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千年妖姫の杯  作者: エコエコ河江(かわえ)
幕間 4章 - 5章
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A70BX0:碑文

 ユノアは墓標に来た。初夏の朝、ようやく解読が済んだと聞いて、誰よりも先に。大聖堂の中央であらましを語り継ぐ碑文が復興の総仕上げとなる。八枚の岩で外観を再現し、それらの表裏に文字が並ぶ。内容は現物の中身からキノコが解読した記録に基づく。まずは一歩引いて眺めた。この場にはユノア一人だけだ。背後の足音を除いて。


「キメラさん、要件は読んでから聞く。待ってね」


 ミレニアは王の嫡女として産まれた。王には他の子の見込みがなく、王の生涯において覆らなかった。ミレニアを次代とする。生き残らせるためにあらゆる手が必要になった。周囲の誰もが彼女を敬い、可愛がり、時には小間使いとして走った。どこへ行くにも従者たちが付き従い、危険を見れば直ちに介入する。彼女は怪我も病も知らないまま、すくすくと育った。彼女の世界には三つの序列があった。ひとつは王、次に彼女自身、最後にどちらでもない者。


 王家が持つ権力の根はひとつの装置にある。何代も受け継いできた機械仕掛けの演算板。あらゆる計算あらゆる動作を可能とする機構、人も場所もを支配する操作盤、終わりを知らない直方体。


 ミクロコスモス、小宇宙の名を冠する機構の内には、文字通り開闢から終焉までが詰まっていた。覗き穴へ背伸びで届かせた先には、自分や周囲の人間が見えた。姿が違うのに、人間とは似ても似つかないのに、なぜだかそう思えた。夢を見ている心地だった。見たことがない誰かも、姿が異なる誰かも、名前から生い立ちまでひとつの答えが見える。


 試しに手を伸ばした。ひとつを動かせば、応じるように別のひとつが動く。その動きに呼ばれて別のひとつが、さらにひとつが。相互作用は連鎖する。どこかで数が減れば、減った分が再びどこかへ現れる。無限に続く世界があった。限りあるはずの空間に。


 ミレニアは王の目を盗んでミクロコスモスの内部を調べ続けた。外部への関わらせ方も自力で見つけた。どのツマミを押すか、引くか、回すか、寄せるか、それらが何を起こすか、目の前の機構に教わりながら、自らの一部となるまで、トライアル・アンド・エラーを続けた。


 ひとつに混ざりゆく感覚に浸った。ミレニアと対等に、求めれば捧げて、受けては返す。一方的な指図は決してなく、いつでも一対一で交換する。相互の関係があった。外にはどこにもない、唯一無二の相手がミクロコスモスだ。書物で読んだことがある。きっと初恋だった。


 日々を重ねて、王が病に斃れた。ミクロコスモスがそうした。配下どもは少しでも不調があればどこかへ隠れるが、王だけは隠れずにミレニアに姿を見せ続ける。影響力が見えるただひとつの相手だから選んだ。


 自らより上にいる唯一の人間が消えたら、ミレニアが最上位になる。そのはずなのに、なぜだか、民は反旗を翻した。次の王の座を求めて争い、刃はミレニアにも向いた。人々はミクロコスモスを知らない。権力の源泉をいつしか忘れて、王家そのものを権力と見ていた。


 時間が必要だ。新たな玉座を作るには、相応に。ミレニアはそう考えたが、見続けていた盤上が異論を出す。寿命が足りない。ならば、死を超える。手段を探した。見つかった。ミクロコスモスの中で、時が止まった空間で眠る。ただし、その間は外を動かせない。別の方法で外部へ干渉する手段を用意してからだ。見つかった。


