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千年妖姫の杯  作者: エコエコ河江(かわえ)
3章 奔走、カラスノ合衆国
45/89

A43W04:右、左、左

 応接間が剣呑な空気で満ちた。どの調度品も雰囲気のレンズを通すと客人への歓待から異物への威圧に変わる。


 事前に聞いていて助かった。心構えの有無はそのまま強さでもある。ノモズの急所でも、不意打ちでなければ耐えられる。敵意を向けられても、どうにか。


 ウルは凄んで捲し立てる。一方的に言葉を浴びせて、正常な判断を奪い、押し通す。勝ちを確信した最後のひと押しだ。


「俺は確信してる。ルーキエと呼ぼう。六年前にアナグマの手引きで船に乗り込み、誰にも知られずどこかへ消えていった。そうだろう。お前は何も変わってない。考え方も、話の組み立て方も、目線の癖も、耳の形も。こうまで同じで、誰が別人と思える?」


 ノモズもやはり、過去の環境は手放しにいいとは言い難い。あまりキメラにも見せたくないが、今は必要経費として受け入れる。もっと大きな問題を解決するためだ。


「部屋も中身も残ってる。やり直せるんだ。友人たちも信じてる。戻ってこい」


 一転しての猫撫で声で揺さぶる。ウルはこの方法で何人もの弱気な商人と有利な契約を結んできた。正常な判断を手放していたら、きっとまんまと乗せられていた。


 ウルは何も変わっていない。対するノモズは。


「別人です。身分証もあります。私はノモズ、他の名前はどこにもなく、これから増えもしません。あなたとの縁は、今こうして話をしにきただけです」

「その言葉も、俺ならどこまで本当かを調べられるぞ」

「妨害はしませんよ。私は恐れていませんから」


 ノモズは普段通りに淡々と伝える。声の大きさで押し切るにはキメラが睨み、理詰めで押し返すには根拠が足りない。


 事実として信じられていた内容を覆すのは、事実であっても困難だ。ルーキエ・ニグスは死体の一部を残して消えた。衝撃的な事件ゆえ広く伝えられて、誰もがその通りに信じている。


 あらゆる情報は六年の時で風化し、物好きの調査も中止されている。誰が何を言おうと、今更になって暴かれるはずがない。


 それでもノモズには最大の負担がのしかかる。負け筋がない確信こそあれども、立ち位置の都合で真っ先に狙われる。先導者とは、あらゆる敵意を受け止める盾だ。


 すぐ隣のキメラにもクレッタにも見透かされている。何も言わないがきっと、いつでも立ち上がる構えをしている。そういう奴らだ。有利不利の見極めがうまくて、動くべき時に動くためなら他をいくらでも後回しにできる。確実に勝てる瞬間まで待つ。


「話は終わりにしましょう。これ以上は何を言っても仕方がない。二人とも、行きますよ」


 ノモズは立ち上がった。交渉の席は終わり、ここからはアナグマらしい闘争の場になる。生存のために最も効率的な手段を使う。喧嘩でも友愛でも色情でも、最短でさえあれば全てを使う。


「待て!」


 背中を見て詰め寄るウルの顔に、キメラが裏拳で一撃。躊躇のない音を合図に三人は走って逃げる。ノモズが先導し、やや後ろにクレッタとキメラが続く。


 案内された道とは違う。近道を含めた『なぜか知っている最短路』で敷地の外へ向かう。正門よりも、庭園を抜けた裏門へ。


 最後の廊下の、大きな花瓶が左右に並ぶ地点で、殿しんがりのキメラが号令を出した。


「備えろ! 右、左、左!」


 障害物の影にいた伏兵が、場所を看破された刺激で飛び出してきた。進路を塞いだが、三人に対して三人だ。数こそ対等に見えても、練度に問題がある。当初の計画を忘れて動くような連中だ。キメラの分がそのまま優位になり、ろくな喧嘩にはならない。


 ノモズは窓へ向かった。扉を使うつもりだったが、次善の策だ。拳の一点に勢いと体重を乗せて、ガラスの端に叩き込む。はめ殺しの窓に新しい非常口を作る。


 ガラスの弾力は枠に近いほど活かせなくなる。中央付近なら耐えられても、端を殴られれば脆い。一度でも傷がつけばそこから広がっていく。小さな荷物の質量を上乗せして、中指の根元の一点に集中して、間接部を一直線にして。運動エネルギーを効率よく叩きつけた。


 あまり誉められる行為ではないが、暴漢に囲まれたとあっては正当性の主張ができる。証人が二人もいて、あとは使途が不明な金の流れと人数を結びつけられる。議会の動き方を知っていれば、こうして危なそうな橋でも堂々と渡れる。


 高さの問題で乗り越えるには多少の時間が必要で、ごろつきはこの隙を狙って迫る。武器は持たず、捕らえるためにいるらしい。見え透いた手をキメラが引き受ける。


「こっちを見な!」


 手榴弾のピンを抜き、時間を見計らって投げつけた。三人のうち二番目の目の前で、ちょうど弾き退ける瞬間に爆発させた。


 小型ゆえ破片が少なく、殺傷力は低い。ノモズへの破片はごろつきの後頭部が受け止めて、クレッタへの破片は距離で弱まり服に穴を開ける軽傷で済む。


 稼いだ時間のうちにノモズは飛び出し、クレッタの尻をキメラが押して、起き上がったごろつきを蹴り飛ばしてキメラも脱出した。


「クレッタ、走れるな」

「いけます。ノモズは向こうに」


 周囲から足音が聞こえる。ノモズは迷路に乗り込む。侵入者の逃げ道を塞ぐための庭園でも、道を知ってさえいれば造作なく抜けられる。根を張った植物の壁は動かせない。


 注意の分だけノモズとの距離が縮んでいく。生垣で区切られた三叉路をひとつふたつと越えていく。近くから足音が聞こえる。手がかりがない三叉路を前にして立ち止まる。どの道に伏兵が待つか、最後の最後で動かせる人工物で道を塞ぐ可能性も含めて、キメラが必要な状況だ。


 短い言葉で伝えた。


「ノモズ、道は?」

「頼みますよ」


 ノモズは息を大きく吸って、キメラを信用して、指笛を鳴らした。折った舌と、指で整えた口の隙間に、空気が流れる。甲高い音が長く響く。


 キメラに望みが伝わった。この音で周囲の状況を知る。視界が通らなくても、音なら通る。この要件で中央から呼びつけた理由がこれだ。


 この場にもしユノアがいたなら、音の響きを聴き分けて伏兵の位置や道の位置を見つけてくれる。


 この場にいるキメラは、音に驚いて小動物が動く音を捕らえた。不自然に音が少ない場所とは、先客がいる場所か、道がない場所だ。


「左!」


 キメラが提示した方向へ駆ける。待ち構えるごろつきは少なく、拾った石ころだけで間に合った。


 三人は無事に、敷地の外へ飛び出た。


 二頭の馬が駆けつけた。手を振ったカティが後ろにクレッタを拾い、ラマテアは前にノモズを乗せた。


「おい、私は!?」

「走って! 走れるでしょ!」

「はあ!?」


 不平を待たずに走り出した。賃料に見合った速度で離れていく。カティの言う通り、キメラも多少なら走れるとはいえ、得意分野は待ち伏せだ。長距離の移動は機会が少なく、体力に頼った動きになる。


 この先にある駅で合流する。馬を預けて牛車に乗り換える。キメラが追いつくまでは思った以上に長く、二度の食事をして、寝床の準備をしておいた。最も柔らかいベッドを残しておく。

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