A69GB2:幕間『曙光の観測手』
大聖堂の屋上展望台三番、一般も受け入れる一室でユノアが眠る。朝日が近くて、非常時には飛び降りられる高さにある。寝坊が決して許されない日にはこうして確実な場所を使う。
夜行性の動物は多くが冬眠している。風が木々を揺らす。耳は完全な無音を嫌う。不規則ながら心地よい音で負担を減らす。
不自然を見つけるために。階段からの音で目を覚ました。眠る間も脳の一部が活発なままで、気配と意思が近づけばすぐに全体が覚醒へ向かう。職業病とも呼べる。
「そこにいるのは誰」
時刻はまだ暁、赤い光は目を塞ぎこそしないが、階下を目視するには足りない。階段は歩幅が一定になり、体重の乗せ方も平坦な道とは変わる。音だけでは体格がわからない。
「技術部のセイカです。ユノアさんがここだと聞いて、来ました」
「トラブル?」
「いいえ。相談に。起こしてしまい失礼しました」
ユノアが隣を示した。寝台に並んで座るのは七人目だ。六人目と並んで、この先にはないと思った壁を破るのが技術屋連中の役目らしい。見えた姿は防寒着で膨らんでいるので、布団は自分の背中だけを温める。
思い詰めた空気を纏う。内心が漏れにくいタイプがこうなるとは、相応に重い話を抱えている。聞いて、崩して、懐柔する。普段と同じ目線を、普段とは別の目標へ。
「ユノアさんは、キメラさんが狙撃銃を構える隣で周囲の情報を伝えて補佐する、と聞いています」
「正しいよ。機会は少ないけどね」
「私は今日から、同じ役目を任されました。キノさんの隣で補佐します」
「信用されてるんだ。いいことだよ。キノちゃんなら特に」
袖の中で力を込めた音が聞こえた。腕を組む姿勢には複数の意味を持つ。手の冷えを防ぐ、今はこれじゃない。不安を受け止める、今ならこっちだ。
「これまで私は、初めての内容をうまくできた試しがありません。昨夜のキメラさんは『ユノアがいなかったら私はどこかで死んでただろうな』と、そう言いました。私がそんな大役を、どう背負えばいいかわからなくて、ユノアさんの助力を求めています」
正しいが、正しい理由が違う。生死に関わったのは当日よりも事前の調査だ。今回なら調査が不可能なので、誰もがぶっつけ本番の基礎力合戦になる。それを最短で伝えるには。
「セイカさんの、普段の役目を詳しく聞かせて」
既に身につけた範囲の使い方を応用する。今回のどの要素と対応するか、ユノアが見つけて、セイカに再発見させて、結びつけていく。
「解析班でデッドコピーを作っています。ハキーンさんが分解した様子と結果を見て、設計図を描いたり、模型を作ったり」
「設計図、きっと部品ごとに数字を書き込むよね」
「もちろんです。厚さ、角度、長さ、丸みも、数字にできるすべてを数字にします」
「できてるね。観察もできてる。あとは数字にできるうち今はどれを使うか、覚えたらいいよ」
ユノアは立ち上がり、かっこいいポーズを決めた。銃を構えた姿勢で、目線と、銃口と、足の先が、それぞれ別の方向へのびる。
「足は移動先、銃口は攻撃先、目は探す先か狙う先。直線上にあるものを見て。キノちゃんが攻撃側になるから、必要なのは足だね。正確さはキノちゃんがやるから、大雑把な範囲を決めるのがセイカさんの役目になる」
「それだけで大丈夫なんですか」
「今回はね。動く先がわかれば、他の全部にそれぞれの担当がいる」
ユノアは目線を外した。
「状況が変われば、いくらでも他の要素が関わりだす。風向き、温度、湿度、太陽の位置、日光を反射するもの、正確な距離。他にもまだまだある。その全部を私一人でやるしかない。でもね」
セイカに目線を合わせた。
「今が必要とするのは今の範囲だけだから。一人あたりの役目は狭くていい。かわりに深くやって。キノちゃんが自分でもできる部分を、楽にやらせてあげて」
個人戦と団体戦の違いだ。分担により、一人が潰れても損失は小さい。分担により、一人が集中しての成果は大きい。全体を構成する部品のひとつとして自らを捧げる。一芸を束ねた総力をひとつの巨人として振る舞う。自己を確立した者だけが部品になれる。アナグマは部品になれる。
「必要なら演習にも付き合うよ。時間は限られるけど、きっと自信がつくよ。技術はあるみたいだから」
「ありがとうございます。キノさんとも相談してから改めて来ます。おやすみを邪魔してしまい失礼しました」
深く頭を下げて、背を向けた。「待って」
歩く前に呼び止める。用事が済んだのはセイカだけで、まだユノアからの用事がある。アナグマが最も忘れてばならない用事が。
「誕生日、おめでとう」
セイカは面食らった顔で固まった。諦めかけたと聞いたが、諦めてはいけない。大切にすると決めたものは、最後まで大切にし続ける。変えていいのはやり方だけだ。
涙声で、膝から落ちた。ユノアは受け止めた。泣くといい。言いたい何かを浮かぶままに言うといい。頭を撫でるのは四人目、やはり技術部にはそんな技術もあるらしい。