 自らの一部を基に培養し、同じ姿の模造品を放つ。自らが眠る間の遂行役となる。最初に時間がかかるが、それさえ乗り越えれば動き続ける。長い計画が必要だ。


 まずは安全な場所へ。ミクロコスモスはすでに手足のように動く。物事の動きを支配する方法もある。宙に浮かべて、島の外へ出た。近くに大陸がある。南北を隔てる山と、二つの国。南側は近いので交流があった。行くべきは北だ。ガンコーシュ皇国の東端へ。都市を高度に発展させる国民性から、東側は未開拓の森がまだまだ残っている。その奥を陣取り、海側からも見えない位置に構えて、最初の眠りを始めた。


 一度目の目覚め。不愉快な臭いが出迎えた。獣の糞の臭いがこびりつき、それらに集まる虫、虫を食う鳥、鳥が運ぶ植物が絡みつく。人の手がなかったと示す。計画通りだ。最初のクローンたちも完成している。こいつらの使命は三つ。資材集めと、建築と、二十年ごとに次のクローンを起こして同じ指示を出す。やがて来る日のために、通りやすい道が必要だ。クローンを打ち上げて、遠くのどこかへ降り立たせる。ガンコーシュ皇国は人の管理が熱心だから、最も緩い地域へ。急に人が増えても気づかない位置へ。


 二度目の目覚め。今度はミクロコスモスの一部を飛ばして、上空から様子を見た。計画通り、文明はミレニアに便利な方向に進んでいる。特にガンコーシュ皇国はよく動く。いい道具を与えたら使い方を模索し続けて、より優れた形に仕上げてくれる。ただ、勤勉すぎる記録は見過ごせない。転換点に法則性を見つけたらやがてこの場に辿り着く。目覚めるたびの習慣が決まった。歴史を消しておく。辿れない道は見えない。計画外がひとつ。海が縮んでいる。王国があった島が近づいている。調査が必要かもしれない。


 三度目の目覚め。クローンによる調査報告を聞いた。地盤の移動により、やがて大陸が拡がり、島はその一部になる。都合がいい。庭は広いほど気持ちがいい。推定した時期が遠かったので、早めてやる。ミクロコスモスの操作盤へ向かい、少しだけ早くした。百年ほどで海底だった部分が新たな地面になる。


 四度目の目覚め。地盤の調査員がガンコーシュ皇国からも出ていたらしいが、そこは浸透していたクローンが操作し、この場は秘匿したままだ。地盤が隆起し、新たな山の東側になった。新たな土地を何に使うか、人々は開拓を続けている。植物も生えない荒れ地の使い方は、工場の設置が関の山だ。空間が空いているうちに支配機構を用意した。宗教団体エルモ、大型化した大陸の中央になる位置に拠点を構えた。広い一帯で価値観を共有させる。地域ごとの誤差を教義で埋める。ここは機械が支配する座。新しい家に適した心地よい設計にしよう。


 五度目の目覚め。エルモは順調に動いている。外部からの人員も入れたら、そこから評判が広まり、さらに次が入る。ミクロコスモスの精緻さを実感できる。ゆえに、見落とした部分には綻びも出る。各地で溢れものが武装集団として新天地を求めている。ガス抜きが必要だ。傭兵団体アナグマとして、どこからでも受け入れよう。しかし、適した場所には既にエルモの大聖堂がある。考えた末に、裏の顔として地下都市を築きあげた。いざとなれば逃げ込む先になるから、いざとなったら一網打尽にできる。


 六度目の目覚め。アナグマはそこそこ機能しているが、まだ影響力としては使い物にならない。ただのならず者がせいぜい用心棒になる程度で、多くは意味もなくエルモのシスターやら庭師やらに紛れて何かに備えている。そんな滾る名目があれば構わないらしい。ここに都合よく、クローンのいくつかが子孫を成していた。奇妙な存在だ。これのいくつかをギフトとして与える。アナグマを先進的でありつつ停滞した存在にして、各国をよりよく動かせる。受け止める者も必要だ。余りを他にも回す。


