A77B07:メタ新世界 / コノキラメキ
人間の思考は、同時にはひとつだけだ。もし同時に複数を考えているように見えたならば、それは技術不足につけ込んだ虚像だ。擬似的にそう見せている。再現する手段が無数にある。
例えば、思考の切り替えが早い場合。口や手の数も限られる以上、連続か並行かは誰にも見えない。特に脳の回路が遠い分野では無意識に進む思考まで活用できる。ノモズがこのタイプだ。
例えば、思考を事前に済ませた場合。思考とは行動を選ぶ手段であり、偶然だろうと行動が同じなだけでいい。自分の最適を決めて、そのひとつと心中する覚悟まで固めたら、傍目には同時に多数を処理しているように映る。ユノアがこのタイプだ。
例えば、思考を外部に頼る場合。人間の一人に思考が一つならば、人間が二人ならば思考も二つになる。友人から借りた思考をすぐに受け入れるか、敵から奪った思考に合わせるか。一で百を盗む。キメラがこのタイプだ。
例えば、相手の思考を打ち消す場合。相手の切り替えを遅らせれば。自分の一芸が相手の想定外なら。相手の思考を自分で誘導できれば。思考のために材料が必要で、材料のために観察が必要で、観察のために使える情報を自前で用意したなら、思考まで自前で用意できる。キノコがこのタイプだ。
ミレニアは全ての逆だった。アナグマ側は情報を解析済みで、ミレニアが得られる最新情報は隠され、事前の考えは破綻し、なお我を通す。後ろ盾があったから。ミクロコスモス、ゲーム盤を作るように空間を作り、駒を作るように意識を作り、盤上の駒を動かすように物理法則の外を動く。疲弊や寿命を待てる。負けなければ勝つ。完全な優位が小さな傷から崩れた。アナグマの活躍で。
砲弾の雨が降り注ぐ。炸裂した破片の軌道は製造工程の都合で規則性を持つが、ミクロコスモスの一片は避けるには大きすぎる。キメラが平然と追う。アクロバット飛行で全ての破片を避ける。目線は上の砲弾に合わせて、使用可能な空間から砲弾の炸裂先を削ぎ落とし、安全地帯から安全地帯へ渡り続ける。キメラの間合いを避けて付き合うより、下がる。
すぐ眼前で砲弾とキメラが主張すると、はるか彼方で構えた狙撃手など忘れてしまう。地平線の下へ隠れて太陽を背負って直線距離は大陸の幅以上の彼方から、キノコが当てる。前発より出力を落としているが、命中した位置を当然に刎ね飛ばす。ミクロコスモスの一片を、ミレニアの左腕を、キメラに迫る砲弾のひとつを。
まだ止めは刺せない。ミレニアが姿勢を崩した隙に、次の一射がなかった。まだ地平線の上にキノコの黒い点が見える。アナグマの面々は理解した。弾切れか弾詰まりかそれらに準じた状態だ。通信が裏付けた。
「きのからユノアさん、もう撃てない。そっちに行くね」
「なんで!?」
「こっちに来る気だから、加速し出したら追いつけないよ。今のうちに挟み撃ちにする。きのも近距離ならまだ戦える」
ミレニアはふらふらと落ちるが、重力も借りて速度は上がる。地平線の向こうへの軌道ならばそうなる。ここまでの動き方から、やぶれかぶれで小目的だけでも達成する考えには行き着く。
「あとユノアさん、言いづらいんだけど」
「言って」
「きのを守って。理由は、その、回復用モジュールというか」
「理由はいらない。キメラも聞こえたね」
ユノアが見上げた先から黒い流れ星がひとつ。麻縄を真上へ投げると期待通りに掴み、キメラとの二人三脚でミレニアへ迫る。持ち物のほとんどを置き捨てて、置き損ねた水やその他を捨てながら、身軽になり進む。
