A53W14:奇兵隊
キメラは礼拝堂の付近で匂いに気づいた。アナグマの空気が濃く漂う。地下道から応援が出てきた証拠だ。服の隙間や肺の中で運べる量はごく少ない。一人や二人じゃない。
背の低い修道女を捕まえて、屈んで囁いた。
「ノノだな。キメラだ」
アナグマの伝令は頷き、奥の部屋へ案内した。渡された情報はふたつ。ノモズが中枢へ向かった報告と、勝算の伝言を。簡潔な、ほとんど単語だけの置き土産でも、本人の言い回しが想像できる。
『キメラさんは彼らの中へ飛び込み、騎士団への攻撃を扇動してください』
『それで奴らが動くと?』
『指揮系統の難を突きます。騎士団が動く口実を用意してください』
とかの流れで指示を受ける。人使いの荒さに文句を言いながらも、お互い信頼する相手だから、遠慮なく引き受けては任せ合う。
「ノノ、騎士団の役割は他の国の何に相当する」
「帝国なら分ける全てを一緒くたに。警察、軍隊、役人、事務員その他もまとめて騎士団呼びですよ」
「幅が広すぎないか?」
「広い文化圏を跨いで繋ぐための名前です。実態は他所と同じゆえ安心を」
こっちにも相応の事情があるから。価値観を共有するために一つの言葉を使う。
キメラは直近の旅路を思い出した。建築様式、建物の並び方、気候など、少しずつの違いが確かにあった。車を牽かせる動物も牛だったり馬だったり、見落としただけでもっと細かい区分があるかもしれない。
ヒントになった気がした。集団に紛れ込んで扇動するために、共有する価値観を利用する。説明なく伝言を終えるあたり、ノモズなら無意識に見ているのだろう。
それをキメラが真似ようとする。目の前の一人ごとの観察を磨いてきた。考えなしには応用できない。まずは過去のノモズを思い出して、言葉に共通する何かを探していく。本当に、人使いが荒い。
「最後にノノ、騎士団への根回しは」
「すでに」
揃って口角を上げた。キメラは少しだけ遅れた。この思考に辿り着かせるまでが計画とはいかにもノモズがやりそうな話だ。まんまと乗せられたのは腹立たしいが、成した後なら同じだ。
キメラは広場へ向かう。騎士団の隊列が待つ位置と、アナグマの工作員がさりげなく混ざった数を頭に入れて、最初に声を上げる位置を吟味する。
集団は熱狂の中にいる。冷静な思考が弱まり、雨で視界も悪い。今なら簡単に溶け込める。まずは陽気そうな中年の男を利用する。
「出遅れちまった。今どこだ?」
「大丈夫だぜ姉ちゃん。まだ出てきてない」
「わかった。ありがとな」
続く行動はしないと。群衆はただ集まって眺めるだけで、放っておけば出てきて、準備は何もない。
広場に集まる全員が傍観者で、だらしない姿勢で、ただ北東側の空を眺めている。キメラは久しぶりに背筋のむず痒い感覚を思い出した。アナグマの外に特有行動様式だ。ただ成り行きを傍観したそばから忘れていく。心神喪失と同等でありながら一丁前に要求だけは達者な奴らだ。言葉は高尚すぎて通じない。感情を刺激する以外に道はない。
キメラはさりげなく騎士団の側へ向かい、武器を構えた様子を見つけて、まずは石を投げた。金属の盾で弾く音が甲高く響き、一瞬の注目を集めた。頃合いを見計らい、声を張り上げた。
「加勢してくれ! 追い出されてたまるかよ!」
合図を皮切りに数人が寄せ餌の騎士へ駆けつける。負けじと向こうも人員を出す。追い出すと言葉を聞かせたら、勝手に想像を膨らませる。自分が出れば勝てる。近くにいる者の頭にそんな考えをよぎらせた。
まんまと参戦するたびに騎士団側も応援が駆けつける。一人や二人が増えただけなら、自分が出れば勝てる。その繰り返しで集団の一角を騎士団との大喧嘩に持ち込んだ。
騎士団は集団戦のエキスパートだ。自らを巨人を構成する部品のひとつにして、各自の役目だけを忠実に遂行する。
対する群れは個人の集まりであり、部品扱いを嫌う。あるものは勝機と見て突進し、別のあるものは慎重に足を止める。
分断したら、密集して盾を構えて包囲する。逃げ道も突破口もない小部屋を作り、中の群れは一様に一抹の望みを探す。
そんな状況で小さな出口を開けたら、起死回生を求めて飛び出してくる。一人ずつ出てきた者を一人ずつ片付けていく。
捕らえた中に紛れたアナグマは名簿を確認した上で解放する。普段ならば見込みない結果でも、今回ばかりは仲間だと共有されている。
仕掛け人のキメラはさりげなく脱出し、別の一角へ向かう。逆側で同様に騒ぎ、徐々に削いでいく。
「加勢してくれ! あんたなら動けるだろ!」
キメラは周囲を呼び込み、乱戦になったら死角に紛れてさりげなく離脱する。脚に掴みかかり、振り払う勢いに紛れて外側へ出ていく。
誰もが目の前にいる一人との揉み合いで精一杯の今、よそ見の余裕はない。
キメラは戦場で大声を出す経験がなかった。これまでのどの感覚とも違う。戦場といえば、少人数で隠れ潜むものだった。
味方にできるのは虫や鳥をはじめ動植物だけで、人間はすべて敵になる。姿なく動いて人間を減らし、目的を見失わせて追い込んでいく。
この戦場は全てが違う。衆目を集めて人を呼び寄せ、目的を与えて行動を促す。
キメラは沈黙と隠秘の戦場にいた。言葉と開示の戦場がある。吶喊と熱狂の戦場がある。
口周りが緩む。足が軽くなる。血が滾る。戦場では主導権を得た者が全てを得て、主導権を失えば全てを失う。一瞬の判断が生死を分ける。択は三つしかない。続行、補助、中断。
キメラの選択は続行だ。最も楽しくなる。
広場の群衆は次第に減り、特に野次馬は騎士団の活躍を見れば避けるべき暴動と判断する。まんまと印象を誘導して、勝利への道を盤石にする。
集まった群衆が求めた注目先は結局なにも見えていない。不確定要素ではあるが、残りを片付けるまできっと時間はかからない。この位置から打てる手も。台無しを避けるためにも、目の前の役割に集中する。




