A63G06:生存の大計画
大聖堂の地下がいつになく賑わう。
諜報部が各地区へ出向く準備を進めて、技術部が大量の資材を運ばせて、補給部が料理を作り続ける。それらの中心でノモズが指揮を担う。
普段ならば穏やかに時が流れるあらゆる空間で、今は忙しなく断続的に、荷物が揺れて足音が響く。
相応に呼吸が増えるので、技術部の一角では換気の補助装置を動かした。地下に篭りがちな者は経験則で空気が澱むと頭が回らなくなると共有している。
作業には人が必要だが、集まりすぎると動く邪魔になり、かえって作業が遅れる。適した人数を、適した割り振りで。遠くからの補佐も大役だ。個々の負担を低減するための動線で人数の変化を受け止める。多いならば集積所の中継を増やし、少ないならば直接。バケツリレーのようにして、資材の移動にはつきものの余計な判断を取り除く。
各地区へ通じる地下道のひとつ、なぜかスットン共和国側から走って戻る二人。キメラとユノアが足音で帰投を知らせて、近くにいた誰かが状況を説明する。一人目の前を通り過ぎる一瞬で言える範囲を、同じく二人目が続きを、三人目がさらに続きを。
走りながらでも聞く準備を整えて、足音が聞こえてから言う準備が整う。事前の準備が物を言う。有事には区画ごとに伝える内容を決めてある。道標も兼ねた札で通るたびに覚え直せる。アナグマには有事こそ楽しむ連中が多い。誰もが初めての状況で、誰もが初めての成功を重ねていく。
ハンドサインを返事としながら、ノモズの居場所へ向かう。この状況なら有力な候補はただひとつに絞られる。
中央工房、溶接やら鋳造やらで他より熱を持つ一室と、その手前の準備室を前に、手を振って声を上げた。作業中のキノコが離席の準備を始める。ノモズが小休止から立ち上がり、二人の潜入組を迎えた。
「ノモズ、キノ、戻ったぞ。全員無事だ。報告はユノアから」
「先にひとつ。ユノアさん、聞きましたね。どうですか」
「結論は同じでしょ。交渉の余地がなくて、時間を圧迫して、大聖堂に集まった者を一網打尽にする。だからアナグマは迎撃の準備をしている」
「おっしゃる通り。敵の居所や規模はおおむねわかっています。が、各国の要人までは期待できません。あれで寝返る可能性が大いにあります。なりふり構わず、一刻も早く、情報を送ります」
「なら私は動向の観測と指揮、それと明日に備えておく。キメラは」
キノコが簡易な図を広げた。
「きのから。まずテストに協力して。キメラおねえちゃん、すぐには動かないよね」
「鎧? にしては小さいだが」
「これが前に見せたドラグーンの調整型だね。水平出力を持たせるために、体に触れる部分をベルトより広くして、強度も高めてる癖が強いからなんとか慣れて」
キメラは珍しくにやけ顔を見せた。普段はローテクなナイフやカモフラージュばかりで、装備に合わせた身振りは久しぶりになる。中でも高高度への上昇と高速移動はそれだけで優位を得られる。通常なら。
「これで空中戦か。どうなるかな」
「向こうの技術に便乗して動いてるから、過信はしないで。いつでも普段の動きに戻る準備をして。特に、こっちが優位になった後は」
未来の話がひと通り済んで、改めて過去の話に戻る。潜入したウゾームズ王国での出来事を話した。
ミレニアの声は連中にも予想外らしく動揺が見えたこと。その隙に姿勢を崩し、掴んでも敵の技術で軌道を緩やかに共和国側まで降りたこと。使い終えた敵を海の側へ放り投げたらそのまま飛んでいき、急に落ちたこと。それらの前にアズートを逃げさせていたので、真っ当な道ではまだ時間がかかること
「やっぱりそうなるんだ。はっきりしたね。大陸の周囲に影響する力があって、受信機の役目だけなのは向こうも同じみたい。これはいい情報だよ。不安要素がひとつ減った。ありがとね」
敵からキノコへの憎悪については、黙っておいた。