ユノアの装備は注文に基づき出力を鉛直方向に絞って軽量化したが、副産物として単純な推進力は高い。調整モジュールの耐久性によるボトルネックがなくなり、遠慮がない高出力になった。別に用意した自前のバラストとして、水筒の水を持ち込んで捨ててを駆使した重さ調整も合わせて、ユノアの目的に限れば最高の性能を発揮する。
道具は目的のための手段のための機能を提供する。同じ機能が役立つ分野ならば、手段や目的がどう変わろうと応用が効く。鉛直方向の推進力は身を横にしても変化させられない。これは上下方向とは仕組みが異なる都合だが、これでも使い道がある。
星は球形であり、現在地のガンコーシュ帝国領の上空から目的地のカラスノ合衆国領上空を直線で結ぶと、前半は下降になり後半は上昇になる。キメラは全出力を水平方向に向けて、鉛直方向をユノアが受け持つ。自重が二人分になっても出力が増す分で相殺以上に持ち込み、到着した後の戦力でさらに利を取る。
言葉はいらない。必要な行動は既に決まっている。細い紐を互いの手綱にして景色を押し流す。ミレニアの顔が見える。遠目には石板に寝る形で体を休めながら飛ぶ。ユノアは思考に余裕がある。まだ勝ち目がある顔をしている。死ぬ瞬間までが人生だ。ミレニアが最期まで敵対するなら、引導を渡すまでが戦いだ。
大聖堂の屋根が見えた。ミレニアは普段ならば息がかかる距離にいる。高度は上回っている。近づいてはいるが、ペースが遅れている。このままでは間に合わない。だからユノアは手を離した。まだ落ちながらでも進める。落ちてもキメラなら、ミレニアの胸ぐらを掴める。これ以降のユノアは加速の役に立たない。軽量化で速度を上げる。成功すれば自分の移動は慣性で間に合う。失敗すれば悲惨だが、今は悲惨な失敗が見えている。行動を変える勇気が流れを変える唯一の手段になる。
キノコの装備は巨大な火器を持つための調整により、速度では劣る。見えているがまだ接敵はない。
キメラが十数分前に撃ったばかりの対物狙撃銃は、片手に持ったままではまともな格闘戦ができない。腕一本の有無は銃一丁の有無と同等に重心を変える。
目論見通り、キメラの手が届き、ミレニアの足首を掴んだ。ナイフはまだ出さない。一本だけの武器を落としたら目も当てられない。まずは拳でミレニアの脚を殴りつける。靴が無くなれば柔らかな足では土の上を歩けず、少しの傷ができれば菌と寄生虫が入り込む。親指の関節を破壊したらまともな動きには戻れない。
有利なときこそ万全を期す。順当に進めば勝てる状況で逆転の芽を与えてはいけない。不利な側が逆転の一手にたどり着く前にゴールポストを遠ざける。推進力を奪う。そうなれば逃しても何度でもやり直せる。
ミレニアは速度を落とした。また新しい攻撃が来る。思考と同じく、石板状の装置も同時に複数は動けないらしい。受ける前に仕留めたいが、仕留めきれない。ユノアが追いついたので麻紐を投げて掴む。手繰り寄せるまでの時間が猶予となる。ミレニアは身を起こし、重心が崩れたはずの身を平然と操り、折れた刀を振り上げた。
刃がキメラに届く直前に、側面からの衝撃で姿勢を崩した。ミレニアの左側から、無防備な方向から、キノコが体当たりをぶちかました。黒一色の塗装で形を隠していたが、ここまで近づけば角の鈍いきらめきが見える。曲線が多く、掴むにも振り払うにも手をかける場所がない。まっすぐに押すしかない。
側面に回るのはもちろん不可能だ。では正面から押し返すにも、巨大な砲身は相応に重い。持ち主たるキノコ自身の体より大きくて重い。キメラより重い。キメラとユノアを合わせたより重い。
進行方向は南西から南東へ。この場で重要な点を抜き出すと、人が多く住むカラスノ合衆国の都市部から、ごく少ないエイノマ王国の森林部へ向かう。




