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千年妖姫の杯  作者: エコエコ河江(かわえ)
5章 千年妖姫の墓標
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A76B06:新桃花源 / アノユカイハン

 前線の様子をユノアは見ていた。発射台を止めた知らせをノモズに、次に狙うべき座標をキノコに伝える。しばらく手が空くので今のうちに携帯食を齧る。アミノ酸で疲労感を予防し、糖分でエネルギーを補充する。体はまだ動く。


 キメラとミレニアが空中戦を繰り広げる。巨大な板はまだ三枚も残っている。不用意な接近は阻まれ、背後を取るにはしとみになる。直進の勢いを削ぎ、隙の有無を覆い隠す。拠点を守る防壁が持ち歩きサイズになり、単純にして堅牢そのものだ。不意打ちは通じない。


 ミレニアの刀は折れてもまだキメラより長い。再び接近し十手を捻るには取り回しがよすぎる。だから互いに隙を窺う。代替不可能な戦力同士では他をいくらでも無視できる。両者の軌道は変幻自在で、ユノアでも完全には見切れない。まるで知恵の輪だ。金色の軌跡が見え始めた。どこかの勢いで髪がこぼれたためだ。転換が必要だ。幸運や不運は長引くほど可能性が高まる。不運への備えは余計な制約になる。不運へのノーガードは敗因になる。一方的な不運に睨まれた状況を一刻も早く脱したい。


 通信機が鳴った。ノモズを経由した外部からの連絡、ハイカーンだ。


「小娘、座標を言え」

「ユノアね。何の座標?」

「甘く見るな。砲撃するべき座標だ。そっちの言い方でいい。調整はこっちでやる」


 ハイカーンの声色は、繕っているが怒気が滲む。背景は想像するに余りある。瓦礫の雨に連なる報告には、ガンコーシュ帝国からの情報がやけに少なかった。この場から最も近く、軌道が最も垂直に近い。アナグマの連絡経路は機材を抱えた個人に依存する。中継役は代替できるから、末端に送れない事情ができた。そう考えるのが妥当だ。


 情は買うが、上下を含めて動き続ける中に砲撃を。命中の期待に対して流れ弾の被害が大きい。どう考えてもリスクが不相応に高い。ここ一帯は復興しかけの港だ。勝手のいい逃げ道はまだ未舗装以下で、民間人が当然にいる。砲撃は普通の家屋でも破壊するのに、仮設小屋など。当然ながらキメラの装備も砲弾から身を守るには不十分だ。小石より大きな衝撃は避けるよう想定している。遠くまで逃げるか、幸運を願うか。どちらにしても被害は拡大する。


 だけど。


「そっちの言い方も知ってる。ファイル・ディージーディー・エフビイジー、ランク・八一二・三八四。時間は私の合図から二秒後」


 ちょうどキメラと挟み撃ちにする位置に。ミレニアは逃げ道としてキメラが追えない方を選ぶ。本命のキノコに背中を向けさせる。今も動き続ける二人がどこまで計画通りに動くかは疑問だが、多少の融通はきく。合図をいつ送るかはユノアの手中にある。踊らせる。


「帝国の作業員も巻き込みそうだけど、覚悟は」

「甘く見るなと言っている。精度で右に出る者はいない」


 事実としてこれまでも、銃器や歯車は帝国製をいくつも利用していた。アナグマに集まるのは各地の溢れ者だから、帝国出身者は技術部や諜報部には少ない。インペリアルストリートの下見でも通行量の多さと一見では不規則な流れにキメラがぼやいていた。実際は綿密な設計の賜物で、必ず定刻通りに到着する。几帳面な国民性はよく知っている。


「愚問だったね。信用してる」

「こっちは信用が薄れた。機密情報をどこで知ったか、碌な答えではなさそうだが」

「かもね。ところで貴方、今回に限ってやけに協力的なのは何故? 気味が悪いよ」


 ユノアは直接的には戦局へ関われない。日陰に潜み、調査やら奸計に勤しんできた。体術も武術も、白日の下で通じる代物とはかけ離れている。これまでも、多少の誤魔化しを頼りにした日があっても、本分は潜入だ。誰の目にも映らず、どこにも痕跡を残さず、誰も成果を知らず。


 けれども決して不満はない。目立つ役目はキメラや他の皆に任せられるし、その全員がユノアの情報を利用する。一人でいい。他の誰にでも役立たずと思わせておけばいい。誰が何を考えようと現実は掌の上にただひとつ。ユノアには仲間がいる。ユノアを求める仲間が。加えて、理由はもうひとつ。


「俺様は一貫しているがな。貴様が嗅ぎつけた計画も、妖姫派の調査も、実戦テストも、今回も。すべては楽しいからだ」

「奇遇ね。私も楽しいからこの場所にいる」

「ド陰気娘め。欲しいな。アナグマへの宣戦布告を考えようか」

「騒がしい奴。戦利品にならどうぞ」


 口では罵り挑発し合いながらも互いに腕を信用する。目的を共有した集団は強い。平時の仲違いがそのまま戦略の幅広さになる。幅広さは最大値を高める。共同作業は仲を育む。


 ユノアは久しい感覚を愉しむ。人間は言葉を交わして発展してきた。その一員として生き続けるには言葉を交わす時間を楽しめるほど有利になる。並行して、言葉への熱中から適度に逃れて体を動かす必要もある。どちらにも本能的な歓びがある。今日は両方を同時に味わえる。


 ハイカーン側の準備が整った。合図を送ればいつでも発射させられる。キノコへも連絡をつける。すでに準備を進めている。キメラの耳にある受信機にも飛ばしていたが、聴く余裕の有無は定かでない。


「ユノアからキノちゃん。聞いてたね。準備は」

「いつでもいいよ。見えてる」


 頭上からの砲弾で動きを狭めて、キノコが撃ち抜く。この計画で行く。狙いは頭でいい。無差別に被害を撒き散らした相手だ。世論は決してミレニアには味方しない。気兼ねなく片付けられる。


「ド陰気娘、貴様の勝算は」

「もちろん。あの瓦礫の雨を、できるのにやらなかった。計画性はある。打撃を負ったらやった。計画が破綻した。向こうに余裕はない。優勢を取り返した」

「戦場の機微も読めるか。帝国は惜しいド陰気娘を手放したようだ」

「アナグマで身につけたのかも。今なら爪の垢をお安く売ってあげようか」


 キメラも上手くやってる。いつでも下がる準備と、それを伏せた見せかけの攻勢と、所定の位置への誘導。三つも同時にできれば神業の域に達する。いいパートナーを持った。


「さて騒がしい奴。三、二、一、ドーン」


 ちょうど二秒後に、通信機で砲撃音を聞いた。直接の音は山が阻む。砲弾が頭上で炸裂する。ミレニアは背負った板でやり過ごす。次弾が、また次弾が炸裂する。逃れる位置を探す。キメラが逃げ道を塞ぐ。左、右、右。通れないなら後ろしかない。南側へ。キノコの狙撃が肩を抉る。

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