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千年妖姫の杯  作者: エコエコ河江(かわえ)
3章 奔走、カラスノ合衆国 の続き (作者の夏休み明け)
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A51W12:狐狩り

 ミカは雨具を持たずに立つ。朝よりも弱まったとはいえ、贔屓目にも小雨とは言い難い。それなのに、中に入ろうとはしない。寝ぼけ眼に似た酩酊状態が見てとれる。


 キメラの背後でも異変に気づいた様子がわかった。


「聞こえたよな。ミカなのか」

「うーんと、そうだと思う。変?」

「イメチェンか」

「そうかもね。似合わないでしょうか」

「何も似合わないな」


 ミカはもっと、凛としていて、芯が強くて、傲慢ちきで、そんな特徴を急に失った同じ顔の女がいる。


「そっかあ。これならどう?」

「違う」

「ならばこれはどうだ?」

「喋り方の話じゃないぞ」

「あらあら。注文が多いのね」


 中途半端に口調と仕草を変えていく。目的は全くの不明だが、徐々に何かが整いつつある気がした。まだ重心が変わればふらつく。


 キメラはその様子を観察した。複数の同じ顔との関連を探す。


 突然にミカが倒れた。服の腹部に赤が広がる。この傷と動きをキメラはよく知っている。


 銃による狙撃、しかも音がなかった。遥か遠くからだ。けれどもその方向は、すぐ近くで建物が射線を塞いでいる。


 そんな状況で使える銃ならきっと再装填が遅い。駆け寄る時間がある。倒れた体を裏返す。貫通を期待したが、そんな痕跡は見つからない。方向の手がかりはない。助かる見込みも。


 北北東には空だけが広がる。雨雲は南よりも薄い。


 その中に何かが見えた。雲間に黒い点が見える。点は徐々に大きくなる。接近している。キメラがいる位置に、一直線に。


 正体不明を前にして、安全な行動を短く叫んだ。


「逃げろ! 家が崩れる! 逃げろ!」


 真っ先にキメラが駆け出す。やや遅れて後ろでノモズと秘書三人の足音が聞こえた。バラバラの方向に距離を稼いで被害の可能性を抑える。一人ぐらいは生き残るために。


 雨具を持つ猶予もない。目の周りが濡れれば視界が塞がり、服に染み込めばやがて命を失う。それよりも早い危険が来ている。完全な劣位だ。


 飛行物体はキメラへ向かう。軌道の修正があるのか、雨で見誤ったか、どちらでも猶予はごく短い。こんな状況での対処も体に染み付いている。少しでも生存率を高める。


 着弾すれば破片が飛び散る。まずは体を倒して的を小さくする。爆心地に靴裏を向ける。頭に当たれば死ぬが、脚ならば生きるかもしれない。倒れる衝撃と滑る摩擦から頭を守る。腕の役目は他にもある。耳を塞いで鼓膜を守り、眼球を押さえて飛び出しを防ぐ。口を軽く開けて、爆風による衝撃の逃げ道にする。


 周囲には誰もいなくて窓もない。これなら被害は最小で済む。


 視覚と聴覚を休めて、雨が体を打つ。リズミカルな刺激を数えて客観的な時間を計る。同じ衝撃でも予期の有無が耐えられる限度を左右する。目測だが速度を見ていた。五、四、三、二、一。


 備えに反して、周囲は静かなままだった。風もなく衝撃もなく、一定の雨粒だけが続く。見誤ったと思いもう少しだけ待つ。まだ、何もない。


 片目を開けて確認した。正面には、絵本でしか見ないような、黒い天使がいた。


「は?」


 声が漏れた。受け取るものはなく、キメラへの返事もない。


 空間に穴が空いたと思った。シルエットだけの漆黒の姿のうち、体躯より大きな銃だけが通常の塗装のおかげで手や肩の位置を示している。


 黒い天使はキメラへ歩きながら、首に相当する高さをまさぐり、ヘルメットを持ち上げて素顔を見せた。


「キメラおねえちゃん、怪我ない!?」


 キメラは一応、警戒を続ける。危機と未知を前にして、切り替えの前に観察を続ける。


 黒い天使は追撃の様子を見せず、足取りはキノコそのものだ。敵意があるなら優位を投げ出すはずがない。手にした銃を頑張って抱える様子がわかる。この状況ならば、油断させる利点がない。まずは本物として信用した。


「キノなのか。なんだよこの、いろいろは」

「時間がないから軽くね。まずこの服は鹵獲ろかくしたやつを解析して手に入れた新型だよ。見せた通り人が空を飛べる。ほとんど滑空だけど」


 キノコはジャンプと同じような動作で飛び上がり、少しの滞空の後に、螺旋状に旋回して降りて見せた。すぐ隣にある二階建ての屋根よりも高い。


「ユノアが言ってたやつか」

「そうだね。ただの都市伝説じゃなかったよ。おかげで色々わかったんだ。詳しくはユノアさんから聞いて」


 せっかくの新型なのに、キノコの言葉から喜びの色が見えない。手に入れたと言った。作ったのではない。


「ミカを撃ったのもキノか」

「そうだよ。あれは危険だから壊した。人間じゃないよ。よく似てるけど」


 じゃあ何者かと尋ねる前に、遠くから騒ぎが聞こえ始めた。街の中心側、ノモズたちが走った先だ。


「すぐ戻るから駆け足ね。トンガン山の頂上、あれが本当にまずい。今の騒ぎは放っといてもいいけど、他に必要な手もないから念のため片付けるほうがいい。最後にこの装備、キメラおねえちゃんの分もあるから」

「わかった。またな」


 本当は何もわかっていないが、ちょうど不可解な出来事が続いていた。何が増えても同じだ。情報の扱いは得意なものに任せて、言葉は上辺だけを覚えて、キメラは目の前の問題に集中する。


 キノコも最後に実演での説明をしている。ヘルメットを被り、ほぼ鉛直方向の上昇と、斜めの下降を繰り返す。大聖堂の方向へ進む。


 お手本から、同等以上の相手が現れる可能性がわかる。地上戦力では話にならない。


 騒ぎへ向かいながら、使える屋根の位置を頭に入れていった。

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