A57WG2:千年妖姫の駒
3章3話にて、ノモズと一行がニグス邸へ到着する、同日の夜。
アナグマが各地の拠点とする礼拝堂のうち、大聖堂を中心に繋がる四ヶ所が各国への連絡を中継している。
中でもカラスノ合衆国領にある一番堂は特殊な設計で、近くの森林の地下に巨大な設備を張り巡らせる。代償としてトロッコが通らないが、大聖堂との直線距離のおかげで運用できている。
今夜、キノコとユノアがこの場で狩りをする。
「き・ろく」
ユノアの呟きで標的の動向を伝える。建物を中心にして六時の方向、都市伝説が飛んでくる。
上空を漂う血涙、ガンコーシュ帝国では誰もが一度は見ると言われていて、正体を示す情報はどこにもない。滑空に近い動きで、空中を滑るように、少しずつ。
この動きをユノアは見覚えがある。帝国の駐屯地に潜入したとき、ミカが仕込んでいた道具で見せた。後の解析で受信機とわかったら、発信源がどこかにある。見つけるために、血涙を落とす。
キノコの操作ひとつで森林が巨大な迷宮になる。地下のパイプから火柱が噴き出し、炎の壁で閉じ込める。元は外敵を始末するための防御策でも、ユノアが餌を撒いたら鼠取りになる。
血涙は急降下して着地した。炎への激突は避けても、脱出には移らない。火柱は木よりも高く燃え盛る。葉の燃え方まで支配下に置いた。アナグマでも異様と呼ばれる悪趣味さが繋がり、今夜の戦法を可能にしている。
「いつぞやの侵入者、やられたね」
都市伝説も近づけば外見はただの人間と変わりない。髪が白で、皮膚が黒で、服が赤。空中での靡き加減で目玉の形に見えていた。残る不思議も一部は見えている。炎を避けた相手には炎が通じる。
ユノアは耐火スーツとゴーグルと、水と酸素のタンクで身を守る。自分だけが生きていられる戦場で、炎の中へ引き摺り込む。この戦法で危険な芽をいくつも積んできた。今回も。
「私はマコ、眼のマコだ。話なら少しぐらいはしてもいい。よろしく」
ユノアは話を無視して掴みかかった。戦場には時間制限がある。炎の壁がなくなれば逃げ道になる。五分で仕留める。
マコの服は掴むには緩く、拳を捻っても正中線を支配下に入れにくい。狙いは髪だ。
「おいおい、乱暴だね。モテるだろ」
飄々と笑顔で躱す余裕が相手にはある。その場で跳ねれば手が届かない高さまで、着地側を狙うにもその手を蹴り再上昇する。
とは、ユノアも想定していた。ミカが見せたときも木の枝は折れなかった。手を狙わせて、軌道に角度を与える。早く降りなければ、そのまま炎へ突っ込む。
着地点は予想できる。その位置に炎を置く。
ユノアが扱う武器のひとつに蝋燭がある。炎は変幻自在に姿を変える。手元を明るくし、暗号を送り、情報を言いたくさせて、隠れ場所を用意する。今夜の姿は、落とし穴。
蝋を熱すると液体になり、液体を芯で吸い上げて、吸い上げた先で炎になる。芯を増やしたトゲ玉型の蝋燭を投げた。小さな球状が軌道を埋め尽くす。一つや二つなら弾けるかもしれない。弾けない量を投げれば、必ず当たる。
ここは炎の小部屋だ。地下から供給される酸素もアナグマの支配下にある。熱されて乾燥した場とは、燃えるために必要な時間が普段よりも縮む。マコの服に引火した。
もう飄々とはしていられない。手で顔を守りながら地面を転がり回る。酸素を絶ちながら服の燃えかけた部分を千切り落とす。
その間にもユノアが掴みかかる。キノコからのリクエスト通り、傷を最小限に鹵獲する。
頭を落とせば多分なんとかなる。無茶を言う子だ。
転がりながらユノアの手を振り払うが、届かない位置もある。脚は後ろへは曲がらない。
狙いは、マコの顔だけを火柱の中に入れる。熱が呼吸器を破壊し空気の循環が止まって死ぬ。
脚が下を向けば、地面を蹴って逃れる。脚が上を向けば、振り下ろす勢いで上体を起こしユノアの髪を掴まんとする。
火柱は眼前にある。動くたびにマコの髪の先端に縮れた燃え殻が増えていく。服の炎が一段落するまでに、もう靡いても白目には見えないまで短くなった。仕切り直しだ。
