A52W13:地獄変
キメラはまず事務所に戻った。騒ぎの中心から程よく遠い。予想した最悪が杞憂に済んだ今なら可能性はある。
「ノモズ! 戻ってるか」
返事はない。玄関マットも整ったまま、匂いの変化もなし。付近にはいつもと同じく通行人がいる。
騒ぎはここまで聞こえる。歓声が届く。相当な数だ。足並みを揃えるまで手を出しても勝ち目がない。
ならば次の行き先は礼拝堂だ。ちょうど騒ぎに近く、非常時の備えもある。アナグマの人員もいる。遅かれ早かれ合流できる。
同時刻のノモズは街の中心付近にいた。
キメラが言うから信用して離れた。建物を崩す攻撃なら、他の建物の陰になるよう曲がると、当然に広場に着く。姿勢を落として事務所の上空を見る。
小さな何かが落ちた様子こそ見えたが、思ったような衝撃は見えない。代わりに、遅れて背後から歓声があがった。
民衆の目が同じ方向に集まる。北東側に何があるのか、目を凝らしても、ジャンプしても、目立つものは見つからない。
「クレッタさん、何か見えますか」
「ノモズさんがジャンプをした時、こちらに気づいて向かってくる方がいます。ちらと見えた限りでは、テクティさんのようです」
落ち合うために少し離れた。広場の外側へ、移動のためもあり道路側へ。その間にも新たな誰かが訪れる。すれ違い際に顔を見ておく。
多くは目線から野次馬らしい印象で、まばらな位置に熱心な顔がいる。ただの集まりではない。明確な目的を持って集まっている。
ただし、イレギュラーへの対応には甘さがあった。そそかしい一般人が荷物を落とし、拾う手伝いの手際がまちまちで、連絡も積極的な発見もしない。
ノモズはこんな集団に見覚えがある。部下に役割ひとつを与えたらその他の全てを無視する、そんな組織ではいつもこうなる。基準ひとつで配置を決めた結果、他の要素が無作為な寄せ集め同然でばらつき幅がやけに大きい。
相手の指揮系統の断片から打てる手が見えた。必要なのはキメラだ。まずは合流のために。
「クレッタさん、礼拝堂へ行きますよ」
雑踏に見える形で手を振った。用事があるなら追ってくる。
人の流れは頭を見ればわかる。上下したり、揺れる場所があれば、その位置に動く者がいる。目線と脚から次の移動先を読み取る。カラスノ合衆国は広さに対して人口が少なく、この感覚を理解する者も少ない。
ノモズは裏路地を進む。悪臭のせいで普段ならば避ける道だが、非常時には臭いだけで歩きやすい道になる。
探偵と浮浪者とならず者の楽園だ。様々な汚物が混ざった結果の暗色があちこちに残り、服の白さがよく目立つ。
「そう恐れずに。私がいます」
この道は見てくれに反して危険ではないが、今日だけは話が違った。遠くから祝砲らしい爆発音が聞こえる。同じような置物が、すぐ近くにも置かれていた。爆発で音を出す手前、分量や設計に精密さかが必要になる。もしくは、過剰なほどの耐久性が。
入り組んだ裏路地を曲がった瞬間に、目の前に置かれていた機構が、同じ音で爆発した。
破片が横切って、甲高い音で跳ね返り、同時にクレッタが膝をついた。ひとつ遅れてノモズも足を止める。安全な道が裏目に出た。
「クレッタさん!」
「平気です。かすっただけ」
言葉は認識に基づくが、行動は状態に基づく。クレッタは立ち上がるに失敗し、汚い地面に手をついた。
「見せてください。脚ですね」
ノモズの視界に入るよう動かすと、カランと音が聞こえた。血がついていて、古そうな汚れも重なる金属片。危険度は極めて高い。
「平気です。私は」
「だめです。私に抱かれてください。じっとして。でないと毒が回ります」
後ろからは誰も追ってこない。テクティも他に巻き込まれたか、見間違いだったか。応急処置に使える道具はこの場には何もない。礼拝堂に着くまでに血液は体を五周ほどする。
幸運に頼る以外で生き残る道は。避けたいが、ひとつだけある。確実に命を助けられるが、確実に命以外の全てを奪う。
両手でクレッタを抱えて、早足で進む。礼拝堂には地下がある。
修道服の伝令を捕まえて、伝言を残した。ノモズからキメラへ。カティとラマテアにも。
クレッタの様子はまだ疲れが見える程度でも、体内での出来事が外に出るまでには時間がかかる。ヒントは得られない。
ノモズは決断した。
「九番で治療を」
アナグマはコイントスを嫌う。自らの選択に責任を持つためだ。