連絡すべてが済んだ。ここからは各自の持ち場で必要な役目を果たす。
ユノアは情報室へ向かい、諜報部の意思を確認する。すでに連絡経路を作っていて、現地へ出たものともすぐに話ができる。誰かがガンコーシュ帝国から持ち込んだ無線機を今は頼れる。
「こちらユノア、入った。誰がいる?」
それらと並行して進めるべき準備がある。これからミレニアとの決戦に勝つと誰もが確信している。そんな今、勝った後への備えが必要になる。これが抜けたらどんな勝利でも無意味になる。
「ガガです。ちょうど共和国から戻りました」
「ノノ。合衆国へ行くけど、先に聞く」
「サグナです。エルモに持ち帰る話なら聞きますが」
「上出来。ユノアから諜報部へ。諜報部の全員を招集して。少なくとも二十人は欲しい。サグは、一応そこで聞いてて」
キノコは装備を用意する。自走砲に頼った一撃離脱戦法ではおそらく話にならない。初めて、自分より格上の技術と対面している。こんな日を待ち望んでいた。エイノマ王国にいた頃は願えもできなかった。
「キノさん、ココアです」
セイカはいつも補佐まで担ってくれる。どこへ行っても彼女は口うるさいだけのノロマな役立たず扱いされていた。キノコと出会うまでは。アナグマの存在を知り、自らの気質だからこそ重用され、天職と呼ぶべき座を得た。小さな恩人を誰よりも見ている。たとえ報われなくても。
「セイカさんは誕生日が明日だよね。ごめんね。きのは何も言えそうにないや」
「優先順位をつけてください。私のためにアナグマを失えば本末転倒です。先にアナグマがあり、その後で私がいます」
「強いよね、セイカさんは。きのには言えないよ。寂しくなっちゃう」
「私はいます」
キメラは小演習場で装備を慣らしている。キノが言うには名前をドラゴロードと呼ぶべき動きができるそうだが、今は贔屓目に見てもコバエ程度の不安定な軌道にしかならない。複数の方向から技術部の面々が装具の甘さを確認し続ける。彼らが異常なしと言う限り、キメラ自身が腕を磨くべきだ。
「本当にこれでいいのかよ。脚の角度か?」
小休止を兼ねて消耗の度合いを確認する。技術部の面々が、ほとんど暗号のような字で記帳し、グリースを差したり拭き取ったりして、キメラに着けなおす。空中では無用になる両脚を姿勢制御に使う。地に足をつけている間は、踵の固定具だけは外しておく。もう少し休憩を求めた。
「そういう機構だ。俺を信じろ」
「誰だ? 私はキノを信じてるが」
「イセクだ。キノさんは設計が中心で、実際に手を動かしたのは俺だ。その俺が言ってる。その調子でいい。あとは微調整の感覚を掴め」
「簡単そうに言ってくれるな。技術部は理論派だとばかり思ってたよ」
「普段もこうだと思うなよ? 今回は時間がない」
ノモズは対外的な連絡を担う。エルモへの声もアナグマへの声も、すべてノモズが一貫した答えを返し続ける。カラスノ合衆国の固定電話を大聖堂にも配備したのは失敗だった。多くの場合において、労力を節約するための道具は、さらなる労力を要求する。
「サグナさん戻りましたか。以後のエルモ側の連絡を頼みたいのですが」
助手が増えても同様に、受けられる仕事が増えてさらなる労力が必要になる。どこかで助手から対等な地位まで引き上げるべきだ。幸いにもサグナは経験に対してアナグマとしての活動が少なく、顔がまず割れていない。顔立ちもいくらかノモズに似ている。髪色だけ隠せば次代の調停者を担うだけの器がある。
「わかりました。クレッタも借りていいですか」
「どうぞ。仲良くなれたようで何よりです」
「なっていませんよ。ノモズのための休戦です」
「話が見えませんが、後にしましょう。エルモに関しては一任します」
次代の調停者に関しては、新たな懸念が増えた。
アナグマは平穏を守るためなら平穏から離れられる。誰もが生きるために。