 七度目の目覚め。なんてことだ。この目覚めの場に現れ、久しぶりだと挨拶をする奴が現れた。ギフトとして贈った奴だ。寿命がないのか。もしくは、通常より長いか。外見さえも変わらずいる。新発見だ。どの段階で止まるかの未知には調べる価値がある。解析すれば私の役に立つ。そう考えると見越してか自主的に調査をしていた。私と同じ遺伝子を持つものだ。赤子のままの例、幼年期の例、少年期、思春期、それらの例が各地で活躍していた。老人の例は見つからないが、これは別の理由で死ぬとかで、ただのご長寿と変わりない。


 八度目の目覚め。新しい懸念が生まれた。ミレニアのクローンはミレニアと同じ考えで動く。ならば、時が来たときに最大の反対勢力になる可能性がある。大いにある。掃除が必要だ。少数の執行者を用意する。これらに私の一部を与えた。限定的ながら常人を超えられる。源泉としてミクロコスモスを直接的に使えばたどり着く可能性がある。別の位置に子機を置く。都合よく、侵入者を拒む山があと二つもある。


 九度目の目覚め。世に出回るクローンとギフトは数を減らしていった。どこかへ隠れた者もいるらしいが、発見は時間の問題だ。地上のどこへ行こうとミクロコスモスの目が届く。最後の仕上げに必要な分だけを残して、少人数で大きく動かせる位置に待機させる。私のミレニアの私の影響力を調整している。ギフトのひとつによる成果として、ガンコーシュ皇国が体制を変えて、ガンコーシュ帝国になった。乗っ取るまでに百年を見積もっている。ギフトの長寿命を活用した手だ。ミクロコスモスの思考が馴染む。結果を提示される前から頭に流れ込む感覚がある。今や名実ともに手足と同じになった。文明レベル、文化レベル、情勢、あと一歩と見える。最後の指示を出し、掃除も一気に済ませる。総仕上げの時期だけは精密さが必要になる。カルト団体でいい。そこそこの連帯を持たせるには時間がかからず、使い捨てるに十分な性能を発揮できる。なおかつ、反抗勢力になるほどの質は決してない。


 十度目の目覚め。眼が消えていたが、これまでの重ねた歴史と比べれば数日など誤差の範疇にある。演説をした。これで明日にはうまくいく。


「読み終えた。キメラさん、アレサへのご用事だね」


 振り返った先にはいつものキメラがいた。違いは、少し痩せた。元々より無造作だった髪が胸の高さにある。当時のユノアと同程度になるまで放置していた。


 再会は半年ぶりになる。ユノアは今日まで、本当に雲隠れしていた。半端では必ず誰かが嗅ぎつけるから、最も影響を見やすい部分にあらゆる注目が集まる。


「ユノアだな」

「いいえ。ユノアは既に死んだ」

「いや、お前はユノアだ。私が言うから間違いない」


 大陸のすべてを欺くための茶番だ。綻びの芽を摘むために表では別人を演じている。キメラが本物の可能性に気づいてはいるが、今は無視するしかない。笑いを堪えて別人として相手をする。


「キノから聞いた。墓標を置くのが今日なら、ユノアは今日ここに来る」

「でしょうね。私がユノアなら」

「いいから、ユノアの今の家に行きたい」

「死にたいって?」

「生きてる」


 言いながら、キメラは一歩ずつ近づく。足捌きをすっかり忘れて、草を踏む音がよく聞こえる。話を続ければどこかで崩れるかもしれない。


「それともユノアはもう、私を」


 続きを黙らせる。ユノアが踏み込んで、唇を重ねる。巧みな舌捌きで、キメラの口の中にメッセージを書き込む。秘密のやりとりには便利だ。あらゆる方向からの目が届かない密室をどこにでも用意できる。愛の言葉と、隠れ家の位置と、日程を。書き終えたら口を離した。


「満足した? 代わりが欲しいなら付き合ってあげる。対価として、私の目と手になってもらう」


 ユノアは背中で返事を拒み、木々の間へ消えていった。口元の液体は右手でぬぐい、舌で舐めとった。その後の帰路ではずっと、右手を胸の位置に抱えていた。着いた後も、しばらくは。

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