A66G09:各地の情報網
帝国の駐屯地のひとつで、ハイカーンの私兵たちが階下で準備を進めている。
司令室の椅子を限界まで倒して、指先への刺激のために服や顎を撫でる。たまに手首で温める。扉を開放していても彼一人の空間だ。誰が来ても足音でわかる。見栄を隠しもせずに、呼びつけた者を待つ。
持ち上げたマグカップはすでに空で、底に残る残滓を忌々しく見つめて机に戻す。へこみ傷がまたひとつ増えた。待たされるとわかっていたならおかわりを汲んでいた。
オヤツでも食べようかと思い始めた所にようやく足音が来た。椅子を回して向き直り、普段通りの整った佇まいに戻した。
「失礼します。たいへんお待たせいたしました」
「俺様が待っているのはゴビューノ少佐だが、トラブルか」
「そうです。こちらを」
若者は連絡機を出した。外見はガンコーシュ帝国に広く出回るものと同等だが、接続された追加パーツは見覚えがない。両手で抱えるほどの箱の中身が何か、ハイカーンから問う前に説明した。
「アナグマの通信ネットワークだそうです。この機材がアナグマ同士を繋ぐのだと。ゴビューノ少佐が話をつけて、わたくしはこれを届けるよう命を受けました」
「その通信先の誰ぞが、俺様とも話をすると?」
「その通りでございます」
「貴様、何者だ」
ハイカーンの目が若者に向かった。一挙手一投足、目線の先まで睨みつける。ゴビューノ少佐が半端な指示を出すはずがない。常に傍につけた部下がいる中で騒ぎもなく斃れるはずもない。ならばこの若者は、ゴビューノ少佐の部下と考えるが無難。もしくは、無関係な誰かだ。
「名はセモン、階級は二等兵でございます」
若者の答えに、ハイカーンは声を上げて笑った。満足げに机を示し、通信機を置かせた。この場にはすぐに使える三つの連絡先がある。ひとつが帝国の本体に通じる回線、ひとつが私兵への連絡に使う回線、新たに加わったアナグマとの回線。
「貴様が何者か、よく分かった。二つ持ち帰れ。第一に、俺様は部下ども全員の名前と顔を覚えている。第二に、俺様と私兵どもはアナグマの敵の敵だ。覚えたな。働き次第では他にも教えてやる」
ハイカーンは右手を開き、袖を引き絞り、翻してからセモンの前へ出した。暗器の隠し場所を晒し、何もないと示した上での握手だ。面食らいながらも、同じ動作で応えた。
「よろしい。共にミレニアを排除する。忌々しい妖姫派の黒幕を」
計画のための準備は平時のうちに当たり前として進めておく。アナグマとガンコーシュ帝国の共通項だ。ハイカーンが上手だったのは予想外だったが、共闘の道は得られた。セモンの役目は完了だ。
同時刻、共和国の工場のひとつにエンが訪れた。旧知の仲として、今はアナグマとして。
代替わりしたばかりの若い工場長がエンを覚えている様子で迎えた。揺れる赤毛を束ねなおせば面影が見える。お忍びで各地を巡った頃に工場長の娘として顔を合わせたことがある。ココ・デシカデンだ。
応接室とは名ばかりのコンテナや工具が置かれた部屋に通し、エンは変わりないなと口に出す。連絡なしで訪ねる非礼を詫びて、本題を始めた。
「デシカデン嬢、急な求めに応じていただき、ありがとう」
「父がいた頃のようにココと呼びなよ。畏まる時間なんかないでしょう。あなたはいつもそうだ。要件だけ済ませて、すぐに動く。私も、あなたも。ね」
普段ならやかましい作業音も、休憩どきの今なら少しだけ落ち着く。趣味でも何かを作りたがる連中ばかりの地だ。設計図を書いたり新たな発想を求めるものが作業を止めた分だけ、数にして半分程度が静かになる。合わせて、蒸気のおかげで湿った空気が徐々に外と同じく渇き始める。
「言葉に甘えて本題を。私は今、アナグマに身を寄せてどうにか生き延びています。先の稚拙な演説の主に脅かされようとしている。武器の貸与を願います」
「断ります。我々とて危機に気づいた者も決して少なくない。記憶に新しいからね。人を余らせるつもりはないんだ」
現場作業ばかりだったがゆえの下手な敬語で語る。頼みを断りつつ、別の方法での協力を伝える。すなわち、共闘を。
自分のことは自分でやる、アナグマとスットン共和国の共通項だ。
「こっちからひとつ。指揮の共有を求める。敵味方の区別が必要になる。恨み言すら言えない失敗はごめんだ」
背景を理解するに余りある。エンは合意を結んだ。
「アナグマの武装を詳しく知らないが、消費物の共有も求めていいか。弾薬や食料の融通がいくらかはできる」
「おそらくだが、積極的に求める。アナグマは転換期にある。将来を見据えてより太い繋がりにしておくとは、考えそうなことだ。もちろんこれは私の勝手な見立てだがね」
デシカデンは噴き出した。小さい頃、エンがまだ現役の頃も、同じような言い方をしていた。仲間うちでも、工場長を任されても、この言葉を真似ていた。久しぶりに聞いたオリジナルは違う。
「あなたの見立てはよく当たる。期待してるよ」
右手を出す。はめたままの手袋に気づいて、慌てて外した。
「お互い生きて会えたら改めて挨拶をしましょう」
「もちろん。生きてもう一度、挨拶をしよう」
二人分の赤毛が触れて、どこも湿る前に離れた。




