A49W10:千年妖姫の名
アシバ地区に戻った翌日、ノモズとカティの二人は編集室へ向かう。事務所を出たあと、商店街を抜けて反対側の、都市の中心近くに構えている。主力がゴシップ誌の小規模な構えだが、こういう場所にこそ使える情報が集まるらしい。
テクティの馬なら単純な時間は十分にあった。彼なら電話を使える見込みもある。あとは行動だ。アナグマはアナグマ以外の行動を決して過信しない。
「階段の様子がこれですが、きっと大丈夫でしょう。だめだったら着地してください」
「このごろのノモズさんは無茶が増えましたよね」
一階で印刷機の大掛かりな音が唸るたび、振動が足に伝わる。不安な階段をさらに体重で鳴らしながら二階の入り口へ向かう。
今日の目的はふたつ。世話になった礼儀としての挨拶と、イコカムの動向について共有を受ける。そういう契約をした。
「カティさん、いいですか」
「行けます」
手土産を持ち上げて見せた。カティが正面に抱えて、ノモズが扉を叩く。内側へ開ける。
最初に顔を向けたのは小太りの男、編集長のエディだ。立ち上がり、挨拶もそこそこに応接用の空間へ勧めた。周囲を横目で伺いつつ、大人しく座り、話を始める。
「テクティさんから話が通っていると存じます。私がノモズで、こちらが秘書のカティ、この度はお世話になりました」
「エディです。話は彼以外からも聞いていますよ。偶然にも工場の準備が進んで精度のいい品を配備できたとか」
「不本意でしたがね。さて、私は急いでいます。情けない話ですが、イコカムについて何もわかっていません。潜入に役立つ情報を共有していただきたい」
エディは顔色を曇らせて、デスクに積み上げられた資料の束を指した。生原稿を含む、これまでの調査結果だ。
軽く目を通すだけでも時間がかかる。中には出所が怪しい内容もあった。被害者の似顔絵なんて、出回るはずがない。大まかな分類はカティに任せて、ノモズは人との話を担う。
「これほどとは。お見それしました」
「ノモズさん、私は正直なところ、この件から手を引きたい」
「それほどに危険な連中、ですか」
「本当に。うちの者が一人、減ったんですよ」
「それは、ご愁傷様です」
ノモズは黙祷を捧げる。これまでも何度か礼拝堂への襲撃があった。エルモによる実質的な支配を覆そうとする輩は珍しくもない。
これまでは少人数ゆえ、すぐに沈静化していた。今回はどうやら、すでに大人数がいる。しかも、ユノアの目から逃れられる方法を持つ。
「彼は、中心近くまで接触した。最後の連絡がこれです」
エディは懐に忍ばせていた一枚を出した。ボロボロの紙に短い走り書きだけが書かれている。
「『中心ミレニア』とは、名前ですか。指導者か、目的か」
「少なくともカラスノ合衆国風の名前ではなく、ノモズさんは諸外国の文化に詳しいと聞いています。もし心当たりがあれば」
ノモズは記憶を探るが、どことも少しずつ違う。スットン共和国にしては他人行儀で、ガンコーシュ帝国にしては捻りがなく、エイノマ王国は大昔ならあり得たかもしれない。
「なんでしょうね。捻くれた共和国か、古い王国か。東側の雰囲気はあります」
「もしファミリーネームがあれば情報になりますか」
「期待できませんがね。今どきファミリーネームを持つなど、血統主義者か、長く続いた家業があるか、帝国の几帳面な国民性か、そのあたりですか。東側では期待できませんね」
話はこれ以上には膨らまず、イコカムの拠点の位置と、潜入の手引きを教わったら、あとは資料の山を鞄に詰め込んで編集部を後にした。
改めて横目でデスクを見る。荷物置き場がひとつと、すぐにでも使える空白がひとつ。尋ねるとユノアの席と答えた。調査に出たきり戻らず、こちらは生きている信用か願望かがある。
何も言わずに編集部を出た。避けられるリスクは避けておく。
ノモズの事務所に戻る。ミレニアに関する情報をアナグマの中枢にも共有するため、礼拝堂に寄ってから。
扉を引いて開けた。礼拝堂は内側から外側への移動を優先している。手近な一人を捕まえて堂々と話す。
「ノモズと申します。三番室を借りても」
「ええどうぞ。連れの方は」
「二番にお願いします」
アナグマの符丁でそれぞれ、受け渡しと部外者を意味する。それぞれ案内人がついて奥の部屋へ進む。カティはソファが柔らかい部屋に、ノモズは無骨な物置部屋に。
待機していたアナグマの一人は、コンテナに寝そべり気だるげに顔を向けた。上下を逆にノモズと目を合わせる。姿勢のおかげもあり、若そうだがすでに喉仏が目立つ。
「情報の書き写しをお願いしますよ」
「はいヨ。あんた名前は?」
「ノモズと申します。初めましてですね」
「おお、トップ候補」
と、雑談を始めようとする。先に情報を送るため、ペンを渡して、目線を紙に向けて、強引にでも書き写させる。大量の書類からノモズが指示した要約の言葉を並べていく。一応、話をする余裕はある。情報が優先だが、付き合える分は付き合った。
「俺はキグラ、二世の方が通るかナ」
「あなたが。聞いていますよ。けどもあの様子は、燻っているようですね」
「だってサァ、ユノアちゃんがこのごろ来てくれないんだヨォ!」
「彼女は中枢にいます。怪我の治療もそろそろ済んだ頃でしょう」
アナグマは外部から加わったはぐれ者で構成されるが、一人だけアナグマ生まれの二世がいると話題だった。ノモズが加わった頃から囁かれていたが、顔合わせの機会がなく、意図的に会うほどの興味はない。この場で見ていく。主に、外生まれとの違いの有無を。
「ユノアさんとは、仲がいいんですか」
「まあナ。俺は指名されてここにいるからナ」
「彼女らしい」
観察したい相手を懐柔して見える位置におくあたり。狂犬とも呼ばれる彼は役立つ瞬間もきっとくる。
「キメラさんとの面識も?」
「ユノアちゃんの恋人だよナ。名前だけ知ってル」
書き写した書類は地下のトロッコに放り込む。あとは向こうで動かして中枢に届く。
ミレニアの名を筆頭に、直近の出来事とユノアが使えそうな予報の一覧を送った。
ノモズは事務所に戻る。潜入に備えて予習するべき書類の山がまだまだある。




