A67G10:前夜の大聖堂
普段の大聖堂なら夕方には静かになる。ほとんど自然光だけを光源とする強固な防衛力との兼ね合いもあり早寝早起きを習慣とする。誰かが視界を求めれば、すぐに誰かが察知する。闇に紛れてアナグマが動けるように。
今日は初めて賑やかな夕方になった。広場のあちこちで松明が燃え盛り、荷物を運び込み、加工し、運び出す。花壇との隔てになる段差の多くが休憩や道具の仮置きで埋まる。
アナグマとは交わらずエルモだけに属する者には、外で動きまわるのは見知らぬ顔ばかりだが、少なくとも植物を大切にしている。不安になる置き方に気付けば声を掛け合い安全に置き直す。一定の信用を獲得した。
賑わいは遠くまで届く。普段なら地下道で戻る者にも、今は地上を使うよう案内する。状況ごとに適した隠れ方を選ぶ、そのひとつが雑踏だ。人を隠すなら人の中、あえて雑踏を避けて目立つようでは、隠したいものを探す手がかりになる。
エイノマ王国領からアズートが戻った。入口前で待機している、修道服の一人の案内で中に入る。誰が見ても客人の姿で、地下への道へ向かった。
「ノモズさん、戻りました。ユノアさんキメラさんとやむなく別行動になりましたが、連絡はどうですか」
「お帰りなさい。二人は昼すぎには戻り、今は支度をしています。アズートさんもすぐに」
「昼すぎ? 早くないですか」
「鹵獲した何かを使ったそうです。詳しくはキノコさんが落ち着いた頃にお願いします」
ノモズは事前に呼びかけた集団を待たせた部屋へ案内し、地図の一点を指した。
「アズートさんを中心にした一団で、この位置に向かい、最初の一撃を加えてください。できますか」
「トンガン山の頂上、やや東寄りの経路ですか。なぜ僕が?」
「破壊工作を兼ねた調査ですから、少しでも情報を持つ者がほしい。近くの植生も情報になると考えると、適任と思いますがね。奥の皆さんは技術部の面々です」
アズートは露骨に顔を歪めた。キノコを目で追うと必然に技術部の何人かも目に入る。にもかかわらず、今回は顔に見覚えがない。
一人だけ、イセクは何かを任された様子を見たが、機会は一度だけでしかも遠目だった。話の内容まではわからない。
「おいお前、さては俺らを余りものと思ってるな」
「いや、そんなつもりじゃない」
「現に余りものだ。少なくとも今回はな。ただの作業員だぞ、俺も、こいつらも」
イセクの言葉も周囲の半笑いも、本心は自嘲か自信か、とにかく寡黙な奴らだ。目でノモズに助けを求める。
「安心してください。もちろん攻撃を受ければ死にますが、皆さんは攻撃を受けません」
「なぜ言い切れるんですか。僕らの破壊工作は明らかな敵対だ。減らせるうちに減らすのは上策なのに」
「ミレニアには、こんな一団を殺すために命を賭す価値がないからです」
再び地図を指した。今度はもう少し東側を。
「共和国の義勇兵がこの付近に待機します。もし一団へ目を向ければ、彼らの反撃で仕留められる」
「ああ、損な取引になるわけだな」
「ひとつだけ、そんなリスクなく一方的に殺す手段があった場合だけは話が変わりますが、最序盤でそんな手を見たならば、続く損失を減らす道になります」
アナグマにも、守るために命を賭す価値がないから。そんな意味に聞こえた。これは被害妄想だ。印象を振り切り、冷静に。アズートも、イセクも、他の技術部の面々も、ノモズへの信頼が厚い。最善の相を読めば結局は互いの利が最大になる。これまでと同じく。
「いいよ、行く。もし異様な手を怖がったところで、せいぜい半日の長生き程度だ。逃げながらで生きた心地もしないだろうし。なら、行くほうが結局は生きる期待値が高まる。そうでしょう」
ノモズは静かに肯定した。すでに食事と寝台を用意してある。食物繊維を含まない特性メニューを。便意も糞便の重さも戦場では命取りになる。
一団はさらに実働部と合流して明日に備える。話が既についていて、行軍に適した歩法や位置取りを教わった。装備も彼らに任せる。
ノモズが部隊ひとつを決めた所で、待たせていた連絡が立て続けに舞い込んだ。
「ノモズ、カラスノ合衆国で土地と道路を融通する申し出がありました」
「都合のいい。何故です」
「ニグス商会が名乗り出たそうです。不確かながら王国領でのトラブルと関わる様子で」
「見当がついています。信用します」
通信室へ向かう。歩きながらも追加の連絡が届く。
「ノモズさんこちらも、エイノマ王国の協力を取り付けました。『反撃がなくとも侵犯を認めたとは思うな』だそうです。範囲はこの図に」
「ありがとうございます。計画に加えます」
ノモズの姿を見た者が、扉を開けたり、水のおかわりを渡してくれる。礼を口頭で、口が動いていたらゼスチャで送る。
「ノモズさん、スットン共和国で歩兵用の武具の提供を受けました。人員を公には回せないそうです」
