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千年妖姫の杯  作者: エコエコ河江(かわえ)
幕間 3章 - 4章
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A56WG1:アナグマの杯

 大陸の広範囲を地下で結ぶ、暗いトロッコに乗り込む。手持ち松明たいまつの頼りない灯りが手元を照らす。ノモズとクレッタの二人は、これからアナグマの中枢へ向かう。


 クレッタは脚からまだ血を流している。見たてよりも遅い。深かったか、原因となった金属片に理由があったか。到着までに失血死がありうる。そうでなくても、血が不足したら治療の幅が狭くなる。


「少し我慢してください。死ぬよりはいい結果にします」


 ノモズの手にあり松明ではないほうをクレッタには見えない位置に構える。傷口の周囲を押さえて応急処置を始める。キメラからの聞き齧りを始めて使う。他の手は持ち合わせていない。急ぐ理由も今ならない。安全のために準備を長めに取り、始めた。


 松明の炎で熱したナイフを、クレッタの傷口に押し当てた。血が焼けて、肉が焼けて、独特の香りが立ち込める。水は蒸発に伴い体積が三十倍にも膨れ上がる。圧力が細胞を内側から破壊し、同時に熱で変質させた。


 クレッタの口から意味を持たない音と涎が飛び出す。緩慢に慈しむ死から離れ、激痛を伴う生に引き戻す。諦観は優しく、瀬戸際は恐ろしい。


「ノモズさん、何故」

「生きるためです。傷口を作った金属が汚染されている見込みが高く、治療がまにあわない可能性もありました。なので、間に合わせます」


 クレッタは荒い呼吸をする。叫んで吐き出した文を戻す。ゆっくり深くと諭す。


 トロッコが止まる頃までかけてどうにか落ち着かせた。言葉を重ねて思考を痛みから離す。これから向かう先を、伏せていた事実を、少しずつ伝えた。


 光が見えて、近づいていく。窮屈な暗闇から開けた一室に出たら、すぐに男の声が帰りを迎えた。ノモズの腕の中についての事情を話しながら、トロッコから降りて、そのまま医務室までの短距離を歩く。


 ノモズの肩越しに荷物の片付けをする男を見ている。聞こえた言葉からは下働きに思えても、その後の所作は流麗で誇りを感じられる。手際も、身のこなしも。


「ノモズさん、あなたは、一体」

「続きの前に傷の手当です。着きましたよ」


 クレッタからは急角度で見上げる形になる。大柄な男の無愛想な顔を見て露骨に顔色を変えた。ノモズの説明へも興味がなさそうに「ああ」と「あ」だけで片付ける。


「口下手なだけで腕は確かです。ご安心ください」


 扉を閉めて、クレッタの顔が見えなくなった。助手たちへの指示をそこそこに、手を動かし始める。


 ノモズの役目は一段落した。休憩用のベンチで腕のつっぱりを解していたら、やがて用がある者が集まる。


「サグナです。なぜノモズがここに?」

「騒ぎの途中、身の危険により戻りました。場所は__番からで既に連絡しています」


 サグナは隣に座った。手持ちの水と菓子を渡し、ノモズに食べさせながら話を始める。


「騒ぎとは具体的にどんな。特に北東側が関わりますか」

「カルト団体イコカムの何かを北東側に待ち侘びている様子を見ましたが。足りますか」

「それでは、キノちゃんさんを見ていませんね」


 ノモズには突飛に聞こえた。中枢の大型工房で装備の拡充を進めているはずだった。外へ出るにしても、カラスノ合衆国までは時間がかかりすぎる。ならば、よほどの特別な品を求めている。


「共に出たのはどなたですか」

「一人です」

「サグナさん、私は怒りかけています」

「もちろん無策ではありません。ただノモズでも、話だけで理解できる代物とは思えない。私を経由したらなおさら。直接キノちゃんさんから聞いてください」


 追求より先に、医務室の扉が開いた。低く嗄れた声が容態を告げる。


「ノモズ、彼女はもういい。話もできる。六日後にまた診せろ。それまで安静と観察。おれは以上」

「ありがとうございます。では早速、サグナさんもお願いします」


 後ろで運ばれる身を追う。ちょうど空いたばかりの部屋に寝かせて、三人の話が始まる。



 クレッタには激動の日だ。


 身ひとつで避難し、騒ぎが始まり、逃げる途中で怪我をして、地下へ連れ込まれ、巨大な秘密を聞く。


 明示されなくてもわかる。地下に巨大な空間を持ち、技術が卓抜していて、顔立ちの幅が広い。候補は二つしかない。エルモか、アナグマか。ここに地下を使う理由を加えたらもう決まりだ。アナグマの本拠地にいる。