「激しいね。そんなに重要なご用事かい」
死にかけてもなお飄々と話しかけてくる。標的に送るヒントはないが、この様子なら反応から情報を得られるかもしれない。最も関連あれば危険な名前を出す。
「帝国の妖姫派、あなたでしょう。他にもいくつ出てくるやら。ここで潰す」
ユノアの言葉に合わせて冗談じみた表情が消え失せた。
「そうか」
言葉が一気に冷える。
「やられたね。何が『聞いたことない』だ。しっかり見てるじゃないか」
細かった双眸を大きく開き、重心を下げて迎え討てるよう構える。マコの本気らしい。
服の下からドスが飛び出す。鍔なしの小ぶりな刃でも無防備な相手には十分で、室内でも邪魔にならない。想定した戦場が見える。この場が想定外とも。
ユノアは炎へ飛び込んだ。耐火スーツに切れ目ができれば戦局は有利から一転して対等になる。身の性能と武器の分だけ勝ち目を引くと、ここで戦えば自分が死ぬ。
目には炎の色が映り、相手の姿はまず見えない。炎の壁で隔たる区画に用意した武器を取る。
その前にマコが仕掛けてきた。左腕が焼けるのも厭わず、当てずっぽうにドスを振るう。無策とも違う。視界の右下から迫る軌道で振る。注意力が最も弱まる方向だ。
距離を置いたら途端に刃が止んだ。近づけば再び刃が迫り、ユノアは飛び退く。相手にも位置が見えている。音か、別の何かの線もある。
視界と武器で並ばれたら、用意した優位は残りひとつしかない。キノコの援護を待つ。事前の取り決めでは、合図を送るか、合図なく四分後と伝えていた。あと一分間、策が無いように見せて、博打に迫られたよう見せかけて、知覚の外から狙い撃つ。
武器の隠し場所へ動きながら、拾える石を投げつける。ユノアは音の方向で相手の位置を判断している。足元の草が動きを教えてくれる。炎の音に紛れていてもユノアなら聞き逃さない。
石が落ちる音がなかった。受け止められたと示している。炎の壁から距離を取り反撃に備えた。すぐには投げ返してこない理由は大きなひとつが思い当たる。
使わせるため、隙を見せた。探し物へ向かう素振りで視界の中心から外す。すぐに熱された石が投げつけられる。視界の隅で動いた時点で膝の力を抜き、倒れる勢いで致命傷を避ける。
この耐火スーツは長時間の熱には耐えられない。中身を熱から守るだけで、炎の壁をひとつ超えるごとに放熱が必要になる。
もし熱い石を受け止めたら手袋の部分が溶けていた。どこまで承知での行動かは不明だが、この一手で看破された。
同時に、ユノアもナイフを拾い上げた。アナグマが手ぶらからでも拾えば動けるよう各地に仕込んだ品だ。よそ者に拾われ奪われる場合に備えて小さくて錆びて脆いガラクタだが、この場なら十分な役目がある。
炎の壁に対峙し、マコからの斬撃を受け止めた。鍔にも満たないナイフの僅かな段差でも押し込むには力を逆方向へ逃す必要があり、対するドスは直線上に障害物なく指がある。火傷で変色した指が。
「舐めるな!」
迫れば落とせるが、ユノアは深追いを避けて受け流した。叫び声には三個の役目がある。第一に、自身への負荷から守るリミッターを外す。第二に、相手を威圧し弱らせる。第三に、他の音を隠す。
もう片方の手でもう一本の刃を出してくる。ユノアの読み通り、誰もいなくなった空間で刃が交わった。留守になった中心部へナイフを投げつけて、刺さる音を聞いた。軽く小さいナイフで致命傷には足りなくても、今はそれだけでいい。
時間だ。キノコが放つ狙撃銃がマコの頭を貫通した。炎の壁と地下からの空気により風向きが上方向にのみ発生する。
マコは炎の中へ斃れた。このままでは全身が煤となり消える。避けるため、ユノアは膝の裏からナイフを突き立てて、骨や別の引っかかりも避けて、切断した。
やけに焼失が早い。採取できた肉体は膝から下を一本だけで、炎が消えるまでに血抜きまで済ませておく。
焼け落ちた皮膚の下に銀色の何かが残った。棒形、球形、コイン形の金属がボロボロと出てくる。
「キノちゃん、解析班を。想定以上の豊作、驚きだよ」




