃除をしていく。といってもちょっとどかすぐらいなんだけど。それでもずっと書類とにらめっこをしてるよりはよかったのか彼女の表情も少し明るくなった。
「1つやるごとに、1つ平和が近づくという実感があるんです」
「そっか……うん、マリーは偉いよ」
本当に、そう思う。誰でも出来ることじゃあない。このまま上手く行けば僕ももっと手伝えるようになる。そしたら領内はもっと平和になって、もっと……。
その瞬間は唐突に訪れた。心が、ざわついた。
『なんだ……?』
「何か……聞こえる」
鳥でもない、誰かの叫び声でもない。だけど、何かが聞こえて来た。一度外に出てみるべきか、そう思った時、メイドさんが静かに顔を出した。困惑の貼りついた顔だ。こんな風に感情を表に出すのは珍しいのだけど……。
「マリアベル様、お客様です。それがその……黒が会いに来たといえばわかると」
「黒が? ファルクさん」
「うん。たぶんだけど……」
なんでここに来たのかはわからないけれど、間違いない……黒龍だ。言われてみればこの感じは出会った時の……あれ、でもおかしいな。正面からも感じるけれど、空の向こうからも感じる……?
『動いた……』
ご先祖様はそうつぶやいたきり、なんだか考え込み始めたのが気配でわかる。仕方ないので僕はマリーと一緒にメイドさんにお客さんに入ってもらうように告げる。そしてやってきたのは……妙齢の女性だった。まるで舞踏会で踊るためかのような黒いドレス。大胆な胸元や、足がちらちらと見えるスカート部分なんかはかなり、場違いだ。
「邪魔するぞ」
「踊りのお誘いですか?」
出会った時のように自信に満ちた声。喋りや態度はどちらかというと男性なのに姿は女性、と混乱しそうな気持ちを我慢して訪ねてみると、きょとんとした顔をしてすぐに笑い始めた。不思議と、その声は男性とも女性とも感じられた。
「ふははは! 面白いことを言う。だが今日はそれは無しだ。それよりも外を見るがいい。始まるぞ」
「一体何が……」
マリーと一緒に窓際に寄り、後ろに黒龍が立っているのを気配で感じながら空を見上げ……驚きに声を失った。空一杯に光が広がっている。ただの光じゃない、虹色の……精霊の色。土地によって精霊にも属性の偏りがある。だから火山とかは全体的に赤かったりする。だけどこの空は、どの色でもない虹色だ。
耳鳴りがしたかと思うと、声が聞こえた。
─この星に生きる者たちよ
鈴の音を鳴らすような……それでいて聞き逃すことは許されない、そんな声だった。