 異常な集団だ。誰かがほとんど単語だけを言ったら、他のそれぞれが意味を理解し動く。大柄な男がリーダーと思ったら、小柄な男が指摘した何かをすぐに改めた。道具の準備のとき、言葉もなく些細な手伝いの交換もあった。上下関係や指揮系統が見えず、ともすると全体がひとつの意思を共有しているようにも見える。


 何より不気味なのは、そんな異常な動き方を心地よく感じる自分自身だ。


 一室のベッドに寝かされ、すぐにノモズが入った。見知らぬ女を連れて。


「二人に紹介しましょう。こちらはサグナさんで、こちらはクレッタさん。どちらも私の側近として活躍いただいています」

「ノモズから少しは聞いています。クレッタさんは有能だとか」

「ノモズさんから何も聞いていません。サグナさんは信用されていますね」


 考えは同じらしく、棘のある言い方に棘で返す。やりとりを見てノモズが動く。


「二人とも、喧嘩は後にしてくださいね。今の主役はクレッタさんです」


 ノモズとクレッタが目を合わせる。サグナは面白くない目で両者の横顔を眺める。


「改めて私は、エルモとアナグマの一番礼拝堂で指導者をしているノモズです。まずはこれまで隠していた非礼を詫び、クレッタさんにはひとつ決定いただきます。アナグマに加わるか、断るか。質問はなんでも幾つでも答えます。飲み物もお菓子もあります。期限は、焦らせますが今日の間とさせてください」


 クレッタは覚悟のおかげですぐに対応した。まずは念のために自らの認識を確認する。


「ノモズさんは最初からアナグマだったんですね」

「会ったときからですね」


 質問をするまで答えない意思表示に見えた。最初とはいつであるか、会う前のいつからアナグマだったか、自分からは言わない。


 ならば、少しずつ質問をしていく。


「ノモズさんは、アナグマの工作員としてカラスノ合衆国を操作していた」

「少しですがね」


「アナグマはやがてカラスノ合衆国の実権を握るつもりでいる」

「それは違います。実権は常に各自が持ちます」


「アナグマは世を混乱に導く機関である」

「それは違います。アナグマは大問題を防ぐために小問題を起こす場合もあります。起こさずに済む手があるならば静かなままに解決します」


「私がアナグマに靡く可能性を見越していた」

「雇った後で見ていくうちにです」


「この場はアナグマの拠点」

「そうです」


 ため息をひとつ。クレッタは頭が回るゆえに、自らの状況を知り、実質的な選択肢がないと知る。クレッタは答えを決めた。


「このヘッドハンティングは、いつでもネックハンティングに移行できる。私の選択肢はあってないようなものです。私はそれでも、ノモズさんに味方したい。ノモズさんのために死ぬ覚悟がある。これで答えになりますか」


 言葉は自らにも作用する。言葉が自らを規定する。言葉に押されて覚悟が固くなる。真っ直ぐにノモズを見据えて、次に口が動く瞬間を心待ちにしている。目も口ほどに饒舌だ。


「ひとつだけ。死ぬ覚悟はいりません。必要なのは、生きる覚悟と殺す覚悟です」


 ノモズの言葉はいつになく短く冷たい。これまでも相手に合わせていくつもの顔を見せていた。時に毅然として、時に弱々しくて、飄々として、甘くて、凛々しくて。ラインナップがひとつ増えた。これがアナグマの顔だ。


「やります。一人目がサグナさんですか」

「いいえ。その言葉を聞いただけで十分です。あなたは、いい結果を出せます」


「最後にひとつ儀式をしましょう」


「アナグマの杯、これに水を注ぐと成分が溶け出して、働き蟻のようにアナグマのために動き続けるようになります」


「クレッタさん。今の説明は嘘です」


「本当は水ではなく葡萄ジュースに溶け出します」



「これも嘘で、本当は仕掛けがないただの杯です」


「これも嘘で、私が実は儀式をしていないだけです」


「どれが本当でしょうね。もしくは、全てが嘘かもしれない。不確かな情報だらけの中で、どのように判断するかを見せていただきます」



「生きる覚悟と殺す覚悟があると言いました。私はその杯を使わない。強引に使わせるなら殺してでも身を守る。そして、儀式とはこうして答える部分にある。どうですか」


 ノモズは深く頷いた。


「素晴らしい。私が見たのは二人目です」


 伸ばす右手を受け取った。

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