「でしょうね。疲弊が尾を引く中で高望みはしません。謝礼は終戦後に出向きます」
通信室に入るり、さらに新情報がなだれ込む。
「ガンコーシュ帝国から続報、弾薬らしき輸送車が駐屯地へ動いています。仮設小屋も増えているそうです」
「彼らには働いてもらいましょう。主戦場はあの一帯になり、向こうの動き次第で追い詰めます」
「伝令からの連絡、青の駒を置いた地区に待機しています」
「お疲れ様です。明日はよろしくお願いします」
通信の後で、ノモズは地図の一点を指して確認した。
「抜けた地区からの連絡は」
「まだないです」
「ノモズさんこっちにノノから来ました。『道が塞がって警戒が強い道を通る、日の出ごろには連絡する』そうです」
「わかりました。念のため別の候補も探します」
水を飲み、ノモズも受け取りに加わる。報告はいくらでも来る。
「エンです。共和国の大統領と顔を合わせました。今後の連絡にはガガくんも向かえます」
「すばらしい。功労者ですね」
「こちらヒイゴス、一応だが衆民の世論はこっちに味方してる」
「助かります。明日はお願いします」
同時刻のカラスノ合衆国アシバ地区では、ノモズの事務所にいた秘書たちが、顔なじみになった二流の編集部に呼ばれていた。電話を使える建物の中でも新情報にひときわ熱心なのがここだ。繋がるまで繰り返し、ようやく繋がったときに、ノモズの声が聞こえた。
「カティと申します。そこに本当にノモズさんがいますか」
少しの間の後で答えが届く。
「そうです。クレッタさんもいます。そちらで何かありましたか」
「すみません、実感なくて。テクティさんによると教えてくれたそうですが」言葉に詰まった。「代わります」
生存の知らせよりも、特大の秘密を抱えていたショックが上回った。しかも経路が直接ではない。顔なじみとはいえゴシップ誌の探偵を経由している。
「電話かわってテクティです。何が進んでいますか、そっちでは」
「巨大な戦争の準備です。おそらく全土が標的となる。皆さんも避難先に困るでしょう。その場で身を守る方法を周知してください。余力があるものはゲリラ戦を」
「了解、失礼する」
短い答えで、編集長にも回さずに受話器を置いた。
「テクティさん、そんな切り上げ方でいいんですか」
「あの様子なら大量の連絡を受け続けているだろう。早く切り上げるほどいい」
こちらがノモズの不利益にはならず、記事にもまだしない。金の荒稼ぎはできるが、使う見通しが立たなければ無駄骨と同じだ。
話は再び大聖堂に戻る。
周囲のすすめに押されてノモズは食堂へ向かった。
既に日が暮れた中、配膳台がいくつも庭園へ向かう。すれ違うたびに異口同音に、食事休憩なら外のほうが早いと案内するが、ノモズの目的は他にある。
食堂の席に座るサグナと、立ったままのイナメが話をつけている。厨房の作業を見守れる位置で、いつでも動ける体勢で。ノモズに気づいて切り上げた。イナメが真っ先に受ける。
「イナメさん、大規模な立食パーティーはできますか。場所は大聖堂の庭園です」
「準備に半日ほど、取り掛かりは早ければ明日の夜に。が、なぜ急に?」
「我々は勝ちます。その締めとして祝賀会が必要です。明確な終わりと新たな始まりを示します」
「了解した。準備は二番倉を使わせてもらう。私の指示なしには誰も入れない。ノモズさんであってもだ」
イナメとの話を終えて、次はテーブルへ向かう。
「サグナさん、各地への連絡網は」
「順調です。現地にも協力的なものが多く、相互の意見交換もあります。リスクは小さいでしょう」
「わかりました。ならば次に」
手首を掴んで言葉を遮る。この場にはクレッタがいないので話がこじれずに済む。
「ノモズ、止まってください。今ある最大のリスクはノモズが過労で倒れることです」
イナメへの目配せと、すぐに液体入りの深皿が出てきた。疲労に効く食材をごった煮にした流動食だ。何も考えずに口に含み、最低限の負担で体に染みる。
「ありがとうございます。おかげでまだ動けます」
「だめです。今すぐに眠ってください。ここから明日まで私が担います」
「ですが責任を背負うために私が必要です」
「眠ってください。そのための薬も混ぜて正解でしたね」
言い合いをするうちに、ノモズは思考がまとまらない状態に気づいた。椅子に座り、腕で頭を支えて、目を閉じる。なんの繋がりもない言葉や光景が頭の中を駆け巡る。意識は暗闇に揺れる白昼の湖畔へ吸い込まれた。
ここまで4章のご視聴ありがとうございました。
次の5章は、最終章なので変則的な始め方をします。
まず来週に幕間の前半を、
その翌週に幕間の後半と5章の1話を投稿します。
アナグマを中心とする大陸全土と対するミレニアの決戦は、
勢力の数ではアナグマの優勢、
単体の質ではミレニアの優勢になる。
何を見て何を考えて何を成すか、
最後までよろしくね。




